天空の騎士
青一色の晴天。
白一色の雲海。
その狭間にたゆたう大小の島々は空中に浮かぶ『空島』で、それぞれに樹高2000メートル近い『世界樹』が根を張っている。元いた世界ではありえない絶景に、アリスは絶叫した。
「エモ~い!」
人に聞かれると怪訝な顔をされる故郷でのスラングも、単身で飛竜を駆って飛んでいる今なら問題ない。
高空の寒さに耐える飛行服に身を包み、強風から眼を保護するゴーグルをかけて、竜の首につけた鞍に跨り、轡から伸びる手綱で自在に竜を駆る自分は、今やいっぱしの竜騎兵だ。
竜などいない世界に生まれ、この世界に来て『竜に乗れる』と知ったアリスに『乗らない』という選択肢はなかった。苦労して乗り方を覚え、相棒となる竜を得て──この世界でできた仲間から、竜騎兵ならではの仕事を任されている。それは、偵察。
「むっ!」
動くものを見つけ、アリスは眼を凝らした。遠方に見える黒い紡錘形は空を泳ぐ巨大な鮫のようにも見えるが、違う。人工物、飛行船だ。それが複数。間違いない、帝国の飛行艦隊!
「やばっ!」
飛行船の許から小さな影が飛びたったのを見て、アリスは手綱を引いて飛竜を転進させた。こちらが向こうを見つけたように、向こうもこちらを見つけた。そして竜騎兵を出撃させた。
アリスが全速力で飛竜を飛ばしながらチラと後ろを振りかえると、やはり帝国の竜騎兵3騎が追ってきていた。距離が詰まっている、向こうの方が速い! 飛竜の差か、騎手の差か。
「がんばって!」
背中に刃物を突きつけられているような悪寒に震えながら、アリスは必死に飛竜を駆る。元の距離が大きかった、追いつかれるのには時間がかかる、それまでに仲間の許へ帰れれば!
「見えた!」
前方に、今度は白い飛行船の群れ。仲間の飛行艦隊。自分の母艦もあの中にある。そこに逃げこめればもう安心──そう思った瞬間、頬の横を何かが掠めた。
「ぎゃーっ‼」
後ろの竜騎兵たちが撃ってきた騎兵用小銃の弾丸が、次々に横を通りすぎていく。不安定な鞍上からこの精度、いい腕だ。いつ命中しても不思議ではない。その時、自分は死ぬ。
「いやーッ!」
アリスは顔を前に向けたまま自分の小銃だけ後ろに向けて当てずっぽうに発砲した。牽制目的。どうせ後ろを見て狙っても当たるもんじゃない。それより飛竜を御す方が大事。少しでもスピードを落とせば距離を詰められ被弾率が高まりが高まる。
「あと少し……!」
アリスは自分の母艦に上から着艦するコースに入った。敵の竜騎兵たちはまだ追ってきている。彼らにすれば敵の大艦隊に突っこむようなものなのに勇敢なことだ。とはいえ、その艦隊に彼らを攻撃する気配はない?
