雑魚の生き方・前編
『雑魚の生き方』の登場人物
◎トレホ
恐ろしい顔をした、エメラルド・シティでも有名な武闘派ギャングです。
◎ゴメス
トレホの所属する組織のリーダーを務める、凶悪なギャングです。
◎マスター&ブラスター
常に二人一組で行動する、不気味なギャング(?)です。
◎マイク
トレホの部下です。
オレがこのエメラルド・シティに来てから、今日で一年になる。
まだ大陸に居た時には、ここに関する様々な噂を聞いたよ……命の大バーゲンセールが毎日行われている街、異能力者がジャージで闊歩する街、午後十時を過ぎたら人外が人間を食い殺す街、などなど。どうせ嘘に決まってんだろ、と思ってた。大げさに言っているんだろう、と。
嘘なんかじゃなかった。全部、本当のことだったんだ。
オレがこの街に来たその日、いきなり目の前で死体が転がってた。そう、道端に普通に転がっていたんだ……今時、都会の道端では犬のウンコすら見かけないのに、この街では当たり前のように死体が転がってやがる。しかも、そいつが死体に変わる場面まで見ちまったんだ。
シャレなんねえ。
オレが思ったのは、まずそれだ。次に思ったのは……。
こんなとこで死にたくねえ。
そもそも、オレがなんでこのエメラルド・シティに来たのかって言うと……まあ、お定まりのパターンだけどな。ガキの頃から、悪さばかりしてた。初めのうちは、しょうもないイタズラだよ。それがケンカや万引きになり、そしてタバコやバイク、さらにはカツアゲやドラッグへと……どんどん悪くなっていったんだよな。
当たり前の話だが、人間てヤツは徐々に悪くなる。始まりは、本当に些細なズレなんだよ。下手すりゃ、本人も気づかないくらいの小さなズレなのさ……しかしだ、それを放ったまま進んでいくと、確実に道を外れる。そして気がついたら、裏街道を歩いてる……少なくとも、オレはそうだった。
で、一度裏街道に足を踏み入れたら……そこから軌道修正するのは、非常に難しいな。オレの知る限りじゃあ、十人に一人いるかいないかだ。足を洗う、って言葉があるだろ? だがな、足に染み付いた汚れを洗い落とすのは簡単なことじゃない。いったん身に付いたスタイル、出来てしまった人間関係、そして……美味い汁の味ってヤツは、簡単に捨てられるもんじゃないんだ。
少なくとも、オレは捨てられなかった。オレはけちなカツアゲや万引きから始めて、空き巣だの強盗だの詐欺といった犯罪に手を染めていった。
ただ……そこで終わってりゃ、まだ良かったんだ。 ある日のことだ。オレはとある一軒家に空き巣に入った。一階の窓を割って入り、家の中を物色してたら――
居やがったんだよ、住人が。
しかも、その男はよせばいいのに、オレに襲いかかってきやがった……。
些細なこと……そう、本当に些細なことで人は死ぬんだよ。
オレがぶん殴ったら、その男はよろけた。よろけた拍子に、足を滑らせて転んだ。
そして……転んだ拍子に、そいつは頭を打ちやがったんだ。
オレは、その場から逃げ出した。
その時のオレは、そいつが死んだことなんか知らなかった。だが……翌日のテレビのニュースでデカデカと報道されてやがった。家の持ち主が死に、警察は強盗殺人の容疑で捜査していると……。
オレは全身から血の気が引いたよ……もうおしまいだ。強盗殺人なら、運が良くても二十年。それも、ダックバレー刑務所で務めることになる。ダックバレー刑務所は……この世の地獄だ。武装強盗や殺人といった凶悪な犯罪者のみを収容する所だが、普通にやってたら、オレみたいな奴じゃ一年ともたないだろうさ。ギャングの大物でもない限り、ダックバレーじゃあ長生きできない。よほど上手く立ち回ったとしても……奴隷のごとき生活は免れないだろう。
ならば、一か八かだ。オレはエメラルド・シティに行くことにした。あちこちの酒屋やコンビニを襲って金を作り、そして海を渡った。
それまでにも、エメラルド・シティの噂は聞いたことがあった。しかし、ダックバレーで二十年務めるよりはマシだろう……そう思っていたのだ。
だが、そいつは甘かったよ。
