野獣の出会い 2
ブルドッグは迷うことなく街の中を進んでいく。そして時おり立ち止まっては、こちらを振り返る。まるで、ちゃんと付いて来ているか確認しているかのように。さらには、早く来いと催促しているかのように……。
ギブソンは不思議に思いながらも、ブルドッグの後を追った。アメデオを連れたマルコも、ギブソンの横に付いて歩いている。アメデオはブルドッグに早く追い付きたい様子だが、ギブソンはあえて距離を空けていた。万が一、罠だった場合のことを考え、なに食わぬ顔でポケットの拳銃を握り締めている。
ブルドッグは歩き続けたかと思うと、慎重な足取りで裏通りに入り込んでいく……ギブソンは表情を堅くした。このあたりの住人は、犬だろうが猫だろうが容赦なく食べる。場合によっては、人間も食べる者までいるのだ。ブルドッグはそういった危険に気づいていないのか……あるいは、危険を推してまで進まなければならない何かがあるのか。
廃材や瓦礫の重なっている場所にさしかかった時、突然ブルドッグは立ち止まった。そして、こちらをじっと見つめたかと思うと……。
わう、と吠えた。
すると――
「ロ、ロバーツ? どこ行ってたのよ……」
若い娘の声だ。それも弱々しい……通りの脇にある、高く積まれた廃材の陰から聞こえてきたのである。ギブソンは声のした方を、じっと見つめる。一体、どういうことなのだろう? ブルドッグの飼い主がここで行き倒れているのだろうか?
すると、今度はアメデオが吠えた。かん高い、子犬特有のきゃんきゃんという鳴き声……すると、その声に呼応するかのように、ブルドッグも吠える。こちらは野太いが、どこか親しみのこもった吠え声だ。
そして、またしても女の声。
「な、何よ今の……ロバーツ、誰かいるの? 誰か来てるの?」
その声を聞いたギブソンは、どう返答したものか迷った……だが、彼の代わりにマルコが口を開いた。
「その犬、ロバーツっていうのか?」
「だ、誰!?」
女の声が、緊迫感に満ちたものへと変化した。ギブソンは音を立てないよう、ゆっくりと廃材に近づいて行く。
一方、マルコは落ち着いた態度で答える。
「オレ……マルコ。うちの犬……アメデオが、ロバーツと遊びたがってる。遊ばせてもいいか?」
「……」
女からの返事は無い。マルコの声は潰れている上、滑舌はあまり良くない。そのため、何を言っているのか聞き取れなかったのかも知れない。昔よりはずっとマシになったのだがな……などと思いながら、ギブソンは忍び寄る。
そして、廃材の陰を覗きこんだ。
廃材と建物の壁……その隙間に隠れていたのは、予想通り女だった。小柄な体にフード付きのマントを羽織り、地面にしゃがみこんでいる。フードを被っているせいで、顔は見えない。
ギブソンはさらに近づいた。
その時、女ははっと顔を上げた。そして、こちらを向く。その拍子にフードがずれ、女の顔が見えた。まだ若い娘だ。黒髪と色白の肌。形の良い鼻と口元。可愛らしい顔だ……本来ならば。
だが娘の顔の上半分には醜い傷痕があった。まるで刃物で一直線に切られたかのような、長いギザギザの一本線の傷痕……その傷が、娘の両方の瞼を通過している。恐らく、彼女の視力は永遠に失われてしまっているのだろう。
「お前は……」
ギブソンは思わず声を洩らした。すると、娘はその声に素早く反応する。
「誰!?」
叫ぶと同時に、傍らの棒を拾った。そして構える。だが、ブルドッグのロバーツの反応も早い。素早く娘の足元に移動し、わう、と短く吠える。あたかも、落ち着け、と言っているかのように。
そこに乱入していく者がいた……アメデオだ。マルコがロープを離してしまったらしい。アメデオはきゃんきゃん鳴きながら、ロバーツに突進してじゃれついていく。ロバーツは迷惑そうな顔をしながらも、仕方なく相手をしている。さらに、マルコが近づいて行った。
「ごめん。アメデオが遊びたがってから……」
マルコはそう言いながら、女に恐る恐る近づいて行く。女は呆然としていたが……。
次の瞬間、クスクス笑い出した。
「あたし、ケイっていうの……ねえ、あんた名前なんていうの?」
