転生の結末・前編
成宮亮は混乱していた。
ここは……どこなんだ?
ボクは何故ここに?
亮は辺りを見回す。全く見覚えのない風景だ。日本とは思えない、荒れ果てた街並み。瓦礫とゴミと、得体の知れない何かがぶちまけられている道路。見たこともない、奇妙な文字の書かれた看板。
そして、国籍も人種もわからない異様な雰囲気の者たち……。
亮はズキズキ痛む頭を押さえた。次々と疑問が浮かび上がってくる。ここはどこだ? 自分は何故ここにいる? そもそも、自分は何をしていたのだろう?
頭の痛みに耐えながら、亮は自らの記憶を辿ってみる……。
亮はパッとしない少年だった。ごく普通の中流家庭に生まれ、特に問題もなく成長した。極端に優れた部分はなかったが、極端に劣った部分があるわけでもない。どこのクラスにもいる、「その他大勢」のうちの一人だった。
だが……高校に入ると同時に、いじめの標的になってしまったのだ。
きっかけは……何だったのか自分でもわからない。気がついてみると、自分はとあるグループの一員となり、そこのイジられキャラとなっていた。
だが……そのグループの行動はどんどんエスカレートしていった。彼らの行動は、いじめと呼ばれるものへと変化する。亮の体に生傷が絶えなくなり、そして親の財布から金をくすねたり万引きさせられるようになっていった……。
だが、それはまだ通過点でしかなかったのだ。グループの要求はさらにエスカレートし――
思い出した。
ボクは死んだんだ。
生きてるのが嫌になり、睡眠薬を大量に飲んで、そのまま……。
じゃあ、ここは異世界なのか?
ラノベなんかに出てくるような……本物の異世界なのか?
ボクは……異世界に転生したのか?
亮はもう一度、辺りを見回す。歩いている人間たちは皆、国籍も人種もバラバラだ。白人もいれば黒人もいる。さらには東洋人のように見える者も。人種も年代もバラバラだったが、どこかに共通点があった……亮の周りにいた人間たちとは、根本的に何かが違うのだ。同じ犬でもチワワとドーベルマンがまるきり違う犬種であるように、ここにいる者たちは自分とはまるきり違う人種だ。
そう、まるで異星人のような……。
呆然とした表情で、地面にへたりこむ亮。ふと、視線が自分の体へと移る。ボロボロのタンクトップとホットパンツ……のような衣服を着ていた。見覚えのない服だが、そんなことは自らの肉体に生じている変化に比べれば、ほんの些細なものだった。
自分の胸に、二つの膨らみがあるのだ。
どういうことだよ、これ……。
気が狂いそうになりながら、亮は立ち上がった。そして、両手で自分の体をまさぐる。
胸の膨らみの正体……それは、間違いなく自分の想像していた脂肪の塊だったのだ。乳房と呼ばれているもの……。
そして……あるべきはずのものがない。
嘘だろ……。
女だ……。
ボクは、女になってしまったんだ……。
凍りついた表情のまま、その場に立ち尽くす亮……もはや、この事態は亮の思考のキャパシティを超えていた。放心状態のまま、虚ろな目でもう一度辺りを見回す……。
ここは、間違いなく異世界だった。
ただし、地獄にも等しい場所だ……。
「ねえ、そこの君……幾らなの?」
不意に聞こえてきた言葉……虚ろな表情で、亮は振り返る。
そこには、数人の男が立っていた。ラフな格好に下卑た笑顔を浮かべ、こちらを見ている。全員、体が大きい……いや、自分の体が小さくなっているのかもしれない。
そして全員、明らかに日本人ではない。白人と黒人、さらには南米系の男たちのはず……なのだが、今の言葉は日本語だ。少なくとも、亮の耳には日本語にしか聞こえない……。
しかし、そんなことはどうでも良かった。
亮は一瞬、相手の言葉の意味がわからなかった。だが、相手の下卑た笑顔を見て、何を言わんとしているのかを理解したのだ。あまりのおぞましさと恐怖のあまり、彼は震えながら後退りを始めた……。
男たちの目当ては、自分の体なのだ。
「ねえ、幾らなの?」
こちらを取り囲むような動きをしながら、なおも尋ねてくる男たち……亮は後退りしながら口を開いた。
「ち、違います……ボクは……そういうのじゃありません……」
「はあ? 何言ってんの……そういうのじゃない、ってことは、プロじゃないってことか……じゃあ、ただでいいんだな?」
男たちには、動きを止める気配がない。下卑た笑みを浮かべたまま、こちらに近づいてくる……。
亮は恐怖に震えながら、辺りを見回す。だが、自分たちのことなど誰も見ていない。警察官らしき者の姿はなく、通行人は知らん顔だ。どうやら、見て見ぬふりをされるのは異世界でも変わりないらしい。
次の瞬間、亮は向きを変えた。
そして、脱兎のような勢いで走り出した。
必死で逃げる亮。ここがどういった場所なのか、そして何処に逃げればいいのか……彼にわかるはずもない。
だが、亮は無我夢中で逃げる。男たちに捕まったなら、奴らにどんな目に遭わされるのか……容易に想像がつく。それは、亮にとって死ぬよりも嫌なことだった……。
しかし、亮は男たちに捕まった。そして、うつ伏せの姿勢で地面にねじ伏せられる……亮は必死でもがいた。だが、男たちの腕力は自分のそれとは比較にならない。やがて服をむしり取られる――
助けて……。
誰か助けて!
