65話 震水 後編
摩擦係数というものがある。物体と物体の接触面に働く摩擦力とそれに垂直に働く圧力の比。接触面が大きくなれば係数は大きくなり、触れる面積の小さい物――例えば球などは小さくなる。さらに水や油といったものを使えば接触している面は水や油だけ、つまりは全く接触せず滑り続けることになる。物体によって接触する面積が変わり係数が変わる、これが摩擦係数である。
固有振動数というものがある。音叉が振動という点では有名なものだろうか。外部からの影響なしに振動を1秒間に何回するかという数である。これは物体ごとに異なり、生き物など万物にある。もちろん人間にもあるが環境ですぐに振動数は変わってしまうため振動数を求めることは困難である。さらには人間の中でも臓器ごとに振動数は異なり、細胞ですら変わると言う。
さて、これら2点を踏まえた上でサンの『振動係数』はどのような能力だろうか。
マルガリタは最初、地面に広がる木くずを見て彼女の能力を破壊力に特化したものだと考えた。明らかに木の破壊された跡があったからだ。
だが、物体を脆くする能力だと考え直した。マルガリタの触れた木すら容易く木くずへと変わっていったためだ。
マルガリタの考え直したサンの能力はある意味で正しい。彼女の能力は物体を非常に脆くする。しかし、ただ脆くするのではない。それだけなら彼女の能力には欠点がない。
サンの能力の発動には条件があった。時間と労力を要する、しかしそれすら闘いの中に取り入れられるような条件が。
「地震……これもあなたの能力ですか?」
今にも倒れそうになりながらマルガリタはサンへと尋ねる。サンは今、マルガリタの能力により麻痺のステータス異常を起こし地に倒れている。悠長に話していられる時間があるのだ。
「地震……ね。本当にそうかしら? 周りを見てごらんなさい」
サンはマルガリタの言葉を遠回しに否定する。
「……?」
マルガリタはサンの言う通り周りを見渡す。しかし、サンからは意識を離さない。どこか余裕がサンには見えるのだ。一瞬でも意識を離せばこちらが殺される、そのような感覚が付きまとう。
「揺れて……いない!?」
今にも倒れそうな揺れだ。だが、周りの木は枝と同じ規則で揺れ、葉は一枚足りとも落ちない。サンも同じ規則で揺れており、これは地震ではなく……
「私だけが揺れていますのね……」
マルガリタが揺れていることで視界が揺れ、あたかも地震が起きているように錯覚させられていた。
「なるほど、対象を揺らす能力ですか。……接近戦や攻撃魔法を使う者でしたら苦戦するでしょう。なにせこう揺らされたら狙いなんてつけられないのですから。ですが、私は違います。回復魔法に狙いなどいらない。対象は自動的に設定され勝手に回復魔法がかかるのですから。ゆえにあなたはここで私の回復魔法を受けて死ぬのです! 『ヒーリン……」
マルガリタが回復魔法を発動しようとした瞬間、サンが何かをマルガリタ目掛け投げた。
麻痺のため動けないと思い込んでいたマルガリタの右腕にそれは命中する。
「……動けましたの? でもまだ麻痺が回復するには時間がかかるはずですが」
「私は盗賊だよ。解毒アイテムの2.3種類くらい口に含んでおくのは当たり前。まあまだ両腕くらいしか麻痺は解けていないのよね」
サンはまだ立ち上がれずにいる。
それを確認するとマルガリタは安心して、だがサンから少し距離を取り回復魔法の範囲のギリギリまで下がる。
「先ほどは驚きましたが、ここまで離れれば例え何を投げようとも反応はできます。さあ、今度こそ終わりに致しましょう!」
「そうね。ただし、あなたがよ」
「……何を言ってるんです? この状況が分からないとでも? 私は無傷でこの場に立っている。あなたは麻痺して倒れている。そして私の回復魔法の範囲内。いくら揺らされようとも意味はないのです!」
「揺れ、ね。そんなのもうとっくに終わっているわよ。右腕、見てごらんなさい」
言われてマルガリタは気づく。あれほど倒れそうになっていたのに後方へと下がれたこと。てっきり揺れに慣れたのかと思ったが違ったようだ。
マルガリタはサンに促され己の右腕を見る。
「……!?」
そこにはあるはずの物がなかった。そして、あるはずのない場所、先ほどまでマルガリタが立っていた場所に右腕はダガーナイフと一緒に落ちていた。
「……まだ能力を隠しているんですの?」
そういえば、とマルガリタは思い出す。敵の能力は揺らすではなく脆くする能力であると。
そこに何の因果関係があるのかは分からないが、脆くさせられたのならば攻撃をこれ以上受けるわけにはいかない。
満タンだと思っていたHPも右腕が欠けた分だけ減っていた。
「……部位欠損ですか。残念ながら私には治すことはできません」
マルガリタはシスターという職業であるが、部位欠損の回復はそれなりのレベルでないと使えない。
オセから与えられた経験値でレベルを急激に上げたが、そこまでは行かなかった。
「ですがまあその辺は後でオセ様に治して頂きましょう。あの方でしたらそれくらい容易いこと。……その前にあなたから」
マルガリタは一歩踏み出す。己の身体を傷つけられた。それすなわちオセに認められたこの身体を傷つけるということはオセを傷つけることに等しい。
「それなりの報いを受けさせましょう。まずはこの剣であなたを斬ります。私の攻撃力は低い。だから楽には死ねませんよ?」
