プロローグ
「今度は右よ」
音域の高さに反して落ち着きはらった声が脳内に響き、月城陰丸は慌てて後ろに飛び抜いた。
直後に、岩の拳が先ほどまで陰丸のいた場所を上から叩き潰す。大きな拳だ。普段通っている教室の半分ぐらいはあるだろう。
巨人の右腕が地面にクレーターを作り、重たい動きでふたたび持ち上がる。
陰丸は手に入れたばかりの黒剣を力なく握った。
―――無能が高望みした結果が、これか。
退魔士学校で実技最下位、それを五年。
自他ともに認める無能中の無能。季節が廻るたびに年下の先輩が増えていくような最低の現状。
廊下を歩けば馬鹿にされた。
石や水が顔に当たる感触は慣れっこだ。
成績が悪すぎて教師にも嫌われていた。校長には、存在するだけで学校の品を落とすと言われたこともある。
―――それでも。
卒業ぐらい、したいと思っても、いいじゃないか。
「感傷に浸っているところ悪いんだけどね」
いつまで経っても振るわれない黒剣が抗議するようにぶるりと震えて、それで陰丸は全力で地面を転がる。
逃走路を追うような轟音にかき消されないように、全力で叫んだ。
「いま集中してるから黙ってくれ」
「そうは言ってもいい加減、暇なの。いつまで曲芸じみた回避を続けるつもり」
「潰されろっていうのか」
「そんなこと言ってないわよ。そもそもなんで逃げるの。私を携え得る力量がありながら」
「日本刀なんて振ったことないからだよ!」
なんだってこんなことを大声で晒さないといけないんだ。
確かに、同時期に入学した者は、大体がそこそこの武器を持っている。だがそれは、あくまで普通の五回生は、だ。
新入生がオリエンテーション用に使用する木製の小刀が、陰丸の唯一使える武器だった。一応、今も腰に巻いてはいるが、取り出したところでどうにかなる気もしない。
―――そもそも、あれが泥人形だって?
不吉の象徴にしか見えなくなってきた黒剣が示す化け物は、今も陰丸を赤黒い染みにするために両腕を振り回している。
打撃は一発一発が隕石のようだ。背は、とにかく大きい。学校の校舎が3階建てで、おそらくそれを上回る。
「……はは」
こんなの、どうしろっていうんだ。
ラリアットのように振るわれる剛腕を前に、陰丸は乾いた笑みを浮かべて、足を止めた。申し訳程度に剣は構えてみるが、とくに安心感は芽生えなかった。
「ちょっと、主様!?」
腹立たしいぐらい平坦な黒剣が初めて慌てたような声を発するが、もう遅い。
―――最後に、まともな武器を使えただけマシか。
スローモーションのように近づいてくる土色の壁を前に、陰丸は強く目をつぶった。