男の暗躍・後編
タンと話し合った後、レイモンドはふたたび歩き出した。今のところ、全ては順調にいっている。だが、次に会わなくてはならない相手は……少々厄介だ。顔を合わせるのも、今日が初めてである。
「お前、治安警察か……いったい何の用だよ?」
横柄な態度で、レイモンドを睨む男……懐中電灯の明かりに照らされたその顔には、不快そうな表情が浮かんでいる。それに対し、レイモンドは笑みを浮かべた。
レイモンドは今、地下道に来ている。昼間でも暗闇に包まれ、鼻が曲がりそうな異臭の漂う場所だ。しかし、こんな所でないと棲めない者もいる。ガストンもその一人だった。
「ガストン、お前にちょっと協力してもらいたいんだよ。異能力者たちに、ちょいと話をしてもらいたいんだ」
「はあ!? 何でオレにそんなことを言うんだよ? オレが警察の犬になるとでも思ってんのか?」
なおも睨みつけるガストン……レイモンドはニヤリと笑った。
「まあまあ、そんなに嫌わないでくれよ。今はまだ言えないが……いずれ、このエメラルド・シティで一騒動あるんだよ。そん時、お前らの力を借りたいんだ」
「何が起きるんだ?」
「だから、そいつはまだ言えない。ただ、この街の勢力図が一変する……そんなことが起きるんだよ。とにかく、お前らに損はさせない」
「訳がわからねえな」
「今はまだ、わからなくてもいい……その時がくればわかるはずだ」
言いながら、レイモンドは封筒を取り出した。そしてガストンに手渡す。
「こいつは手付金だ。取っといてくれ」
「待てよ……何でオレなんだ?」
今度は疑り深そうな表情で尋ねるガストン。文字通り、地の果てを這い回るようにして生き延びてきた男であるだけに、大金を積まれたからといってホイホイ付いて行ったりはしないのだ。納得のいく説明がない限り、金を受け取ったりはしないだろう。
「はっきり言うよ。お前は地下道の住人だ。お前なら、ここにいる連中にも顔が利く。さらに、お前は上の世界じゃ無名だ。だから、お前の動きに注意する連中はいない。おまけで付け加えれば……オレの話を聞こう、なんて異能力者はほとんどいないんだ。お前くらいのもんだよ」
「……わかったよ。いいだろう」
そしてレイモンドは警察署に戻った。今日のところは、これでいいだろう。あとは、時が来るのを待つだけだ。いずれ、このエメラルド・シティは大きく変わる。高度に管理された無法都市、見せかけの混沌と退廃が売りのテーマパークへと……レイモンドがそんなことを考えていた時――
「レイモンド! こっちへ来い! 駆け足だ!」
トランク署長の声だ。いったい、自分に何の用があるというのだろうか……レイモンドはため息をつくと、駆け足でトランク署長のデスクへと向かった。
「レイモンド……明日、新人が来ることになった」
「ほお、そうですか……また一人、哀れな警官がエメラルド・シティに堕ちてくるわけですな」
すました顔で答えるレイモンド……トランク署長の目付きが若干キツくなったが、レイモンドは素知らぬふりをしている。
「違う……その男は警官ではない。民間からの採用者だ。知っての通り、エメラルド・シティ勤務が告げられた瞬間に辞表を出す者は後を絶たない。そこでだ、民間からも希望者を募っていたのだが……その民間からの希望者を採用することとなった」
苦い表情で、言葉を続けるトランク署長……レイモンドはため息をついた。どうせ、物見遊山の馬鹿者だろう。
「困りましたね……いっそ、戦争帰りの傭兵でも来てくれれば役立つんですが……」
レイモンドはそう言ったが、次の瞬間のトランク署長の言葉に唖然となった。
「そこでだ、レイモンド……お前に新人の教育を頼みたい。以上だ」
「はあ!? ちょっと待ってくださいよ!? 何でオレが!?」
レイモンドは思わず大声を上げた。前にも、レイモンドは新人の教育を任されたことがある。その時は本当に参った。何をトチ狂ったのか、その新人はこのエメラルド・シティを浄化しようなどと本気で考えていたのだ。 もっとも、今は棺桶に詰められ、大陸の墓地で眠っているが……。
「お前の事なかれ主義の昼行灯ぶりは、大陸のお偉方にも知れ渡っているようだな……よりによって、お前を指名しているくらいだからな」
「え? オレを指名しているんですか?」
レイモンドの問いに、トランク署長はため息をつきながら口を開いた。
「そうなんだよ……大陸のお偉方が、どういうわけかお前を指名している……お前に教育係をやらせろ、というご指名がな」
「そうですか……」
そう言いながら、レイモンドは考えた。ひょっとしたら、これは大陸のお偉方が送り込んだエージェントかもしれない。
これから先の仕事を手伝わせるために……。