左手で握る剣に力を込めようとした瞬間……マルガリタは膝から崩れ落ちた。そして左腕は剣ごと地面に放り出される。
「はい……?」
何が起こったのか分からない。
一歩踏み出して、左手に力を入れた。
それだけのことである。
「私の二つ名をまだ説明してなかったわね」
そして麻痺が完全に解けたサンが立ち上がる。
「物体の振動数を操り細胞の接続を緩くする。それが『振動係数』の能力。本来は私が触れた物体のみ。時間をかけて次第に大きく揺れ、そして一度静止する。揺れが収まった物体は少しの振動で崩れるというわけ。今のあなたは細胞同士がかろうじて繋がっている状態。」
『振動係数』は本来は接近戦ではなく、罠用としての能力である。
一度揺らせば物体によりかかる時間は変わるが、たとえ鉄であっても接続を緩め崩せるようになる。
時間がかかる分、それだけ時間を稼がなければならずそれだけ直接的な攻撃にならない能力に頼るわけにはいかずサンが死ぬ可能性が高まる。
サンは能力の性格上、後方支援として闘う道があるのにも関わらず盗賊を選びPKとして前線で闘っている。
盗賊として敵をおびき寄せ逃げ続け時間を稼ぎ能力に嵌める。
これが今のサンの闘い方だ。
だが、この説明では納得できていない部分がある。
「……私、あなたに触れていませんが?」
戦闘中、サンは逃げ続けた。マルガリタに触れるどころか一定の範囲内に入らずひたすら距離を取り続けた。これでは条件にそぐわない。
「共振現象って知ってる?」
「確か……同じ振動数が近くにあると同じように揺れ出すとかですか」
まだ、殺すチャンスなどいくらでもある。回復魔法をひとたび発動すればそれでこの女は死ぬ。マルガリタの中にはどこか余裕と慢心があった。己の力が届く範囲にさえ相手がいれば負ける事は無いと考えていた。
だからまだサンの能力を聞いていた。謎を謎のままにできなかった。
「そうそう、そんな感じね。触れないと能力が発動しないってのは本来の条件。だけど、私の固有スキルはそれを見事に解決してくれた。……時間はかかるままだけど、私が触れた物体に触れた物体は揺れが感染していく。これが私の『トレンデル・インフェクション』よ」
マルガリタがここに来るまでに壊したいくつかの木々。壊したという事はつまり触れていた。それがサンの固有スキルにより揺れる能力の発動条件を満たすことになった。
「なるほど、説明はこれで終わりですね? では……」
マルガリタが回復魔法を唱えようとする。しかし、サンがそれを遮る。
「そういえばあなた、その腕は回復できたのかしら?」
「腕? 部位欠損こそ回復できませんでしたがHPは全回復していますわよ?」
杖でなく剣を装備しているためMP効率は悪いが、それでもマルガリタ1人くらいの回復であれば問題はない。
一応、HPを確認してみるとやはりHPは1すら減っていない。
「そう……まあそろそろ良い時間かしらね。あなたさっきから終わりにしましょう終わりにしましょうって繰り返しているけど、私が言わせてもらうわ」
サンが懐からナイフを取り出す。
「終わりにしましょ――」
「『オー……ル、ヒー?」
またもマルガリタは最後まで唱えることができなかった。
「あ……あ……腕が……私の腕が……」
右腕はすでに欠けていた。その欠けていた右腕を中心としてヒビが走って行く。
それはまるでサンやマルガリタが壊してきた木々のように。
「『ヒーリング』! 『ヒーリング』! ……『オールヒーリング』‼」
回復魔法を反転せずに、正しい本来の使い方をする。もちろんマルガリタ自身にであるが、いくらヒールをかけてもヒビは治らず広がり続けるのみ。さらにはステータス異常を回復する魔法も使うがどれも効果はない。
「なぜ……怪我くらいなら、私の魔法でも回復できるはずなのに……」
「無駄だよ。あなたのHPは回復できてもあなた自身の揺れはあなたが元から持っているもの。それはステータス異常なんかではなくデフォルトで備わっているもの。まあ、こんなゲームの世界にあるのもおかしい話だけどね」
サンの話すうちにヒビは肩に、腹部に頸部に広がる。
「い、いやだ……他にどんな死に方をしてもこんな死に方は嫌だ……」
HPは減っていないのにじわじわと身体が割れ、失われていく感覚がある。
「いつもはね、こうなったらすぐに止めを刺してあげるんだけど、あなたはこのままの方が良さそうね。そうやってこれまでを振り返っていなさい」
サンがマルガリタに背を向ける。
ならばせめてサンを道連れに、とマルガリタが魔法を唱えるべく口を開いた瞬間、
「いーいんう……あ……が……!?」
口元に亀裂が入り顔が割ける。
頭部が割けて心臓が割れた頃にようやくマルガリタのHPが失われ始めた。
それは一瞬のことであったがマルガリタには永遠に近い時間が感じられ、マルガリタのHPは0になった。
背を向けたサンはそのままフィールドが解け始めるのを見る。
ようやく『五行同盟』の一角が崩れた。長い闘いがこれで終わったのか、それとも始まったのか。
「あーめんどくさかった」
マルガリタを能力に嵌めるべく木々を揺らすために走った時間は1時間。走りに走ったあげく使われたのはほんの一部の木々。
労力に見合う報酬はなく、ただの疲労感とこれからギルドに入るであろう新参者を思い浮かべサンはため息をついた。
能力の詳細をどっかで足さないとなー
たぶんこれじゃ分かりにくそう




