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現代魔術師譚・境界のベナンダンティ  作者: みさっち
第1章:魔術師の帰還
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1-06:魔境の夜1

 薪の火に照らされた妖魔は、猫とも人間の赤子の声とも思える奇怪な鳴き声をあげて忍たちを威嚇していた。


「まだ動かないで。馬腹(ばふく)は凶暴な肉食妖魔よ。これからかける術が効けば、わずかな時間だけ身動きが取れなくなったところで、一斉に攻撃して」


 海音は太刀を引き抜き、横一文字に構えそこに刀印を交差させた。すると太刀の身に刻まれたいた倶利伽羅龍(くりからりゅう)が淡く蒼い光りを放った。そして海音は対峙する体長が三メートル近い馬腹を睨み据えた。


山海経(せんがいきょう)の内の中山経に曰く、獣在り! その状は人面の如くで虎の身、その声は嬰児(えいじ)のよう! その名は馬腹! 我その身を捕え緊縛(きんばく)せん! 急々(きゅうきゅう)如律令(にょりつりょう)! 勅! 勅! 勅! 縛ッ!!」


 海音にその姿の特徴を挙げられるたびに馬腹は身を硬直させ、身動きひとつできなくなっていく。そして、なにかに縛り付けられて地面に縫い止められたような不自然な姿で地面に伏せた。


「今よ!」


 海音はそう合図するが早いか、横跳びして倶利伽羅龍の太刀の鋒を馬腹の脇腹に突き立てた。

 馬腹は絶叫を上げるように顔を歪めて大口を開き激しく身悶えたが、声を封じられているためにそれすら叶わず、さらに地面に縫い止められた力で跳ね上がることすらできなかった。

 忍はその脇に回り込み、馬腹の腹部に〈アストラル・パンチ〉を叩き込んだ。


「フルカス・バラム!」


 屋上の時どうように体中からなにかが拳を通して放出された感覚を覚えたが、初めて味わった時と異なり、足下がふらつくこともなかった。そして放たれた〈アストラル・パンチ〉は、馬腹の無防備な霊体を直撃したが、その瞬間、馬腹を地表に縫い止めていた海音の術が解け、馬腹はもんどり打って大きく跳ね飛んだ。


「アガレス、手伝え!」


 なんの行動もしないで戦いの様子を見ているアガレスを忍は叱咤したが、当のアガレスは忍に目もくれず、薄闇の奥を睨み据えていた。


「主人の命なれど難しいようじゃな。なにせ、新たな妖魔が近づいてきてるようだからのう……」


 アガレスは乗騎のワニを前に進ませようとした時、異変に気づいた。

 異様にワニの背が乾いていると――


「アリゲーターの背が乾燥するじゃと……?」


 金属の板を叩くような甲高く響く音を聞いて闇に目を凝らすと、一対の眼を思わす紅い光点がふたつ、三つと浮かび上がって見えた。


「空気を乾燥させたのはそなたらじゃな。挙句、大地まで枯らすか……。集まれば旱魃(かんばつ)を引き起こす妖魔が東洋にはおると聞いておったが、誠のようじゃのう。主人よ、こちらにも妖魔じゃ!」


 叫びつつアガレスは眉根を寄せて顔をしかめた。

 一対の眼と考えると妖魔の数は三体。しかし、そばだてた耳が捕えた羽音が多すぎた。羽音から察すると、六体いなければおかしい。


「アリゲーターよ、下がれ!」


 これ以上放置しておくと、乾燥に弱いワニの皮膚が痛むと判断したアガレスは、自分の影の中にワニを沈めた。

 そして軽く錫を円形に振るい、煌めく光輪(こうりん)を空中に描き出した。


「いつまで闇に隠れておる気じゃ? 馬腹というジジイ顔から我らを横取りするつもりではなかったのか?」


 アガレスが錫で光輪を叩くと、それは柔らかい光を辺りに振りまきながら、そよ風に流れる風船程度の速度で進みはじめた。

 その光に映し出された妖魔は、体長が四、五メートルほどの大蛇の背に四枚の翼が生えた姿をしていた。それが三匹おり、空中で器用に鎌首をもたげながら、ルビーのように紅く輝く眼をアガレスに向けていた。


「南米の神、ククルカンの親戚か? にしては、知性が足らなそうじゃのう」


 アガレスの挑発を理解したのか、三匹の大蛇は金属の鉄板を擦って響かせるような金属音を放った。すると、アガレスの肌が次第に乾燥しはじめた。


「フン。その鳴き声が乾燥を呼ぶか。お肌の曲がり角の人間がおれば、悲鳴を上げて逃げそうじゃのう。だが、残念なことに余はの肌まだピチピチじゃ!」


 何千年生きているのかは不明だが、アガレスは自分をピチピチと言い放ち、フンッと胸を張った。すると乾燥してひび割れかけていた肌に色艶が戻り、一瞬で若々しくしっとりした肌になっていた。


「住んだ土地を破壊する妖魔など、存在する価値がないのう。死ね」


 チッチッチと舌を鳴らして人さし指を立てて横に振って見せたアガレスは、すぐさま地を蹴って大蛇に向かって跳び、二〇メートルほどの間合いを一瞬で詰めると、不意打ちされて身動きできない大蛇の頭を、振り上げた錫で打ち据えた。


 一方、忍たちは馬腹相手に苦戦を強いられていた。

 馬腹の動きが異様に速く、身構えてから放つためにテレフォンパンチに等しい忍の〈アストラル・パンチ〉は、ことごとくかわされ、海音の攻撃もまた同じだった。それでもまだ一方的に攻撃されていない理由は、海音の捕縛の術と忍の〈アストラル・パンチ〉を馬腹が警戒しているせいだった。

