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おまけの召喚者ですが、筆頭魔術師様に保護されています(自覚なし)

作者: 絹ごし春雨
掲載日:2025/12/25

 光が満ちた。そこにいるのは三人。

召喚は成功した。


予定から外れたノイズ。

それがミオリだった。


光は祈りの形をしていた。

だから残酷だ。


 


 足元の感触が、現実だった。

石の冷たさが、靴越しに伝わってくる。


ミオリは息を吸い、ゆっくりと吐いた。

周囲は静まり返っている。

高い天井。円形の空間。床に描かれた魔法陣。


——知らない場所だ。


正面に立つ人々は、誰一人として慌てていなかった。

物語に出てくるような服を纏った人々。

まるで、こうなることを知っていたかのような表情をしている。


「……成功です」


低い声が、淡々と告げる。


ミオリは、その言葉に首を傾げた。

成功。

それは、誰に向けられた言葉なのだろう。


視線が自然と、自分の両隣へ向かう。


白い衣を纏った少女。

剣を神官に捧げられる青年。


二人とも、ミオリよりも少し若く見えた。

戸惑いながらも、必死に状況を理解しようとしている。


その二人に向かって、神官の一人が進み出る。


「聖女ヒカリ様。勇者レン様。

 ようこそ、我が世界へ」


言葉は整い、小さな興奮を伴って。

歓迎の儀礼。用意された役割。


少女——ヒカリは、目を見開いたまま、小さく息を呑む。

青年——レンは、眉をひそめながらも、黙って話を聞いていた。


ミオリは、その様子を一歩引いた位置から見ていた。


——ああ。


——私は、違う。


その感覚は、説明される前から分かっていた。


誰も、最初からこちらを見ていなかったのだ。


「……?」


無意識に一歩下がろうとして、ミオリは止まる。

魔法陣の縁に、足先がかかった。


踏み出せば、外に出られる気がした。

けれど、なぜか動けなかった。


そのとき、ようやく視線が集まった。


困惑。

確認。

そして、短い沈黙。


神官たちの間に、わずかなざわめきが走る。


「第三……?」


「対象外では?」


「いや、記録上は……」


言葉は、ミオリの頭上を通り過ぎていく。

誰も彼女に問いかけない。


やがて、年嵩の神官が一歩前に出た。


「……想定通りです」


その声には、諦めに似た安定があった。


「余剰ですね」


余剰。


その言葉は、ひどく静かに胸に落ちた。


「お名前を」


形式的に、そう問われる。


「……ミオリ、です」


声は震えなかった。

なぜか、泣きたいとも思わなかった。

なぜ、と思わないのが不思議で。

……やっぱり、と思った。


「ミオリ様。あなたには、特別な力は確認されていません」


はっきりと、そう告げられる。


否定ではない。

評価でもない。


ただの事実。


「ですが、召喚には意味があります。

 勇者様と聖女様が来てくださったのですから」



意味は、よく分からない。

ただ、期待されていないということだけは、はっきりと分かった。


「処遇は……」


神官の視線が、神殿の端へ向かう。


そこに立っていたのは、一人の男だった。


黒に近い外套。

整えられた所作。

祈りの場にあっても、祈らない人間の立ち姿。


男は少し考えるように黙り込み、やがて口を開いた。


「私が引き取ろう」


淡々とした声だった。


神官たちが、一瞬ざわめく。


「筆頭魔術師殿……?」


「制度上、問題はない」


男は静かに続ける。


「余剰は管理下に置くべきだ。この者には器としての価値がありそうだ」


合理的な判断。

感情の入り込む余地は、ない。


男の視線が、ミオリに向く。


初めて、真正面から目が合った。


「名前は?」


「……ミオリ、です」


「そうか」


それだけだった。


「私はエルディン。

 君は当面、私の管理下に入る」


管理。


その言葉を、ミオリはゆっくりと受け取った。


拒む理由は、なかった。

歓迎されていない場所で、拒む勇気もなかった。


「……分かりました」


そう答えたとき、

エルディンはほんの一瞬だけ、目を細めた。


それは安堵でも、同情でもない。


余剰が、正しく配置されたことへの確認。


ミオリは、まだ知らない。


この合理的な判断が、

いずれ彼自身を縛る選択になることを。


そして、いつしかミオリの救いになることを。





 ミオリが与えられた部屋は、簡素だった。


寝台と机、椅子が一脚。

窓はあるが、外には遠くに神殿が見えるだけ。


「不便はないか」


淡々とした声が、背後からかかる。


振り返ると、エルディンが立っていた。

召喚の場で見たときと同じ外套。

同じ、感情の見えない表情。


「大丈夫です」


ミオリは正直に答えた。

不便というほどのものは、何もない。


