野獣の願い 4
「ギブソン、こいつを殺せばいいのか?」
テーブルの上に置かれた写真を見ながら、マルコが唸るような声を上げる。ギブソンは頷いた。
その写真には……顔にまだ幼さの残る男が写っている。こちらを見て、不敵な笑みを浮かべていた。オレには恐れるものなど何もない、とでも言いたげな表情だ。無知ゆえの、過剰な自信だろうか。
マーク・グレゴリー。年齢は二十歳。十代の頃よりあらゆる犯罪に手を染め、半年ほど前にエメラルド・シティに渡って来た。まだ若く怖い者知らずであるがゆえに、この街の暗黙のルールを破るような真似を、今までに数多くしでかしてきたのだ。
そして……つい先日、虎の会の息のかかった店である『ボディプレス』というバーで他の酔客とケンカになり、相手に拳銃を発砲し逃亡した。
それだけなら、まだ何とかなったかもしれないのだが……その発砲した相手というのが、大陸からお忍びで遊びに来ていたお偉いさんだったのだ。幸いなことに、一命はとりとめた。しかし……タイガーはすぐさま命令を下した。
マーク・グレゴリーを始末しろ、と。
そして今、一人の男と一匹の野獣がその命令を実行することになったのだ。
「わかった……こいつはどこにいるんだ? すぐに殺しに行こう!」
マルコの意気込みは尋常でない。今すぐにでも、地下室を飛び出して乗り込みたい……という気持ちが、はっきりと見てとれる。
しかし、いきなり乗り込むわけにもいかない。その前に、やらなくてはならないことがある。
「待て……マークにもかなりの数の手下がいるらしいんだよ――」
「関係ない……オレが全員殺してやる。それならいいだろ?」
「落ち着けよマルコ……焦る気持ちはわかるがな、まずはオレの話を聞け。明日、オレが偵察しに行く。そして計画を立てる。殺すのはそれからだ。いいな?」
「……」
「返事は?」
「わかったよ……」
ギブソンの厳しく真剣な表情を見て、マルコはおとなしく引き下がった。床にしゃがみこみ、オルゴールを鳴らし始める。
ギブソンは、そんなマルコの姿を見ながら考えた。マルコは果たして、今後も自分の言うことを聞いてくれるだろうか? その気になれば、自分など一撃で殺すことが可能なのだ。力はあるが……しょせん、まだ少年である。いや、子供と言った方が正しい。
この子供を人間に生まれ変わらせられるのは、自分しかいない。
この先、何百人を殺すことになろうとも……マルコには幸せになって欲しい。どん底を這い回るようにして生きてきた彼にも、夢を見ることくらいは許されるはずだ。
翌日、ギブソンはガン地区を歩いていた。この辺りには、昔ながらの混沌とした退廃的な街の雰囲気が色濃く残っている。処理されていない瓦礫の山、得体のしれない料理を売る屋台、道端に無造作に転がっている注射器や血の付いた布切れ……通行人もまた、見るからに怪しげな連中ばかりである。充血した目でキョロキョロしながら歩くヤク中、腰から拳銃をぶら下げたギャング、囚人服らしきものを着て裸足で歩いている男などなど……ギブソンは思わず苦笑した。
その時、妙な物音に気づく。車のエンジン音だ。音はどんどん大きくなり、こちらに近づいて来る……ギブソンは振り向いた。
今にも通行人をはね飛ばしそうな勢いで突っ走って来たのは、あちこちに装甲板を貼り付けた異様な形の車だ。ギブソンは尋常でないものを感じ、身を隠す場所を探したが……その車は、すぐに止まった。
そして――
「トラビスさん、ありがとう……さてマリア、行こうか」
言いながら降りて来たのは、白いスーツを着た優男だ。歳はギブソンと同じくらいだろう。どこか気品すら感じさせる美しい顔立ちの若者で、混沌の支配する街のエメラルド・シティには似つかわしくない雰囲気の持ち主であった。
奇妙な光景に、思わず首をかしげるギブソン。だが、それだけでは終わらなかった。
「とらちん、また頼むのである。ビリー、早く帰るのである」
その言葉と共に出て来たのは……若い女だ。切れ味の悪いハサミでデタラメにカットしたような短い銀髪、白い肌、それと対照的な黒い鋲打ち革ジャンを着ている。
そして唖然としているギブソンの前を、二人は何やら話しながら横切って行った……。
