20年後に目覚めた救済の乙女は、義弟を守るため再び贄になる。
「姉様っ…!」
最後に見たのは、義理の弟が泣きじゃくりながら、私に手を伸ばしている姿だった。
あれ、私、動いている…?
眼下には自分の手があって、握るとちゃんと動いた。
…どういうこと?
私は贄に選ばれて、一生動かないんじゃなかったの?
「…ぁっ」
喋ろうとしても喉が張り付いて、うまく声が出なかった。
…死んだってことでいいのかな、そうするとここは天国かしら?
私、天国には来られたのかな。
首を傾げた時、部屋の扉が開いて、光が入ってきた。
眩しくて目を瞑ると、悲鳴に近い声が耳をつんざいた。
「お、乙女が甦ったぞ!!!」
その声に人が集まるのに、時間はかからなかった。
「乙女は確かに20年前に眠りにつかれました。ですが、今回目を覚まされたようです」
そのまま神殿の豪華な部屋に場所を移されて、偉い人がそう説明してくれた。
「本来であれば、寿命が尽きるまであなた様は眠っているはずでした。ですが、あなた様の魔力の器がそれを凌駕していたみたいです」
よくわからなくて首を傾げた、声はまだ出なかった。
「私たちにも予想外のことで、よくわかっておりません。…20年前に、救済の乙女に選ばれたことは覚えていらっしゃいますか?」
神妙な面持ちで訊かれて、それには首を縦にした。
数百年ぶりに国の結界が壊れる危機が迫っていた。
結界が崩れれば、たちまち土地は瘴気と魔物で埋め尽くされる。
結界を維持するのに、魔力を大量に保持できる触媒が必要だった。
それに選ばれたのが、私だった。
救済の乙女などと呼ばれていたが、ようは生贄だ。
私の体は魔力を膨大に蓄えることができる、稀にいる人間だった。
子爵家の当主だった叔父は、厄介払いできると喜んで私を国に差し出した。
私に辞退する術はなかった。
術を施され、寿命が来るまで体も意識も動かすことなく、屍となっていたはずだ。
それなのに、20年後に目が覚めるという、前代未聞のことが起こっていた。
私からしたら昨日のことのようだが、眠っている間にそれだけの時間が経ったらしい。
私は上を指さして、首を傾げた。
向かいに座る人が眉を顰めたので、慌てて両手でドームの形を作った。
声が出ないから、どう説明したら伝わるのかな。
私のジェスチャーで、ああ!と気づいたように頷いた。
「結界は大丈夫ですよ。異常の知らせは来ておりません」
その言葉に、ホッとして何度も頷いた。
私が目覚めたから、結界が消えたなんてことになっていないのならよかった。
その時、廊下が騒がしくなって、振り向く前に扉が乱暴に開いた。
「…姉様、セリーナ姉様が目を覚ましたとは本当ですかっ!?」
私を姉様と呼ぶのは、この世に1人しかいない。
でも、目に映ったのは知らない男性だった。
…誰だろう?
「…姉様が、動いている」
その人は勢いよく私のそばに来ると、そのまま抱き締められた。
「姉様っ、会いたかったですっ、姉様…!」
痛いほど抱き締められて、声が出ないから何も言えなかった。
長い間、抱き締められていたけど、その人が顔を上げると泣いていた。
その顔が、あの日最後に見た顔と重なって、声は出ないのに口は動いていた。
《…イヴァン?》
口を動かしただけなのに、なぜか読み取られて、泣き顔の彼は頷いた。
「はい、イヴァンですよ。あなたの義弟です」
見たことのない美しい顔の成人男性は、私の頬に手を触れた。
…本当に、イヴァンなの?
私は自分の頭から天井に向けて手を動かすと、イヴァンだと言う彼は泣きながら笑った。
「あれから20年経ったのです、背も伸びますよ」
その言葉にびっくりして、目をパチパチさせてしまった。
…ようやく事態が飲み込めてきた気がする。
私よりずっと小さかったイヴァンも、時の流れで大人になっていてもおかしくないのだ。
自分だけ取り残されたような、恐怖に似たものが迫り上がってくる。
それに気づいたかのように、イヴァンは私の頭を優しく撫でた。
その眼差しが、ここにいていいと言われている気がして、力が抜ける。
「姉様は15歳のままのようですね。僕の方がお兄さんになってしまいました」
昨日までのイヴァンはまだ7歳だったけれど、今は27歳ということ…?
