雑魚の生き方・後編
その日、オレはいつものように縄張り周辺を廻っていた。マイクと一緒に、あちこちの店を見て廻っていたが……。
街に漂う空気が、いつもと違うのだ。
何かがおかしい。
オレはこのエメラルド・シティに来て、もうじき一年になる。ここでの生活の仕方も、だいたい飲み込めたつもりだ。本当に危険なのは、どこの場所なのか……それさえ心得ていれば、生き延びることはできる。また、オレはゴメスという大物ギャングをリーダーとする組織で働いている。直属の上司……いや、兄貴分であるトレホは面倒見のいい男だ。顔は怖いし言葉遣いも荒いが、自分で直接現場に出向き、部下たちを指揮している。部下たちの信頼も厚い。気性が荒くケンカっ早いという欠点はあるが、それでもギャング組織の中間管理職として、なくてはならない存在だ。
そのトレホが、夕方になっても姿を見せない。
オレは違和感を覚えた。トレホはこと仕事に関する限り、手抜きはしない男である。自己管理にも手を抜かない。二日酔いで来られないとか、クリスタルの射ち過ぎでおかしくなってしまう……なんてことは、あり得ない話なのだ。
では、なぜ姿を見せないのだ?
「ああ、トレホの兄貴か……あの人は朝早く、ボスと一緒に出かけたらしいぜ。どうせ、二人して女遊びでもしてるんじゃねえか」
マイクはのほほんとした表情で、そんなことを言っていた。
そう、ゴメスを襲おうなんてバカは、このエメラルド・シティにはいない。ゴメスは今や、エメラルド・シティの半分近くを支配しているのだ。虎の会のリーダーであるタイガーと話し合い、無益な争いをしてお互いの戦力を消耗させるよりも……二つの大きなギャング組織が協力し合い、街の発展に力を注ごうということになった、らしい。オレみたいな下っ端には、直接の情報は伝わってこないが……それでも、虎の会の連中とはモメるな、とは言われている。
もっとも、トレホは虎の会の連中を嫌っていたのだが……聞いた話によると、トレホの部下の一人が死体となって発見された。トレホはその殺しを、虎の会の人間の仕業だと思い込んでいたらしいが……。
いずれにせよ、このエメラルド・シティの住人ならば……ゴメスを襲うなんてバカな真似はしない。そんなことをしても、何の得にもならないからだ。名前を売りたいチンピラが殺す相手としては……あまりにも大きすぎる。そんなことをしたら、エメラルド・シティの約半分のギャングを敵に廻すことになるのだ。
だから、オレはマイクの話を聞いただけで納得し……それ以上深く考えなかった。
もっとも、オレみたいなバカがいくら考えたところで……真相には辿り着かなかっただろう。また、真相に辿り着いたとしても……オレみたいなひ弱なチンピラに、いったい何ができたと言うんだ?
何もできやしなかっただろうよ。
この時、エメラルド・シティに何が起こっていたか……事の全貌は、未だに不明だ。ただ、その時点で既にゴメスとトレホは死んでいたらしい。噂によれば……虎の会の裏切り者に撃ち殺されたという話だ。
そして、ゴメスとトレホを失った混乱に乗じて組織の新しいリーダーに収まったのが……マスター&ブラスターだった。
この二人は……見た目からして普通じゃなかった。ボスであるマスターは、身長が一メートルも無い小男だ。だが頭のキレる男で、しかも冷酷だった。まあ、ギャングのボスで冷酷でない男などいないのだが。
そのマスターを背負って歩くブラスターは……マウンテンゴリラと同じくらいの大きさだ。肌は灰色。髪の毛が一本も生えていない頭。尖った耳。類人猿のような顔。丸太のように太く長い腕。分厚い筋肉に覆われた胴……こいつは間違いなく、人間じゃないだろうな。
一度だけ、この二人を間近で見たことがあるが……はっきり言って、友だちにはしたくないタイプだよ。
このコンビのデビューは衝撃的だった。ゴメスとトレホが死んだ、というニュースが流れ……組織の幹部たちは右往左往していた。このどさくさに紛れ、次のボスの座を狙おうとしてた奴もいたのかもしれないが……まずは、組織の混乱を収めるのが先だった。
