野獣の別離 2
ギブソンとマルコ、そしてアメデオが孤児院に到着した時……時刻は午後四時になっていた。ビリーとマリアは外出しており、庭でモニカとユリが子供たちの相手をしている。一方、ジョニーの姿は見えない。何か力仕事でもしているのだろうか。
門の前で立ち止まった二人と一匹。彼らを真っ先に出迎えたのは、ブルドッグのロバーツだった。わんわん吠えながら、尻尾を振って走って行く。アメデオも尻尾を振りながら、きゃんきゃん吠えて応えた。
友である二匹が親しげな挨拶を交わしている姿を見て、マルコは嬉しそうな表情を浮かべる。しかし、ギブソンは今後の行動について考えていた。何より優先させるべきはタイガーの救出である。そのためには、まず情報の収集が必要だ。ビリーとマリアが帰ってくるのを待つとしよう。
しかし、事態はギブソンの予想を上回っていた。
「ギブソン、ヤバいぜ……タンの奴、何も知らないってよ」
戻って来たビリーは、庭の隅にしゃがみこんでいたギブソンの所まで真っ直ぐ歩いて来た。そして、険しい表情で言う……。
ギブソンは首を傾げた。タンが何も知らない、というのは……明らかにおかしな話だ。あの老人は、エメラルド・シティでも屈指の情報通である。なのに何も知らない、とは……よほど上手くやっているのか。タンら浮浪者たちにすら嗅ぎ付けられないくらいに、秘密裏に計画が運んでいるのかもしれない。
だが、続いて発せられたビリーの言葉は意外なものだった。
「あいつ、こうも言ってたんだ。お前らは関わるな、と……どうやら、タンは何か知っているが、口止めされてるようだぜ」
「何だと……どういうことだよ、ビリー……」
ギブソンは押し殺した声で尋ねる。だが、ビリーは頭を振った。
「オレにもわからねえ……こいつは面倒だな。一体、何がどうなっているのか……」
言いながら、ビリーは顔をしかめる。一方、ギブソンは唇を噛んだ。これではどうしようもない。完全に八方塞がりだ……。
「ビリー、ギブソン、お巡りさんが来てるよ」
子供からの声を聞き、二人は視線を移す。
そこにいたのはレイモンドだった……制服姿で不敵な笑みを浮かべ、門の前に立っている。
ギブソンの目が、すっと細くなった。
「レイモンド……お前、何しに来たんだ?」
孤児院の外に出て、尋ねるギブソン……だが、レイモンドは飄々とした態度で口を開く。
「ああ、それなんだが……この先、エメラルド・シティでちょっとした事件が起きるかもしれない。だがな……お前らには、何の関係もないことだ。大人しくしとけ。そうすりゃあ、オレが仕事を廻してやる。お前らはいつも通りにしてればいいんだ」
「……一つだけ聞く。タイガーをさらったのは、お前か?」
静かな表情で尋ねるギブソン。だが、レイモンドは笑みを浮かべた。
「そうだったら、どうするんだ?」
「タイガーは……無事なのか?」
「うーん、無事とは言えないな。膝を砕かれて歩けない状態だよ。まあ、それ以外は特に問題ない」
「なんだと……」
ギブソンは低く唸り、レイモンドの襟首を掴む。だが、ビリーが制した。
「ギブソン、今はやめとけ……あんた、いったい何のつもりだ? 何がしたいんだよ?」
言いながら、ビリーはレイモンドを睨む。だがレイモンドには、怯む様子がない。
「ビリー・チェンバーズか……お前の噂も聞いてる。だがな、それはお前らの知る必要のないことだ。いいか……お前らはしばらくの間、おとなしくしときゃいいんだよ。そうすれば、タイガーは無事に生きていられるんだよ」
「てめえ! 何が目的なんだよ!?」
ビリーの制止を振り切り、レイモンドに掴みかかるギブソン……。
だが次の瞬間、どこからともなくジョニーが現れ、二人の間に割って入った。そして、今度はビリーが口を開く。
「いいか……タイガーを無事に戻すんだ。でないと、オレたちも敵に廻すことになるぞ」
「お前らが敵に廻ったら……オレたちは子供たちを狙うぜ。それでいいのかい、ビリー?」
余裕の表情で、レイモンドはそう言った。
ビリーは目を細め、ジョニーは低く唸る。
「一つ教えてやる。虎の会はもうおしまいだ。ジュドーたちには、元のフリーの商売人に戻ってもらう。あとは……今までと変わらねえよ。虎の会の縄張りは、大陸の連中が管理する。お前らは、今まで通りにやってりゃいいんだ。大陸の連中も、いくら何でも孤児院をぶっ潰せとまでは言わねえよ」
レイモンドが立ち去って行った後、ギブソン、ビリー、そしてジョニーの三人はモニカの院長室に集まっていた。ただし、マルコはあえて外している。
「なるほどね。で、ギブソン……あんたはどうしたいんだい?」
モニカが尋ねると、ギブソンは弱々しく首を振ってみせた。
「わかりません……ただ、出来ることなら助けだしたいですね……」
「まあ、そうだろうねえ……けど、マルコの気持ちはどうなんだい?」
「え……」
モニカの言葉に対し、口ごもるギブソン……。
もしマルコが、自分の実の母親はタイガーであると知ってしまったらどうなるのだろう?