そうか、成長したイヴァンを今見られているのか。
それは奇跡に近くて、嬉しさが込み上げてくる。
「姉様、よかったら僕と家に帰りませんか?」
《…でも》
「家には僕しかいません。父も母も亡くなったので、子爵家の当主は今は僕なんです」
《…!》
「ですから、姉様に危害を加える者はもういません。いたとしても、僕が必ず守ります」
その力強い言い切りと、表情に、縋りたくなる気持ちがした。
「あの頃、姉様を守れなかったこと今でも後悔しています。…今度こそ、僕に守らせてくれませんか?」
神殿にいるよりは、イヴァンのところの方がいいかもしれない…。
お願いしますと頭を下げると、泣き顔のイヴァンは、7歳の時の私の知っている笑顔を見せてくれた。
あれからイヴァンに連れられて実家に帰り、回復食を食べながらゆっくり過ごした。
あたたかい布団、柔らかいドレス、親切な使用人。
そしてイヴァンが、「何もしなくていいからゆっくりしてください」と言った通りに、穏やかに時が過ぎていく。
まるで、子どもの頃みたいだった。
13歳まで両親が生きていた頃のようで、息がしやすかった。
不慮の事故で亡くなった両親の代わりに子爵家を継いだのは、父の弟だったイヴァンの両親だった。
私は追い出されることなく養子にしてもらえて、なんとか生きていた。
叔父夫妻に殴られても、罵詈雑言を浴びせられても、部屋に監禁されても、死ぬよりはマシだと言い聞かせていた。
そんな中でも、イヴァンは心の拠り所だった。
なぜかイヴァンは私と一緒に居たがって、そばにいてくれた。
その時だけは、叔父夫妻からあらゆるものが飛んでこなくて、一時的に休めた。
それだけでも十分だったのに、「セリーナねえさま」と慕ってくれていた。
だから、あの贄の儀式の日の悲痛な顔のイヴァンが目に焼き付けた時、唯一の心残りだった。
それと同時に、イヴァンが安全に暮らせる土地になるなら、人生の結末がこれでも悪くないと思って、意識を手放した。
「姉様、具合はいかがですか?」
「ずいぶん、いいの」
「それならよかった」
イヴァンは私の隣に座って、私の肩を抱いた。
養生のおかげで、少しなら声が出るようになった。
イヴァンが手配してくれたお医者さまにも、長年の眠りで体力が衰えているだけで、健康に問題はないと言われた。
何より15歳のまま固まり、15歳のまま目が覚めたので、若い分回復が早かった。
イヴァンは私といる時は、あの頃以上にベッタリくっついている。
必ず私の手を握ったり、肩を抱いたりする。
たまに、膝の上に乗せて抱き締めてくる。
最初は戸惑っていたけれど、「姉様がここにいるという実感が湧くので…」と悲しそうな顔で言われたら、断る理由がなかった。
私に触れるたびに、安心したように息をつくイヴァンに、心が締め付けられるようだった。
「姉様には、爵位もお返ししたいんですけどね」
イヴァンは、私がこの家に帰ってきてから、そう口にするようになった。
その度に、首を振った。
「わたし、こうけいしゃきょういく、とちゅうだったから、むりよ」
「そんなの僕が教えますし、補佐だってしますよ」
「りょうみんも、しらないひと、こまるわ」
「救済の乙女の領地なんて、それだけで値がつきますよ」
それには曖昧に笑うしかなかった。
なりたくてなったわけじゃないけれど、私が目覚めたという知らせが街に広がると、国中が救済の乙女フィーバーになった。
あちこちから一度お目にかかりたいだの、結婚の申し込みだの、来ているらしかった。
全部イヴァンが捌いてくれているから、私は詳しく知らない。
何か来る度にイヴァンは、「姉様は国のためにもう尽くしたんですから、好きにしていいんです」と言うのでお言葉に甘えている。
「それに、めいよしゃくい、の、はなしもあるし」
そうなのだ、王家から一代限りの爵位を授けるという話も来ていた。
どうしていいのかわからなくて、保留にさせてもらっている。
イヴァンが「現状を飲み込めていない義姉を急かせないでもらいたい」と王家にまで抗議したのには驚いたが、正直助かっている。
いきなり爵位あげるぞとか言われても…。
救済の乙女になった時は私のことを救ってくれなかったのに、目覚めた途端これかと、苦い気持ちがする。
だけど、イヴァンだけは『私』を見てくれる。
それだけで、あの頃みたいに心休まる気持ちだった。
「イヴァンは、いつ、しゃくい、ついだの?」
「今から10年前ですよ」
「!」
17歳で子爵家当主になったの…?