エルディンは頷き、部屋の中を一瞥する。


「説明しておく」


そう前置いて、彼は机の脇に立った。


「この世界では、召喚は制度だ。

 勇者と聖女は、必ず対で呼ばれる」


ミオリは黙って聞く。


「だが、制度には必ず誤差が出る。

 それが余剰だ」


余剰。

またその言葉だ。


「君は、魔力を持たない」


断定だった。


「だが、魔力を拒まない。

 流れを通す適性がある」


「……器、ですか」


エルディンは一瞬だけ目を向ける。


「理解が早いな」


褒める調子ではない。

事実確認に近い。


「魔力を受け入れた場合、害はない。

 むしろ、体調は安定するはずだ。具体的に言うと、少しなら魔法が使えるようになる」


「エルディンさんは、魔術師なんですよね?」


ミオリは、少し迷ってから尋ねた。


「私か」


彼は、わずかに言葉を選ぶ。


「私は魔力に余剰を抱えている。

 移さなくても生活に支障はない」


けれど、と続ける。


「移した方が、体調が良くなる」


無いよりはマシ。


そういうことだろう。


「……どうやって、移すんですか?」


エルディンは即答しなかった。


「接触だ」


簡潔な答え。


「最も簡単なのは、手を取ること。

 効率がいいのは、密着すること」


ミオリは、少しだけ瞬きをした。


「……抱きしめる、とか?」


「そうだ」


否定も、照れもない。


「キスが最も効率的だが、

 初回から行う必要はない」


事務的な説明だった。


ミオリは、自分の手を見下ろす。


「……拒否したら?」


エルディンは、少しだけ考えた。


「制度上、強制はできない。

 だが、その場合、君は別の管理先に回される」


別の管理先。

それが、どういう場所かは聞かなくても分かった。


ミオリは、ゆっくりと息を吸う。


「……やります」


声は、落ち着いていた。


「役に立てるなら、その方がいい」


エルディンは、ほんの一瞬だけ眉を動かした。


「無理をする必要はない」


「無理ではありません」


ミオリは顔を上げる。


「……余剰、なんですよね。捨てられるよりは……」


その先の飲み込んだ言葉に、エルディンは何も返さなかった。


代わりに、一歩距離を詰める。


「では、試そう」


彼はそう言って、ミオリの前に立つ。


「手を」


大きくて繊細な手が差し出される。魔術師の手だ。思ったより、あたたかかった。


ミオリは、ためらいながらも、その手を取る。


次の瞬間。


胸の奥に、ふわりと何かが流れ込んできた。


重くはない。

熱くもない。


ただ、静かに満ちる感覚。


「……あ」


思わず、声が漏れた。


エルディンが、わずかに息を吐く。


「……問題ないな」


彼の声が、少し低くなっていることに、ミオリは気づかなかった。


「大丈夫です」


ミオリは、手を離さずに言った。


「なんだか……落ち着きます」


エルディンは、視線を逸らす。


「それは、正常な反応だ」


けれど、彼の身体は確かに軽くなっていた。


それが、初めての魔力移譲だった。


このとき、二人ともまだ知らない。


この「習慣」が二人の運命を決めてしまうことを。





 魔力移譲は、定期的に行われるようになった。


決まった時間も、厳密な手順もない。

エルディンの仕事が一区切りついたとき。

あるいは、ミオリが呼ばれたとき。


「今日も問題はないか」


それが、合図だった。


「はい」


ミオリは頷き、差し出された手を取る。

最初は緊張していたその動作も、今では迷いがない。


手を取る。

胸の奥に、ふわりと何かが満ちる。

重くはない。熱くもない。

ただ、静かに落ち着く。


「……安定してきている」


エルディンは短くそう言った。

評価ではない。経過報告だ。


「君の器としての適性は高い」


「それって褒めてるんですか?」


ミオリが言うと、エルディンは少しだけ眉を動かす。


「事実だ」


それで会話は終わった。


けれど、ある日。


手を離したあと、エルディンがふと動きを止めた。


「……今日は、少し重い」


独り言に近い声だった。


「体調、悪いんですか?」


「悪いというほどではない。

 ただ、余剰が溜まっている」


ミオリは、自分の手のひらを見下ろす。

さっき確かに流れたはずなのに。


「足りなかったですか」


「微差だ。だが、効率は変えられる。君が受け入れるなら、だが」


エルディンは言う。


「密着した方が、移譲は安定する」


以前も聞いた説明だった。

けれど、今それが“必要”として差し出されると、少しだけ形が変わる。


ミオリは一拍おいて頷いた。


「……やります」


声は落ち着いていた。

断る理由がない、というより——

断ったら、自分がここにいる意味が薄れる気がした。


「無理はするな」


「無理じゃありません」


