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現代魔術師譚・境界のベナンダンティ  作者: みさっち
第1章:魔術師の帰還
10/27

1-02:境界

「さて、主人(あるじ)よ。次はあの塔の屋上に登るぞ」


「あの……塔?」


 窓越しにアガレスが指し示した塔は、地上三八階建ての高層マンションだった。


「ダメだよあれは。個人集合住宅の高層マンションだから、住人以外は勝手に入ることができないんだ」


 マンションという言葉にアガレスは眉根を寄せて首を傾げたが、集合住宅と言われて納得したようだった。


「つまり、住人に見つからなければよいのじゃな?」


「いや、だからそれは……」


 それは違うと忍が説明しようとしたが、アガレスはそっちのけでポーチを漁り、以前出した黒いコートをそこから引っ張り出した。


「これを着るのじゃ」


「は?」


 渡された黒いコートは恐ろしいほど軽い素材でできたものだった。ロングコートのはずだが、重さはコットンシャツほども感じられない。


「なに……これ?」


「確か、そなたの先々代が倫敦(ロンドン)の魔術街で購入した逸品じゃったはず。銃弾の痕と血の染みは、もうなくなっているはずじゃ」


「なにそれ! 呪われた品?」


 広げて確認しようとした忍は、血の染みと言われてあわててコートを手放した。


「呪いなどとんでもない。先々代、先代共に、最期に身につけていた品じゃ」


「呪われて死んだとか?」


「くどいのう……。先代の死因は確か……ライフル弾を二〇発ほど身体に受けた後、さらに槍でその身を貫かれたはずじゃ」


「ライフル弾って……魔術師じゃなかったの? それじゃ戦争だよ!」


 アガレスはいつものような笑みを浮かべず、真顔で素直に頷いた。


「まさに戦争じゃな。先代の身が散ったのは一九三四年の五月二七日早朝のチェコじゃ」


「一九三四年って……第二次大戦前じゃない?」


 アガレスは少し記憶を探るかのように天井を見上げていたが、すぐに視線を忍に戻した。


「そうじゃな。歴史上での欧州大戦の開始は、一九三九年九月一日のポーランド侵攻をきっかけとした大国間戦争のはじまりから語られるが、現実の欧州ではその遙か前から戦争がはじまっていたのじゃ」


 確かにアガレスの語るように、英仏を中心とする連合国と独伊を中心とする枢軸国の全面戦争がはじまったのは、一九三九年九月だが、ヨーロッパはもっと早くからドイツ第三帝国との争いに満ちていた。


「じゃあ、先代って……その……レジスタンスとかそういう人たちだったの?」


「そうではないが、相手が魔術を政治に利用しようとした連中だった。それゆえに戦ったというのが、先代の本音じゃろうな」


 しみじみとした調子で語るアガレスの言葉に、そのコートが呪いの品ではないと感じた忍は、手放したコートをもう一度手に取った。

 やはり軽くて薄いコートだった。防寒の役目を果たすのか疑問に思える薄さで、透けて見えないのが信じられなかった。布の肌触りはシルクのような滑らかな感触をしている。

 デザイン的には、インバネスと呼ばれる、シャーロック・ホームズがまとっていたような、肩から肘辺りまでのケープがついたコートだった。日本では、明治~大正期に流行し、和装用にアレンジされた『とんび』や『二重回し』として知られているが、実はまったくの別物である。インバネスと『とんび』や『二重回し』の違いは、袖の有る無しにある。