びっくりしてイヴァンを見上げると、困ったように笑った。
「僕の両親が亡くなったので、そのまま」
「…そう」
「もう継げるだけの実力も備わっていましたし、いい頃合いかと思いまして」
「…?」
「あ、両親は馬車の事故で死んだことになっていますが、あれは僕が仕組んだんです」
なんでもないことのように言って、「これ内緒ですよ」と笑った。
今、なんて…?
「だって、姉様の両親をそうやって殺した奴らですからね。同じ目に遭っても、文句は言えませんよね?」
「え…」
「あいつら、爵位欲しさに姉様の両親を殺したんですよ。挙句、姉様から全部を奪いやがって…」
どういうこと…?
だって、両親は雨で馬車が横転したって…。
「姉様を国に捧げた時に、あいつらから何にもかも奪ってやると決めていましたが、自分の親が人殺しなどという下郎だとわかった時は、さすがに僕も死にたくなりましたね」
その顔がなんとも言えない泣きそうな顔で、私は思わずイヴァンの頬に手を伸ばした。
「あいつらを殺しても意味なかった…。セリーナ姉様がいなければ、変わらない地獄だった」
虚な顔でそう言うから、喉がキュッとした。
「僕から姉様を奪ったものが、全部憎かった。なんで生きているのかもわからなかった」
イヴァンは、縋るように私を見た。
「でも、死なないでここまで生きててよかった…。もう一度、姉様に会えた」
私の手に重ねて、イヴァンは猫のように擦り付いた。
「姉様を守ると言いましたよね?この世の全てから守るので、姉様は姉様の好きにしてくださいね」
「でも…」
「王家がもう一度姉様を寄越せと言ってきたら、王族殺しにでも何にでもなりますから」
「それは、だめ…!」
「駄目なことはありません。姉様を害する奴は1匹残らず排除します。…あの時、守れなかった自分が許せないんです」
「イヴァン、まだ、ななさいだったじゃない…」
「ええ、無力で、何も出来なかった自分が憎かったですよ」
「あのころだって、わたしをまもってくれたのも、わたしのためにないてくれたのも、イヴァンだけよ?」
揺れている瞳を真っ直ぐに見つめ返して、そう言った。
「イヴァンがいたから、わたしいきていられたの。だから、もうじゅうぶんなのよ」
私の言葉に、イヴァンは息を詰まらせて、そのまま私の肩に顔を伏せた。
私のドレスの肩口が、温かく濡れていって、私はイヴァンの頭を包むように抱き締めることしかできなかった。
この穏やかで優しい時間が、ずっと続いたらいいと思っていた。
「第二王子殿下の婚約者…?」
王家の使者がやってきて、そう告げた。
救済の乙女への求心力の凄まじさに、王家の威信に使えると判断されたらしい。
…ここに来ても、私の意思というものは関係ないらしい。
そもそもこれでも子爵令嬢だったのだ。
当たり前と言えば、当たり前のことかもしれない。
イヴァンの元で、自分の尊厳みたいなものを取り戻していたからか、その決定事項は救済の乙女の時ほどに、血の通っていないものに思えた。
「…わかり」
「義姉をこれ以上愚弄するというのかっ…!」
イヴァンは立ち上がって、使者に向かって怒鳴った。
その目は血走っていて、見たことのないイヴァンに体がビクッと震えた。
「これは名誉あることでして」
「それは姉様が決めることだ!貴様らは、また姉様から奪うというのだなっ!?」
「王がお決めになったことです」
「そうか。だとしたら、姉様を害すものは排除するしかないな」
イヴァンの声が終わらないうちに、目の前の使者から血飛沫が飛んだ。
一瞬、何が起こったかわからなかった。
隣のイヴァンの手には剣があり、それが使者の胸を突き刺していた。