ミオリは顔を上げる。


「それで役に立てるなら、その方がいいです」


エルディンは小さく息を吐く。

それが了承なのか、確認なのかは分からない。


「では」


そう言って、彼は一歩近づいた。


近い。

距離が縮まると、目に入る情報が増える。

睫毛の長さ。呼吸の静かさ。

外套の布の匂い。


ミオリは自分の腕をどこに置けばいいのか分からず、少しだけ固まる。


「……抱きしめればいいんですよね」


確認するように言うと、


「そうだ」


あくまで事務的に返される。


エルディンの腕が、ミオリの背に回った。


次の瞬間。


胸の奥で、はっきりと流れが動いた。


手を取ったときよりも、深い。

身体の芯がゆっくり緩むような感覚。


「……あ」


声が漏れる。


恥ずかしさより先に、安心が来た。


エルディンが、わずかに息を吐く。


それは短い。けれど、軽くなる音だった。


「……確かに、安定する」


「よかったです」


ミオリは言ってから気づく。

自分の声が少し柔らかい。


「……落ち着きます」


正直に言うと、エルディンは返事をしなかった。


代わりに、ほんの少しだけ腕の力が強くなる。

抱擁というには足りない、そんな動き。


ミオリは嫌ではなかった。


「離してもいいか」


「はい」


言われて、ようやく腕が解かれる。


空気が冷たく感じた。


エルディンはいつも通り、距離を取り直す。


「今後は、手だけで足りないときはこれでいく」


「分かりました」


それで話は終わる。


終わるはずなのに、ミオリは部屋へ戻る途中も胸の奥が静かだった。


——役に立てるから。


そう言い聞かせる。


けれど、もう一つ分かってしまう。


抱きしめられるという行為は、

効率だけでは説明しきれないほど、身体に残る。


エルディンの歩調も、いつもより軽かった。


二人の距離が静かに形を変え始めていた。





 魔力移譲は、生活の一部になっていた。


それは儀式でも、特別な行為でもなく。

朝や夜、あるいは仕事の合間に自然と行われるものになっている。


「……今日は、少し溜まっているな」


エルディンがそう言えば、


「じゃあ、あとで時間を取りますね」


ミオリがそう返す。


いつものやり取り。


理由を問う必要も、

意味を考える必要もなかった。


ミオリの思考は停止し、生活は、驚くほど安定していた。


食事は温かく、寝床は安全で、

誰も彼女を軽んじない。


役割は明確で、居場所もある。


——快適だ。


あまりにも。


「……このままじゃ、だめかも」


ぽつりと零した言葉は、誰にも聞かれなかった。


エルディンの執務室は、相変わらず静かだった。

魔術式が浮かぶ机の前で、彼は資料を閉じる。


「来てくれ」


短い呼びかけ。


ミオリは頷き、近づく。


「今日は、……抱擁では足りないかもしれない」


ためらったように告げられる。


「……え?」


「余剰が多い。効率を上げるには、わかるな? 出来るか?」



ミオリは、一拍だけ迷ってから頷いた。


「……キス、ですよね」


「そうだ」


事務的な肯定。


ミオリは喉を鳴らし、足を止める。


「……初めてです」


エルディンは、一瞬息を呑んだ。


ミオリに、一歩近づく。

いつもより、近い。


「嫌なら、やめる」


「……嫌じゃ、ありません」


その言葉が口をついて出たことに、ミオリ自身が驚いた。


「役に立てるなら……」


言いかけて、止まる。


それは、もう全部じゃない。


エルディンの指が、顎に触れた。

触れるだけで、支えるほどではない。


視線が合う。


距離が詰まる。


唇が、触れた。


深くはない。

長くもない。


ただ、確かにやわらかに触れた。


瞬間。


胸の奥で、はっきりとした流れが生まれた。


今までで、一番。


身体の芯が、ゆっくり溶ける。

安心と、落ち着きと、説明できない満足。


「……っ」


ミオリは、思わず目を閉じた。


エルディンが、わずかに息を詰める。


「……やはり、違うな」


声が、ほんの少し低い。


唇が離れる。

けれど、距離は残ったまま。


「大丈夫か」


「……はい」


ミオリは、すぐに答えられなかった。


胸が、静かに満ちている。


「……落ち着きます」


そう言うと、

エルディンは、少しだけ目を伏せた。


「……そうか」


それ以上、言わない。


それが、逆に重かった。


部屋を出たあとも、

ミオリの身体は軽いままだった。


——快適だ。


それを、今度ははっきりと自覚する。


エルディンのそばにいると、

考えなくていい。

迷わなくていい。


役割があり、

必要とされ、

拒まれない。


「……依存、してるのかな」


そう思った瞬間、

胸の奥が、ひやりとした。


彼がいなかったら?


この生活がなかったら?


