野獣の出会い 4
夜、マルコとギブソンは静かに歩いていた。時刻は既に十時を過ぎており、通りには怪しげな者たちがうろついている。遠目には人間だが、明らかに異様な者たちだ。全裸で蠢く中年男や、巨大なネズミを生きたまま噛み砕いている女、さらには獣と人間を無理やり合成させたような生き物までいる。
ギブソンは拳銃を抜き、構えた。そしてマルコは、唸り声を上げながら進んでいく。
しかし、怪しげな者たちはマルコの姿を見るや、黙って道を開けた。次からは、明るい間に動くとしよう……ギブソンはそう考えながら歩いた。
しばらく歩くと、地下に降りる階段があった。かつては何らかの公共施設として使われていたらしいが、今は見る影もない。ギブソンとマルコは、ゆっくりと階段を降りて行く。
地下に降りて、すぐに目に付いたもの……それは焚き火の明かりだった。二十メートルほど先に、焚き火とそれを囲む十数人ほどの人々の姿が見える。老若男女、様々な者たちがいた。
そのうちの一人が、ギブソンとマルコの姿に気づいた。それと同時に、声を上げる。
「誰だお前ら!」
すると、そこにいた男たちが一斉に立ち上がる。棒きれやナイフのような粗末な武器を手に、警戒心を露にしてこちらを睨み付けている。同時に、女や老人、そして子供たちは後ろに下がる。
ギブソンは拳銃を抜き、上に銃口を向けてトリガーを引いた。銃声が轟き、弾丸は天井を貫く……そして、パラパラとコンクリートの破片が落ちてきた。
それを見た男たちは怯み、動きが止まる。だが――
「お前たちは……さっさと逃げろ。奴らの目的は、このオレだ」
声と共に、男たちをかき分けて前に出てきた者がいた。今回の標的、カイル・ウェザース……のはずである。しかし、写真で見た狂気めいた印象はどこにもなかった。ジュドーから聞いた話によれば、無差別テロにおいて重要な役割を果たしたらしい。少なくとも、数十人の殺害に関与したのは間違いないと言われ、裁判でも死刑判決を受けた。
しかし、今目の前にいるのは……ただの疲れきった中年男にしか見えない。
「お前……本当にカイル・ウェザースなのか?」
ギブソンは思わず呟いていた。目の前の男からは、殺気がまるきり感じられない。しかも、周りにいる人間たちの視線も奇妙なものだ。彼らはカイルを心の底から信頼し、また心配しているように見える。銃の存在を知り、怯んではいるが……それでも戦意そのものは失ってはいない。
もし自分がカイルを連れ出そうとしたならば、一斉に襲いかかってくるかもしれない。
「カイルさんよう、悪いが来てくれよ。あんたを捕らえるように、って命令が来てるんだ。嫌だと言うなら、あんたを死体に変えて持って行くだけだ。さあ、どうする?」
「それは……今死ぬか、後で死ぬか選べ、と言っているのと同じだな」
カイルは悲しげな表情で言葉を返す。
「かもしれねえな。だが、人生なんか所詮はそんなもんだろ。今死ななくても、いつか必ず死ぬ。早いか遅いか、その違いでしかないだろうが」
ギブソンがそう言ったとたん――
「帰れ!」
一人の男が叫ぶ。と同時に、男たちの群れが動き出した。転がっている石やコンクリートの欠片、空き瓶などを拾い上げる。
「カイルさんは、オレたちの恩人だ!」
また、別の男の声……ギブソンは唇を噛んだ。どうやら、皆殺しにしなくてはならないらしい。
(カイル・ウェザースの異能力は炎だ。化学工場を爆破し、数十人の死者を出す騒ぎを引き起こした。その後、逮捕されたが……何者かの手引きにより脱獄し、エメラルド・シティに逃げ込んで来た)
ジュドーの言葉が甦る。そう、この男は数十人の人間を殺した重罪犯である。また、脱獄した死刑囚でもあるのだ。しかし、その異能の力は……ここの人々を守るものであった。
ギブソンは男たちの顔を見る。彼らは普段、地下で暮らしている。ギャングと揉め事を起こしたりしたせいで、地下に逃げて来た者たちなのである。地上で暮らしている浮浪者たちよりも過酷な生活を強いられているのだ。昼間はギャングやチンピラなどの悪党に怯え、夜は人外たちに怯える……そんな環境で生活する彼らにとって、カイルの存在は神にも等しいものだろう。
だが、これは仕事なのだ……ギブソンとマルコには金が必要だ。
「お前らには関係ない。さっさと失せろ……でないと皆殺しだ」