「あ、そうか!」
アリスは着艦を中止し、飛竜を急激に上昇させた。次の瞬間、母艦の機銃が一斉に火を吹き、帝国の竜騎兵3名は自らの竜と共に赤い華となって空に散った。
母艦が撃たなかったのは射線上に自分がおり、撃てば自分を巻きこんでしまうからだった。そう気づいたアリスが射線からどいたので攻撃が実行された。仲間たちが、自分ごと撃つような人たちでなくて良かったとアリスは感謝した。
ばっさばっさ
脅威が去り、恐怖から解放され、アリスは改めて着艦作業に入った。飛竜をゆっくり母艦の上部に降ろしていくと、背びれのように前後に伸びるスカイデッキの一部がスライドして開口する。
「よっ、と!」
そこに飛竜をもぐりこませ、甲板に着艦させると、上で天井がスライドして閉口した。アリスは鞍から降り、飛竜を労ってから飼育係に預け、自分は報告のため艦橋に向かおうとしたところ、報告相手の方からこちらにやってきた。
「アリス!」
「姫⁉」
スカイデッキに駆けこんできたのは軍服をまといながら頭には冠をいただく、アリスと同じ十代半ばの美少女。この国の王女にして、この艦隊を指揮する司令官だった。
「無事でよかった」
「ありがと♪ ──報告! 南南東の方角にて帝国軍の飛行艦隊を発見。旗艦と思しき大型艦が1隻、中型艦3隻、小型艦6隻を確認。じっくり見てられなかったので他にもいる可能性アリ」
「分かりました」
身分を越えた友人として案じてくれた姫に友人として返してから、アリスは顔を引きしめて偵察兵としての責務を遂行した。報告を受けた姫も司令官の顔となり、伝声管の漏斗状の送受口に向かって凛とした声を上げた。
「面舵15! 総員、戦闘準備‼」
「アイアイ、マム!」
伝声管からくぐもった声で返事が聞こえたのを確認すると、姫は送受口の蓋を閉じ、振りかえってこちらの目を真っすぐ見た。何か、改まった様子だ。
「姫?」
「従騎士アリス」
「はい」
従騎士、いわゆる騎士見習いがアリスの身分。竜騎兵は兵種、役割の名前であって身分ではない。
この世界の騎士と従騎士は、様々な兵種を兼任して忙しい。状況に応じて歩兵もするし騎兵もするし竜騎兵もする。
「これよりあなたを騎士に任じます」
「えっ?」
「次の会戦、あなたは騎士として出陣してください」
「いいんですか? わたし、まだ14歳で……」
騎士になる正規のルートは、騎士の家に生まれた者が7歳から小姓として基礎を学び、14歳から従騎士として実戦経験を積み、21歳以降に叙任を受けて正規の騎士になる、というもの。
14歳でこの世界に来るまで現代日本の一般家庭で育ったアリスはどうあがいても正規のルートでは騎士にはなれない。だが、この国の騎士制度は意外と例外に寛容だった。
異世界から来たため戸籍を持たず、身元不詳でもなれる冒険者として第2の人生をスタートさせたアリスだったが、たまたま姫を帝国の魔の手から救うという大手柄を立て、褒美に(小姓としての下積みをスッ飛ばして)従騎士となることができた。
だが、ズルはそこまで。
騎士になるのは7年後。
そう思っていたのだが……
「騎士になるための最低条件は『従騎士であること』だけよ。21歳以降というのは目安に過ぎない。あとは叙任する側の都合と、匙加減次第。充分な実力と武功があれば、21歳未満でも騎士に叙すことは珍しくないわ。戦時なら、なおさらね」
「お~、そうだったんだ」
「あなたはすでに実力も武功も充分よ。とっくに条件は満たしてる。これまで叙任してなかったのは、あなたの装備が完成してなかったから」
「てことは──」
「ええ、完成したわ。これがあなたのために作られた、あなただけの剣よ」
スラッ
姫が侍女に持ってこさせた剣を鞘から抜いた。
作法は知っている。アリスはその場に跪いた。
