60話 土砂流砂
明日植木職人さんの話書いて書き溜めおわりー
子供のころから数学が得意だったわけではない。むしろ足し算も引き算も掛け算も割り算も人より格段に覚えが遅かった。加減乗除ができないだけでも別に生きていけるとは思っていたし、死ぬわけでもないだろうと思っていた。まあ全教科ができなかったから人生死ぬことはないにせよ苦労するのかなとは薄々気づいていた。
あれは小学校6年生になったくらいだったろうか。いくら馬鹿な私だって1人の女の子で乙女だ。恋だってする。好きな人だってできる。
その人はずっと同じクラスだった男の子。私の馬鹿なところを知っていたから断られるのも覚悟の上だった。もし断られたらそこまで。この恋はそこで決着を終える。
そして恋は終わった。一時的に。
「君はもっと勉強に集中したほうがいい。付き合っている場合じゃない」
そう言われた。振られた? そう捉えることもできたけど私は前向きに考えた。
勉強さえできるようになれば付き合ってくれるのだと解釈した。
だから私は勉強を頑張ったのに……。
算数だけに力を入れたのはひとえに彼がそれを得意な教科だったからだ。彼の得意なものを私も得意になればきっと語り合えるだろうし、一緒に楽しめるだろうし悩めると思った。彼のつくった問題を私が解き、私のつくった問題を彼が解く。それはきっと、素敵な時間なのだろう。
国語も社会も英語も図工も生活も体育も家庭も、道徳すらも捨てて私は一心不乱に算数だけにかかりきりになった。少数も分数も倍数も偶数も奇数も倍数も約数も真数も虚数も素数も三角形も四角形も円も柱体も球も角度も重さも距離もグラフも面積も体積も早さも割合も平均も素因数も空間もベクトルもオメガもパイも何もかもをひたすらに貪欲に吸収していった。数と書いてある教科書の類は図書館で借りて読み込んだ。いつしか学校の算数の授業だけは退屈になっていった。
「頑張ったんだな」
そう言って小学校を卒業する際にもう一度勇気を振り絞って告白してみたら褒められた。思いが通じた。
私の半年の勉強が実を結んだのだと嬉しさで興奮し、このときは夜も寝られなかった。
付き合いだして一週間。彼と会話が通じなくなった。彼の算数におけるレベルが低かったわけではない。実際、彼は算数が得意だけあって周りよりも算数に通じ、一年先くらいまでは理解しているだろう。
だけど私が先を行き過ぎた。私のレベルが高くなり過ぎていた。
後で知ったのだが、私はこの時高校生の学ぶ数学にまで手を出していた。どうりで私の出す問題を彼が解けないわけだ。どうりで彼の出す問題が易しいと感じたわけだ。
ならば私が勉強を教えようかと提案した。曲がりなりにも半年でここまで算数を極めた私だ。教えることも容易いだろう。他の教科は全滅だが算数だけは自信があった。
「君に教えられる僕の気持ちが分かるか?」
そう言い彼は一方的に別れを告げてきた。
なぜ彼は私を振ったのか分からない。もしかして私が道徳や生活、家庭の授業も駄目だったからなのだろうか。だけど今更他の教科を学び直す時間はない。今度は半年で済むか分からない。
きっと私の算数の熟練度が足りていなかったのだ。よく考えれば私たちに算数を教えてくれる先生たちは大学レベルの数学の授業さえ理解できているはず。こんな素人の私が、付け焼刃で勉強したつもりになった私に教える資格など無かったのだ。
それからまた数年間、ひたすら算数、ひいては数学や数に関係した学問を修め続けた。周りが何を言おうと関係ない。私は彼にもう一度振り向いてもらうために勉強するのだ。あの時と同じこの一途な思いで。今度こそ彼に算数を教えるために。
一通り計算という計算をしつくした頃、私はあるゲームを知った。というか、ゲームというものを知った。ゲームをつくるにはプログラミング、つまりは計算式が利用されている。まあ厳密には違うのだろうけど、そこに式があれば私は見ずにはいられない。もはや私の一部なのだ、数というものは。
「これがゲームってやつですかー」
ちょうど誕生日が近かったから両親にねだって買ってもらったVR機器とDNOというゲーム。娯楽というものに興味を持ったと思われたのか両親はその日のうちに買ってきてくれた。……申し訳ないけどこれも勉強のうちだ。
