野獣の願い 1
『野獣の願い』の主な登場人物
◎マルコ
獣のような恐ろしい顔、そして凄まじい身体能力を持つ男です。顔からは想像もできませんが、まだ十代の少年です。
◎ジュドー・エイトモート エメラルド・シティでもっとも規模の大きなギャング組織『虎の会』のナンバー2であり、有能なキレ者として知られています。
◎リュウ
食堂『ジュドー&マリア』の店長をしている若い男で、ジュドーの忠実な部下です。
◎ギブソン
マルコの世話をしている若い男です。マルコのマネージャーのようなことをしています。
その男の顔は、ひどく醜かった。
小さく不気味な形の目、平べったく巨大な鼻、大きな口……ライオンや虎に代表される、猫科の大型肉食獣のような顔つきをしていたのだ。しかも、ツギハギのような傷痕まで付いている……大抵の者は、彼の醜い顔をまともに見ようとしない。チラリと見るや否や、慌てて目を逸らす。あるいは逆に、嫌悪感と好奇心に満ちた視線を投げかけるか……さらには、露骨に不快そうな表情で、こんな言葉を吐く者もいる。
化け物、と。
そんな彼、マルコは……物心つくかつかないかの歳で母親に捨てられ、大陸の見世物小屋で化け物との名目で飼われていた。だが成長するにつれ、彼は逞しくなり……些細なもめ事から、見世物小屋を仕切る支配人を殺してしまったのだ。
そして……マルコは逃亡者となった。
マルコは大陸を逃げ廻った。だが、彼の顔や姿はどこに行っても目立ってしまう。やがて大陸内に逃げ場をなくし……海を渡り、エメラルド・シティに逃げ込んだ。そして、ようやく安住の地を得たのである。
しかし……マルコの胸の内には、未だに燻っているものがあった。
・・・
ここはエメラルド・シティのバク地区。この街の中でも、比較的平和な場所である。タイガー率いる組織『虎の会』の影響力が強く、余計なもめ事を起こさないようにあちこちでギャングたちが目を光らせているのだ。むしろ治安警察よりも仕事熱心である。
タイガーはギャングという人種が、しょせんは街の住人たちの血を吸うダニのような存在であることをちゃんと理解している。カタギの人間がきちんと商売できてこそ、自分たちギャングも存在でき、美味い汁が吸える……そのことをわかっているのだ。だからこそギャングと治安警察が協力し合い、余計なもめ事やつまらない犯罪が起きないように気を配っている。
その結果、近頃では大陸からお忍びで旅行に来る者たちもいるくらいだ。エメラルド・シティには法がない。女を買おうがドラッグをやろうが、あるいはもっと危険な遊びをしたとしても……捕まる心配はない。
そんな旅行者たちのためにも、治安の維持には気を付けていたのだ。
そんなバク地区ではあるが……。
大通りを少し離れると、そこは昔ながらの無法地帯の風景であった。廃墟と化したビル。ゴミの散らばる薄汚れた道路。あちこちから聞こえてくる、得体の知れない何かの蠢く音……そして、時には死体も転がっている。死体はほとんどの場合、昼間のうちに身ぐるみ剥がされ放置される。そして夜になると……死体そのものが消えている。たまに骨だけが残されていることもある……。
そんな裏通りにある廃墟と化したビルに、布袋を持った一人の男が入って行った。見た目は二十代前半といったところか。背は高からず低からず……肩まで伸びた黒髪と飄々とした態度、鋭い目付きが特徴的だ。マントのようなもので全身を覆った姿で、歩く度に腰の周りからカチャカチャと何かがぶつかるような音がする。
男は周囲を見渡し、誰もいないことを確認する。次いでしゃがみこむと、床板の一部を外した。すると、下に通じる穴が現れる。男は素早く、その穴の中に体を滑り込ませる。同時に手を伸ばして床板を掴み、元通りにはめ込んで穴を塞いだ。
男は鉄の梯子を降りた。下に辿り着くと、天井からぶら下がっているランタンに火を灯す。すると一気に明るくなり、室内の様子が露になった。灰色のコンクリートの壁、木製の古びたテーブルと椅子、そしてライオンのような顔をした男が一人。
マルコである。
「ギブソン、腹へったよ……食い物は持ってきてくれたのか?」
