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7分遅れの街で(前編)

 やっと駅に着いた。


 薄緑色の衣に身を包んでいた幼子おさなごが、少し見ないうちに艶気いろけを匂わせているかのごとく、五月の、妙な、浮かれた熱気に包まれた道を進み、ようやくいつもの駅にたどり着く。回数券を財布の定位置から引っ張り出す。天井から吊り下げられた電光掲示板に何気なく目をやると、電車の運行を示す緑とオレンジの表示の横に、ひと際存在感を放つ赤い文字が踊っていた。


 7分遅れ


 いつもよりも早めに家を出たので、時間を気にすることはない。とはいえ、目付きと口元に大人を装った、心持ち険しさと怪訝さを醸し出しながら、エスカレーターでくだると、ホームには若者たちが溜まっていた。


「マジ、遅せーし」


 手にしたスマホをヒラヒラさせ、高校生男子が、それぞれざんばらなのに、申し合わせたように同じスタイルの髪型なので、個性が埋没してしまっている仲間2人に告げた。身の内に溜まっていた、かったるさが、そのままどろりと漏れ出していた。マジとかまじで言うんや、と感慨なく心がつぶやきを放つ。


 電車が来た。


 にぶく輝く銀色の車体が近づいてくる。能面のような先頭車両に押しのけられた熱気が、一時ひとときの涼風を生み、そこかしこの存在に対して無差別に吹き注ぐ。皮製のかばんを肩からさげた少女の、真っ白なブラウスの裾が、はたはたとそよぐ。快活さをひと纏めにしたようなポニーテールも、それにつられて揺れていたが、額に髪は張り付いたまま、その白い肌と一体となった黒髪はそのまま、妙ななまめかしかしさを発することもなく、ただ五月の暑さを、私に告げた。


 話は駅前に戻る。


 道幅8メートルほどの横断歩道を、水色のシャツとジーンズの男が小走りに渡っている。金鼠きんねずみカラーの軽自動車は、完全に停車した訳ではなく、かす意思などはなかったのだろうが、まったくもってジーンズ男を急かすようにしてジリジリと前進している。容赦なく熱せられた大気が絡みつく白と黒のストライプの対岸から男が渡り来る。その光景に、いったい大脳のどこにしまわれていたのであろうか、二十五年前の記憶が蜃気楼のように、揺らりと立ちのぼった。


「アクセル踏むだけやからな、こっちは」


 真っ赤なレビン。決して足回りなどを固めていた訳でないのに、市街地ですらギシギシガタガタと不穏なサウンドをたてる車内で、その男は言った。濁声だみごえのはずなのに甲高さと湿度を持った声色こわいろは、助手席の私に優しい言の葉の列となって到り来る。ニュートラルに入ったシフトノブの頭をつかむ左手は、愛すべき丸坊主の少年の頭をさするようにぐりぐりと撫で回す仕草を見せている。

 

 フロントガラスの向こうには、赤く厚い生地のロングスカートの女性が、ゆるりと頭をたれていた。深く、長く、豊かさを湛えた黒髪が、厚さ五ミリのガラスを簡単に乗り越えて、私に覆い掛かってきた。しなやかに、ゆっくりと目の前を横切る女性。隣の男は、ハンドルを握った右手のひとさし指をコツコツと打ちつけ、静かに息を吸い込んでいた。


 運転席を占めるその男は、同じクラブに所属している1年先輩だった。十九にもなっていきなり飛び込んだ音楽系のサークル、いや、大学公認の由緒正しい「部」なのだが実体はサークルなどの同好会と同じ活動内容だったそのサークルの1学年上にあたるのだが、見た目と違わず実年齢でも3、4歳は私より年上のはずだった。一介の学生のはずなのに、その表情に深く刻まれた辛苦の痕。軽々しくその由来について聞くことを躊躇ためらわせる、いや、聞けばきっとあの濁声で優しく答えてくれると確信できるのだが聞くことができない、そんな深い溝がその顔には刻まれていた。

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