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キ状の空論

作者: 誇大紫

 噂?

 好きですよ。市井の人々のハラの奥底でウネる臓物のような欲望――或いは無意識の悪意を炙り出してくれますからね。噂で語られるものは、たとえ論理的にはありえなくてもヒフ感覚として存在しているでしょ? 「あれ? 膝が痛いなと思ったら膝の皿の裏にフジツボがびっしり繁殖してた……」って話あるじゃないですか? あれありえないでしょ? 事実、膝に皿なんて無いし、単純に二本の骨の関節部だから「裏」なんてものは存在しない。しかしそれだけで斬り捨てていいものでしょうかね噂ってヤツは。感覚の上では膝には「皿」があるし、フジツボは人体に寄生する。

 あなただって「トイレで手を洗わないって噂の人間」と握手する時、なんとなく躊躇するでしょ? なんとなく汚れるような気がするでしょ?

 綺麗事を言わないでくださいよ。

 じゃあ目の前でウンコを触ってた人間がいたとして、そいつがウンコを放り捨ててめっちゃ手を洗うわけです。薬用の泡の良い匂いがする奴で。キレイキレイに。キレイ事だけに。

 そいつがあなたに近寄ってきますよ、笑顔で。爽やかですよ。で、握手を求めてくるんです。

 どうです? その手に茶色いナニカが付着してないかよく確認するでしょう? 一見無いわけです。でも微粒子レベルで存在している可能性がある。もしくは手のひらにウンコが付着した世界線とウンコの付着していない世界線がフィフティフィフティで重なり合った状態で、握手した瞬間にどちらかに収束するのかもしれない。

 果たしてその手にウンコは付いていないのだろうか? それはやってもやっても終わりのない悪魔の証明。

 コレですよ!

 噂はいつだって、客観的事実ではなく心に根ざした真実なんですよね。

 あ、ウンコは例えですから別に何に置き換えてもいいですよ。

 放射性物質でも。

 幽霊やバケモノを見た経験とかでもね。


★★★★


 今はもう廃園になっちゃいましたけど、裏野ワンダーランドってあったじゃないですか。

 そこが仮オープンした時、近所の子供達に無料チケットが配られたんですね。来て、アンケートに答えてねって。たぶん従業員の練習とか今後の方向性とかのためなんでしょうけど。

 モチロン中学生だったおれも友達と一緒に行きました。亀川(カメガワ)月波(ツキナミ)と三人で。まあ楽しかったですよ。でもまだ園内地図ができてなかったみたいで、荒い印刷の裏野ワンダーランドのアトラクションリストを見ながら一通り回ってみたんですが、物足りない。そもそも至る所で工事中ですからね。フードコートにはブルーシートのかかった出店。看板は、ペンキ塗りたてにつきどうのこうのと書いてありますし。

 どうなんでしょうか。

 小学生は楽しんでますよ? 軽くテンションMAXで奇声を発しながら、マスコットのウサギ野郎に引き連れられてワラワラどこかへ入って行く。

 でもおれたちは中学生、ちょっと前まで楽しんでた「ガキが喜ぶもの」をすぐ否定してオトナの階段を登りたくなる時期。ライダーもプリキュアも見なくなって、急にオトナ的な性と死に惹かれるようになるわけですよ。しかもしかも、チケットを貰った中学生でノコノコやってきたのはおれたちだけだったという。

 みんな「おもしろくないだろーな」ってのを事前にキチンと嗅ぎ分けてたってことなんでしょうね。

 終いには三人でベンチに座って――見るものも特になし――誰かが道端に落としたであろうソフトクリームに蟻がワラワラ群がっているのをボンヤリ眺めていました。

「……つまんねーよ」

 蟻は溶け出したソフトクリームに飲み込まれて動けなくなっていきます……ザ・虚無。

「……つまんねーよ!」

 亀川が雲ひとつない晴天に向かって吠えました。

「うるせーなわかってるよ。後でアンケート書いとけ」

「面倒くせーよ」

 などというやり取りをしていると、黙っていた月波がおもむろに立ち上がり歩き出しました。暑苦しい長い髪を揺らしながら、まだ花が咲いていない庭園を抜け、茂みに半分隠れている何かの前で立ち止まり。