マルコの声は、ひどく不気味なものだった。絞め殺される寸前のガチョウのような、かすれ声……聞く者に恐怖すら感じさせる。しかも、滑舌があまりよくない。初めてマルコと会話する者は……大抵の場合、何を言っているのか理解できず何度も聞き返す。
だが、このギブソンと呼ばれた男は違っていた。
「ああ、持ってきたよ」
そう言いながら、ギブソンは持っていた袋をテーブルに置く。そして中から水筒と固くなったパンと干し肉の塊を取り出す。すると、マルコの目の色が変わった。凄まじい勢いでパンをひったくるようにして受け取り、ガツガツと食べ始める。ギブソンは苦笑した。
「もっと落ち着いて、ゆっくり食えよ……誰も取ったりしねえから……」
マルコの食事は異常に早かった。パンと干し肉をあっという間に食べ終える。さらに水筒に口を付け、ごくごくと飲み始めた。その大きな口の端から、白い液体がこぼれ落ちる。ギブソンはまたしても苦笑した。
「おいマルコ……こぼれてるじゃねえか。もっと落ち着いて飲めねえのかよ……牛乳はな、この街じゃ高くつくんだぜ。酒の方が安いくらいだ」
ギブソンの言葉を聞き、マルコはいったん水筒から口を離した。顔や服に付いた牛乳を舌で舐めとる。そして、改めて水筒に口を付けると、慎重に飲んだ。
やがて牛乳を飲み干したマルコは、ギブソンの顔を見上げる。
「ギブソン、仕事は見つかったのか?」
「ああ、仕事な……今からこの辺りを仕切るギャングの店に行って、ちょいと聞いてみる。オレが必ず、仕事を見つけてやる……任せとけ」
「わかった。頼むよ」
そう言って、マルコは顔を歪めた。一見すると、こちらを睨みつけているように映るが……本人は微笑んでいるつもりなのだ。
「大丈夫だ。オレに任せておけ。必ず仕事を取ってくるから……」
ギブソンは地上に出ると、周囲を見渡した。人の気配はない。廃墟と化したビル……浮浪者が寝床にしていそうなものだが、なぜか、彼らはここには近寄ろうとしないのだ。ひょっとしたら、マルコの放つ野獣の匂いを敏感に感じとっているのかもしれない。
そう、マルコは生まれついての獰猛な野獣であり、かつ優秀な殺し屋でもある……ギブソンの知る限り、マルコ以上の男はいないだろう。
ただ、マルコは放っておくと何をしでかすかわからない。腹が減れば、人間でも殺して食べるのだ。マルコは決して愚か者ではない……むしろ知能だけに関して言うなら、高い方なのではないだろうか。ただ、一般常識――もっとも、この街の常識は他の街の非常識だが――がないだけなのだが……。
ギブソンは一人、大通りを歩く。この街に来て三ヶ月近く経つが、未だにわからないことだらけだ。そのうちの一つが、今目の前にある食堂『ジュドー&マリア』である。ジュドーとはあのジュドーのことだろう。だが、マリアとは誰なのか……。
店の中は、ギブソンの想像とは違っていた。ごてごてと飾り立てられているわけでなく、シンプルなもので統一されている。また、中も広いわけではない。二十人も入れば満員だろう。
そして今は、数人の先客がいた。カウンターでは、一人の若者がグラスを拭いている。そして義手を付けた若い女が、器用に料理を運んでいた。
ギブソンはおもむろにカウンターに近づき、口を開いた。
「あんた、リュウさんだろ……あんたに頼みがある。仕事を紹介してもらいたいんだがな」
ギブソンの言葉を聞いた若者は、訝しげな表情でギブソンを見つめ返す。
「仕事? 何を言ってるんだよ……ここは食堂だ。そういう話は他で聞いてくれよ」
リュウと呼ばれた若者は、迷惑そうな様子で言葉を返す。だが、ギブソンも引かなかった。
「そうもいかねえんだよ、リュウさん……こっちは文無しなんだ。あんたなら稼げる仕事を知っているって聞いたんだぜ――」
「失せろ。でないと、ケガじゃ済まねえぞ」
リュウの言葉と同時に、店の奥から数人の男が出て来た。大きな肉切り包丁や棒などを持ち、狂暴な光を目に宿している。
しかし――
「リュウさん、オレはトラブルは嫌いなんだがなあ……」
とぼけた声ではあるが……いつの間に抜いたのか、ギブソンの右手には拳銃が握られていた。
そして銃口は、リュウの方を向いている……リュウの表情が変わった。
「てめえ……ここはジュドーの店だぞ……こんなことして、ただで済むと思ってんのか――」
「そのジュドーさんに仕事をもらいてえんだよバカ野郎」