私がこの家で見た、最後のイヴァンだった。
私は玉座の前で、地面に頭を擦り付けて、必死にお願いしていた。
「私はどうなっても構いません!おとうとを、義弟を助けてくださいませんか!?」
イヴァンは、王城の牢に連れて行かれた。
私を守ってくれる人はもういない。
そして、イヴァンを守れるのも私しかいない。
「…もう一度っ、救済の乙女になります!」
私の言葉に、周りの人間がどよめいた。
それには、期待と安堵が含まれていることを感じ取って、一気に言い切った。
「私の魔力の器からして、あと300年ほどは結界を保たせることが出来ると、神殿から言われております!我が国の安寧のために、この身をお捧げいたします…!ですから、義弟だけはお助けください!」
王は表をあげよと言った。
恐る恐る顔を上げると、かつての叔父夫妻と同じくらい、顔を歪ませて笑っていた。
「そなたの申し出、聞き入れてやろうではないか」
…ああ、私の運命は、結局これだったんだ。
国をあげてお祭りが行われた。
救済の乙女が自らもう一度術を受けると、国中が喜んだ。
やっぱり顔を歪めてくれたのは、イヴァンだけだった。
「セリーナ姉様、どうして…」
「イヴァン、生きていてくれてありがとう。また目が覚めた時、あなたがいてくれてどれだけ安心したか」
あの日の使者は、一命を取り留めていた。
イヴァンの件は緘口令が敷かれ、罰金刑だけで済んだ。
救済の乙女の生家が取り潰すことの方が、国民からの不満が出そうだという判断だった。
イヴァンには、死ぬまで家を守れと命が降った。
勝手に死ぬことも許されなくなった。
そんなのに縛り付けたことだけが、心残りだった。
「私ね、あの時もイヴァンが生きていくここが何にも脅かされないなら、これで悪くないって思っていたのよ」
「…そんなこと、言わないでください」
「泣かせてばかりの姉でごめんね」
「…姉様、置いて行かないでくださいっ」
「イヴァンが私を守るって言ってくれたの嬉しかった。本当に守ってくれたのも」
「でも、僕のせいで、また…!」
「私もイヴァンだけは守りたかった。だから同じ気持ちでいてくれたのが、他の何よりも嬉しかったのよ」
「…姉様、ねえさ、まっ!」
イヴァンは再会した日と同じくらい、強く私を抱き締めた。
私も、同じだけの力で抱き締め返す。
「乙女、時間です」
業務的な声が、私たちに降ってきた。
祭りの最後には、街の真ん中に特別に用意された祭壇の上で、贄の儀式が行われる。
あの時と違って、多くの人間に見守られながら、私はまた眠りにつくらしい。
「…ねえ、イヴァン。最後に我儘を言ってもいいかしら」
私は誰にも聞かれないように、イヴァンの耳元で囁いた。
「なんでも、言ってください…」
「私のことだから、また20年後くらいに目が覚めちゃう気がするのよ」
「…っ」
「だから、その時がもし来たら、また迎えに来て欲しいなって」
「かならずっ、必ず姉様を迎えに行きますっ…!」
「えへへ、ありがとうイヴァン。…行ってくるね」
周囲の早くしろという気配をよそに、私たちは顔を見合わせた。
一度目と同じく、ぐちゃぐちゃの泣き顔のイヴァンが、頑張って笑ってくれた。
「…ずっと、セリーナ姉様の帰りを待っています」
その声に頷いて、名残惜しい気持ちを押し殺して、互いに手を離した。
生贄になろうと、私そのものは誰にも奪えない。
それは、戻ってからイヴァンが私に新しく植えて育ててくれた思いだ。
だから、大丈夫。
私はイヴァンに背を向けて、自分の足で祭壇へと歩いていった。
了
お読みくださりありがとうございました!! 毎日投稿68日目。