——考えたくない。


ミオリは立ち止まり、深く息を吸う。


「……このままじゃ、だめ」


快適すぎる日常は、人をダメにする。


もう、私は、そうなってる。


それが、怖かった。


一方、執務室に残されたエルディンは、

唇に指先を当てたまま、動かなかった。


魔力は、確かに軽くなっている。


だが——


それだけでは、説明がつかない。


「……効率、か?」


そう呟いた声は、

自分に言い聞かせるようだった。


彼はまだ気づいていない。


快適なのは、

魔力が減ったからではないことに。


そして、

その快適さを失うことに、

すでに耐えられなくなりつつあることに。







 エルディンの家は、静かだった。


魔術師の私邸にしては質素で、無駄がない。

必要なものだけが、適切な位置にある。


ミオリは、その空間にすっかり馴染んでいた。


——馴染みすぎている、と気づいてしまうまでは。


その日は、外出の許可を求めた。


「村を見たい?」


エルディンは、魔導書から視線を上げる。


「……少しだけ」


理由は言わなかった。

彼も、理由を聞かなかった。


「日が暮れる前には戻れ」


それだけ。


ミオリは頷き、外套を羽織った。


引き留められないことに、ほっとしてしまう自分がいた。



半日ほど歩く。


村は、思ったよりも普通だった。


人がいて、声があって、生活がある。

魔法陣も、祈りも、制度も見えない。


市場の端で、ミオリは足を止めた。


パンを売る老婆。

荷を運ぶ少年。

子どもを叱る母親。


誰も、特別な力を使っていない。


「……あの」


思い切って、ミオリは声をかけた。


「ここで暮らしている方は、みなさん……魔法が使えるんですか?」


唐突な問いに、老婆は一瞬きょとんとして、それから笑った。


「何言ってるんだい。使えるわけないだろ」


「じゃあ……おばあさんも?」


「そうさ」


当たり前のように言う。


「畑もあるし、仕事もある。楽じゃないけどね」


楽じゃない。

でも、生きている。


「神殿の庇護がなくても?」


「神殿? ああ、あそこね」


老婆は肩をすくめる。


「関わりたい人もいれば、そうじゃない人もいるよ。正直神様っていてくれればいいけど、それでご飯が食べられるわけでもないしねぇ」


——選べる。


その事実が、胸に落ちた。




 村を歩くほど、

ミオリの中で、何かがずれていく。


能力がなくても、

保証人がいなくても、

不便でも、不安でも。


人は、ここで生きている。


「……できるんだ」


呟きは、風に消えた。


エルディンの家に戻る道すがら、

足取りは、行きよりも重かった。


快適さが、重い。


守られていることが、急に息苦しい。




 家に戻ると、エルディンは執務机に向かっていた。


「戻ったか」


いつもの声。


「……村を見てきました」


「そうか」


関心がないわけではない。

ただ、彼にとっては“問題のない外出”だった。


「……村には、魔法を使えない人がたくさんいました」


エルディンは、手を止めない。


「当然だ」


「でも、みんな……普通に暮らしてました」


そこで、ようやく彼の手が止まる。


「何が言いたい」


問いは、静かだった。


ミオリは、言葉を選ぶ。


「……私、ずっと思ってました。ここを出たら、私みたいなのは生きていけないって」


エルディンは答えない。


「でも、違いました」


ミオリは顔を上げる。


「不便でも、不安でも……生きてる人は、いました」


沈黙。


重い、間。


「それと、君は違う」


エルディンは言う。


「君は、余剰だ。制度の外に出る前提で造られていない」


「……それでも」


ミオリは、小さく息を吸う。


「あなたに守られるだけじゃ、ダメなんです。あなたにとって私は絶対に必要なものじゃない」


ここに“置かれる”ことと、

ここに“望まれる”ことは、違う。