拳銃を構え、ギブソンは言い放つ。マルコも低く唸りながら、ギブソンの隣に来た。完全に戦闘モードに入っている。ギブソンが命令を降せば、マルコはすぐさま飛びかかって行くだろう。そして、ものの数分で皆殺しにしてしまうことだろう。出来るなら、そんな事はしたくない。
しかし――
「お前らこそ、さっさと消えろ!」
「カイルさんは、オレたちの命の恩人だ!」
「オレの命に替えても、カイルさんを守る!」
男たちは口々に叫びながら、じりじりと近づいて来る。全員の目には、ある決意が浮かんでいた。死んでも貴様には屈しない、という強烈な意思。ギブソンには見覚えのあるものだった……彼らにとって、カイルの存在は人間としての最後の拠り所なのだ。ここでカイルを見捨てて逃げてしまったら、人間としての誇りすら捨て去ることになる……彼らはそう信じている。ここで逃げるくらいなら、彼らは死を選ぶだろう。
そして……ギブソンも決意した。
「マルコ……殺れ。全員殺せ」
マルコは襲いかかる。男たちめがけ、凄まじいスピードで突進し両腕を振るう……男たちは、反応すら出来ないまま次々と倒れた。
だが次の瞬間、マルコは後方に飛んだ。炎の刃がマルコの体を掠め、髪の毛を焦がす。
「マルコ! 伏せろ!」
ギブソンが叫ぶ。同時に拳銃のトリガーを引いた――
だが、カイルの反応も尋常ではなかった。すかさず床に伏せる。すると、転がっている死体が弾丸避けとなり銃弾を防いだ。
そして次の瞬間、炎がギブソンを襲う。危険を察知し、咄嗟に横に転がりかわしたものの、火炎放射機のような炎のシャワーを前に、近づくことすら出来ない……。
だが、マルコには充分過ぎる隙が生まれた。
ギブソンに気を取られていたカイル……だが、マルコの動きは、彼の想像を遥かに上回るものだった。気配に気づいたカイルが振り向いた時、マルコは既に目の前にいた。
マルコが腕を一振りし――
次の瞬間、カイルの首はへし折れていた。
「おいマルコ、どうしたんだよ?」
マルコに声をかけるギブソン。ジュドーには殺したことを連絡した。あとはジュドーの部下たちに、カイルの死を確認してもらうだけだ。
だが、マルコの目はある一点を見ていた。ギブソンも、マルコの視線の先にあるものを見る。
女と子供たちが集まり、じっとこちらを見ていた……恐れと憎しみ、そして呪いのこもった目線。彼らはじっとマルコを見つめていた。
「ウウウ……」
マルコはその視線に敵意を感じたのか、低く唸りながら進んでいく……だが、ギブソンが制した。
「やめとけマルコ……相手にするな」
言いながら、ギブソンは拳銃を抜く。
そして、銃口を天井に向け発砲した。
「さっさと失せろ!」
怒鳴るギブソン。女や子供、老人たちは立ち上がった。恨みがましい視線をこちらに向けながら、とぼとぽ歩いて行く。
ギブソンは必死で、こみ上げてくるものを押さえこんでいた。カイルは、ここの人々を己の異能力で守っていたのだ。もともとカイルは政治犯である。差別された異能力者たちの地位向上のため、テロを行なったのだ。地下に住む人々の姿が、隔離された異能力者たちの姿と重なって見えたのではないだろうか……。
そして、カイルの炎の力は敵を焼き尽くすだけでない。明かりを灯すことも出来る。皆を暖めることも出来るのだ。
だが自分は、彼らから炎の力を奪ってしまった。それだけでない。男手も奪ってしまったのだ……。
女や老人たちが自分たちに向かって来ないのは、命が惜しいからではない。残された子供たちを守り、育てていくためなのだ。
ギブソンは胸のむかつきをこらえながら、虚ろな目で去って行く人々を見ていた。だが、その時――
「いつか……殺してやる……」
一人の少年の、呪詛の声が響く……その黒髪の少年はじっと立ち止まり、涙に濡れた目でギブソンを睨んでいた。
「あんたがギブソンかい……あたしはモニカ。一応、ここの代表だよ」
中年女はそう言いながら、ニヤリと笑って見せる。背は女性にしては、かなり高い。ギブソンと同じかやや高いくらいか。肩幅は広くがっちりしている。そのうえ骨太で、顔の右半分には大きな痣があった。お世辞にも美人とは言えない女だ。
しかし、単純な美醜を超越した何かを感じさせる。カリスマ、とでも表現すればいいのだろうか。圧倒的なまでの自信、そして人間としての大きさ。まさに女傑としか言い様がない。