娘が尋ねる。先ほどまでとはうって変わって、にこやかな表情だ。
「マルコ」
「へえ……マルコっていうんだ。で、この子がアメデオ?」
ケイと名乗った娘は、はしゃいでいるアメデオのいるあたりを指差す。アメデオは楽しそうに、きゃんきゃん鳴きながらロバーツにじゃれついている。ロバーツはやれやれ、といった雰囲気であやしていた。
そして、マルコは嬉しそうに答える。
「そう……アメデオだ」
「ふーん……ねえ、アメデオは可愛い?」
「うん、可愛い。でも、ロバーツも可愛い」
そう言いながら、マルコはロバーツを撫でる。ロバーツはちらりとマルコを見上げ、わう、と吠えた。
「ふふふ……ロバーツが、マルコありがとうって言ってる」
「え? ロバーツそう言ってるのか? ケイはわかるのか?」
「うん。あたし、ロバーツの言葉ならわかるよ」
「凄いなあ」
「へへへ……凄いでしょう……」
二人の会話する姿を横目で見ながら、ギブソンは複雑な思いに襲われていた。このケイという女は、目が見えない。だから、マルコを拒絶しないのだ……そしてマルコは、とても嬉しそうだ。こんな形で、若い女と話したことはないのだろう。しかも、ケイは可愛らしい顔の持ち主だ……目の傷痕さえ除けば。マルコも年頃の少年である。ケイのような若く可愛らしい女と話すのは嬉しいことだろう。
しかし、それはマルコに何をもたらす?
良いことなのか? それとも悪いことなのか?
「ねえ、そこのおじさんは何て名前なの?」
不意に、ケイの声が聞こえてきた。ギブソンは我に返り、苦笑する。
「おじさんはないだろうが……オレはまだ二十六なんだぜ。オレはギブソンだ。ところでケイ、お前の家はどこなんだよ? 送っていくぜ」
ギブソンの言葉を聞いたとたんに、ケイの顔色が変わる……堅い表情で、彼女は口を開いた。
「あたし、家には帰らないよ」
「……おい、何があったか知らないが、とにかく家に帰れ。家はあるんだろうが――」
「絶対に帰らない!」
言いながら、ケイは頬を膨らませる。どうやら、家で何かあったらしい……家族の誰かと喧嘩でもしたのだろうか。ギブソンは顔をしかめた。マルコとアメデオだげでも手に余るのに、この上盲目の少女まで加わっては……申し訳ないが、ギブソン一人の手には負えない。
しかし、そんなギブソンの思いとは裏腹に、ケイは勝手に話を進めていた。
「ねえマルコ……会ったばかりでこんなこと頼むなんて、図々しいと自分でも思う。でも、今はあんたしか頼める人がいないの……あんたの家に、しばらく泊めてくれない?」
「え……」
マルコは困った表情になった。そして、縋るような目でギブソンを見る……だが、ギブソンは怖い顔をして首を横に振った。
マルコはすまなそうに、おずおずと口を開く。
「ケイ、駄目だ」
「どうしても……駄目なのかな?」
「うん……ギブソンが駄目って言ってるから……」
マルコが申し訳なさそうに答える。すると、ケイは憮然とした表情で杖を手にした。そして、勢いよく立ち上がる。
「もういいよ……あんたになんか頼まないから!」
そう言うと、壁に触れながら歩き始めた。エメラルド・シティで盲目の若い娘を野放しにする……あまりにも危険だ。いや、危険などという表現すら生ぬるいだろう。
ギブソンはため息をついた。正直、こんな馬鹿で強情な女がどうなろうと知ったことではない。自分は正義のヒーローではないのだ……むしろ、その正義のヒーローに倒される側の人間である。しかも、帰る家があるのに帰らない……これは自業自得である。自分に助ける義理はない。
しかし……。
「おい、待てよ……仕方ない。今日だけ――」
だが、ギブソンは言葉を止めた。言葉の途中、いきなりロバーツが吠え出したのだ。誰もいないはずの方角に向かい、わんわん吠えている……さっきまで楽しそうにじゃれついていたアメデオも、ロバーツの真剣な様子を目の当たりにして動きを止めた。
「ロバーツ……どうしたの……」
ケイが不安そうに呟く。だが、ロバーツは吠え続けている。誰もいない方角に向かい……。
ギブソンはただならぬものを感じ、マルコの方を見た。マルコも、ロバーツと同じ方角を見ている。だが、警戒しているような表情ではない。