亮は心の中で叫んだ。しかし、助けてくれる者などいるはずもなかった。引きちぎられる衣服。体を乱暴になで回す手。亮は苦痛と屈辱で顔を歪めた。だが、その時――
「お前ら……ここで何やってるニャ……」
いきなり聞こえてきた、奇妙な声……同時に男たちの力が緩む。亮は首の向きを変え、声の主を見た。
だが、亮はまたしても唖然となった……。
「お前ら……ここは旅行客の来る所じゃないニャ。さっさと戻るニャ」
声の主はそう言いながら、男たちを見回す。見た目は若い女だ。二十歳から二十五歳くらいか。髪は黒く、肌は白い。綺麗ではあるが、どこか野性味を感じさせる顔立ちだ。背は高く、しなやかな体つきをしている。 そして、女の頭には三角の何かが二つ生えている。猫の耳のような……。
「な、何だお前は……」
男たちもまた、唖然とした表情で女を見ている。亮はどうにか、その場から遠ざかろうとしたが、男の一人が上にのしかかったままで身動きがとれない。
「聞こえなかったのかニャ? なら、もう一度言ってやるニャ。お前ら……その女を置いて、さっさと失せるニャ。ここはな、お前ら旅行客の来る場所じゃないニャ」
「嫌だね」
リーダー格らしき男が、そう答えた。それと同時に、男たちは女の周囲を取り囲む……。
「オレ、猫耳の女なんて初めて見たぜ……あっちの具合はどんな感じなのか、楽しみだぜ……」
そう言って、下卑た笑い声を上げる男たち。
その時、女の面倒くさそうなため息らしき音が聞こえた。
そして――
「じゃあ……全員、死んでもらうニャ」
次の瞬間、女が動く……だが何をしたのか、亮にははっきりと見えなかった。それくらい女の動きは早く、しなやかなものだったのだ。女は滑らかに動き、そして腕を振る。直後に手近な位置にいた男が、喉から血を吹き上げて倒れていった……。
女は振り返りもせず、次の相手へと向かっていく。他の者たちは、何が起きたのか把握できないまま硬直している……。
だが、女は容赦しなかった。
女が男たち全員を死体に変えるまで、一分程度しかかからなかった。その間、亮はただただ呆然としていた。恐怖を通り越し、もはや放心状態に陥っていたのだ。
だが……女の言葉が、亮を現実へと引き戻した。
「久しぶりだニャ、亮」
その言葉を聞き、亮は顔を上げる。女は優しげな笑みを浮かべ、じっとこちらを見下ろしていた。亮はぽかんとした顔のまま、女の顔を見つめる。
「やれやれ……お前は相変わらずヘタレだニャ。いくつになっても、世話の焼ける小僧だニャ」
「だ、誰……」
亮は、そんな言葉を返すのがやっとだった……目の前の猫耳の女に、全く見覚えはないのだ。それに、今の自分の体は女になっているのだ。なのに、どうして目の前の女は自分を亮だとわかるのだろう……。
女はまたしても笑い、そして口を開く。
「あたしの名は……ボニーだニャ。忘れたとは言わせないニャ」
「ボニー……ボニー……」
呆けたような表情で、同じ言葉を繰り返す亮……だが次の瞬間、その目が丸くなる。
「ボニーって……あのボニーなの!?」
亮は思わず、叫び声を上げていた。彼にとってボニーとは、忘れられない名前だった……。
かつて、亮が物心ついた頃……家に雑種の子猫がもらわれて来た。子猫はすくすくと育ち、亮の良き遊び相手となったのだ。子猫は亮になつき、亮も子猫が大好きだった。引っ込み思案で人見知りするタイプの亮にとって、猫が一番の親友だったのだ。