そんな時、いきなり現れたのがマスター&ブラスターだよ。奴らは、ゴメスが使っていた事務所に窓から入り込んで来た。
そして、ゴメスが金を入れていた巨大な金庫の扉をブラスターがこじ開ける。中の札束を、その場に駆けつけた奴らに惜しげもなくバラ撒き……宣言した。
「今日から君らのボスは、このマスター&ブラスターだ」
もちろん、反発はあったよ。かなりの数の人間が組織を抜けて行った。だが、入って来る人間も少なくなかった。何せこの時、エメラルド・シティはとんでもないことになっていたわけだからな。虎の会もまた、崩壊寸前までいっていたらしい……。
詳しいことはオレにはわからない。あくまで噂だが……大陸から来たエージェントたちが暗躍し、エメラルド・シティを支配している大物ギャングたちの首をすげ替えようとしていたらしい。大陸のお偉方……その息のかかった奴を、ギャングのボスに据えようとしていたって訳さ。
で、ゴメスは……そのエージェントに殺された。トレホもまた、ゴメスのそばにいたために一緒に殺された。そして、マスター&ブラスターが後釜に収まったって話だ。大陸のお偉方の後ろ盾がある上に、マスターは切れ者、ブラスターは化け物ときてやがる。逆らえる奴なんかいやしない。結果、大陸のお偉方の思惑通り……首のすげ替えは滞りなく行われたって話だ。
トップの人間が変わり、オレの生活はどうなったかって言うと……これがまた、なんにも変わりないんだよね。
強いて言うならば、少し忙しくなったくらいか。何せ、マスターは縄張りにある屋台や店のみかじめ料を大幅に値下げしたんだ。さらに、オレたちみたいな下っ端にも盛大に金をバラ撒いて、どんどん仕事をさせた。大通りを整備し、大陸からの客を招き入れる体制を作ったんだよ。同時に、大通りで昼間から悪さをするようなチンピラは力ずくで追い出した。
そうそう、整備って言えば……あれは嫌だった。街中で吸血鬼が暴れ、百人以上の武装したギャング連中が死亡した事件。オレは直接は見てないが……後始末をさせられたんだ。死体を次々と袋に詰めていくんだが……正直、作業中に何度吐いたかわからない。あれは本当に地獄絵図だったよ。たちこめる匂いと死体の山……いや、死体とも呼べないものだよ。肉片としか言い様のないものが、辺り一面にこびりついてやがった。目、鼻、手、足、内臓……まるで、空爆でも受けたみたいだったよ。
そして、地面は真っ黒だった。死体から流れ出た血が、地面を真っ黒に染めちまったんだ……。
しかも、その死体の山を築いたのが……ガロードという名の、たった一匹の吸血鬼だって話だ。信じられない話だが、どうやら本当らしい。
オレは、死体を袋に詰めながら考えた。
そして、やっとわかったんだ。
オレはしょせん、雑魚なのだ……この街には居られない。
トレホを初めて見た時、オレは心の底からの恐怖を感じた。こんな恐ろしい男が、この世に存在するのかと……何も、顔が怖いとかそんなことを言ってる訳じゃない。何て言うか……トレホはパワーに満ち溢れていた。オレみたいな人間とは、まるで違う。殺しても死なない生命力の塊。何があっても生き延びる男。トレホと接してきて、オレは漠然とではあるが……彼にそんなイメージを植え付けていた。
だが、トレホは死んだ……実に呆気なく。まるで、物語における雑魚キャラのように。オレの知っているトレホは、雑魚キャラとは真逆の存在だった。このエメラルド・シティにおいて、何かを成し遂げる男……オレはそう思っていたのだ。だからこそ、オレはトレホの部下になった。オレは間違いなく雑魚だ。雑魚だからこそ、主役に成り得る者の下に付こうと。主役の下にいれば、この街でも何とかなるのではないか、と……。
だが、このエメラルド・シティにおいては……トレホもまた雑魚でしかなかったのだ。