と同時に、運転席からモヒカン頭の男がにゅっと顔を出した。そして――
「ビリー、マリア、気をつけてな! さーて、商売商売。二十年間無敗のタクシードライバーは本当に大忙しだぜ――」
「ちょっと待ってくれ。あんた、タクシードライバーなのか?」
思わず声をかけるギブソン。すると、モヒカンの男がこちらを見た。
「そうだよ、タクシードライバーさ。それも二十年間無敗のな……お前、どうすんだ? 乗ってくのか?」
「いや、そういう訳じゃない……ただ、ちょっと聞きたいことがあるんだ。マーク・グレゴリーとかいうチンピラの居場所を知ってるかい?」
その夜。
ギブソンは、またしてもガン地区に来ていた。
ただし、今度はマルコの背に乗っている。
マルコは闇の中でも物が見える上、嗅覚も鋭い。しかも、ギブソンを背負ったままでも獣並みのスピードで走れる。闇に紛れて二人は進んで行き――
やがて、目指す場所に到着した。
ガン地区には、集合住宅が立ち並ぶ場所がある。かつては人が住んでいたが……今では廃墟と化し、そしてチンピラたちの住居となっていた。マークとその子分たちも、その廃墟のうちの一つに住み着いていた。
廃墟の中、男たちは無意味に騒ぎ立てていた。いや、本人たちにとってはあながち無意味なものでもないのだ。このエメラルド・シティという街で生きるためには……恐怖を打ち消す必要がある。そのための空騒ぎなのだ。
そう……彼らには、自分たちが若くして人の道を外れてしまった自覚があるのだ。盗み、奪い、そして殺す……挙げ句の果てに、こんな街に来てしまった。もはや、あとは死ぬだけ。崖っぷちの所にいるのだ。
彼らにとって、過去は辛すぎる思い出しかない。また、未来は闇に閉ざされている。残されたものは、今味わうことのできる快楽だけだった。
そんな彼らのリーダー格であるマークは、この中でもっとも凶悪な男だった。何かあるとすぐに手近な武器を振り回す。ナイフが手近にあればナイフを、銃があれば銃を……チンピラ同士のもめ事ならば、それで済んでいた。
しかし、今回はそうもいかなかった。エメラルド・シティのルールについて、マークは知らなさすぎたのだ。
マルコは音を立てず、静かに近づく。
そして奇襲をかけた。
騒いでいる男たちの輪の中に、一人で突っ込んでいく……凄まじいスピードで走り、長く強靭な両腕を振るう。その一撃で男たちははね飛ばされ、絶命していった……。
だが、男たちも伊達にエメラルド・シティで生きてきたわけではない。不意を突かれたものの、素早く対応する。銃を手に取り、突然の乱入者に向かい発砲――
だが、マルコの反応は遥かに早い。銃口がこちらに向けられるのを見るや否や、一瞬にして天井まで飛び上がる。さらに空中で体を回転させ、天井を蹴った――
上空から襲いかかる、凶暴な野獣……男たちはマルコの一撃で、抵抗すら出来ずに次々と絶命していく。 戦いとは到底呼べない、一方的な殺戮劇……だが、そのどさくさに紛れて逃げ出した者がいた。
マークは走った。勝ち目のない時は、恥も外聞も捨てて逃げる……マークは今まで、そうやって生き伸びてきた。生きてさえいれば、また浮かび上がるチャンスもある。
しかし――
いきなりの銃声、そして激痛……マークはうつぶせに倒れた。彼は恐怖に怯え、必死で起き上がろうとしたが、全身を貫く痛みで体に力が入らない……。
そして、後頭部に銃口の当たる感触。
「子分を見捨てて、てめえだけ逃げますか……どこの悪役も、やることは一緒だなバカ野郎」
マークを射殺した後、ギブソンが廃墟に戻ると……マークの子分たちの死体が転がっており、足の踏み場もない状態だった。さらに、死体から流れ出た血液が床を赤く染めている。
そんな中、マルコは返り血で真っ赤に染まった姿で、床にしゃがみオルゴールを聴いていた……。
その光景は、ギブソンに複雑な思いを抱かせた。果たしてこの先、マルコはまともな人間になれるのだろうか。人殺ししか知らない、野獣のようなマルコが……人間として生きられるのだろうか。
しかし、ギブソンはその思いを振り払った。今はまず、しなければならないことをするだけだ。
「マルコ……帰るぞ」
