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現代魔術師譚・境界のベナンダンティ  作者: みさっち
第1章:魔術師の帰還
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1-07:魔境の森

サブタイトルの数字をミスしていましたので、修正します。

 空が白みはじめるまでに、枯れ野の周辺は妖魔の死骸で埋もれていた。

 火を焚くから妖魔の襲撃を受けると言う人もいるだろう。事実、現世でも焚火をした方が野生動物を引き寄せやすいと言われている。実際のところ、火があろうがなかろうが妖魔はやってくる。人の臭いを嗅ぎつけ、信じられないほど遠くから彼らはやってきた。

 焚火があることで視界が確保できるぶん、まだマシという状況だった。

 忍たちにとって唯一の救いは、やってきた妖魔はそれぞれ連携することなく、好き勝手に襲ってきており、同種であろうと弱った物を喰い散らしたことだった。

 深夜を回る頃には忍も戦いに慣れ、見様見真似ながらも海音(あまね)が使っていた巫術(ふじゅつ)を駆使し、妖魔を倒していた。


 鳴蛇(めいだ)に似ているが翼を一対しか持たず、その翼の付け根の胴体のみ毛に覆われた獣に見える全長五メートルほどの大蛇は、身体を畝らせ、口から高圧の水を噴出して忍を切断しようと執拗に迫ってきた。

 しかし忍は落ち着いてその動きを見極め、〈物体発火〉で翼に火を放つと、警戒する大蛇を見据えて左手に刀印を結び、右手にアンダーテイカーの店で得た北斗七星が身に刻まれた短刀を構えて呪句を唱えた。


「山海経の内の中山経に曰く獣あり! その(じょう)は頭は蛇の如く、その身は(やまいぬ)のようで翼を持つ、その名は化蛇(けだ)! 我、その身を捻り破砕せん! 急々如律令! 勅! 勅! 勅! 妖魔滅殺!」


 海音の倶利伽羅龍(くりからりゅう)同様に短刀の北斗七星が淡く蒼白い光を放つや、忍が名指しした部位の順に大蛇は身体を硬直させ、名前を呼ばれた時には全身身動きすることもできなくなっていた。そして唱え終えた時、大蛇の身体は爆散した。


 「主人(あるじ)よ、日の出じゃ!」


 太陽の光が枯れ野に射し込んだ時、それを境に妖魔は森の中に姿を消していった。後には百数十体の妖魔の死骸が残され、血の臭いと腐臭を漂わせていた。


「終わったのか……」


「まだよ」


 ホッとして思わず地面に膝をついた忍を叱咤するように海音は声をかけ、その腕をつかんで引き起こした。


「今度は腐肉喰らいの妖魔が集まるわ! 急いでここから離れるのよ!」


「昼間に??」


 腐肉喰らいという字面だけを見たら、それを行う動物や妖魔の行動は夜のように感じる。しかし、夜は強い妖魔の時間であり、それとやり合えない力の持ち主たちの行動は自然と昼になる。実際、ハイエナや犬に似た獣(妖魔?)が姿を見せ、空には翼長が四、五メートルはありそうな鳥が何十羽も旋回をはじめていた。

 忍は海音の後について疲れた足を引きずりながら、妖魔同様に森の中に入った。

 森の木々は落葉樹が中心で、人の手がまったく入っていない原生林だった。あちこちに蔦が絡み、倒木や苦悶にのたうったかのように畝る木の根によって、歩きづらいことこの上ない。

 飲み水もないために、これではすぐに疲れてしまう。


「この世界に、人間はいないの?」


 異世界というと、人間が王国を築いているのが忍の中では定番だった。

 だが現実はどうか?

 行けども行けども人の姿はなく、ただひたすら森が続く足場の悪い土地だ。


「いるけど、交流は期待しない方がいいわ」


「なんで?」


「お腹にあいた穴に棒を射し込んで人を運ぶような文化を持つ人たちよ。もてなされただけで、あたしたちは死ぬわ」


 海音の言っていることが、忍にはさっぱりわからなかった。

 そもそも、お腹に穴があいているということが理解できない。どういうものかと想像している忍の顔を見て、海音は目を丸くして吹きだした。


「なんだよ」


「ゴメン。変な顔をして悩んでるからおかしかった」


 クスクス笑いながら、海音は忍の疑問が解決できるよう説明をはじめた。


「今は中山と呼ばれる地域にいると思うんだけど、最近、この辺りに進出してきてる人たちは、お腹に穴があいた貫匈人(かんきょじん)という人たちよ。本当はずっと南に住んでいるって話なんだけど、最近、中山にも姿を見せているって聞いたわ」