スッ──
姫がゆっくり降りおろした剣の側面でアリスの右肩に静かにふれ、持ちあげ、次に左肩にふれた。騎士叙任式のハイライト、肩打ち儀礼、アコレード。
姫が剣を鞘に戻し、高らかに宣言する。
「天よ照覧あれ! 今ここに新たな騎士が誕生した! 騎士アリスよ、拍車を新たにし、そなたの剣を受けとるがいい‼」
「……」
アリスは跪いたまま黙って待った。先ほどの侍女がアリスの長靴から従騎士の証である白銀の拍車を外し、代わりに騎士の証である黄金の拍車を取りつける。
それが終わってからアリスは両手を掲げ、姫から剣を受けとった。それから立ちあがり、剣を抜いて顔の前で掲げ、その鍔元に口づけする。
自分はもう、騎士なのだ。
じわりと実感が広がった。
「生涯をかけて騎士道を全うすることを、この剣に誓います」
「その誓い、しかと聞きとどけた──おめでとう、アリス!」
「ありがとう!」
アリスは剣を鞘に納めて、姫と抱擁を交わし──名残惜しいが、何秒も数えない内にすぐ離れた。今はゆっくり喜びを分かちあっている暇はない。
「じゃあ姫様、互いの持ち場に戻りましょ」
「ええ。艦橋からあなたの無事を祈っています」
「お互いがんばろーね!」
「ええ!」
艦首にある艦橋へ向かうべくスカイデッキ前方の梯子を降りていく姫を見送りながら、アリスは後方の梯子を降りた。
スカイデッキのすぐ下の区画には、飛行船の浮力を生むガスの詰まった巨大な風船──気嚢が並んでいる。その壮観な景色の中を通過して、船底の区画へと到達。
そこは厳かな、神殿のような空間だった。
中央の廊下を挟んで左右に並ぶ柱の隙間に、立ちあがれば10メートルにもなる巨大な神像が椅子に腰かけて並んでいる。
ただの神像ではない。
動かず、なんの役にも立たない飾り物の守護神などではない。動いて敵と戦う、本当の意味での守護神。ただ、その任を果たすためには人間の騎士が内部に乗りこみ一体とならねばならない。
馬や飛竜と並ぶ、騎士の乗り物。
人間の体を拡張する、操り人形。
巨竜や巨人など生身では太刀打ちできない相手とも戦う必要があるこの世界の騎士のために生みだされた、巨大な甲冑。
アリスから見れば要するに、この世界で生みだされた巨大人型ロボット兵器だった。騎士となったことでアリスはロボットのパイロットにもなったのだ。クラスの男子が知ったら羨むだろう。
カン、カン、カン──
この神殿は、つまり格納庫。その壁際に渡されたキャットウォークをアリスは歩く。この通路は鎮座するロボットたちの背後、その首の高さにある。
ある1機の後頭部の前でアリスは足をとめた。通路の手すりがなくなっている部分を通り、機体が背中に背負っている箱状の祭壇の上に乗る。
足下に、横長の穴が開いている。
アリスは授かったばかりの騎士の剣を抜き、その穴へと挿しこんだ。ちょうど、元の世界での著名な英雄が台座から選定の剣を引きぬいた動作を逆再生するかのように。
ガチャッ
ウィーン
剣身がすっかり埋まると音がして、中で固定された。祭壇から駆動音が鳴りはじめる。動力部が起動したのだ。そしてロボットの後頭部のハッチも解錠される。
剣はこれらのための鍵だった。
騎士にとって最も象徴的な剣だが、生身で扱うためのそれを、巨大ロボットに乗っているあいだは使いようがない。だが、剣をただの飾りにしたくない。搭乗時にも愛剣と共に戦いたい。
そんな騎士たちの気持ちを汲んで、騎士の剣はその搭乗機の鍵として使う制度が生まれた。挿しこむことで剣に宿る霊力が注がれてロボットが強化されるので、実用的にも無意味ではない。
アリスは剣に語りかけた。
(直接あなたを振るって戦うのは、次に生身で戦う時ね。そのためにも、この戦いから生きて帰らなくっちゃ!)
