旅立ちの日・後編
バーニーの言葉を聞き、デビッドは黙りこんだ。表情が一気に暗くなる。
「そ、そうだよね……オレは、もう死んでるんだよね……誰とも、話せないんだよね……あんた以外の人とは……」
言いながら、うつむくデビッド。バーニーは憐れみのこもった目で、彼を見つめた。
バーニーの元には、こういった者が訪れることがある。何らかの事情で命を失い、肉体と魂が切り離され、それでも冥界に旅立てずさ迷う者たちが彼を訪ねて来るのだ。このエメラルド・シティでは、毎日十人以上の死人が出る……わかっているだけで、だが。
そんな死に逝く人々の中から、ごくごくまれにではあるが……バーニーを訪ねてくる者がいる。他の死者と、どのような違いがあるのかは不明だ。無念の思いを遺している、というわけではないらしい。晴らせぬ恨みを晴らしてくれ、というわけでもないらしい。
そしてバーニーは、一日だけ、彼らに付き合うことにしている。バーニーには彼らの姿が見える。それだけでなく、彼らと会話し、彼らと触れ合うことも出来るのだ。
バーニーは生と死の狭間にいる彼らが、心おきなくこの世界を去ることが出来るように、出来るだけの手助けしている。もっとも、そのことを知っている生者はごく僅かだが。
「デビッド……今日一日だけ、オレは君に付き合うから。だから……オレに出来ることなら、何でも言いなよ」
「……」
デビッドは下を向いたままだ。バーニーは、そんな彼をじっと見つめた。
「じゃあデビッド……君のお父さんとお母さんに、手紙を書いてみないか?」
バーニーがそう言うと、デビッドは顔を上げた。
「て、手紙?」
「そう、手紙だよ……君の言いたいことを、すべて手紙に書くんだ。オレが代筆して、お父さんとお母さんに渡すから」
「え……いいの?」
「ああ、構わないよ。とにかく、言いたいことは全部言ってしまうんだ。心残りがないように、ね。まずは、ペンと紙を持ってこようか」
そして一時間後……バーニーは再び、バラックの立ち並ぶ裏通りに足を踏み入れた。
デビッドの案内に従い、バーニーは裏通りを歩いて行く。住人たちの視線があちこちから飛んでくるが、バーニーに面と向かって文句を言ったりする者はいない。ゴドーの店の人間であるバーニーに手を出せば……どんなことになるか、この街の住民で知らない者はいない。
かつて、路上でバーニーを鉄パイプで滅多打ちにして所持金の四千ギルダンを奪った二人組の若く愚かなヤク中がいた。しかし翌日に、二人は両手両足をバラバラにされた状態で発見されたのだ。
「あ、すみません。カートさんと……ジュディさんですね」
バーニーは一軒の掘っ立て小屋の前で立ち止まり、中にいる一組の男女に声をかけた。男の方は……デビッドの話によると三十五歳らしい。しかし、やつれた顔とやる気の欠片もない無気力そうな表情が、彼の見た目の年齢を引き上げていた。
女の方もまた、同様の雰囲気である。ボサボサの髪とやつれた顔つき、そして汚い服……二人は面倒くさそうな様子で小屋の中に座り込み、得体の知れない何かを食べていた。
「何だよバーニーさん……オレたちに何の用だ?」
声をかけられ、顔を上げたのはカートだった。バーニーはニコニコしながら、小屋の中に入って行く。
「あのねえ……信じられないだろうけど、あんたたちに手紙を持ってきたんだよね」
人懐こい笑みを浮かべながら、そんなセリフを吐くバーニー……カートは訝しげな表情になった。
「手紙? いったい誰からだよ?」
「デビッドからさ」
バーニーのその言葉を聞いた瞬間、カートの表情が変わる。先ほどまでの、やる気のなさそうな雰囲気が消え失せた。代わりに、瞳に凶暴な光が宿る。
「どういう意味だ……デビッドって誰だよ……」
「デビッドは……デビッドだよ。あんたらの息子の――」
「デビッドは死んだ」
低い声で、そう言い放つカート。凄まじい形相でバーニーを睨み付ける。