「聞いたってことは、元の世界に戻れるの?」


「もちろん。どこに繋がったかわからないから、正確な戻りのルートまではわからないけど、現世(うつしよ)への帰り道はあるよ」


 なにを言ってるの? という事もなげな調子で海音は話を続けた。


「貫匈人の鳩尾(みぞおち)の辺りには拳大の大きさの穴があいていて、位の高い貴人はそこに竹の棒を刺して、江戸時代の人を運ぶ(かご)を担ぐように二人の貫匈人に担がれて移動するの。これはもてなしにも適用されて、もてなされる人は貴人同様に担がれるわ」


 胸の穴に竹竿を通し、それを担いで貴人を運ぶ。

 想像するとかなりシュールな光景だが、実際の山海経には、そのシュールな挿絵が描かれている。


「つまり胸に穴があいてないと死ぬのよ。相手の不可抗力でね」


 歓待を受けて殺されてしまうのでは堪ったものじゃない。

 それなら、その貫匈人と会わない方がマシだった。

 しかし、このまま寝ずに森を歩き続けるのも不可能な話だ。今日一日は耐えられても、明日の夜、また妖魔の襲撃を受けた時、立っていられる自信が忍にはない。


「その貫匈人と会わずに、現世に戻る方法を探るすべはあるのかのう?」


「ここは中山らしいから、薬草を探しにきている現世の巫術師(ふじゅつし)たちがかなりいると思うわ。彼らに会えることを祈りましょう」


「なるほど、少なくとも貫匈人に会うよりはマシそうじゃな」


 アガレスは納得したように頷き、森の中を見回した。

 鬱蒼(うっそう)と茂る森ではあるが、所々、ヤブガラシの蔦のせいで枯れた巨木や、落雷などで黒焦げになった木々があり、そこから陽の光が射し込むために森の中は暗いというイメージはない。よく間伐しなければ森は育たないという誤った意見を持つ人間がいるが、それは人間にとって都合の良い森――森林資源を獲得する森――が育たないだけで、自然淘汰により森は勝手に間伐されていく。

 それは林野庁が実施した間伐実験でも証明され、なによりも明治神宮の森という百年かけて造営された都心の人工自然森でも証明されている。

 なによりも日本の林業は、一部の例外地域を除いて古来より無間伐だった事実があり、それでも森林は育っている。

 間伐を行わないと森の土壌流出などの問題が多発する理由は、人間が自分の都合に良いように森を改造したからに過ぎず、それがなければこの原生林のように、地面は苔や僅かな光でも育つ下草で覆われ、木々はなんらかの方法で勝手に間伐され、森はそれなりに育っていく。


「それにしても、主人にもそなたにも休息が必要そうじゃのう」


「それには激しく同意するわ。でも、もうちょっと待ってね」


 歩きやすい場所を探しながら先導する海音は、自分たちの周囲や動物の糞などの確認を怠らなかった。特に草食動物が食事をした痕跡を彼女は探していた。

 山海魔境というこの危険な土地には、妖魔以外に現世でも見られる鹿や鳥といった極一般的な動物も生存している。人間よりもはるかに危険な獣である妖魔と彼らがどうやって同居できるのか?


「あった。こっちよ!」


 海音が見つけたものは黒っぽい丸い土の球のようなものだった。


「なにこれ?」


「鹿の糞よ」


「いっ!?」


 東京の都市部に住んでいるとまったく縁のない鹿の糞を見て忍は驚きの声をあげたが、海音は鹿の糞のそばで見つけた鹿の足跡を辿り、さらに歩きはじめた。海音が辿る場所だけ下草がかき分けられ、地面もかなり踏み固められていた。


「ここは鹿がよく通っている獣道よ」


「歩きやすいなら、獣道でも嬉しいよ」


 実際、鹿も歩きやすい場所を選んで歩いているために、闇雲に森の中を彷徨うよりも格段に歩きやすい足場だった。

 しばらく鹿の獣道を辿っていた忍たちは、少し開けた草地に辿り着いた。

 さっきの枯れ野のような巨大な空き地ではなく、大きさにしたら二〇メートルもないだろう。しかし、草地には奇妙にも穏やかな空気が流れており、ウサギなどの小さな動物たちが草を食んでいる姿があちこちに見られた。奇妙なことに、臆病なはずの彼らは忍たちを見ても怯えた様子もなく、新たな隣人がきた程度の雰囲気しか感じられなかった。


「いったい……」


「山海経で生きていくにはいくつかルールがあるのよ。ひとつはココ。森の中には、しばしばこうした安全地帯があるわ。そこでは絶対に動物を殺してはいけないの」


「ここが安全な理由は?」


「この草地の真ん中にあるかな?」


 海音は草地の中に入っていったため、忍とアガレスはそれに続いた。

 そこには、本当に小さな湧き水が湧いており、ちょろちょろと水を滴らせていた。その水が滴る先には、渦を巻くような模様をした平べったい掌サイズの石が幾つも積み重なっている。