「マルコ、敵か?」
ギブソンが尋ねると、マルコは首を振った。
「違う……敵じゃない」
マルコが答えると同時に、かすかな声が聞こえてきた。
「けいたん! ロバーツ! どこであるか!?」
若い女の声だ。そして、バタバタという足音も聞こえてきた。ギブソンは廃材の陰から顔を覗かせる。すると、通りの向こうから若い男女が駆けて来た。女の方はハサミででたらめに切ったような銀髪のショートカットに白い肌、黒い鋲打ちの革ジャンを着ている。一方、男の方は薄汚れた紺色のスーツに紺色の帽子を被っている。エメラルド・シティに似つかわしくない二人組だ。
「ケイ、あの二人はお前の知り合いか?」
ギブソンが尋ねると、ケイは不貞腐れた様子でプイッと横を向いた。あの二人と揉めたのだろうか……そうしているうちに、二人は廃材の陰にいる自分たちに気づく。そして近づいて来た。
だがマルコの顔を見たとたん、ギョッとした表情で立ち止まる。そして、若い女がマルコを睨んだ。
「お前は何奴であるか!? けいたんから離れるである!?」
叫ぶと同時に、身構える女……男の方も、警戒心を露にしている。一方、マルコの方も二人の敵意を感じ取ったらしい。低く唸り、低い姿勢で睨みつける。一触即発の空気だ。
しかし――
「やめて! マルコは悪い奴じゃない!」
ケイが叫ぶ。同時にギブソンが割って入る。そしてヘラヘラ笑いながら口を開いた。
「そこのお二人さん、オレはギブソンだ。怪しい者じゃない……いや、怪しい者だが、悪者じゃないつもりだせ。そして、こいつはマルコだ。オレの仲間だよ。ええと、見た目は……ちょっと変わってるが、悪い奴じゃない。むしろ、いい奴だ。オレが保証する。なあマルコ、お前はいい奴だよな?」
そう言いながら、ギブソンはマルコの前に立つ。そして、片手でマルコに下がるよう促す。マルコは不満そうな顔をしながらも、おとなしく引き下がった。
それを見て、二人の態度にも変化が生じた。女の方は、マルコをじっと見つめる。一方、男の方は笑みを浮かべながら、ギブソンに近づいた。
「そうか。オレの名はビリー……ビリー・チェンバーズだ。こいつはマリア。オレたちは、そこにいるケイと一緒に孤児院で暮らしている。ところが、ケイが家出してな。連れ戻そうかと――」
「あたしは絶対に帰らないよ!」
不意にケイが怒鳴りつける……ビリーは苦り切った表情になった。そしてケイの方を向く。
「ケイ……あのなあ、ユリは何だかんだ言っても心配してるんだぞ。お前が帰らないと言うなら、力ずくでも連れ帰るぜ」
「いや! 絶対に帰らないよ! お姉ちゃんが謝るまで、あたしは絶対に帰らない!」
そう言うと、ケイはしゃがみこむ。てこでも動かないぞ、という意思表示のようだ……それを見たビリーは、やれやれという表情でギブソンの方を向いた。お前からも何とか言ってくれよ、とでも言いたげな目でギブソンを見る……。
だが、ギブソンは首を振った。正直、姉妹同士の喧嘩に首を突っ込むほど暇ではない。家があり、そして迎えが来たのなら問題ないだろう。
これ以上、自分たちが手助けする必要はない。後は家族なり仲間なりの力で解決すべき問題だ……そう思いながら、ギブソンはマルコの方を向いた。
「マルコ、行くぞ」
ギブソンは声をかける。しかし、マルコは動こうとしない。じっとケイを見つめている。
そして――
「ケイ……コジイン、て何なんだ? お前の家なのか?」
「そうだけど……あんた、孤児院を知らないの?」
ケイが不思議そうに尋ねると、マルコは頷いた。
「うん、知らない。どんな所なんだ……今度、行ってもいいか?」
「え……ちょっと……何それ……あんた、何言ってんの?」
ケイの声には、はっきりとした戸惑いがあった。だが、マルコは真剣そのものだ。
「オレは子供の頃から、ずっと檻の中に居た。鎖で繋がれてた……だから、何も知らないんだ。ギブソンと出会うまで、オレは字も読めなかった。でも、色んなことを知りたい。それに、色んな人と話したい。色んな所にも行きたい。ケイ、今度はオレを連れて行ってくれ」