「あ、ああ……それはオレも知ってる。知ってるけど、デビッドはオレの前に現れたんだ。そして、オレに手紙を託してくれて――」
「帰れ……」
「え?」
「帰れと言ってるんだよ! 聞こえねえのか!」
カートはわめき、同時に殴りつける。バーニーはそのパンチをまともに食らい、吹っ飛んでいった。
そして、道路に倒れる。
「てめえ! 二度と来るんじゃねえぞ!」
カートが怒鳴りつけ、そして小屋に帰って行った。一方、バーニーは頬をさすりながら立ち上がる。
「いてててて……カートさん、凄く怒ってるなあ。あれはどうしたもんかねえ……」
そう言うと、バーニーは考え込むような様子で立ち止まる。すると、デビッドが近づいて来た。そしてバーニーの腕をつつく。
「バーニー……もういいよ……ありがとう」
「え?」
「もう……いいよ……これ以上、バーニーに迷惑はかけられないし……」
「そんなこと、気にしなくていいって……ここまで来たら、最後まで面倒見させてよ」
そう言いながら、バーニーはじっと考え込む。
やがて、意を決した表情になった。掘っ立て小屋の入り口に近づき、ポケットから手紙を取り出す。
そして、大きな声で読み始めた。
「父ちゃん、母ちゃんへ。こんなことになっちまって本当にごめん――」
だがバーニーは、手紙を読み終えることが出来なかった。
「ちょっと待てや……」
不意に聞こえてきた低い声……バーニーが顔を上げると、カートとジュディの夫婦が立っていた。やっとわかってくれたのか、とバーニーは思ったのだが……それは間違いだった。
「てめえ何なんだよ……誰からデビッドのことを聞いたんだ? いや、そんなことはどうでもいい。何が目的だ? お前の目的は何なんだよ? オレたちは、逆さに振っても何も出ねえんだぞ……」
カートの声には、感情が込もっていなかった。表情からも、感情が消え失せている。
「何が目的、って言われても……デビッドから、あんたたちに手紙を託されたんだけど――」
次の瞬間、バーニーは殴られた。カートのパンチをまともに顔面に喰らい、バーニーは地面に倒れる。倒れたところに、カートは馬乗りになった。
そして、殴りつける。
「てめえぇ! いい加減にしろ! こんなことして楽しいか! こんな悪ふざけが楽しいか!」
わめきながら、カートはバーニーの顔めがけてパンチを降らせる。バーニーは両腕で顔を覆うが、カートは構わず殴り続ける。
「やめてよ父ちゃん! バーニーを殴らないで!」
デビッドは必死で叫び、止めようとするが……カートに触れることすら出来ない。父に向かい伸ばした手は、虚しく通り抜けていくだけだ。
すると、ジュディが後ろから羽交い締めにしてカートを引き離す。
そして叫んだ。
「もう帰っとくれ! でないと、あたしがあんたを殺すよ! この大嘘つき野郎が!」
「バーニー……ごめんよ。でも、何で父ちゃんも母ちゃんも信じてくれないんだろ……」
倒れているバーニーを助け起こしながら、デビッドは呟くように言った。その目は虚ろで、体は震えている。
「いてててて……仕方ないんだよ。カートとジュディは、親である自分たちの前に君が現れてくれない……なのに無関係なオレみたいな男の前に、死んだ君が現れて伝言を遺す……それが嫌なんだと思うよ。これまでにも、似たようなことは何度もあったね。仕方ないんだよ」
落ち込むデビッドに、優しく語りかけるバーニー……そう、このエメラルド・シティでは、人の命など安いものだ。食料の奪い合いの末、簡単に人が殺されてしまう。
だが、そんな街でも……人が死ねば、涙を流す誰かがいる。どんなに命の価値が安い場所であろうとも、それは変わらない。数字で見れば、何十人かの死者のうちの一人だ。しかし、その一人の存在は……誰かにとってはとてつもなく大きいものだ。バーニーはそのことをよく知っている。
「バーニー……オレ、もう行くよ。色々ありがとう……オレ、最期にあんたに会えて、本当によかった。もっと早く、あんたに会いたかったな……出来れば、生きてるうちに……」