この街で主役となれる者とは、あの惨劇を産み出した吸血鬼……そう、武装した百人を超すギャングを、あっという間に皆殺しにできるような存在。
あるいは、マスターのように抜群に頭の切れる奴。金儲けが上手く、儲けた金の使い方も上手い。さらには、人の使い方もちゃんと心得ている。主観でなく、俯瞰で物事を見ることのできる者……マスターは、ゴメスよりも頭が切れる。しかも、大陸の後ろ盾まである。ギャング組織のリーダーとして、これほどふさわしい者もいない。
こんな街では、オレみたいな人間はどうあがいても生き延びられない。このままでは、オレの行き着く先は……結局のところ、死体袋に詰め込まれて捨てられるのがオチだろう。
だが……そんなのは嫌だった。
どんな惨めな人生でもいい。
オレは生きたい。
オレは結局、このエメラルド・シティを出ることにした。
この街では、オレは生き延びられない。さらに言うと、万が一にもこの街で生き延びてしまったなら……その時オレは、人間を辞めることになっているだろうから。
オレは大陸に戻ると、事件のあった場所に戻った。そして、最寄りの警察署に出頭したのだ。
取り調べに当たった刑事に、オレは洗いざらい話した。自分のしでかしたことについて……。
裁判はあっさりと終わった。オレは結局、強盗未遂と傷害致死で二十年の刑を宣告され、そしてドッグスリバー刑務所へと収監されたのだ。ダックバレー刑務所に収監されなかったのは、本当にツイていたと思う……ドッグスリバーは同じ刑務所でも、かなり安全な場所だ。全室が完全な独房であり、入っている囚人も比較的おとなしい連中ばかりである。やはり、自ら出頭した点を考慮されたらしい。
そして……皮肉な話だが、オレはこのドッグスリバーの囚人たちに一目置かれる存在となってしまった。エメラルド・シティで一年過ごしてきた経歴……それが他の囚人たちから見ると、尋常ではないものを感じさせるらしい。
「あんた……あのエメラルド・シティに居たのかよ……凄いな」
何人もの囚人から、こんな感じで話しかけられた。中には、オレに取り入ろうとする若い奴までいたくらいだった。エメラルド・シティ帰りのオレは、彼らから見ればちょっとした英雄のような存在らしい。
だが、奴らは何もわかっていない。
オレは刑務作業が終わると、まっすぐ部屋に戻る。そして手紙を書く。オレが殺してしまった男の家族への、謝罪の手紙を……作業で貰えるわずかな金は、全て手紙と共に遺族に送っている。初めのうちは受け取って貰えなかった。だが最近になって、ようやく受け取ってもらえるようになったのだ。オレは一生、遺族に出来る限りの償いをするつもりである。これは、刑罰が終わっても続くのだ……オレが一生、背負っていかねばならない十字架である。
オレは出所する頃には、四十五歳になっている。出所後の生活は、楽なものではないだろう。恐らくは、息子ほども年の離れた上司にこき使われるアルバイトのような仕事に就くのがやっとだろうな。いや、そんな仕事にもありつけないかもしれない。学歴も特殊な技能もなく、ただ歳を重ねただけの人間であるオレは……ホームレスとして生きていくしかないのかもしれない。
だが、そんな生活でも……エメラルド・シティにいるよりは、ずっとマシなのだ。
オレはエメラルド・シティを離れてから、もうじき一年経つが……今でも時おり、悪夢にうなされる。外から聞こえてきた、バリバリムシャムシャという胸の悪くなるような音。治安警察がすました顔で、ヤク中を射殺した光景。トレホの睨みつけてきた顔。そして……吸血鬼に皆殺しにされた無惨なギャングたち。オレは悪夢にうなされ……汗だくで目を覚ます。そして周りを見渡し、刑務所のベッドの上で寝ていることを確認して安堵する。自分がエメラルド・シティに居ないことを確認して、心底ホッとするのだ……。
オレは忘れたくても、忘れられないだろう。
あの街の記憶を……。
雑魚の生き方《完》