育ての母――もっとも本人はその事実を知らないのだが――に対し、殺意すら抱いていたマルコ。しかし実の母親が、自分を捨てたと知ったなら……そして、目の前にその母親が現れたなら……。
マルコは、タイガーを殺してしまうかもしれない。
「オレは……どうすればいいんでしょうね?」
ギブソンは思わず、そんな言葉を発していた……だが、モニカは首を振った。
「そんなの、あたしに分かるわけないだろ……それよりも、まずは成り行きを見守るとしようよ。こんな状態じゃあ、下手に動いても何にもならないしね」
・・・
その頃……ジュドー・エイトモートは一人で、バーターファミリーのボスであるマスター&ブラスターと会っていた。
「久しぶりだな、ジュドー……五年前の、あの一件以来か」
そう言いながら、笑みを浮かべて見せるマスター……横にいるブラスターは巨体を縮めて座り、じっとジュドーを見つめている。
ジュドーは軽く会釈し、部屋を見回した。ここはかつて、ゴメスが使っていたのだが……その当時に比べると、余計な物が全て取り除かれている。マスターの性格が、この事務室にも反映されている気がした。
「そうだな……あんたと面を合わせるのは、決まってヤバい時だ」
ジュドーの態度は、どこか投げやりだった。それに対し、マスターは声を上げて笑う。「確かに、その通りだ……ところで、今回はどんな危険が迫っているんだ?」
「虎の会の崩壊だよ……嬉しいか?」
ジュドーは吐き捨てるように言った。すると、マスターの表情がみるみるうちに険しくなっていった。
「どういうことだ……」
「その表情から察するに、あんたは何も知らないようだな」
「当たり前だろうが。いいか、虎の会とバーター・ファミリー……この二大組織があってこそ、今のエメラルド・シティは成り立ってるんだぞ。その片方が消えたら……バランスは滅茶苦茶になるんだぞ」
マスターは語気荒く、ジュドーに迫る……だが、ジュドーは苦笑いを浮かべて頷いた。
「現場の意見てヤツかい。それでも、メルキアのお偉方は現場の意見を聞いてくれるみたいだな。オレの後釜に座る奴らは、果たしてどうだろうね……」
「おい、どういうことだ! 大陸の人間が虎の会を仕切り出したら、この街は滅茶苦茶になるぞ! 人外との協定だって、かろうじて守られてるのに……」
マスターは興奮した表情で、ジュドーに食ってかかる……だが、ジュドーは彼から目を逸らした。ジュドーにはわかっている。このマスターという男は、エメラルド・シティで生まれ育ってきた。メルキア国の連中の傀儡として、大陸に住んでいるお偉方をだいぶ儲けさせてはいる。しかし、それはマスター自身がバーター・ファミリーを仕切るためだ。
マスターはマスターなりに、エメラルド・シティに愛着を持っている。だからこそ、己の手腕をフルに使い、大陸の人間たちを儲けさせてきたのだ。
大陸の人間の、これ以上の介入を阻止するために……。
「お前の言いたいことはわかる。オレもな、出来ることなら――」
そこまで言った時、ジュドーは携帯電話の震えを感じた。マスターに会釈し、軽く手を上げてから電話に出る。
アイザックからだった。
「おいアイザック、どうしたんだ? 今はな、マスターと会談中なんだぞ」
(ジュドー……今すぐ戻って来い。ジャック・ステイモスって警官が来てる。こいつは、タイガーの居場所を知ってるらしい。オレたちと取り引きがしたいそうだ)
