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7. 真夏の白鳥

 苫小牧からフェリーに乗って本州に戻るとき、フェリーターミナルに向かう前に必ずといっていいほど立ち寄るスポットがある。苫小牧の町はずれに広がる、ウトナイ湖だ。

 周りには湿原や原野が広がっていて、水鳥の貴重な中継地ということで、ラムサール条約登録湿地になっている。


 かつて、湖畔には公営のユースホステルがあった。初めての北海道旅行以来、何度か泊まった思い出深い宿だ。

 今は湖畔に宿もなく、毎回1時間くらいしかいられないのだが、なぜか寄りたくなってしまう。


 最寄りの沼ノ端駅で汽車を降り、北口のバス停でバスを待つ。よくユースに泊まっていたころは、ここにはバス停はおろか出口すらなく、ウトナイ湖へは苫小牧駅からバスに乗って向かったものだ。


 ほどなく、見慣れた新千歳空港行きの道南バスがやってきた。苫小牧から空港までのアクセスバスなのだが、ウトナイ湖に行くにも、ほぼ唯一の貴重な乗り物だ。

 バスは住宅街を抜け、高速道路をくぐり、湿地を感じさせるまばらな林の中の産業道路を行くと、10分くらいでウトナイ湖バス停に着いた。


 バス停前には、立派な道の駅が広がっていて、観光の車やトラックでにぎわっている。昔はこんなものなかったが、ウトナイ湖の自然に触れるためのゲートウェイ施設と考えれば結構なことかもしれない。

 隣には、「ウトナイ湖野生鳥獣保護センター」というビジターセンター施設。こっちはだいぶ前からあった気がする。

 その脇から湖沿いに伸びる遊歩道を、今年も小1時間ばかり歩くことにしよう。


 歩きはじめるとすぐ水際に出て、眺めのいいデッキとベンチがある。

 目の前に広がる、浅い杯に酒をなみなみと注いだような湖は、はるかな向こう岸に背の低い疎林が続いているのも手伝って、北国の空をいっそう広く感じさせる。


 その広い空の真ん中を、時折、飛行機がまっすぐ突っ切っていく――そう、ここは北海道の空の玄関口、新千歳空港にほど近いのだ。これが、ウトナイ湖の面白いところ。

 貴重な野鳥の楽園のすぐ上を、巨大な金属製の鳥が飛んでいく。こんなラムサール条約登録湿地、果たしてほかにあるのだろうか。初めてここを歩いたあの頃も、同じことを思っていた気がするが……。


 遊歩道を進むと、ほどなく水際から離れ、平らな林の中を行く。湿地帯なので虫が多いが、自然を楽しむためには仕方ない。


 しばらく暗い林が続いた後、また湖岸に近づき、林が切れて明るいところに差しかかると、薄ピンクのホザキシモツケが一面に咲いている。

 茎の先に桜でんぶをたっぷり付けたようなこの花は、クイーンオブメドウ=湿原の女王の異名をとる。

 あちこちの湿原で夏を彩っているが、この時期にウトナイ湖に来ると、特によく目について、「ウトナイ湖といえばホザキシモツケ」の印象が強い。初めてこの花を知ったのがウトナイ湖だからかもしれないが。


 ホザキシモツケの群れを過ぎると、久しぶりの湖岸。広い空の下、平らに満たされてもの言わぬ水の景色は、歩きはじめのデッキと変わりないが、道の駅やビジターセンターから離れたからか、ひっそりした趣を感じる。

 ここを折り返し地点にして戻ることにしよう。


 まったく同じ道を歩き、デッキのところまで戻ってきた。ここからバス停まで5分くらいで行けるし、時間を見つつちょっとゆっくりしていこう。


 眺めていると目がよくなりそうなパノラマをまた見渡してから、ふと、道の駅に近い湖岸に目をやると、湖岸を楽しむ人々の傍らに、何か白いものがいる。

 あ、白鳥だ! そうか、今年もいてくれたか……。


 いくら北海道といっても、7月に白鳥?

 と、思うだろうか。たしかに、夏には北海道も含めて日本にはいないはずの生き物だ。

 ただ、中には、ケガをしたり子育てのタイミングが悪かったりで、シベリアに渡らず、ここで夏を過ごすことを選ぶ者もいるらしい。


 そんなわけで、こっちは夏にしか北海道へ来ないにもかかわらず、これまで何度か白鳥を見る幸運を味わってきた。年によって、湖岸にいたり、向こう岸にいてビジターセンターの双眼鏡で眺めたり、探しても見当たらなかったり。

 今年はどうやら湖岸にいてくれるようだ。バス停への道すがら、ちょっと寄って会っていこう。


 ウトナイ湖の白鳥というと、初めてここへ来た頃を思い出す。


 ユースをチェックアウトして、ところどころ湖に溶けかけた水際の小道を、ひとり歩いていた。今日と同じように、空も水も白かった。

 しばらく歩いていると、行く先に、白い大きな鳥が何羽かいて目を疑った。白鳥に見えるが、本当にそうか? 8月の旅だったが、さすが北海道ともなると、真夏にも白鳥がいるのか……。