この街に来て早々、二人のチンピラが殴り合っている場面に出くわした。どちらもヤク中のようだ。ガリガリに痩せ細り、顔色も死人のように青白い。ヤクが切れているのか、二人のケンカは迫力がなかった。パンチが当たる度、ペチンペチンという情けない音が響いてたよ……オレは関わり合いになりたくなかったため、廃墟の中に隠れてた。ケンカが収まったら、さっさと出て行こうとしてたんだ。
すると治安警察の制服を着た奴が、つかつかとこちらに近づいてくるのが見えちまった。オレはぶったまげたね。捕まったら大陸に戻される……その時のオレは、素直にそう思ってた。だが、そいつはとんでもない間違いだったよ。
その警官は、少し離れた場所でじっとしてた。止めようとする気配なんか、まるで無い。死んだ魚みたいな目で、二人のケンカを眺めていたんだ。
一方の殴り合っている二人も、警官なんかお構い無しだったがね。
やがて、一分もしないうちに両方ともバテた。ヤクが効いてりゃ、バテずに殴り合えたんだろうが……ヤクがなけりゃ、何もできねえ。ただのひ弱で不健康なバカだ。しかし、それでも殺る気だけはあったみたいだ。片方がゼイゼイ息を切らせながらも、光る何かを取り出した。そいつを相手の腹に突き刺す。何度も何度も……やがて、二人とも血塗れになった。片方は自分の体から流れた血で、もう片方は相手の流した血で――
その時になって、やっと警官が動いた。拳銃を抜き、刺した方に発砲しやがったんだ……オレは目の前の出来事が信じられなかったね。
だが、その警官は刺した方を射殺した。そして、死体の持ち物を調べ……金や金目の物を自分のポケットに入れていった。いや、はっきりと見たわけじゃないが……死体の持ち物を奪っていったのは間違いない。
その後、警官は無線にこう言ってた。
「ヤク中らしき男が刃物を振り回して暴れ、一人を刺殺。さらに制止の言葉を聞かずに向かって来たので発砲。現在、死体が二つ転がってます。処理班をできるだけ早くよこしてください……」
あとの言葉は、聞いてない。
警官にオレが隠れていることを気づかれたら、確実に殺されるだろう。オレは気配を殺し、ただひたすらじっと待っていた。
全てが過ぎ去るのを。
だが、そんなのはまだ序の口だった。夜になると、もっとヤバい連中がうろつき始めたんだよ……。
辺りが暗くなってからだが……いきなり悲鳴が聞こえてきた。それも、おっさんの悲鳴だ。いい年したおっさんが、恥も外聞もなく若い女みたいな悲鳴を上げてんだよ。その直後には、バリバリムシャムシャという胸が悪くなるような音。オレはその時、廃墟と化したビルの中に隠れていた。外で何が行われているのかなんて、知りたくなかった……オレが無事ならば、あとは知ったことじゃなかったよ。
翌日、そこには得体の知れない染みが残されているだけだった。その染みの正体が何なのか、知りたくもなかった。
もう、嫌だ……。
オレは、この街で生き延びることなんかできやしない……。
だが、今さら戻ることもできなかった。大陸、そしてエメラルド・シティ……どちらも地獄なのだ。自分にできるのは、それはどちらかの地獄に自分を適応させることだけだ。
ならば、オレはエメラルド・シティに自分を適応させるしかない。
オレは生まれて初めて、真剣に考えた。自分の今後の身の振り方。自分のできることとできないこと。
そして、この街での生き方を……。
まず、オレには腕力がない。金力も権力もない。そう、力と呼べるようなものは何もないのだ……。
ならば、どうするか……簡単だ。力のある者の下に付けばいい。そう、オレはリーダーの器ではないし上に立つ人間でもない。それはよくわかっている。オレはしょせん、子分止まりの男だ。だが、この街では贅沢は言っていられない。とにかく、まずは生き延びることだけを考えなくてはならないのだ。
次に考えなくてはならないのは、力のある者をどうやって見つけるか、だ。
そこで必要になってくるのは情報だ。そう、オレのような力のない人間が生き延びるには……情報収集が欠かせない。まず最初に知らなくてはならないのは……近寄ってはいけない場所と人物だ。身の安全が一番大事だからな。
