2. 鐘の鳴る街
夜行バスで青森に着いてからフェリーの出航まで3時間以上あったが、海沿いのベンチで朝飯を食べ、途中で弁当を買いながら3キロ近い道のりを歩いてフェリーターミナルに着くころには、出航30分前になっていた。
海沿いだからか、薄日が差して蒸し暑いかと思うと不意に時雨が来たりして、なんともはっきりしない天気。フェリーに乗り込んで甲板から見渡しても、山の頭はことごとく雲に隠れて、晴れていれば眺めを楽しめる八甲田山に至っては、どっちにあるのかさえよく分からない。
寝不足と相まって、気分が盛り上がらないまま船は港を離れていく。
いつもフェリーに乗ると、ときどき甲板に出ては、地図を広げてコンパスを載せ、見比べながら景色を楽しんできた。だが今日みたいな日は、見える陸地自体が少ないので、船内で過ごすことが多くなる。
今年は、陸奥湾だけでなく津軽海峡に出てもほとんど揺れず、穏やかな航海だったが、天気は相変わらずで、津軽海峡に差しかかるころ霧雨が降り出した。これじゃ函館に着くまで陸地の景色は楽しめないかな……。仕方なく、船内で函館に着いてからのことを検索して過ごす。
気づくと、函館に着くまで1時間を切っていた。いつもなら、右舷前方に函館山が見えてくるころだが、今年はどうだろうか。
右の甲板に出てみると、思いがけず雨が止んで霧も晴れていて、頭を雲に突っ込んだ函館山が、黒く、のっそりと、そこにあった。なんだ見えるじゃないか。山頂まで見えないのは残念だが、ここまでの楽しみを取り返さんとするように、地図片手に眺め続ける。
フェリーが近づいていくほどに、まず眼前に現れてくるのは、町側から見た山の印象とはかけ離れた、荒々しい海食崖。それを眺めながらしばらく進んでいくと、人を寄せつけないその景色の中に、やがてぽつりぽつりと建物が見えはじめ、ほどなく街並みや寺の屋根などが次々と見えてくる。
津軽海峡の先に函館山が見えてきて、近づき、その横を進むとやがて函館の町が視界に広がる……。
青函連絡船全盛の昔から、どれだけ多くの旅人たちが、この景色を眺めながら函館に降り立ってきたことか。ここは、北の大地の門なのだ。やはり、北の旅は函館からに限る。
フェリーは定刻に港に着岸。北の大地上陸の感慨に浸りたいところだが、早々に港を後する。
今日は函館泊なので急ぐ必要もなさそうなところだが、港から歩いて行ける五稜郭駅近くのスーパーに寄ってから、宿のあるエリアまで1本で行ってくれるレアなバスに間に合わせたい。今日泊まるのはキッチンを使えるゲストハウスで、料理まではせずとも買い出ししたいのだが、宿近くにスーパーがないのだ。
スーパーに着いたら手早く買い物を終え、隣接する病院のバス乗り場に急ぐと、そのレアなバスに何とか間に合った。
おかげで夕方5時ごろチェックイン。
車中泊で寝不足な今日のこと、すぐ晩飯にして寝てしまったほうがいいのだが、こうも時間が早いと、せっかくだから少し辺りを歩こうか、という気になってくる――これも一種の貧乏根性だろうか。
こんな気になるのも、ゲストハウスの立地があまりにもいいからだ。風情ある建物が立ち並ぶ、函館観光の中心地・元町まですぐという、絶好のロケーション。過去2回泊まっているが、時間がなく、その立地を生かすことはできなかった。
ガイドブックだけ持って宿を出る。
まず目指すは、「旧函館区公会堂」。ガイドブックに、ディズニーランドの建物かと思うような異国風の写真が載っていて、期待が高まる。石畳の坂道を登り、地図の教える道をたどって最後の角を曲がると、その異様な建物が目に飛び込んできた。
映画のセットを思わせる、どこまでも純洋風な造りも異様だが、薄い青系のベースカラーに黄色い縁取りを多用した、そのカラーリングがまた実にきらびやか。今にも霧雨が降りそうな色褪せた風景の中にあって、時を超えたこの洋館は、あたりにまばゆい金色の光を放っていた。
いつまでも眺めていたかったが、しばし目に焼き付けて、次に向かったのは「ハリストス正教会」。斜面を横切る雰囲気のいい通りを歩いていく。
そろそろ見えるころだ、と右前方に目を凝らすと、見えてきたのは、工事中の建物を囲う灰色のネットだった。正面まで進み、工事中の看板を確認。
手持ちのガイドブックの地図を見ると、この界隈には教会がいくつかあるが、その中でハリストス正教会の名は、赤いバックで特に目立たせてある。一番の見どころということだろう。残念だが、旅しているとこういうこともあるものだ。
仕方ない。他にも教会はある。さあどうしようか……あまり時間をかける気にもならないので、すぐ向かいにある「カトリック元町教会」を眺めて戻ろう。
門前に立って眺めると、いかにも教会らしい尖った塔と、十字架のある礼拝堂風の建物が見える。昼間は無料で拝観できるようだが、もうとっくに終わっているので、かつて訪れた長崎の浦上天主堂を思い出し、中の様子をなんとなくイメージする。
教会だから鐘があるだろう。中に入れないかわりに、鐘の音だけでも味わえるといいのだが。そうタイミングよく鳴らないだろうな……などと思いながら、宿に向けて歩き始めた、まさにその時。
たった今まで眺めていたその塔から、だしぬけに鐘の音が鳴り響きはじめた。
時計を見ると、ちょうど6時。なんという粋な運のいたずらか!
少し甲高く、軽い印象もある音だが、約束通りの短三度※。6時だから6回かな、と思って聞いていると、まず3回鳴り、一旦休んでまた3回。これを何度か繰り返したかと思うと、そのあとは休まず連打。じっくり楽しませてくれるようだ。
頭上高く放たれたその音は、教会を囲む木々の梢に、湿った石畳に、まわりの落ち着いた街並みに、優しく降ってくる。そして、そこを行く旅人のまわりで戯れながら、やわらかく包んでついてきてくれる。
そうか、函館もまた「鐘の鳴る街」だったんだ……。
いつか、札幌の時計台に行ったとき、そこに書いてあった「札幌市民憲章」に、
「わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です。」
という一文があった。なるほど、開拓の昔より、札幌は「鐘の鳴る街」であり続けてきたことだろう。
でも、この函館もまた「鐘の鳴る街」だったんだ……。
その音を浴びながら街を行けば、石造りのレトロな建物があちこちにたたずみ、道はどれも趣ある石畳。その石の1つ1つに、毎日朝に夕に、この音は降り積もり、刻みつけられてきたんだろう。
知らなかった……。
函館には何度も訪れ、泊まってきた。函館山からの夜景も見た。夜の海に浮かぶイカ釣り漁船の漁火も見た。住宅街も歩いた。朝市の客引きも味わった。B級グルメとして知る人ぞ知る、ハセガワストアの焼き鳥弁当も……。
でも、函館で教会の鐘の音を聞いたのは、たぶんこれが初めてだ。函館には、実にいろいろな顔がある。ありすぎる!
今はもう、教会からかなり下ってきて、道幅は広くなり、車も増えて、時折路面電車も通るところまで戻ってきた。でも、まだあの優しき鐘声は、ここまで届いて背中を押してくれている。
北の旅の始まりに、函館の「新たな一面」を知った気がして、足取りも軽く宿に向かった。
※短三度:半音3つ分の音程。教会の鐘は、その音の成分にこの音程を含むように作られているものが多い。