 海音が呪句を唱えようとすると、馬腹はけん制の攻撃をかけてくる。

 忍は戦いの素人も同然で、海音が呪句を唱える時間を稼ぐすべを持ち合わせていなかった。


「主人よ、そんなゴロツキ妖魔相手に、なにをしておるのじゃ?」


 そこに大蛇たちを片づけたアガレスがヒョッコリと姿を現した。


「アガレス、おまえ手伝え!」


「手伝いたいのは山々じゃが……主人にとって、調度良い修行相手じゃからのう。主人よ、なぜ火を放たないのじゃ?」


 アガレスは手は貸さないがアドバイスはしてやろうという調子で、自分の影から呼び出しなおしたワニの背に乗りながら〈物体発火〉の魔術を使うことを勧めた。


「火? そうか! 発火!」


 忍は馬腹を凝視し、〈物体発火〉の呪文を唱えた。

 だが危機を察した馬腹は、間一髪でその視線から跳んで逃れる。そして馬腹がいた地面の枯れ草が燃え上がった。

 その瞬間、馬腹の注意が忍に向き、自分への警戒が緩んだのを海音は逃さなかった。

 海音は空高く跳んで左手の刀印を唇前に構えると、それに九度息を吹きかけた。


(われ)、雷公のキ、雷母の威声を受け、以て眼前の魔怪を討つ! 百妖同じく以て形を(あらわ)すを得んことを! 吾をして五行の将、六甲の兵を使い、百邪を斬撃し、万鬼を滅っする雷鞭を放たん! 急々如律令! 勅! 勅! 勅! 雷公鞭(らいこうべん)!」


 雷公鞭の叫びとともに刀印を大きく振り下ろし、その鋒で馬腹を指し示すや、空から稲妻が雷鳴とともに飛来して馬腹を打ち据えた。

 雷に打たれた馬腹は全身の毛を逆立てて硬直し、カッと眼を見開き、顔に苦悶の表情を浮かべていた。直撃した腹は黒焦げになり、直径二〇センチほどの穴が穿たれていたが、万が一を考え、海音はその頭に太刀の鋒を突き立ててトドメを刺した。


「ふぅ……。お疲れ」


 海音にそう声をかけられ、忍は大きく息を吐いて地面に座り込んでしまった。

 予想以上の苦戦だった。

 現世(うつしよ)の死霊との戦いで、忍は妖魔を甘く見ていたのかもしれない。

 考えてみるとあの死霊もアガレスが仕掛けた罠にかかった存在で、身動きが取れなかっただけなのかもしれない。

 たったそれだけの戦いを経験し、異端審問官の襲撃を逃れただけで一端に戦える気でいた自分が情けなかった。


「主人よ。戦いには駆け引きが必要じゃな」


「駆け引き? でも……」


 魔術師の戦いに駆け引きもなにもないような気がした。

 戦うために呪文を口にしなければならず、それで相手に察知されてしまう。


「例えば〈アストラル・パンチ〉も〈物体発火〉も相手を睨み据える前段階がある。その動作をいかに速く済ませるか? さらにどちらを繰り出すのかを直前まで悟らせないことが重要になるのう」


「そうか。パンチを出す素振りをしつつ〈物体発火〉を放つとかすればいいのか」


「そうじゃな。また、そこから〈アストラル・ウィップ〉にするという方法もあるのう」


「そう。なぜ呪文を『フルカス・バラム』に切り替えさせたの?」


「切り替えて主人はどう感じた?」


 質問にアガレスは質問で切り返してきたため、忍は少し考え込んだ。

 〈アストラル・パンチ〉と叫ぶより、まず威力が増大した。それは異端審問官を退かせたことでも明かだった。また、使われる魂が増加した気がした。


「魂の消費量が増えて、威力が増した」


「そうじゃな。同時にひとつの呪文で、パンチもウィップも使えるようになった。上位の使い方で威力増加ゆえに魂の消費が多くなるのは仕方ないが、主人なら大したことはあるまい。実戦で使うなら、まずこちらの方が有用じゃな」


 さて、と言う調子でアガレスが周囲を見回すと、アガレスが錫で打ち据えて頭蓋を破壊した大蛇の遺体を、海音が調べているのが目に入った。


「なんじゃ海音よ。その蛇を喰うのか?」


「食べないわよ! お腹壊すかもしれないでしょ! 鳴蛇なんか出たのね。それでここはこんな枯れ野になっていたのか……」


「鳴蛇? それとこの枯れ野が、どう関係あるわけ?」


「鳴蛇は鳴き声で生き物から潤いを奪い、草木を簡単に枯らすの。山海経にも、現れると旱を起こすと書かれているわ」


 忍の質問に答えながら海音は枯れ木を拾い上げて、また焚火にそれをくべていった。


「まだ宵のはじまりよ。この世界の夜に眠れるとは思わないでね。妖魔は、夜に活性化するんだから」


 海音の宣言に忍は思わず辺りを見回した。

 すでに空は星に覆われ、森は真っ暗な闇の支配下に置かれた。

 時折そこを揺らすものは猿なのか、それとも夜行性の鳥なのか、あるいは妖魔かわからない。

 忍たちの目が届く場所は、焚火の明かりがある場所だけであり、それ以外はすべて妖魔の世界だった。

お読みいただきまして、ありがとうございます。


雷公鞭のくだりにある、『雷光のイ』のイは、第四水準漢字のため表現できませんでした。

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