売人の意地・後編
「くりぼー! お前も手伝うのである!」
「え……オレ? 何でオレが!?」
「今日は炊き出しなのである! 大変なのである! くりぼーも手伝わなくてはいけないのである!」
「マジかよ……来なきゃよかった……つーか、くりぼーってオレのあだ名か? もっとマシなあだ名つけてくれよ……」
クリスタル・ボーイは今日、ジュドーに会いに来たのだが……ジュドーは公園の跡地に向かっていた。浮浪者たちを集めていた。そこで一切れのパンと一皿のスープを皆に配るのだという。
その炊き出しを仕切っているのは、ジュドーの相棒マリアなのだという。リヤカーに、巨大なスープ鍋と大量のパンを積みこんでいた。そのリヤカーを引き、かなりの距離を歩いて公園に来たのだ。
ボーイも仕方なく、付いて来たが……。
「くりぼー! お前も手伝うのである!」
そうマリアに怒鳴り付けられ、手伝う羽目になってしまったのだ。
マリアは……切れ味の悪いハサミででたらめに切られたようなショートカットではあるが、よく動く大きな瞳、小さめの鼻と形の良い唇、白い肌……と、顔だけ見れば可愛らしい娘ではある。しかし彼女の腕は太く、筋肉に覆われている。肩まわりも凄まじい。並みの男なら、簡単に捻り潰せそうである。
そして、人を即興のあだ名で呼ぶ妙な癖がある。
「くりぼー! お前も配るのである!」
マリアの声……ボーイはげんなりした表情で、パンとスープの皿を配る。ジュドーはと言えば、痩せこけた小柄な老人と何やら話している。その老人のことはボーイも知っていた。浮浪者たちを仕切っているタン・フー・ルーである。
タンは一見すると、ただの小柄な老人でしかない。しかし、このエメラルド・シティでも一番の情報通だろう。ボーイも独自の情報網を持ってはいる。しかし、こと情報量に限って言えば……タンの方が優っているのは確かだ。
ジュドーは、そんなタンの情報網に目を付け……取り引きを持ちかけたのだ。浮浪者たちに週に二度、食事を与える……その代わり、自分に協力してくれるように、と。
タンは、その申し出を承諾した。
浮浪者たちにパンを配るボーイ。彼は改めて、ジュドーという男の手腕に感心していた。他のギャングたちから見れば、浮浪者など取るに足らない存在だ。しかし、その浮浪者たちの情報網にいち早く目を付ける……大したものだ。
「で……ボーイ、用事って何だよ?」
パンを配り終え、座り込んでいるボーイに近づき、話しかけてきたジュドー。向こうではマリアが、浮浪者たちを集めて奇怪なダンスのようなものを披露している。
「ああ……ジュドー、ちょっと頼みがある。マルケスの奴と会わせてくれ」
「マルケス? それは構わねえが……あ、そういやお前、最近マルケスの店に入り浸ってるそうだな。目当ての娘でもいるのか?」
そう言いながら、ジュドーも腰を降ろす。
「目当て、つーか……なあジュドー、お前バカ兄弟って知ってるか?」
「バカ兄弟? ああ、あのデカい双子だろ……知ってるよ。それがどうかしたのか?」
「あいつらを引き取りたいんだ。だから……マルケスと話をつけたい」
そう……ボーイは最近、マルケスの店にちょくちょく顔を出している。そして、バカ兄弟と呼ばれる双子と言葉を交わすのだ。双子もボーイのことが気に入ったらしく、ボーイの顔を見ると笑みを浮かべて挨拶する。
他の酔客や店の人間相手の形だけの笑顔と違う、心からの笑顔。
「はあ?」
ジュドーは呆気に取られた表情で、ボーイを見つめる。だが、ボーイは真剣そのものだった。
「ジュドー……この街にはクズが多すぎる。オレもボディーガードの一人や二人、欲しいと思っていたんだよ。あの双子ならデカいし、顔も怖い。何より……オレを裏切るような真似はしないだろうしな。だから、あいつらを引き取りたい」
ボーイの口調は静かなものだった。だが、内に秘めた何かを感じさせる。ジュドーは苦笑した。
「なあ、あの双子は手がかかるぜ……なりはデカいが、頭は恐ろしく悪い。しかも――」
「んなこと……どうでもいい。オレはマルケスに会って話をつけ、双子を引き取る。もう決めたんだよ。だから……お前には是非、奴との話し合いの場を仲介して欲しいんだ」
「……わかった。いいだろう」
ジュドーが答えると同時に、向こうの方で歓声が上がる。二人がそちらを向くと、マリアが街灯によじ登り、くるくる回っている。ポールダンスの真似をしているつもりなのだろうが、ボーイの目には白いちびゴリラが、木によじ登り遊んでいるようにしか見えない……。
「ボーイ……お前のやることに口出す気はないがな、これから大変だってことは覚えておけ……ああいうのが二人、お前の生活に紛れ込むことになるんだぞ」