「何だと……どういうことだ……」
ジュドーは絶句した。ジャック・ステイモス……聞き覚えがある。確か、最近エメラルド・シティに赴任してきた警官だ。もともとは民間人であったが、何を思ったか……いきなり治安警察に応募してきたらしいのだ。大陸の人間も、ろくに経歴を調べもせずに採用したらしい。
その勤務態度は、はっきり言って良くない。誰の影響か不明だが、仕事はサボってばかりだという話だ。いつも帽子を目深に被り、仕事以外ではほとんど表に出ない……ヤク中だ、という噂もちらほら耳にしている。
そんなジャックが、いったい何を知っているというのだろう……。
まさか、ジャックが裏で糸を引いていた、とでもいうのだろうか。
「おい、ガセなんじゃねえのか……いや待て、そいつを痛めつけて吐かせろ。ガセならガセでいい。吐かせた後は……構わないから殺せ」
(待てよジュドー……そいつは無理だ。とにかく、電話じゃ話せねえんだよ。出来るだけ早く帰って来い。でないと、お前は後悔することになるぜ)
アイザックの声はうわずっていた。普段クールなアイザックにしては、珍しいことだ……となると、それだけとんでもない事態が起きているということか。
「いいだろう……今すぐ戻る。だがな、ふざけた話だったら……オレは許さねえぜ。ジャックにそう言っておけ」
そう言って、ジュドーは携帯電話をポケットにしまった。そして、マスターの方を向く。
「マスター、すまんが急用だ。引き上げるぜ。今日はありがとうな」
「そうか……気を付けろよ、ジュドー」
・・・
ギース・ムーンは地下に降りて行った。そして、地下室の扉を開ける。
かつては備蓄庫か何かに使われていたであろう、その部屋……灰色の壁は独特な雰囲気に満ちており、並みの人間なら、居るだけで気が滅入ってしまうかもしれない。しかし、頑丈さだけは評価に値する。実際、刑務所という場所は基本的に頑丈に出来ているものなのだ。
そして部屋の中には、ガロードとルルシーがいた。
「ギース……どうする気だ? このまま放っておくのかよ?」
ガロードが険しい表情で尋ねる。だが、ギースは首を振った。
「ガロ……今オレたちが下手に手を出すと、みんな共倒れだ。それにな、はっきり言うが……オレたちには関係ない話だ。むしろ、お前らには好都合かもしれねえぞ」
「どういう意味だ?」
「つまり……ジュドーたちが消えれば、オレたちは居心地が良くなるってことだよ。虎の会が崩壊すれば、あとは大陸の連中の手先が虎の会のシマを仕切るようになるだろうさ……ゴメスの時と同じようにな」
静かな表情で、淡々と語るギース……どこか、やりきれない雰囲気が漂っていた。
ガロードは顔を歪めながら口を開く。
「おい……あんた言ってただろうが……ジュドーはエメラルド・シティに必要な人間だと……オレは今でも、ジュドーを仲間だと思ってる……いつかは分かりあえると。それに、タイガーはどうなるんだよ……大陸の連中に、好き勝手されていいのか?」
言いながら、ギースに詰め寄るガロード……だが、ルルシーが制した。
「ガロード、やめるのです……ギースにも、事情があるのです」
その時、ギースの携帯電話が鳴る。
「何の用だ? 言っておくが、オレは手を貸せないぞ……そうか。だが、オレもガロも動けねえんだ……仕方ねえ、そっちに一人、助っ人を送る。頼りになるおっさんだよ。オレが保証する……」