「この石は清水に濡れている間だけ、妖魔を寄せ付けない効果があるの。清水限定で、水筒に入れた水で濡らしていてもダメなんだって。さらに、新たな血がこの石の効果範囲で流されると、石の効力は失われるわ。だから、肉食獣もこの範囲にきたら狩りをしないルールになっているみたいよ。だから、あたしたちもここでは狩りをしないのがルール」


 なにその魔法みたいな石はと忍は言いかけたが、魔術がある以上そんな不思議な石があってもおかしくはない。魔石なんてものは、おそらくそうしたものなのだろう。

 なんにしても、この石の存在が動物たちが妖魔とこの世界で共存できる理由のひとつだった。この石が効力を発揮している場所には妖魔は入れない。そして、この石がある泉水(いずみ)は森の中に点々と存在していた。動物たちは、こうした地域をなにかあった時のシェルター代わりにして生存していたのだ。


「水は飲めるの?」


「大丈夫。飲めるわ。でも、飲み過ぎないでね。何事もやり過ぎないようにすること。それがルールのひとつでもあるわ」


 もしかしたら、水を飲み過ぎた人間になにかがあったのかもしれない。しかし海音はそれ以上の説明をせず、手でどうぞお先にと促してみせたので、忍は泉水のそばに膝をついて屈み込み、掌で滴る水を受け止めてみた。

 思ったほど水は冷たくなく、そっとそれを口に運んでみた。

 柔らかい口当たりの水。軟水だろうか? 口に含むと微かに甘味を感じる水だった。

 コクリとそれを嚥下してみるが、別段変わったところは見られない。

 ひとすくいでは飲み足りない気分だが、飲み過ぎないようにクギを刺されていたため、忍はそれだけでやめて立ち上がり、アガレスか海音が飲めるようにその場を離れた。

 そして忍は草地に座り込んだ。

 少なくとも休むなとは言われていないし、おそらく休息のために海音がここを探していたことは確かだった。


「江戸川乱歩があの境界より北は物ノ怪の領域って言ったんだっけ?」


「その通りじゃな。それがどうかしたかの?」


 思い出したように口にした忍の言葉にアガレスは頷いた。


「つまり、西池袋から北池袋にかけた地域で多発した物ノ怪たちの事件っていうのは、昨夜遭遇した妖魔たちが引き起こしたものだったこと?」


「この場所とは限らぬがのう。説明した通り、境界はどこにでもつながっておるから、時にはデュラハンやバン・シーなんて西洋の妖しも現れたことじゃろうな」


 デュラハンやバン・シーと聞いて、忍は顔をしかめた。さすがに死を告げる妖精たちには、まだ会いたくはない。


「まぁ、そのどこかに出られる可能性があるってことだよね」


「道さえ見つかれば、出る先はあの大境界かもしれんがのう」


「道……か……」


 道と言われても、この鬱蒼と茂った森のどこに現世につながる道があるのか、忍には皆目見当がつかなかった。なにより、ここで余計な時間を使ってしまっていたら、親が心配をして捜索願いなど出しかねない。


「この世界で一日経つと、元の場所でも一日経つわけ?」


 慌てて忍が訊ねた理由は、親が捜索願いを出すという問題もあったが、ここでの一日が地上の百年なんて可能性を想像したからだった。

 三日いたら三百年経っていましたなど、冗談ではない。


「慌てないでも大丈夫よ。ここの一日は、現世では一五分ほどよ。もちろん、行った先の一日が現世の一年なんて世界もあるみたいだけどね」


「そう……なんだ」


 忍はホッとしつつも、境界に入ることの危険性に背筋がゾッとする思いだった。

 行方不明者が数年経って、行方不明になった時の姿のままヒョッコリと帰ってくるという怪現象は、現世とは時間の流れが異なる世界に境界から落ちたせいだと理解できたからだ。


「半日、ここで休息しましょ」


 そう言うが早いか、海音は草地にゴロンと横になり、アッという間に寝息を立てはじめた。

 元々忍にとって、正体もなにもわからない女の子だが、仮にも年若い男がいる場所で、こんなにも無防備な姿を晒して良いのか? と思うくらいの無防備さだった。

 もちろん、彼女を襲ってどうこうするような思いは忍にはないが、その無防備さに呆れていると、アガレスがキシシと笑い声をもらした。


「主人よ。男扱いされたければ、少なくとも海音を先導できるくらいの知識と技量を身につけることじゃのう。彼奴の刀でズンバラリンされることを恐れているような相手を、警戒しろという方が無理じゃてな」


「ヘイヘイ……」


 まったく……というように忍はソッポを向き、海音に倣って草地に横になった。

 徹夜の戦闘の疲れが溜まっているのか、眠りに落ちるのに大した時間はかからなかった。

お読みいただきまして、ありがとうございます。

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