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予告通り私の元にルピナス様からの迎えが来たのは、私がライラックさんから調合を教わり始めてから5日後のことでした。
ライラックさんは目付きは恐いけれど、何も聞かずに私をここに置いてくれましたし、先日のように私が辛い話をすれば慰めてくれるとても優しい方なのですが、調合に関してはとても厳しい人でした。
「そうじゃない」「言われた通りにやりなさい」「手を抜くんじゃない」といった指摘を何度されたか覚えていません。失敗しても叩かれたりはしませんがとにかくやり直しが多くて、私の心が折れ掛けたのは一度や二度とではありませんでした。
品質はともかく人が口にするものだから、もしものことがあってはいけないと本人は言っています。消毒液で清めた瓶の蓋に素手で触ったり、火からおろした薬品に清めていない道具を使った時が一番怒られました。それらを気をつけないと時間が経つと薬が毒になるそうです。お料理と変わらないのですぐに慣れましたけど。
それでも、調合には少なからず魔力が必要らしく、パーフェクトヒールしか使えないため普段は魔力を持て余している私にはとても向いている仕事だと思いました。
昨日、簡易ポーションを一人で作れるようになり、厳しかったライラックさんから「見込みはある」などと言ってもらえて、今まであまり褒められたことの無かった私は凄く嬉しくて、我ながら単純とは思いますが調合が好きになってしまいました。
私が今日の調合を終えて井戸の傍で器具を水洗いしていると、村の正門の方が騒がしくなっていました。
見ると3台の馬車と馬に乗った10名くらいの騎士が村の外に待機していました。
村長がサージェント様と何やら話しています。とりあえず私が急いで器具洗浄を終えて診療所に戻ると、村長と話を終えたサージェント様が後から診療所にやってきました。既に決まった事でしたが、サージェント様は私に一応の意思確認をしてから、出かける仕度をするように言いました。
身体ひとつでこの村にやってきた私は、着替えくらいしか荷物がありませんのですぐに準備はできたのですが、診療室では難しい顔のライラックさんとサージェント様が話していました。
「ライラックよ、フリージアの安全のためなのだ」
サージェント様はライラックさんに王都まで同行を求めています。非常に乗り気でないライラックさんにそんな理由を押しつけているので、そう言われては断れないライラックさんは渋々了承していました。
ルピナス様は私の安全のためにライラックさんを王宮に招待して、私は従者として付いていく体にするつもりらしく、狩猟中に怪我をしたルピナス様をライラックさんが治療してくれたお礼がしたいという話になっているそうです。
ライラックさん達の打ち合わせも終わったようで、私達は村を出て王都に向かう事になりました。
見送りに来たノーラに凄く羨ましがられました。歳の割にしっかりしている彼女も都会には憧れているので、もし私が王都に住むようになったら遊びに来てもらおうと思います。万が一、都会に慣れたノーラが将来王都に住みたいなどと言い出せば、マルクさんにはさぞかし恨まれることでしょう。
3台ある馬車にはまず私とライラックさんが乗り込み、もう片方にはサージェント様が乗り込みました。侯爵で軍務大臣という国の重鎮が庶民と相乗りというのは不自然なのだそうです。そんな人がお使いをしているのも不自然ですけど。
残りの馬車は近くで見たら荷馬車でした。サージェント様の話だと、王都までは2日かかるらしく、私のために、野営用のテントを用意してくれたそうです。
旅なんてしたことがなかったので、野宿になったらと思うと不安でしたので大変助かりました。
馬車が動き始めてからライラックさんは終始浮かない顔をしています。王都を出た理由を考えると申し訳ない気持ちでいっぱいです。
でもルピナス様の思惑とは別に、知らないところに行くのにライラックさんが一緒に来てくれるのは私にとっては凄く安心できることです。
思えばライラックさんの診療所に私が転がり込んでから、彼は素性を話さない私をずっと助けてくれました。
一度は結婚した人の余裕なのか、彼の本来のものなのかわかりませんけど、とても落ち着いていて雰囲気があるし、さり気なくいろいろ気遣ってくれます。
私は辛かったことを忘れて生活できましたし、不愉快になるようなことは一度もありませんでした。
こんなにも出来た人が体裁も考えずに自分の全てを捨てて王都から飛び出してまで、亡くなったことから目を背けなくてはならない程に愛されていたアイリスさんとは、どんな女性だったのでしょうか。
そんな事を考えていると無意識にライラックさんを凝視してしまったみたいで、ライラックさんにじろっと見られました。私が慌てて一緒に来てくれたお礼を言うと、乗りかかった船だとだけ言って再び元の顔に戻りました。
私もあまり見ているのも失礼だと思うのでぼーっとしていたら、馬車の揺れもあっていつの間にか寝てしまいました。
お陰でその日はすぐに寝られなくて、初めての野営の夜を獣や鳥の鳴き声に怯えながら過ごす羽目になりました。