その翌日、ギブソンは食堂『ジュドー&マリア』の地下室にいた。
椅子に座るジュドーの前に立ち、丸く膨らんだ布袋を机の上に置く。
「ジュドーさん……ちゃんと仕留めましたよ。こいつが証拠です」
その言葉を聞き、怪訝な顔をするジュドー。布袋の中を覗きこんだ……だが、中身を見て苦笑する。
「なあ、ギブソン……今度から、生首を持ってくるのは勘弁してくれ。ここは一応、食堂なんだぜ……」
そう言いながら、机の引き出しを開けた。そして金の入った封筒を取り出し、ギブソンに手渡す。
「人を十人以上殺して、二十万……割りに合わないよな。こんな仕事、本気でやる気なのか?」
「やりますよ。少なくとも……マルコには、こんなことくらいしか出来そうにないんです」
「そうか……」
ジュドーは頷くと、ポケットの中から携帯電話を取り出した。そして、机の上に置く。
「こいつを持って行け。何かあったら連絡する」
ギブソンが部屋を出て行った後、ジュドーは自分の携帯電話を取り出した。
「よう、ゴステロ……奴らはどうだった?」
(ああ、奴らは確かに凄いな。特によう、あのマルコってのは化け物だな〜。オレもな、遠くから見ててもヒヤヒヤもんだったぜ……とばっちり食らうんじゃないかと思ってな〜。十人近い武装した子分たちを、一分もかからずに全滅させやがったんだぜ……口だけじゃないぞ、奴らはよ〜)
「そうか……なあゴステロ、奴らなら、ガロードを殺れるか?」
(どうかなあ、いくら奴らでも、そいつは難しいんじゃねえか……まあ、その戦いは見てみたい気もするけどよ〜)
「マルコ、金もらって来たぞ。あとな、お前の好きな牛乳も買ってきた。ほら、飲め」
そう言いながら、牛乳の入った水筒を差し出すギブソン。マルコはいそいそと水筒を受け取り、美味しそうに飲み始める。
その様子を見ながら、ギブソンは金を取り出した。そして札を十枚数え、マルコに差し出す。
「おいマルコ、金だ……取っとけ」
「え……」
マルコは硬直した表情で、金とギブソンの顔を交互に見る。
「どうした? この金はお前の取り分だ。取っとけ、マルコ」
「え……いいよ。金はギブソンが持っててくれ。金の管理はギブソンがするはず――」
「駄目だ。この先オレが死んだら、どうするつもりだよ? 今回から、金は山分けにするからな。自分の金は自分で管理しろ」
「わ、わかった……」
ぎこちない動きで金を受け取り、服のポケットにしまうマルコ。ギブソンはふと、初めて出会った時のことを思い出した。マルコは酷い怪我を負い、ボロボロの状態だったのだ……ギブソンは警戒するマルコに対し、辛抱強く話しかけた。敵意がないことを示した上で、傷の手当てをしてやったのだ。
今にして思えば、マルコにあれだけの傷を負わせたのは何者だったのだろうか……それは気になるところではある。マルコに聞いても、要領を得ない答えが帰ってくるばかりだったが……それはともかく、すぐに傷の癒えたマルコはギブソンになついてしまった。そして……二人してエメラルド・シティに渡って来たのである。
もしも……ギブソンがまともな人生を送っていたならば、マルコと関わっていただろうか? 間違いなく関わっていない。そう、最愛の妻と幼い子供を事故で失い、哀しみのあまり生ける屍と化して荒野をさ迷っていたギブソン……その時の彼でなかったら、人でも獣でもない不気味なマルコのことなど確実に放っておいたはずだ。行き倒れるままにしていたことだろう。もっとも、本当にマルコが行き倒れていたかはわからない。放っておいても、自力で傷を治したのかもしれないが……。
いずれにしても、ギブソンはマルコと関わってしまった。そして、マルコという男の不幸を知ってしまったのだ。知ってしまった以上、マルコに付き合い、できるところまで見届ける。それこそが、今の自分に課された義務……ギブソンはそう考えている。
オレは今まで、大勢の人間を地獄に落として来た男……。
どうせ、オレの行く末も地獄しかねえだろうよ。
ならば……オレの命が尽きるまで、マルコに付き合ってやろうじゃねえか。
マルコにこんな不幸な運命を与えた神様よう……勝負だ。
マルコの奴を、オレが人間に戻してやるよ……。
野獣の願い《完》