タイムマシンに乗って -彼女たちの選択-
「どうですか?お姉さん」
あたしは公園のベンチに並んで座ったお姉さんに尋ねた。お姉さんがスマホから顔を上げる。お姉さんが読んでいたのはあたしの書いた小説だ。
「わたしの名前を出さないでいてくれたのは良いんだけどね、かなたちゃん」
お姉さんが顔をしかめる。
「これじゃあ、わたし、いつも呑んだくれてるダメ人間みたいじゃない」
「近いでしょう?」
はははとお姉さんが笑う。
「まあねー。でも、ここに『お姉さんと最後に会ったのは』って書いてあるけど、いいの?わたしと会ってて」
「それ、フィクションですから」
「よく言うねー」
お姉さんの口調は楽し気だ。
「それで結局どうしたの、タイムマシン」
「未来に飛ばしました。ずっと未来。99億9999万9999年先に。大変でしたよ。操作盤の数字を設定して、レバーに手をかけて、1、2、の3でレバーを押し倒すのと同時に飛び降りて。
あたし、なにヒーローみたいなことしてるんだろうって思いましたよ」
「ごめんねー。一緒に行くって約束してたのに、まさかインフルエンザにかかっちゃうなんて思わなかったもの。ま、一緒に行っても、わたしは身体を使うのは苦手だから、結局かなたちゃんに頼るしかなかったんだけどねー」
「問題なしです。あたし、スポーツは得意ですから」
「かなたちゃん、ずっと運動部だったものね」
「はい」
「さっき読ませてもらった小説、わたしとかなたちゃんが中学生のときに会った時にさ、図書館からの帰り道にわたしと会ったって書いてるけど、かなたちゃん、図書館なんて行ったことあったっけ?」
「あたし、図書館に行ったら5秒で熟睡できる自信があります」
あはははは、とお姉さんが笑う。
「それじゃあ、あれはずっとどこかを飛び続けている訳だ」
「はい」
「昔と違ってデブリが多いから、うっかりぶつからなければいいんだけどね」
「そこは未来の技術で」
「未来の技術かー。ねえ、かなたちゃん。あのタイムマシンって未来から来たのかな」
「そうじゃないんですか?」
「わたしは拾っただけだからね。持ち主は見なかったし。でもね、もしかしたらアレって宇宙人が置いていったのかも、って思うのよ。
野蛮な未開の原始人にタイムマシンを与えたら何をするか試しているか、それともテレビ……、いまならユーチューブかな。動画で撮って流して笑ってるとか。『原始人にタイムマシンを渡してみた』ってタイトルつけて」
「何だかありそうな話ですね。だって99億年前まで飛べるようにする必要なんて全然ないですもんね。
フールプルーフがなってない」
「悪意を感じるでしょ」
「絶対開けちゃいけないって渡す玉手箱か、パンドラの箱みたいですよね。
いやいや、そりゃ開けるでしょう、って」
「ホントだよね」
「だとしたら今も、宇宙人に撮られてるってことですかね」
声を潜めたあたしに、お姉さんは大きく手を振って見せた。
「いい、いい。撮りたきゃ撮りゃいいんだよ。わたしたちには関係ない、ない。
それよりさ、かなたちゃん。無事退職できた?」
「追い出されたってカタチで。はい。あたし的には円満退職です」
「じゃあこれから戦いだ」
「パワハラの証拠も、セクハラの証拠もバッチリです」
「わたしの紹介した弁護士、腕利きだから。タイムマシンを処分してくれたお礼に費用は全部わたしが出すから、心配しないでね」
「ありがとうございます、お姉さん」
「それにしても強くなったねー。かなたちゃん」
「人間万事塞翁が馬。うちの両親を見て実感させられました。まさか離婚してからの方が仲良くなるなんて思いませんでしたもん。わざわざ離婚しといて、二人ともそれぞれ恋人と別れてヨリを戻すなんて、タイムマシンよりびっくりですよ」
「ラブラブなの?」
「娘のあたしが恥ずかしくなるぐらい」
「そりゃ、結構なことだわ」
「ねえ、お姉さん」
「ん?なに?」
「お姉さん、あたしには4回過去に飛んだって言いましたけど、ホントはもっと飛んでますよね?」
「何でそう思うの?」
「月です」
「月?」
「あのタイムマシンがお姉さんの推測通りの原理で動いているのなら、例えば今年の元旦にお姉さんがタイムマシンを使って1年前の元旦に飛んだとすると、地球と月の位置関係は今年の元旦のままですから、おととしの12月31日の月齢がいきなり、翌日には今年の元旦の月齢に変わってしまうハズです。
仮にですけど、三日月がいきなり満月になったら大騒ぎになりますよね」
「よく気づいたねー」
「だから月齢が問題にならないぐらい昔まで飛んだことがあるんじゃないかって思ったんです。
例えば縄文時代とか」
「あまり昔に飛ぶとね。戻って来るのがメンドウだから。もし月齢がヘンになってもそこそこ昔なら誤魔化せるかなって、飛んだのは室町の終わり頃よ。
あ、わたしは戦国時代はもう室町時代じゃないって考えだから、コペルニクス以前ね」
「まだ太陽が地球の周りを回っていた頃ですね」
「あの頃ならなんとなく月齢を誤魔化せそうな気がするでしょ?で、そこからは時間の矢に従って時間を飛び越え、飛び越えしながら戻って来たのよ」
「戸籍も作って」
「わたしの家系、江戸時代まで遡れるわよ」
「お金も貯めて」
「不思議なことに歴史の流れってあまり変わらないのよね。登場人物は違ってても。だからいろいろ投資して。
いくら遊んでも使いきれないわ」
「タイムマシン、処分するんじゃなかった」
お姉さんが笑う。
「それじゃあさ、かなたちゃんの退職を祝って沖縄にでも遊びに行く?」
あたしの胸が期待に弾んだ。
沖縄に行くのは、高校生の時にお姉さんに連れて行ってもらって以来だ。
「いいですね」
「かなたちゃんのご両親も一緒に」
「はい」
と明るい声で頷いて、あたしはいつもの公園のベンチから立ち上がった。
「神は人に乗り越えられない試練は与えない。
されど」
歩きながら急にお姉さんが言った。
「神ならざる人間は、乗り越えられない試練を、簡単に人に与え賜う」
「誰の言葉です?」
「わたしよ」
シレッとお姉さんが言って、ぷっとあたしは噴き出した。あははは、とあたしは笑った。久しぶりに。青空に届くほど、お腹の奥の奥から。