オレはまず、人通りの多い場所まで行った。あちこちを歩き、注意深く観察した。情報を知りたいからといって、こんな無法都市で片っ端から話を聞くのは得策とは思えない。でたらめを教えて騙そうとする人間はどこにでもいる。まずは、黙って観察する。自分の目で見て、自分の耳で聞き、そして自分の頭で考える……そうすると、だんだんと見えてくる。どこに行ってはいけないのか、誰が信用できて誰が信用できないのか……。
そしてオレは、じっくり吟味した末……信用できると判断した男に自分から話しかけ、街に関する様々な情報を聞いた。そいつは親切に、いろいろ教えてくれたよ。
で、オレは一人のギャングに目を付けた。
ゴメス……この辺りを仕切るギャングのボス。性格は極めて冷酷、かつ凶暴。だが、金儲けは抜群に上手い。手広く商売をやり、今やこの街の約三分の一を支配している権力者だ。
そして、ゴメスの腹心の部下とも呼べる男……それがトレホだ。ゴメスの組織でも指折りの武闘派であり、ボスであるゴメスからの信頼も厚い。口より先に手が出るタイプの男であり、恐ろしい顔をしているが……部下に対する面倒見はいいともっぱらの評判だ。
さらに言うと、組織内でもかなりの大物だが……自ら現場に赴き、荒事にも直接手を下すことでも有名だった。
エメラルド・シティで生き延びるためには……そのトレホという男の下に付こう。今できることは、それしかない。
そしてオレは偶然を装い、トレホの部下の一人であるマイクという男と知り合いになった。マイクはただのチンピラだ……今のオレよりは少しマシ、という程度の。だが、そんな奴でも組織の後ろ楯が有るだけで大きな顔ができる。オレは時間をかけ、少しずつマイクと仲良くなっていった。オレには腕力も度胸もないが……人に取り入るのは苦手ではない。
で、頃合いを見計らって……オレはマイクに言ったんだ。トレホさんに会わせて欲しい、オレにも何か仕事を与えてくれ、と。
マイクは最初、渋っていた。だが……オレは懸命にゴマをすり、なだめすかし、さらには自分が使える人間であることを必死でアピールし、なんとかトレホと会わせてもらえることとなった。
トレホは噂通りの……いや、噂以上に恐ろしい顔の男だった。そして体全体から、猛獣のようなオーラが滲み出ている。オレは一目見てわかったよ……トレホはまともな世界では生きられない。火薬と硝煙の匂い漂う、エメラルド・シティのような狂った場所でなければ……生きていけないのだ。もし仮に、太古の昔に生まれていれば……巨大な剣を振るって敵を斬り殺す勇者だったはずだ。あるいは、大きな動物を仕留める最高の狩人か……。
だが、トレホは生まれる時代を間違えてしまったのだ。昔なら勇者でも、今の時代では犯罪者でしかない……その結果、エメラルド・シティに流れ着いたのだろう。
トレホがこれまで、どんな人生を送ってきたのかは知らない。だが、オレなんかには想像もつかないものだろう……オレはその時、自分がいくじのない雑魚でしかないことを初めて痛感した。
だが、今さらそんなことは言っていられないのだ。オレはこの街で生き延びなくてはならない……オレはトレホに挨拶し、いかに自分が使える人間かをアピールした。ひたすら喋り続けたが――
「お前、うるせえよ」
トレホの一言で、オレは黙り込んだ。
トレホは黙ったまま、こちらを睨みつける。オレは生きた心地がしなかった。
「いいか……オレは口だけの奴は嫌いだ。オレの部下に必要なのは……口ではなく、手を動かす人間だ。お前はどっちだよ?」
トレホはドスの利いた声で尋ねてきた……オレは震えながらも、手を動かす人間です、と答えた。
「そうか……だったら今後、オレの下でそれを証明してみせろ」
オレは晴れて、ゴメスのファミリーの一員となり、そしてトレホの部下の一人となった。これで、どうにかエメラルド・シティで生き延びることができる……そう思っていた。
事実、オレは仕事を得たし金も貰えた。決して豊かではないが……どうにか生活はしていける。上さえ見なければ、どうにか生きていけるだろう……。
甘かったよ。
まったく、オレはバカだった。いや、仕方ない部分もあるんだが……。
この時のオレは、何も知らなかった……街の勢力図を一変させる大事件が起きようとしていることを。
そして、オレの人生も変わろうとしていることを。