さっそくログインしてみるとそこには壮大な景色が広がっていた。どのようにしたらこの世界が出来上がるのか。まだ私には知らない計算式があるのだろう。
『土砂流砂』という二つ名であるが、その能力は最初から魔法を覚えられること、それにその魔法の威力が少しだけ高いことであった。
私にできることは極めることだけ。なので魔法使いになることにした。
私が覚えた魔法は土と砂の魔法。直接的な攻撃よりも搦め手で闘うことになり、ゲーム素人の私には難しかった。ただ、魔法をひたすら使っていれば二つ名のレベルが上がることは素直にありがたかった。
だからひたすら魔法を使った。MPが切れては回復し、回復しては魔法を使った。もとより少ないHPは回復など一切せず、防具もいらない。いるのは魔法効率を高めてくれる杖とアクセサリー、そしてMP回復アイテムだけだ。
そんな自分勝手に行動している私とパーティーを組んでくれる人はもちろんいない。
使いたいように魔法を使い、MPが減ったらすぐに回復していく。
二つ名レベルと職業レベルが上がっていくにつれて魔法の威力が上がる実感はあるけど、それでも私は1人だった。いくら強くなろうとも私の強さは1人のときにしか発揮できなかった。
ある日、新しい杖の効果を試していると、背後にプレイヤーの気配を感じた。一人だとPKと呼ばれるプレイヤーに狙われやすいため、警戒はしていたのだが、ここまで接近されるとは思っていなかった。また死に戻りか。だけどそこまで死に戻りに対して忌避感はなかった。別に減って困るようなお金も持ち物もなかった。
「君は一途だね。そして極端だ。一つの道を決めたらその道にしか行かない。少しも脇道や曲道を考えない。だからこそ、強い」
「……私のことを知ってるんですか?」
いけない。普段の口調とずれてしまった。
へらへらと、私の内面を見せないようにしなければいけない。そうしなければ私は人と関われない。こんな感情もないような内面ではなく、へらへらとした人間らしいしゃべり方をしなければいけない。……どうしてだかは忘れた。
「ここの世界に来てから君はずっと魔法を使ってきた。君より先にこの世界で魔法を使い始めたプレイヤーは数多くいれども君ほど使ったプレイヤーはいない。君はすでに魔法を他人に語ってもいいくらいにね」
「誰かに何かを教えてもいいってこと?」
「何か、ではなく魔法だけどね。おそらく君のように魔法を使い続けるプレイヤーはいないだろう。だけど君を目指す者はいるかもしれない」
その言葉で私が魔法を極める長い旅は終了した。そう思った。誰かに教えられるほど極められたのなら私はようやく終えられる。
「だけどその前に、君は自分の力を誇示してみないかい? 君はひたすらに1人だった。無名であり続けた。君がいくら誰かに語ろうともそれは耳に入らない」
目の前の……豹の仮面を被った男は語る。
「名言ってのはね。何を言ったかじゃない。誰が言ったか、なんだよ。有名人の言葉ならたとえありふれた言葉だとしてもそれは一般人に大うけする逆にそこいらにいる何の変哲もないおじさんがどんなに良いことを言ったとしてもそれはただの戯言で終わってしまう」
「私は誰にも何も教えられないってこと?」
それは困る。私は教えたいのだ。彼に算数を。誰かに極めた何かを。
「君が無名のままならね。だから僕は君を無名から有名にする手伝いをしてあげよう。君をさらに強くもしてみせよう。極めた君をさらに超越させてみせよう」
私に経験値とアイテムが流れ込む。それは、これまで私が一切気にしていなかったもの。魔法を使うために仕方なく最低限使っていたもの。
そして二つ名のレベルが上がり固有スキルも発現する。きっとこれは私にしか使えない能力。直感で分かる。
「僕はオセ。君は『五行同盟』の土担当だ。要たる中央に配置するにふさわしい力の持ち主。まずは名前を教えてくれるかい?」
名前、か。DNOを始めてから一度も使うことはなかった。
どうせなら、とこれに決めたのだが、所詮は他人が私を呼ぶ名前。そして私の周りには他人はいなかった。
少しはへらへらとしたほうがいいのだろうか。こびへつらったほうがいいのだろうか。
「私はユークリッドですー。オセさん、どうぞよろしくおねがいしますー」
極めた私が使うのはその原点ともあろう名前。
きっとこれから先、私は有名になるのだろう。