 そこで振り返り、おれたちを手招きしました。

 果たしてそこには、地下鉄の入口のような階段が下へと続いていました。

「……これ、さっきから気になってた」

 リストにも載っていなかったアトラクションが一つ残っていたようで、看板には「アクアツアー」と書いてあります。

 さっきのウサギ野郎のパネルが置いてあり、吹き出しが描いてあります。

「ぼくの身長より高くないと、異世界へは連れていけないよ★ ※身長132センチ未満のお子様は御利用になれません」

 おれたちは顔を見合わせました。三人ともパネルを超えています。

「異世界ってなんだよ。ショボさを言葉のマジックで乗り越えようとしやがって。行く気しねーし」

「いやまだショボいと決まったわけでは……」

 月波は黙ったままおれたちの動向を気にしています。メガネの奥の目が泳いでいません。彼女はたぶん行きたいんでしょう。

 階段の下を覗き込んでみましたが、仮設置であろう安っぽい蛍光灯が等間隔に設置されているだけで、その頼りなく明滅する灯りでは奥までは見通せません。

 生ぬるい風が吹き上がってきて、微かに潮風のような生臭さと鉄臭さが鼻を刺します。

 躊躇。

 しかし。

「行ってみよう。どうせタダなんだ、それにおれたち以外はガキばっかりだからたぶん入れる奴いないだろ。それに……もしかして怖がってる?」

 おれが言うと、亀川は鼻で笑ってパネルのウサギ野郎をバシバシ叩きました。

「でも、一人ずつしか入れないってよ……」


 じゃんけん、ぽん!


★★★★


「あ、出てきた」

 おれと月波が外のベンチで十分ほど待っていると――アクアツアーの出口はそっちにあるんでしょう――亀川がフードコートの方から出てきましたが。

「なぜ車椅子……」

 月波がメガネの奥の目を細めて怪訝そうに言います。

 そうです、亀川は車椅子に乗せられており、それを押しているのはあのウサギのキぐるみ野郎だったのです。カラカラと車輪の音を立てながら近くにやってくるとウサギはどこぞへと去っていきました。

 亀川は目の焦点が合わずヨダレを垂らして、ボソボソ聞こえるか聞こえないかの声で呟きます。

「百億の鏡のかけら……小さなともしび……とらわれた天使の歌声……ゼノ……ギアス……」

「廃人か!」

 おれが後頭部を叩くと正気に戻ったようですが、何があったか聞いても笑顔になったりガタガタ震え出したりするばかり、ちょっと情緒の方が不安定でよくわからないのです。

 ただ「行かない方がいい」と何度も強く止めてきます。

「ダメだ、行かなきゃわからんようだ」

 おれは月波に目配せします。女子を先に行かせるのはどうなのか、というのはあの頃考えていませんでした。あらかじめやっておいたじゃんけんで決まっていたのでそこはそれ、仕方ないのです。

「行ってきまぐろ漁船……フフ」

 言っていることの意味はわかりませんが凄い自信でした。しかしおれは彼女の手が震えているのに気づいていました。


★★★★


「あ、出てきた」

 やはりフードコートの方から現れた月波はやはりウサギ野郎に押されながら車椅子で登場しました。震える自分の体を抱くように縮こまっており、目はあさっての方を向いています。

「汚された……私の心が……加持さん……汚されちゃった……どうしよう……汚されちゃったよぉ……」

「精神汚染か!」

 と後頭部を叩きながら、発狂キャラ大喜利の様相を呈してきたこの状況で次に何ができるか頭を巡らせます。

「見たか? アレ」

 ようやく落ち着いた亀川が話します。

「……ああ、たぶん魚……かな」

 二人とも何か見たようでした。早速おれが行こうとすると二人は本気で止め、何があったか説明を始めました。

 おれはそれを聞き、アクアツアーへ向かったんです。


★★★★


 湿った階段を降りていくと生臭さが強くなっていきます。濡れているので滑らないように気をつけながら。

 アクアツアーで何があったのか――二人が見たものはどうもハッキリしないのですが。

 亀川は「地下に降りていくと巨大な水路があり、黒く濁った水面をウサギ野郎の運転するボートで進んでいくと、だんだん白く膨らんだ生物が出てくる。凄く嫌な感じがする生物だ」と。