「あ、どうも……ギブソンといいます。ええと、モニカさんですね……うちのアメデオを預かってもらってすみません」
「いいんだよ。お安い御用さ……こっちこそ、ケイが迷惑かけちまったみたいだし。あの二人は、しょっちゅう喧嘩するんだよ……困ったもんさ」
そう言うと、モニカは庭に視線を移す。庭では、数人の子供たちがマリアやロバーツ、そしてアメデオと遊んでいた。子供たちの中には、片腕の無い少年がいる。両足が無く、木製の車椅子に乗っている少女もいる。両目を布で覆い、マリアに手を引かれている少年もいる。
そしてケイも、若い娘に手を引かれて遊んでいた……ケイそっくりの娘に。
「あのケイって娘はね、昔は殺し屋をしてたんだ……いま隣で手を引いてる、双子の姉のユリと組んでね。ところがある日、相手からの反撃を食らった。何とか仕留めたものの、ケイは目を切られて失明しちまった……それ以来、殺し屋を廃業してここで働くようになったってわけさ。ユリの奴、いつも口うるさくて……でも、ユリはケイを本気で心配してるんだよ。責任を感じてるんだね」
庭を見ながら、淡々とした口調で語るモニカ。ギブソンもまた、庭の風景をじっと見ていた。体に障害のある子供たちが、楽しそうに遊んでいる……ギブソンにとっては、不思議であると同時にひどく眩しい光景でもあった。
「モニカさん……マルコをここで引き取ってもらうことは出来ますか?」
気が付くと、ギブソンの口からそんな質問が発せられていた。
モニカの視線が、ギブソンに移る。優しさと厳しさの同居した瞳は、彼女の人間としての大きさを感じさせるものだった……ギブソンは思わず目を逸らした。モニカのような女には、大陸ではまずお目にかかれないだろう。
男女の差を論ずることさえ、モニカを前にしては愚かな行為に思えた。
「はっきり言うよ。そいつは難しいと思う。マルコには、あんたが必要だよ。一対一で向き合い面倒を見られる、あんたみたいな男がね。あたしたちは他の子も見なくちゃならない。それに……」
モニカは言葉を止め、子供たちに視線を戻した。子供たちは楽しそうに、キャッキャと声を上げている。時おり、特徴的なマリアの声が混じる。
「あんたもわかってると思うけど、あの子たちは天使じゃない。獣の部分もあるし、悪魔みたいな部分もあるんだよ。あたしはマルコの顔を見てないからわからない。でもね、あの子たちは……時に、ひどく残酷なことを言うこともある。はっきり言って、ここにマルコを預けるのは……あたしは賛成できない」
「そうですか……わかりました。じゃあ、アメデオは連れて帰ります。また、よろしくお願いしますね」
・・・
「タイガーさん、何でマルコにこだわるんです?」
食堂『ジュドー&マリア』の地下室……完全防音の部屋で、ジュドーとタイガーは二人きりで対峙していた。ジュドーの側近、アイザックとカルメンは外で待たせている。タイガーはソファーに腰掛け、冷酷な表情でジュドーの視線を受け止めている。一方、ジュドーもまた冷静な顔でタイガーを見つめていた。
ややあって、タイガーが口を開く。
「何故、そんなことを言い出すのだ?」
「カイルの始末はレイモンドたちに頼もうと思ってたんですよ。ところがタイガーさん……あなたは強硬にマルコを推してきました。言っちゃなんですが、あなたはこんな小さな仕事に口出す人じゃなかったはずだ……しかも、何故かあなたはギブソンを嫌ってる。いったい、どういう訳なんです?」
ジュドーは静かな口調で尋ねる。
タイガーはため息をつき、虚空を睨んだ。
「これから話すことを、胸にしまったままでいられると誓えるか?」
「……わかりました。誓いましょう」
ジュドーがそう言うと、タイガーの表情が崩れ始める。冷酷なギャングの女ボスの仮面が剥げ落ち、苦悩する一人の女……いや、人間の素顔が露になった。
「マルコは大陸に戻り、母親を殺すことを願っているらしい……だが、それは無理な話だ。奴が母親だと思い込んでいる女は、私が既に殺したのだから……」
「どういう意味です!? まさか、あなたが……」
「相変わらず、察しがいいな……ジュドー、あれの本当の母親は……この私なのだよ……」
野獣の出会い《完》