 洋装のコートにケープがついたものがインバネスであり、和装用に発展したものが『とんび』などだった。

 忍が手にしているのは、そのインバネスだった。

 銃弾を二〇発も浴びたとアガレスは言ったが、修繕された後なのか、その痕跡はどこにも見当たらなかったし、当然、流れたであろう出血の染みも確認できない。


「これは……なにで出来ているの? シルク?」


「シルク? ああ、あの虫の粘糸じゃな。いや、そんな下等なものではない」


「シルクが下等って……」


「それはジャージー・デビルの体毛を糸にしたもので織られているはずじゃ」


「ジャージー……?」


 聞き覚えのある名前に、思わず忍は聞き返した。


「ジャージ・デビル」


 アガレスはニコニコ笑っていた。

 もちろん、その名前を忍は知っていた。黒っぽい毛で覆われた胴体に、コウモリの翼と馬の頭を持つUMA――未確認生物だった。

 そう、つい先日も忍は〝通り者〟に襲われ、昨日は死霊にも襲われた。そんなモノがいるのだから、ジャージー・デビルだろうがチュパカブラだろうが、いてもおかしくはない。


「そのジャージー・デビルの毛織物を着ると、透明になれるとか?」


「それは無理じゃ」


「じゃあなんで、そんな妖しげなコートを着るの?」


「主人は、他人に正体を知られたくない時、どうされる?」


 いきなり話題を変えられた気がしたが、忍は少し考えて答えた。


「仮面を被るとかかな?」


「オーソドックスなやり方はそれじゃな。じゃが、このインバネスには、軽く〈認識攪乱(にんしきかくらん)〉の魔術がかけられておる。顔を隠さずとも、魔術的防御力を持たないモノの記憶には『黒いコートの男』程度の認識しか残らぬのじゃ」


 それはつまり、顔を隠すことなく、他人に忍という存在を知られないものだった。


「あ、でも動画とかカメラに収められたら?」


「そのコートが作られた時、すでに写真はあったのじゃ。ゆえに、魔術的防御力を備えたカメラでもない限り、その姿を捕えることは無理なのじゃ。黒っぽい影にしか映らぬはずじゃぞ」


「なるほど……。じゃあ、魔術的防御力を持っている魔術師には、姿は見られちゃう?」


「そうじゃな。より強い認識攪乱術を主人が用いぬ限り、たいていの魔術師や物ノ怪には、その姿は筒抜けになる」


 このコートは対一般人用の対策用具と、忍は認識した。

 だが、このコートがあれば、普通の人は忍の個人を認識できないことになる。犯罪もやりたい放題だなと忍は考えたが、それを察したのか、アガレスはまたニヤリと笑みを浮かべた。


「主人よ。たいていの宝石店や銀行は魔術対策をしてあるぞ。一般人もバカではない。魔術師と数千年にわたって付き合ってきたわけじゃからのう。くくくく……」


 心を読まれて忍は赤面した。

 もっとも、犯罪をしようとは考えもしていなかったが……。


 照れ隠しというわけではないが、忍は立ってコートの袖を通してみた。

 身長が約一七〇センチの忍のくるぶしほどの丈のあるロングコートで、かなり長いお尻近くまである背面スリットが入っている。着ている感覚をまったく感じない、不思議なコートだった。


「内ポケットは、余のポシェットと同じようなホールディングの魔術がかけられておる」


「ホールディング? 見た目に反して、大量に物が所持できるってこと?」


 試しに忍が内ポケットに手を突っ込むと、ポケットの底を感じない深さになっており、棒状の固い物がそこに入っていた。


「なにか……ある」


 試しにその棒状の物をつかんで引っ張り出すと軍刀が出てきた。


「は?」


 旧日本軍が士官用に制定していた軍装品であり、一見すると日本刀の打刀だが、その性能は日本刀ほどはない量産品だった。当然、銘有の刀剣ではない。


「先代も日本人じゃったからな。日本製品なのじゃ。最後に収めた物を一番早く手に取れるようになっているが、使用者がこれが欲しいと念じれば、中に収めてある物なら、すぐその手の内に入って取り出せる仕組みなのじゃ」


「中になにが入っているか知らないと無理なんだね」


「服をひっくり返してポケットを広げると、出てくるじゃろうな」


 今はやめとけという表情のアガレスを見て、忍はポケットの中の整理が早急に必要そうだと感じた。おそらく相当数の物が、このポケットに収められているのだろう。


「でもこれを着ても、鍵がないから普通は屋上には出られないよ?」


 まさか飛べるの? という調子で訊ねた忍に、アガレスはあのいたずらっ子のような笑みを浮かべて見せた。


「主人よ。先ほど教えた身体強化をさらに使い、塔の外壁を登るのじゃ」


 そう言われて、忍は壁に貼られた〈生命の木〉のポスターに目をやった。


「足……〈マルクト〉の強化? いや、足だけじゃダメか。手や肩も強化しないと外壁は登れない」


「正解じゃな。では、参ろうかのう」


 忍はアガレスに連れられて、西池袋にそびえる高層マンションの前にやってきた。

 幸い、表通りに面していない生活道路が脇にあったため、人目を気にする必要は無かった。もっとも、アガレスの説明を信じるなら、このインバネスを着ている限り、魔術師以外には個人を特定出来る人はいないはずだった。