レイモンドとしては、正直言って不快である。後は自分一人で充分だ。下手をすると、そいつに手柄を横取りされるかもしれない。
そう、人の手柄を横取りする奴はどこにでもいるのだ。レイモンドはまだ若い時に、任務で大陸のギャング組織に身分を隠して潜入したことがあった。命を懸けた諜報活動が功を奏し、ギャング組織を壊滅させることに成功したのだ。
にもかかわらず、レイモンドの功績はまるで評価されなかった。いや、彼の潜入活動そのものが「無かったこと」にされていたのである。結局、上司の手柄とされてしまったのだ。
その時のことを思い出すと、レイモンドは今でも腹立たしい感情に襲われる……これから派遣されて来るのが何者かは知らない。だが、面倒な奴なら消えてもらうとしよう。エメラルド・シティで事件もしくは事故に巻き込まれ、殉職する警官など珍しくもなんともない……。
レイモンドは冷酷な計算をしながらも、飄々とした態度でデスクに戻る。すると、見計らったかのように携帯電話が鳴り出した。レイモンドはさりげなく辺りを見回し、人気のない場所まで行く。ステファンからの電話だ……他の警官たちに聞かれるわけにはいかない。
「ステファン、どうしたんだ?」
(旦那、バーター・ファミリーのサンズですがね……奴はギブソンたちと妙に仲がいいですね。あいつは、放っといても何の害もないと思いますよ)
「それを決めるのは、お前じゃねえしオレでもない……大陸の連中だ」
(……へい、そうでした。あと、ロッチナの方は相変わらずですよ。さらにもう一つ、ジュドーから呼び出しが来ました。何でも、急な仕事らしいんですが、受けますかい?)
「仕事か……」
レイモンドは考えた。虎の会の仕事……はっきり言えば、受けたくはない。まだ、任務の方は片付けなくてはならないことが山積みなのだ。
しかし、引き受けないと言ったら怪しまれる可能性もある。ジュドーの機嫌を損ねる可能性もある。今はまず、平常通りの生活をしなくてはならない……。
「仕方ねえな……引き受ける、と言っとけ。いいかステファン……ジュドーの前では、いつも通りの態度でいるんだ。くれぐれも挙動不審になったりするんじゃねえぞ」
電話を切った後、レイモンドは苦笑した。ステファンは小物である。だが、小物であるがゆえに警戒はされにくい。ジュドーは頭の切れる男だ。妙な態度を取れば、すぐに気がつくだろうが……ステファンが挙動不審になっていたからといって、いちいち警戒したりはしないだろう。
適材適所……ステファンのような男にも、それに適した場所がある。
次にレイモンドは留置場へと向かった。そして、留置場の係であるバニラに声をかける。
「おいバニラ……留置場は空いてるか?」
「ああ、空いてるぜ。近頃は平和になっちまったからな……」
暇そうな表情でぼやくバニラ。もともと、エメラルド・シティでは留置場の出番は少ない。犯罪者は見逃すか、その場で射殺するか……の二択である。留置場に入れるのは、何らかの事情があってのことだ。
「だったら……一部屋あけといてもらいたいんだが、構わないか?」
レイモンドが尋ねると、バニラは頷いた。
「ああ、構わねえよ……どうせ入る奴もいやしねえんだしな」
そう言って、バニラは自嘲気味に笑った……レイモンドは彼に近づき、その手に数枚の紙幣を握らせる。
「いつもありがとさん。これからも、よろしく頼むぜ……」
そして翌日、出勤したレイモンドは……早速トランク署長に呼び出された。
「レイモンド……彼がジャック・ステイモスくんだ。よろしく頼むぞ」
そう言うトランク署長の横にいる者は……百六十センチ強の、小柄な男であった。体つきは痩せ型で、見た目からは年齢が推し量れないタイプだ。一応、二十代の後半に見えるが、四十代と言われても通じるような顔立ちをしている。神妙な面持ちで背筋を伸ばし、じっと立ってはいるが……全体的に、どこか奇妙な雰囲気を漂わせていた。
ただし、一つだけはっきりしたことがある。
この男は、エージェントではないだろう。
「ジャック・ステイモスです。以前は会社員をしていました。よろしくお願いします」
そう言うと、ジャックは頭を下げる。握手を求めてはこない。愛想笑いを浮かべるでもなく、さりとて若者にありがちな尖った印象もない。全体的に、脱力した雰囲気だけが感じられるのだ……。
レイモンドは思わず首を傾げる。この男は、いったい何のためにエメラルド・シティに来たのだろうか。昨日のうちに経歴を調べておいたが、実に平凡なものだ。大学を卒業後、製薬会社に就職……その後、しばらく入院していた時期がある以外は特筆すべきことはない。
目の前の男をエメラルド・シティに向かわせたもの……それは一体、何なのだろうか?