ジュドーの言葉に対し、ボーイはひきつった顔で頷くことしかできなかった。
そして数日後。
ボーイとジュドーは、マルケスの屋敷に通された。しかし、二人が通されたのは悪趣味を絵に描いたような部屋……いや、大広間だったのだ。けばけばしく飾り立てられ、派手な装飾を施された内装。さらに、裸同然の格好をした女たちが、食べ物や飲み物の乗った盆を持ってうろうろしている。
ボーイは、拳銃を乱射したい衝動を必死で押さえていた。
「やあジュドーさん、久しぶりですな」
姿を現したマルケスはジュドーに対し、にこやかな表情で挨拶した。一見すると、ギャングらしからぬ知的で優しげな風貌だ。物腰も穏やかである。
しかし、マルケスの手には鎖があった。
その鎖は、褐色の肌の女にはめられた首輪に繋がっている。
そして……女の両手両足は切断されていた。
「この……」
ボーイが低く唸る。横にいるジュドーの表情も険しくなった。だが、マルケスはまるで気にしていないようだ。
「で……こちらの紳士はどなたかな?」
マルケスの視線は、ボーイに移る。ボーイは目の前の腐れ外道の頭をブチ抜きたい衝動に駆られたが、それをどうにかこらえる。彼の代わりに、ジュドーが答えた。
「マルケスさん、この男がクリスタル・ボーイですよ……会いたがってましたよね?」
ジュドーの言葉を聞いたマルケスは、笑みを浮かべて軽く会釈する。上品な振る舞いではあるが……鎖に繋がれた女の存在が、マルケスの全てを下劣なものにしていた。
その時、ボーイは気づいた。
こんな奴に頭を下げられるほど自分が器用な人間ならば、最初からエメラルド・シティには来ていないと……。
「気が変わった。てめえみてえな変態の腐れ外道と話すことは何もない。帰る」
ボーイはその一言だけを残し、向きを変えて立ち去って行った。
「ちょっと待てよ! おいボーイ! お前、どうする気だ!」
背後からの、ジュドーの声……と同時に、腕を掴まれる。だが、ボーイは強引に振り払った。
「決まってるじゃねえか……今からマルケスの店に乗り込むんだよ。そして……あの兄弟を引き取る」
「マルケスに無断でそんな事したら、奴はブチ切れるぞ。お前、奴の子分に殺られる――」
「上等だよ……マルケスの野郎が仕掛けてきたら、奴の頭を吹っ飛ばして……いや、あの野郎の両手両足ぶった切ってやるよ」
「おい、あんた……ここが誰の店だかわかってんのか? ここはマルケスさんの店だぜ」
店に乗り込んで行ったボーイを待っていたのは、軽蔑の視線と侮蔑の言葉であった。数人の男たちは小柄なボーイを取り囲み、威圧するかのような視線を浴びせかける。
しかし――
「お前らなんかに用はねえ……ほら、これでもくれてやる。邪魔するな」
言うと同時に、紙幣を放り投げつけるボーイ。まるで紙吹雪か何かのように、上に舞い上げる。すると男たちの目の色が変わった。飢えた獣のように、宙を舞う紙幣に群がる……。
そしてボーイは男たちの間をすり抜け、双子の前に行く。双子はいつものように、プラカードを首から下げられ、立たされていた。
ボーイと目が合うと、二人とも微笑む。
「やあ、ボーイ」
「やあ」
双子はいつものように、心からの笑みを浮かべる……だが、ボーイは双子に近づくと、首にぶら下がっているプラカードをむしり取った。
そして――
「今日からお前たちのボスは……このオレだ」
「え……」
「え……」
双子はきょとんとした様子で、ボーイを見つめる。ボーイの言ったことが理解できていないようだ……しかし、ボーイは言葉を続けた。
「なあ、お前ら……オレの事は嫌いか? オレと一緒に働くのは嫌か?」
ボーイが尋ねたとたん、双子は首を横に振った。
「嫌いじゃない!」
「嫌じゃない!」
真面目な表情で答える双子。ボーイは笑みを浮かべながら頷いた。
「なら決まりだな。オレに付いて来い――」
「待てよ……てめえ、何勝手なことを言ってやがるんだ?」
先ほどと同じ声……どうやら、金を拾い終えたようだ。ボーイは声のした方を向く。
男たちが金を握りしめ、ニヤニヤしながらこちらを見ている。
「金はくれてやったろうが……足りねえってのか?」
ボーイの言葉に、男たちは顔を見合わせる。
「足りねえなあ……マルケスさんも、うんとは言わねえだろうよ。オレたちも嫌だしな」
一人が言葉を返す。と同時に、嘲笑が起きる。ボーイは双子の方を向いた。
「お前ら……どうしたいんだ? オレの下で働くか? それとも、この店に残るか? 好きな方を選べ」
「え……あ……ボーイ」
「ボーイ」