エルディンの視線が、ミオリを捉える。


今までと同じ。

けれど、どこか違う。


「……考える必要はない」


「あります」


即答だった。


「私、このままだと……」


言葉を止める。


依存、という単語を使うのが、怖かった。


「……エルディンがいないと、生きられなくなっちゃいます」


それは、告白に近かった。


エルディンは、初めて明確に表情を変えた。


「それは」


否定しかけて、止まる。


「……問題なのか?」


問い返し。


ミオリは、静かに頷いた。


「はい」







「……待て。もし、魔物に襲われたらどうするんだ?」


ミオリはきょとんとした。

「それは、仕方のないことなんじゃ」


「……だめだ。許可できない」


「ミオリが死ぬ可能性があるのに、黙って手を離すなんて、できない」


ミオリはびっくりした。


「私の代わりはいくらでもいますよ? 食費も浮きますし」


「駄目だ」


エルディンは、見たことないほどに険しい顔をしている。不安に瞳が揺れていた。


「……エルディン?」


「耐えられない」


エルディンは衝動的に、ミオリを抱きしめた。


「……それって、どんな感情?」


ミオリは静かに問いかけた。


エルディンの動きが止まる。


「……保護だ」


絞り出した言葉は、それだけで納得できないと苦悩が表情に載っていた。


ミオリは、静かにエルディンの腕から抜け出す。


「……じゃあ、行ってきますね」


エルディンは、俯き、自分の手を見つめている。


ミオリの体温が、その手から消えた時、エルディンは顔を上げた。


「……待ってくれ」



「保護じゃない」


彼の手がミオリの手を掴む。

その手は震えていた。


「……」


ミオリは首を傾げてエルディンを覗き込む。


「君のいない生活に耐えられない。消えないでくれ」


ミオリは息を呑んだ。


「愛してるんだ」


「……エルディン」


エルディンは、改めてミオリを引き寄せた。


「君といるのが自然だと思う。そう思うのは私だけか?」


「でも、私はあなたに依存して」


違う、と彼は言った。


「君は何も望まない。たった一人しかいないのに、代わりはいる、なんて言う」


残酷だ。と。

震える彼の背をミオリは抱いた。

鼻の奥がつんとしてくる。


「私を愛してくれるの?」


「もちろん」


腕の力が強くなった。


「私も……あなたが好き。……釣り合わないと思ってた」


「馬鹿だな……馬鹿だ」


二人は、抱きしめ合っていた。

お互いの体温が、溶けていくようだった。






 朝の光が、窓から差し込んでいた。


エルディンの家は相変わらず静かで、必要なものしか置かれていない。

けれど、以前と決定的に違う点が一つあった。


魔術書を読んでいたエルディンは首を回す。


「……少し、溜まっている」


伺うような視線がミオリと絡み合う。


ミオリは頷いた。


「じゃあ……少しだけ」


立ち上がり、エルディンの前に立つ。躊躇はない。


「手でいいですか?」


「手じゃなくてもいい」


エルディンは腕を広げた。


ミオリはそこに飛び込んだ。


何かがやり取りされる感覚。


ほうっと同時にため息を吐き、笑い合った。


「……落ち着く」


エルディンから漏れた呟きに、


「私も」


ミオリは答えた。


触れたいと思ったから触れる。

それは義務でもなんでもなく。


ふと、エルディンがミオリの唇を奪った。


「今の、必要ありました?」


「したいから」


それが全て。

彼は笑った。


「もう、離れられないな」


「はい」


ミオリは穏やかな顔で応える。


あれから少しだけ、自分を大事にできるようになった。


それも、エルディンがミオリを大切だと伝えてくれるから。


「私、この世界にきて良かったかも」


望まれない召喚者は、幸福そうに、笑った。

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