そして、レイモンドとジャックは二人でパトロールに出たが……ジャックは落ち着いた表情で、窓越しにゆっくりと風景を見回している。
「お前、エメラルド・シティは初めてか?」
ハンドルを握りながら、尋ねるレイモンド。ジャックは頷いた。
「そうですね。まさか、こんな風になっているとは……想定外でした」
「……そうか」
想定外なのは、レイモンドの方も同じだった。ジャックの見た目、雰囲気、この反応……全てが想定外である。一体、この街に何をしに来たのか。まさか、本当にただの警官志望なのだろうか?
「そういや昔、クリスタル・ボーイて名のヤクの売人がいたそうですね。ムキムキの双子をボディーガードに連れてた……そいつらはどうなったんです?」
不意に、ジャックが尋ねてくる。レイモンドは戸惑った。またしても想定外だ……何故、こいつの口からクリスタル・ボーイの名前が出てくる?
「そいつらなら、五年前に死んだぜ……それより、お前クリスタル・ボーイを知ってるのか?」
「ええ、名前だけは……」
そう言うと、ジャックは再び外に視線を移す。その時、レイモンドの頭に閃くものがあった。
「お前、もしかしてヤク中か?」
そう、エメラルド・シティではクリスタルが安く手に入る。しかも、クリスタルを取り締まる法律自体がないのだ。クリスタルだろうが何だろうが、基本的にドラッグはやり放題だ。
もちろん、大陸のヤク中たちは皆そのことを知っている。だからこそ、わざわざエメラルド・シティまで訪れるヤク中は後を絶たない。
ジャックがヤク中だとしたら……ここに来た理由も説明がつく。エメラルド・シティで治安警察として勤務するのは非常に危険だ。しかしヤク中のヤクに対する渇望は……身の危険に対する恐怖すら打ち負かしてしまえるものなのだ。
「さあ、どうでしょうねえ……ま、ご想像にお任せしますよ」
とぼけた口調で答えるジャック。レイモンドは苦笑した。そう、この街において……警察とは名ばかりなのだ。最近では、前科のある人間でも採用するという噂を聞く。にもかかわらず、志願者はいなかったのだが……。
まさか、ヤク中が警官として入ってくるとは。
「ジャック……お前が何をしようが、オレの知ったことじゃない。オレの邪魔さえしなければ、プライベートで何をしようが構わん。ただな、オレの指示には従え。余計なことに口を出すな。わかったか?」
「ええ、もちろんです」
ジャックは頷いた。レイモンドは笑みを浮かべる。どうやら、こいつとは上手くやっていけそうだ。前の新人は愚かな奴だったが……。
自分の邪魔さえしなければ、どんな奴であろうと構わない。ひょっとしたら、使い捨ての手駒になるかもしれないのだ。
様々な考えを頭で巡らせながら、レイモンドは車を走らせた。この街は変わりつつある。あと二月もすれば、その変化は加速するだろう……。
それをもたらすのは、他ならぬ自分なのだ。