双子は困った顔をしながらも、そう答えた。
すると――
「だったら最初の命令だ。こいつらをブチのめせ」
そう言いながら、ボーイは男たちを指さす。
双子の困惑が、さらに大きくなる。
「え……」
「え……」
口ごもる双子……だが、ボーイはなおも続ける。
「お前らはもう、こいつらの奴隷じゃねえ。お前は自由だ……自由なんだよ! 次はお前らが殴る番だ! 今までお前らがやられていたことを、利子つけて返してやれ! さあ、早くこのクズ共をブチのめせ!」
ボーイは双子を怒鳴り付ける。だが、双子は気弱そうな表情で首を振り、後ずさって行った……その態度が、ボーイをさらに苛立たせた。彼は怒りを露にし、双子に詰め寄る。だが、その時――
「できるわけねえだろ、このバカ兄弟に」
「そうそう、こいつらは殴られても殴り返さねえ、どうしようもない臆病者なんだよ」
「頭は弱い上に度胸もない……こいつらこそ、最悪のクズだぜ」
嘲笑いながら、好き勝手なことを言う男たち……ボーイは振り向いた。
「じゃあ、お前らは何なんだ? 殴り返さねえ奴しか殴れねえ、クズ以下ってことになるな。勝てるケンカしかできねえクズ……いや、クズなんて呼ぶのはもったいねえ。お前らはクソだ――」
言い終えることはできなかった。ひときわ体の大きい者が前に進み出て、ボーイを突き飛ばしたからだ。小柄なボーイは吹っ飛ぶ……が、双子の片方が受け止めた。
「この野郎!」
ボーイは吠えた。同時に拳銃のグリップを握る。だが……目の前に突然、肉の壁が立ち塞がっていた。
「ボーイには……手を出すな」
「手を出すな」
いつの間に動いたのか……双子がボーイの前に立っていた。あたかも、彼を外敵から守ろうとしているかのように。
唖然となるボーイ……だが、男たちは状況の変化に気づいていなかった。
「あ? なんだと……バカ兄弟はどいてろ」
男たちはそう言うと、双子の肩に手をかけた。そして無理やりどかそうとしたが――
次の瞬間、ボーイは何が起きたのかわからなかった……双子の動きがあまりにも速く、そして滑らかだったからだ。双子は二人同時に動いた……片方が手近な男を軽々と持ち上げ、投げつける。同時にもう片方が、凄まじいスピードで男たちに突っ込む。まるで車に撥ね飛ばされるかのように、体当たりで吹っ飛ばされていく男たち……さらに双子の片方がテーブルの上に乗り、恐ろしい咆哮と共に巨体を踊らせ飛びかかる――
闘いは……いや、闘いと呼べるようなものではなかった。双子の圧倒的なパワーの前に、男たちは為す術がなかったのだ。
男たち全員が意識を失い床に倒れるまで、一分とかからなかった……。
「ちょっ……ちょっと! あんたたち何やってんの! 何が起きたの!」
突然、すっとんきょうな女の声が響く……ボーイが振り向くと、若い女が立っていた。ボーイと顔見知りの、双子に優しかった女だ……ボーイは男たちの手から金をむしり取り、女に渡した。
そして言った。
「姉ちゃん、悪いが今日は営業停止だ。この金持って帰れ」
そして次に、双子の方を向いた。
「行くぞ兄弟……ところで、お前らの名前は?」
「え……ジョーガン」
「バリンボー」
双子は、少し嬉しそうな表情で答える。ボーイも、なんとなく嬉しくなってきた。
「おいジョーガン、バリンボー……いや、面倒くさいな……おい兄弟! メシでも食うか! 好きなもん好きなだけ食わしてやるぞ! 来い!」
「おお! メシ!」
「ご飯!」
双子は満面の笑みを浮かべ、その場でピョンピョン跳ねる。ボーイは苦笑し、店を出て行こうとした時――
「ちょっと待ってよ! あんたの名前は?」
背後からの、女の声……ボーイは振り向きもせずに答えた。
「オレの名は……クリスタル・ボーイ。ドラッグ・ディーラーさ」
それから数日経った、ある日の事。
「きょーでえの兄! お前は右手を上げるのである! 弟は左手を上げるのである!」
マリアの言葉に従い、奇妙な振り付けで踊る双子。ボーイとジュドーは少し離れた場所で地面に座り込み、三人の奇怪な遊びを眺めていた。
「なあジュドー……あいつら何やってんだ?」
ボーイが尋ねると、ジュドーは苦笑しながら首を振った。
「ほっとけ。バカにはバカにしかわからない世界があるんだよ……それよりボーイ、お前これからが面倒だぞ。気を付けろよ……マルケスの野郎、このままで済ます気はねえぞ」
「上等だよ……あの変態が来やがったら、いつだって始末してやる」
しかし……。
マルケスはその後、何者かによって子分もろとも殺された。
そしてボーイは……ボディーガードとなった双子と共に、売人稼業を続けていくことなった。
売人の意地《完》