 月波はそこで「その白く膨らんだ生物の皮か毛か何かがボートのスクリューに絡まってくるので、ウサギ野郎はオールでゲシゲシやって引き剥がしていた」と。

 更に進むと、二人は「白く膨らんだ生物の破片がそこかしこにある場所に出た。波が強くなりボートが揺れる。だんだん目が慣れてきて、膨らんでない生物もいることがわかってくる」と。

「そして……」

 そこまで言って二人は鮮明に思い出してしまったのか不安定な呼吸になりながら口を閉ざしたんです。

 長く続く階段の先はまだ見えない。低い天井の息苦しさ。淀んだ空気が肌に絡みついてきます。

 階段の途中には、時折非常口が用意されています。緑色の見慣れたマークに少しホッとします。確かに、かなり降りてきていますから、ここからやめて帰ろうとしたら相当キツいはずですから必要なんでしょう。

「ここから出ればすぐ帰れるのか……」

 わざわざ独り言をこぼすのは、人の声を聞いて安心したいから。たとえ自分の声であっても。

 つまり怖がってるってことです。

 考えてもみてくださいよ。

 どうしてその辿り着いた場所には、白い破片が散らばっていたんですかね。

 恐らく食い散らかされたんでしょう。

 もっと大きな、名状しがたい何かに。


★★★★

 

「あ、出てきた」

 おれは例の如く車椅子に乗ってウサギ野郎に押されて、フードコートの方から出てきました。

「……あ? 大きな星がついたり消えたりしている……彗星かな? いや、違う。彗星はもっとこう……バァーッて動くもんな! 暑っ苦しいなぁ、ここ。うーん……出られないのかな」

 発狂大喜利のギムを果たしつつ、おれは帰ってきました。

 二人とも恐る恐る、といった様子でおれの方を伺ってきます。

「見たのか?」

「見た」

 おれが答えると、ピーンと空気が張り詰めて三人とも押し黙りました。

「あの白く膨らんだ生物の破片が散らばってたところ、何かいたよな。姿は見えなかったけど。おれが覗き込もうとすると、ウサギ野郎が何か差し出すんだ。身振りで、これでエサやりしてみろって言ってるのがわかった。エサはその白い破片の一つだったんだよ。よく見るとさ、その破片――まだ膨らんでないそれは、子どもの手だった」

 おれがそれ以上何も話さないでいると、誰ともなく帰ろうかという足取りになり、一言も話さずに入口のゲートから帰りました。


 しばらくして、おれたち三人のうちの誰かが喋ったんでしょうね。町ではアクアツアーがヤバいらしい、という話で持ちきりでした。

 そんな期待に応えるように、裏野ワンダーランド側もオープンした実際のアクアツアーもそんな設定になっていました。

 まさかまさか、本物の子どもの手とか変な生物とかあるわけないじゃないですか。

 たぶん、真相はこうなんです。

 亀川も、月波も、アクアツアーには行ってない。怖かったから、あの階段途中の非常口から出てきただけなんです。見てきたように話を作って、というのを繰り返していただけなんですよ。

 帰りのゲートで配られたアンケート。

「たのしいところ、こうした方がいいな、つまんなかったな、というところがあったらなんでもかいてね!」

 おれはそれにアクアツアーでの話を全部書いて、その最後に「……というお化け屋敷感覚のアトラクションにしてみたらいいんじゃないでしょうか。きっと怖くて人気が出ますよ。おれは行ってませんけどね」って書いておきましたよ。

 そのアイデアが採用された、と。

 でも、どうなんでしょうね?

 仮オープンの時のアクアツアー、俺も含めて誰も見てないですからね。オープンしてからもおれは行ってないですよ。薄気味悪くて。

 まあ、単なる言いがかりなんでしょうけど。

 ウケるのは裏野ワンダーランド、今は潰れてますからね。

 実際、子ども、消えてるっていう。

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[良い点] タイトルが効いてました。なぜか来てしまってこっ恥ずかしい中学生という設定もいいし、入口も怖いし、出口ももっと怖い! 終始生臭さとぬめりに付きまとわれているような感覚でした。 [一言] 初め…
[一言] なんだろう。 この笑い話とガチホラーの世界線が重なりあったかのような短編は。 最後の『子供消えてるし』より、途中でリタイアしたはずの少年少女を淡々と車椅子でマスコットキャラが運んでくる天丼描…
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