そう言って、デビッドは寂しげな笑みを浮かべた。すると、バーニーは頷く。
「うん……早く旅立った方がいいかもしれないね。その状態で長くさ迷っていると、ろくなことにならないから。この世とあの世の狭間に居続けることになるかもしれないよ。そんな奴、この街にはたくさんいるからね」
そう言うと、バーニーは右手を差し出した。
デビッドは、その手を握る。
「ねえバーニー……この後、オレはどうなるのかな……どんな所に行くのかな……」
デビッドの、か細く震える声……バーニーは微笑んだ。
「それはオレにもわからない。ただ、どんな人間も必ず死ぬんだ。これに関する限り、一人の例外もないはずだよ……オレもいつかは死ぬ。それにね、死んだ後、どうなるかなんて誰にもわからないんだよ。だから……いっそ、何が待っているんだろう? ぐらいの気持ちで行くといい……んじゃないかな」
「あんた、やっぱり適当な人だなあ……でも、何か気分が楽になったよ。ありがとう」
そう言うと、デビッドも微笑んだ。いつの間にか、彼の体の震えが止まっている。
そして、手を離した。
「バーニー……本当に、ありがとう」
翌日、あちこち痣だらけの顔で店番をするバーニー……すると、店内に入って来た者が二人。
「やあ、いらっしゃい……えええ……」
バーニーの顔がひきつった。店に入って来た二人は、カートとジュディの夫婦だったからだ。
と同時に店の奥から、ショットガンを担いだクリスが姿を現す。
「あんたらかい、うちのバーニーを痛めつけてくれたのは……いい度胸してるじゃないか……」
言うと同時に、ショットガンを構えるクリス。カートとジュディは、怯えた表情で後ずさった……だが、バーニーが片手を上げて制する。
「クリス、店の中じゃマズいよ……ここは押さえて、押さえて……ね?」
バーニーがニコニコしながら、なだめにかかる。クリスは不愉快そうな表情をしながらも、大人しく引き下がった。だが、視線は二人から外さない。
「で、あんたらは何しに来たの?」
バーニーは二人の方を向き、尋ねる。すると、カートは頭を下げた。
「すまねえ……昨日はつい、カッとなって……なあ、あんた……本当に、デビッドはあんたの前に現れたのか……」
「うん、そうだよ」
バーニーが頷くと、カートは下を向いた。
少しためらうような仕草を見せた後、カートは口を開く。
「なあ……その手紙、オレたちにくれないか?」
「うん、いいよ。これはやっぱり、あんたたちが持っているべきだからね。デビッドはいい子だったよ。プロレスとスーパー・ボールが好きな……」
そう言って、バーニーは痣だらけの顔でニッコリ笑いながら、手紙を渡す。
そして、二人は並んで手紙を読み始めた。
(父ちゃん、母ちゃんへ。
こんなことになっちまって本当にごめん。オレも予想してなかった。初めのうちは、凄い嫌な気分だったけど……やっと最近になって、オレは死んだんだってことを受け入れられた気がする。
父ちゃん、酒飲むといつも「オレのせいでこんなことになってすまない」って母ちゃんとオレに言ってたね。でも、オレは知ってるよ。父ちゃんは、襲われてた母ちゃんを守るために金持ちのボンボンを殺したんだろ……父ちゃんは悪くないよ。けど、酒の飲み過ぎには、気を付けなよ。
母ちゃん、オレを産んでくれてありがとう。そして、今まで父ちゃんとオレの面倒を見てくれて感謝してる。いつだったか、ヤク中みたいなのがオレに襲いかかってきた時、母ちゃんは角材でボコボコにぶん殴って追っ払ってくれたね。あの時の母ちゃん、凄く頼もしかったよ。オレ大きくなったら、母ちゃんを守ろうって思ってたんだよ。出来なくなっちゃったけどね。
父ちゃん、母ちゃん。親孝行できなくて、ごめん。お願いだから、オレの分まで長生きしてね。そして、父ちゃんと母ちゃんがちゃんと笑っていられるように祈ってるよ。
さようなら、大好きな父ちゃんと母ちゃん。今まで本当にありがとう。
デビッドより )
旅立ちの日《完》




