1-18:侵入
その建物は主要幹線沿いにありながら、世間とは隔絶されたような異様な雰囲気を醸し出していた。
建設は昭和期のボーリングブームの時期であるためにデザインは非常に古かった。なにが異様なのかというと、建物の一階部分をすべて覆い隠すように、建築現場に見られる鉄板の目隠しで覆われていた。
もちろん、廃墟マニアや不良少年、ホームレスなどの溜まり場になることを防ぐために地権者が行った処置だろう。だが、一切の隙間なく囲われた状況を見ると、なにかを隠そうとして必死に塞いだようにも見える。特に、今のような状況で異端審問官が立て籠もっていると、余計に別な意図があって覆い隠しているように思えた。
「この状態で、本当に中にいるのかな?」
「異端審問官どもは人間ではないからのう。この程度の壁など、簡単に乗り越えられような」
忍の呟きを聞きつけたアガレスの言葉は、そのまま聞き流す事など出来ないものだった。
「そうか。主人には話しておらなんだのう。異端審問官とは、紀元前数千年前から存在してきた、魔術師殺しどもの末裔じゃな」
「はい……?」
魔術師殺しなんて聞き慣れない物騒な名前に、忍は眉を潜めた。そんな忍の表情を盗み見てクスクス笑ったアガレスは、さらに説明を続けた。
「彼奴らの原初はただの人間であったのじゃ。魔術師の血を引く存在に恐怖し、あるいは憎しみを抱き、あるいは嫉妬し、魔術師を狩る暴挙に出たのじゃ……」
ただの人間が魔術師に真っ向勝負を挑むことなど不可能に近い。彼らは数世代かけて魔術耐性の体質を伸ばし、あるいは自らの血に魔術師の血を入れることにより、その肉体改造を行ってきた。
それをキリスト教教会勢力が巧みに取り込み、魔女狩りの中心勢力――異端審問官に仕立て上げたのである。
魔術師は人間に害なす悪しき存在。異端者は魔術師に組して人間を破滅に追いやる存在と、異端審問官たちの意識の奥底に呪縛のように刷り込まれ、それに突き動かされた結果、ヨーロッパでの『魔女狩り』に発展した。
その犠牲者の多くは本物の魔術師ではなく、疑いが掛けられた人間か、あるいは忍のように魔術に目覚めたばかりの魔術師だったが、彼らはそこで魔術師の血肉を得て、さらなる進化を遂げてゆき、現代に至っては、魔術師と互角に戦うこともできる存在になっていた。
「狂犬ジャコモはその典型ね。魔術師を狩るためなら、己の寿命を縮めるような薬物でも平気で使うわ」
「自分の所属団体が、いつか教皇に破門を赦免してもらうために? 自分は、その瞬間に立ち会えないかもしれないのに?」
忍には、その精神が理解できなかった。いや、誰かの生命を救うためだとかなら、まだ自己犠牲の精神も理解できた。しかし、ただ教皇に破門を解いてもらうためだけに、生命を懸けて魔術師や無関係な異端者を狩るという自分勝手な考え方が理解できなかった。
「そうじゃな。彼奴らは、魂の繋がりある仲間のために我が身を捧げて魔術師を狩るという、自己中心的な犠牲の精神を持つ。それをすることで、魂の穢れが落ちるとか、功徳を積めるとか聞くが、狙われる側にとっては、はた迷惑もいいところじゃのう」
「まったくだ……」
そんな理由で両親が生命の危機にさらされ、忍自身の生命をもつけ狙われるなど論外な話だった。
「そういう連中だってわかったら、もう慈悲も許容も必要ない。僕は戦える」
忍の眼に迷いの色は、もう見えなかった。
そして忍はもう一度、建物の全容を見回した。
元ボーリング場の建物で、地上四階建ての鉄筋コンクリート製。二階か三階では、ビリヤード場を営業していたらしき看板もある。
忍が〈身体強化〉の魔術を使って自身の肉体強化を行うのを待っていた海音は、忍の脇に立って訊ねた。
「どこから攻めるか、キミならどうする?」
「多分、ジャコモは僕らが屋上からくると思っている。〈身体強化〉すれば、それが簡単だからね」
「そうね……」
「だから、鉄板の塀の上から潜り込んで、正面玄関からコッソリと侵入する」
「正面玄関から……コッソリとね」
一見矛盾した言葉だが、最も侵入しやすいルートが屋上である以上、わざわざ塀と屋根の隙間に潜り込んで正面玄関から入る方法は、確かにコッソリと言えるかもしれない。
「じゃあ、コッソリ行こうか。くれぐれも無茶はしないでよね」
海音の念を押す言葉に忍は頷き、鉄板を乗り越えてスルリとその内側に潜り込んだ。
「忍くんは通れたか……。あたしは、大丈夫かな……」
そう不安げな言葉をもらした海音は、自分の胸元に目線を落とした。そこには、高校生離れした豊満な胸が収まっている。
「サラシでも巻いてくればよかったかな……」
ブチブチ言いながらも海音は忍に続いて塀の隙間に潜り込み、無理矢理押し通る調子でそこを抜けて、ボーリング場の建物に入った。海音が乗り越えた後、塀の鉄板が若干歪んでいたのを、アガレスはしっかり目撃していた。そして自分の胸と比べた後、小さく舌打ちしたことを、先にボーリング場に入っていた二人は知る由もなかった。
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