 近づいていったら、どこかで当然逃げてしまうだろう。でも、できるだけ近くで見てやろうと、そろりそろりと近づく。

 道は、白鳥たちのすぐ後ろを通っている。ついに、その後ろまでやって来た。でも、彼らは逃げなかった。

 見ると、白く大きいのが2羽、それより少し小さめでグレーがかったのが2羽。家族そろってここにいるようだ。


 近くで見ると、あらためて、大きい。なかなかの存在感だ。動物園でもない自然の只中で、こんなに大きな鳥を間近で見る機会なんてないだろう。しかも4羽も。

 逃げこそしないのだが、後ろにいられるのが一番困ると言わんばかりに、しきりにこっちを気にしている。ほかに誰もいない北海道の大自然の中で、微妙な空気があたりに漂うひとときを、しばし独り占めして、そこを後にした。

 初めての北海道旅行で、印象的な出会いをしたものだ。


 そのときの白鳥は、くちばしがオレンジがかっていて、付け根が黒かった。後になって、これは野鳥ではないコブハクチョウだと知ることになる。

 たしかに、公園や動物園あたりで見たことがある気がする。どこかで飼っていたのが逃げ出して、野生化したんだろう。なんだ、それなら真夏にいてもなんの不思議もない。


 ところが、その数年後、こんどはまぎれもない野鳥であるオオハクチョウに会うことになる。


 道の駅のかけらもなかったころ、今白鳥がいるのと同じあたりの水辺に、「ハクチョウのえさ」と書いたフタ付きのポスト状のものが立っていた。すぐそこの水面には、こっちを向いて浮いているオオハクチョウ。観光客がそのポストから「ハクチョウのえさ」を取り出して投げると、白鳥は長い首を伸ばして、水面に浮いたそれを食べていた。

 夏にオオハクチョウがいることにも驚いたが、野鳥にえさをやっている光景にも驚いた。「ハクチョウのえさ」とはっきり書いて置いてあるし、ちゃんと管理されたものなんだろう。


 コブハクチョウを見たときも感激したが、オオハクチョウを見たときの感激はまたひとしおだった。こっちは本物の野鳥だし、模様のせいか、瞳がつぶらに見えてかわいらしいし、カラーリングも控えめ。コブハクチョウより臆病らしいので、近くで見られることのレアさは比べものにならないだろう。


 だいぶ前のことになるが、忘れえぬ北の旅での出会いだった。


 そんなことを思い出しながら、湖岸の道を白鳥のもとへと向かう。

 今いるからといって、いつまでもそのままそこにいてくれるという保証は、どこにもない。白鳥のいる水辺には、道の駅のほうから人がときどき来ては、帰っていく。誰かが脅かすとかして、何かの拍子に逃げていってしまうかもしれない。何か用事を思い出して、泳いで行ってしまうかもしれない。

 そこに歩き着くまで、どうかそのままいてくれよ……願いながら、はやる気持ちを抑えつつ歩き、着いた。


 願いが通じたか、つぶらな瞳のそのオオハクチョウは、無事、変わらずそこにいてくれた。ちょうどその時、それまで何人かは必ずいたであろう観光客が途切れ、彼と2人きりになった。


 2~3メートルの距離だったろうか。逃げるそぶりも見せない。

 彼は、水際の泥の上に立って、ときどき横目でこっちを気にしながら――白目が見えないのでどっちを見ているかよく分からないが――、遠い目で向こう岸を見つめていた。何を考えているんだろうか。そのつぶらな黒い瞳からは、うかがい知る由もない。


 見れば見るほど、哀愁を帯びた遠い目をしている。なんでそんな眼差しなんだろう。この白々と広がる水面が、その瞳にも同じように見えているんだろうか。どんな気持ちでこの水を見つめているんだろう。

 水面を見つめながら、自分の来し方をふり返っているのか。行く末を案じているのか。いや、食べ物を探しているだけか……。


 今ここにいる以上、何かしら事情を抱えているはずだ。ケガでもしているのか。渡りのタイミングを逃してしまったのか。

 なにより、彼は1人でここにいる。仲間はいないんだろうか。


 でも、そんな心配をよそに、当の本人は身じろぎひとつせず落ちつきはらっている。

 ――自分はここに住んでいる。何かおかしいかね?――

 そう言わんばかりに、こともなげな眼差しで、あいかわらず彼方を見つめていた。


 そう、ここは野鳥の楽園、ウトナイ湖。いつどんな鳥がいたって、別にいいじゃないか。本来いるはずの居場所じゃなくたって、十分快適に違いない。だからここにいるんだろう。大丈夫、何も心配いらない。


 そんなことを思って見ていると、彼は、やおら頭を首ごと自分の羽に乗せ、昼寝を始めてしまった。

 ……まったくさんざん心配させといて、その呑気さたるや……。ほんとに人に慣れた白鳥だ!

 にしても、その枕、自分の羽だけど、気持ちよさそうだね……。


 さあ、白鳥も寝ちゃったことだし、そろそろ行きますか。心地よさそうにまどろむ彼に「じゃあ、元気でな」と目で告げて、バス停へ向かった。

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