ギブソンは落ち着きはらっていた。リュウに銃口を向けつつ、目の動きだけで周囲を窺う。その時、後ろの客の一人が妙な動きをしているのに気づいた。
次の瞬間、ギブソンの左手が動く。一瞬のうちに予備の拳銃を抜き、そして発砲――
銃弾は、背後に廻ろうとしていた客の顔をかすめた……。
「なあ、リュウさん……オレはな、仕事が欲しいだけなんだよ。オレん所にはな、最強の殺し屋がいるんだよ。オレだって、そこらの連中に負ける気はしねえ。一度だけ試してみないか? 初回はタダでやってやる……どうだ?」
「そ、それは……オレの一存では――」
「決められない、か? まあ、そうだろうねえ。だったら、明日の……そうだな、八時にまた来る。その時には……いい返事を期待してるよ。あと、オレの名はギブソンだ……覚えといてくれやバカ野郎共」
そう言うと、ギブソンは両手の拳銃を構えたまま、ゆっくりと後ずさる。背後に人の気配は感じないが……油断はできない。顔を横に向けつつ、目だけで後ろを確認する。誰もいないと見るや――
一気に駆け出した。
しばらくして、ギブソンは立ち止まった。後ろを振り返る。追っ手の来る気配はない。噂によれば、ジュドー・エイトモートはかなりの権力者らしい。。この街の三分の一を仕切る虎の会のボスであるタイガーの片腕であり、あちこちに顔を出している……とのことだ。ジュドーこそが虎の会の実質的なボスである……と言う者までいたくらいだった。
そのジュドーの店で銃を振り回し、挙げ句に発砲……ただで済むとは思えない。だが、ギブソンにはギブソンなりの計算もあった。これでジュドーと接触できるなら、それで良し。仮にジュドーの機嫌を損ねたとしても、自分の名前を売ることには成功したはずだ。虎の会がダメだったとしても……この街にはマスター&ブラスター率いる『バーターファミリー』もある。さらには、ロッチナ率いる『マーティアル』も……。
そう……エメラルド・シティは力さえあれば、のし上がれる街だ。マルコには恐ろしい力がある。しかし、その力の使い方や活かし方を知らない。だからこそ……自分が導いてやらなくてはならないのだ。
ギブソンは廃墟に戻り、地下室に降りて行く。そしてランタンに火を灯した。マルコは部屋の隅でしゃがみこみ、退屈そうな顔でじっとしている。表を出歩くな、という自分の言いつけを守っていたのだ。
「マルコ、明日は一緒に出かけるぞ」
ギブソンの言葉を聞き、マルコの表情が変わる……どうやら、喜んでいるらしい。
「仕事か?」
「いや、まだだ……しかし、上手くいけば仕事にありつけるかもしれねえ」
「そうか……オレは明日、何をすればいいんだ?」
「お前は……オレのボディーガードだ。明日はギャングの大物と話し合う予定だが……向こうがトチ狂った真似しやがったら、構わねえから全員殺せ」
「わかった」
マルコは頷いた。だが次の瞬間、奇妙な表情になる……。
「ギブソン……オレの顔、治せるんだよな? 金さえあれば、オレの顔を変えられるんだよな?」
マルコの声には、期待が込もっている。ギブソンは微笑んで見せた。
「ああ……金さえあれば、何でもできる。お前は顔を変えて、人生をやり直せるんだよ。人間として生きられるんだ」
そう、マルコが稼ぐ理由は……整形するためだったのだ。生まれた時から、実の母親に化け物として忌み嫌われ、毎日さんざん殴られ蹴られ……挙げ句に捨てられたマルコ。彼は自分の顔を酷く嫌っている。鏡を見るのも避けるくらいだ。
そんなマルコにとって、自分の顔を変えられるというのは……彼に残された、たった一つの希望なのだ。そのためならば、彼は何でもするだろう……。
マルコは恐らく異能力者なのだろう、とギブソンは思っている。本来なら、大陸で厳重な管理下に置かれるべき存在……しかし、無学な母親は息子を化け物だと判断した。結果、場末の見世物小屋に二束三文の値段で引き取られ……最終的には殺人犯として追われることとなった。二十四時間の監視体制の下で生活するのと比べて、どちらがマシかはわからないが……。
ギブソンは知っている。マルコが金を必要とする、もう一つの理由を。
マルコは顔を変えたら……大陸に戻り、金を使って自分を捨てた母親を探しだす気なのだ。
そして……自らの手で殺すつもりなのである。