「で、どうするの?」


「身体強化の呪句(プレイヤー)は……ふむ『栄光あるケテルに満ちる輝きよ。星気光(アストラル)を〈ケセド〉より〈マルクト〉に通し、強靭かつ俊敏なる膂力を我が身に与えん』という感じかのう」


「という感じかのうって……」


「イメージすることが大切じゃからな。あの〈生命の樹(オッツ・キイム)〉の図版を思いだし、その経絡を通じて〈ケセド〉から〈マルクト〉までの七つのセフィロトに光が満ちるのをイメージするのじゃ。そして、今しがた伝えた呪句を三度唱えるのじゃ」


「イメージして……三度唱える」


 忍は言われたとおりに〈生命の木〉の図版を思い浮かべ、一番の〈ケテル〉から六番の〈ティファレト〉に光が流れ込み、そこから全部のセフィロトに光が注がれているイメージを浮かべた。


 そして――


「栄光あるケテルに満ちる輝きよ。星気光を〈ケセド〉より〈マルクト〉に通し、強靭かつ俊敏なる膂力を我が身に与えん」


 という呪句を三度唱えた。

 力が体中に満ちて行くのを感じられた。しかし、本当に身体を強化した程度で高層マンションの外壁を登っていけるのか? 一四〇メートルはありそうな外観を見上げて、忍は固唾を飲んだ。


「主人よ。まずは軽く跳んでみるのじゃ」


「軽く? ああ、そうだね」


 準備運動という意味で受け取った忍は、軽くアスファルトを蹴ってみた。


「え?」


 忍は身体のバネも使わずに、軽く膝を曲げた程度でジャンプしただけだった。しかし、一メートル近く跳んでいた。もしも、もっと本気で跳んでいたなら? そう思った瞬間、忍の顔を曇らせていた迷いは吹き飛んでいた。


「では、参ろうかの」


 笑ったアガレスに忍は頷き、忍は外壁近くで強く地面を蹴って飛び上がった。そして窓の縁やバルコニーの手すりにつかまって、より上に跳んでいく。ほんの僅かな時間の間に、忍は高層マンションの屋上にたどり着いていた。


「どうじゃな? 主人よ」


 信じられないという面持ちで自分の両手を見つめている忍を見て、アガレスは楽しそうな笑みを浮かべた。


「信じられない。これが魔術?」


「そうじゃな。そして、ここから見下ろす東から西につながる一本の筋をご覧あれ」


 アガレスは屋上の北端に案内し、眼下に見下ろす南北に伸びる道筋を錫で示した。

 なんの変哲も無い道筋。しかし、しばらく見ていると、そこに淡く青白い光が浮かび上がってきた。池袋の駅から山手通りに向かって伸びる道筋ときっちり重なって、光の帯が伸びていた。もちろん、光はそこだけではなく、あちこちにも地割れのような小さな筋が見えた。だが、眼下の帯の大きさには到底及ばぬものだった。


「これは……?」


「これが境界じゃな。日本有数の大境界じゃ。ゆえに、この地に境界の番人として住み着いた魔術師の屋敷がすぐそこにある」


「お屋敷?」


 そう言われて思いつくのは、江戸川乱歩の屋敷以外になかった。彼の屋敷は、すぐそばの大学の管理下に置かれて生前のままに保存されていた。


「江戸川乱歩が……魔術師だった?」


 そう言われると、納得がいくものを忍は感じた。だが、今の忍には乱歩のことよりも優先度の高い質問があった。


「それより境界ってなに?」


「異界との接点。妖しや異形、物ノ怪といった類のものが、この現世に這い出す穴であり、現世の者が異界に向かえる扉でもあるのじゃ」

お読みいただきまして、ありがとうございます。


これはどちらかというと、小説家になろうではホラーなんじゃない? と言われたので、ホラーにジャンル替えしてみました。ご指摘ありがとうございます。


◆江戸川乱歩邸

池袋駅西口より出て徒歩10分程度。

立教大学の管理の元、特定期日に屋敷の内部を公開しておりますので、興味をお持ちの方は下記の立教大学Webサイトをご覧下さい。

http://www.rikkyo.ac.jp/campuslife/facilities/ikebukuro/edogawaranpo.html


◆倫敦魔術街

チェコの錬金術師街ほど有名ではないが、ロンドンのフィッツロヴィア・ストリート付近に存在していた。近所に大英博物館があり、2018年現在でも1軒の魔術店が堂々と店を出している。

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