アリスはハッチをくぐった。
機体の頭部の中は空洞で、下に穴が続いている。落っこちないよう梯子をしっかり掴みながらその穴に入り、機体の胴体内に収められた高さ3メートルほどの卵型のコクピットに降りる。
すでに灯りがついていて、中の様子がよく見える。
このロボットは、立ったまま操縦する仕様だった。
自転車のサドルのような縦長の鞍に跨って足下にある左右のペダルを両足で踏むと、靴の踵についた黄金拍車がペダルの歯車と噛みあい、足がペダルに固定される。
それからシートベルトを締めて上半身を背もたれに固定したら、左右一対ある背後から前方に伸びるアームの手前のリングに両腕を通し、アームの先端にある操縦桿を握りしめる。
「よしっ!」
これでアリスと機体の四肢が繋がった。アリスが手足を動かせば、それに接続したハーネスが同様に動き、それと機械的に繋がった機体の手足も同様に動く。
「機甲部隊、発進用意」
伝声管からの通信手の声が格納庫に響いた。コクピットの壁面に並ぶ古いテレビのようなモニターに映る外の景色の中で、周囲で腰かけていた他のロボットたちが立ちあがっていく。
アリスも四肢に力を込め、愛機を椅子から立たせた。そして他の機体と一列に並ぶと、廊下ごとガクッと下がりだした。
飛行船の底部の長方形の一角が周囲から分離して、四隅を支える綱が伸びることで外部へ吊りさげられていく。機体の頭頂まで外に出るまで下りきって、視界が一気に広がった。
「機甲部隊、順次発進!」
列の最前にいた機体から前に駆けだし、廊下の端から飛びおりていく。自分の番になったので、アリスは故郷で見たロボットアニメのパイロットの台詞を真似た。
「操神アリス、行っきまーす‼」
手足を振りまわしても壁にぶつからない充分な広さのコクピットの中でアリスは走る動作をし、全高10メートルの機体が同様に走りだして──廊下の端でジャンプ!
両手を広げてスカイダイビングの姿勢を取るが、敵──帝国軍の艦隊は前方、空中にいる。このまま落ちるつもりはない。アリスは左右の操縦桿についたトリガーを引きしぼった。
ボウッ!
機体の両腰にある筒、スラスターが後方に炎を噴きだした。スラスターは手足とは違う部位なので、操縦桿についたトリガーで出力を調整する必要があるのだ。
バッ!
さらに、それまで背中でたなびいていたマントに骨組みが通り、ハンググライダーのような翼となった。
こうしてスラスター推力で前進し、背負った翼で宙に浮かび、空を飛ぶ。生身で同じことをしている人の動画をアリスは元の世界で見たことがあった。まさか自分がやることになるとは。
「さぁ、騎士としての初陣よ!」
アリスは同じ艦から発進した他の機体と編隊を組む。そこに同じ艦から発進した竜騎兵隊も合流する。艦隊の他の艦から出たロボットと竜騎兵たちも同様に隊列を組んで前進していく。
同じことは、敵もしていた。
前方に見える黒い艦隊から無数の人型ロボットと飛竜が飛びたち、こちらに向かってくるのが見える。その影が大きくなっていき、距離が縮まっているのが分かる──
(今!)
彼我の距離が一定まで縮まった瞬間、双方の飛行船、ロボット、竜騎兵らが一斉に発砲した。
その中でアリスも、自機が持つ巨大な小銃を適当に前方の敵へと向けて撃った。この距離ではまだ、狙いをつけてもそうそう当たるものではない。
弾幕を作るのが目的。
流れ弾に当たった不運な奴が脱落するだけだ……敵も味方も。アリスは自分がそうならないよう祈りつつ、近くの味方がそうなって落ちていくのを見て肝を冷やしながら、速度を緩めず前進を続けた。
やがて、敵部隊のロボットの姿がはっきり見えるほどに距離が詰まったのを確認し、アリスは小銃を敵に投げつけて放棄、代わりに自機の腰の鞘から、その巨体に見合った長大な剣を抜いた。
アリスは竜騎兵としては未熟だ。
射手としても上手い方ではない。
だが唯一、剣での戦いには自信がある!
「あなたもご同様かしら⁉」
アリスの機体が剣を構え、スラスターを噴かして突進する先では、帝国軍の黒いロボットが同じように剣を抜き、こちらに向かって飛びだしてきた。
ロボット同士による、空中での、剣と剣での戦い──
「望むところよッ‼」
ガキィィィィン‼
肉薄した2機の巨神が互いに膨大な質量の剣を振りまわし、その刃と刃が激突し、天空の戦場に雷鳴のごとき轟音を響かせる。
交えた剣から敵の力量を感じとり、相手に取って不足なしと血がたぎるのを感じたところで──
「んがッ⁉」
現代日本の自室のベッドで。
操神アリスは夢から醒めた。