しかし今から一年前、猫は死んでしまった。亮は悲しみのあまり、しばらく学校を休むほどだった……亮にとって無二の親友が、この世を去ったのだ。
その猫の名前が、ボニーだった。
「やっと思い出したのかニャ……まったく、こんな場所に来ちゃダメだニャ。さ、帰るニャ」
そう言うと、ボニーは亮の手を掴み強引に引っ張っていく……亮は思わず叫んだ。
「ち、ちょっと待ってよ! 帰るって何処に!? どうやって!? そもそも、ここは何なの!?」
亮は引きずられるようにして歩きながら、どうにか叫ぶ。すると、ボニーは立ち止まった。
そして振り返る。
「まったく、お前は本当に面倒くさい奴だニャ。後でちゃんと説明するから、まずは付いて来るニャ。それに……クライドも来てるんニャよ」
「ク、クライド!?」
ボニーに手を引かれ、亮は街外れにある廃墟の中へと入って行った。中はホコリまみれで汚く、床には虫や鼠などが蠢いている……亮は顔をひきつらせながら歩いた。
すると突然――
「亮か!? お前、亮なのか!?」
暗闇から叫ぶ声。次の瞬間、亮の目の前に躍り出てきたのは……二十歳前後の若い男だった。背はやや高く、体つきはがっちりしている。顔はボニーと同じく野性的であるが……どこか人の良さを感じさせる。
「え……クライド? クライドなの?」
亮は面食らった表情になりながらも、かろうじて言葉を絞り出す。男は嬉しそうにウンウンと頷いた。
クライドとは……ボニーと同じく、成宮家にもらわれて来た雑種犬である。クライドもまた、亮になついていたのだ。亮はクライドを連れ、よく散歩に行っていた。ボニーの気が向いた時には、一人と二匹のトリオで近所を散歩したこともあったのだ。気のいいクライドは、猫のボニーとも仲良くやっていた。
しかし、ボニーが死んでから二ヶ月後……ボニーの後を追うように、クライドも静かに息を引き取った。
亮は立て続けに、かけがえのない友だちを失ったのだ。
いじめが始まったのは、それからだった。
「亮!? お前、どうしたんだ!? 何でこんな所に来たんだ!? 何があったんだ――」
「クライド、少し黙ってるニャ。亮、今から説明するニャ」
興奮しているクライドを黙らせると、ボニーは静かに語り始めた。
この街の名は、エメラルド・シティという。犯罪者の吹き溜まり、異能力者の楽園、人外の巣窟などなど、様々な呼び名がある。ここでは、法律など通用しない。特に、夜の街を支配する人外たちにとっては……人間など、基本的には獲物でしかない。どんな強い人間だろうが、人外たちから見ればただのエサでしかないのだ。
そして……ボニーとクライドは、半年ほど前にこの街に転生してきた。
人間よりも遥かに強い殺傷能力を持った獣人として……。
「じゃあ、ボクは女の子として転生――」
「違うニャ。お前はまだ、完全に転生しきってないニャ」
「え……」
「お前はまだ、完全には転生してない……匂いでわかるニャ。今ならまだ、間に合うはずだニャ。異世界への門……次の満月の日にそこを通れば、元の世界に帰れるはずだニャ」
自信たっぷりの表情で断言するボニー。だが、そうなると一つ問題がある。
「で、でも……ボクは女の子として帰ることになるのかな……そしたら――」
「違うニャ。お前は元通りの男の子として、元の世界に帰るニャ」
「……良かったぁ……助かったぁ……」
ようやく安堵の表情を浮かべる亮。自分は助かるのだ。この恐ろしい街で、女の子として生きる……亮にとって、それは耐え難い恐怖だった。先ほどの男たちに無理やり体をまさぐられた時、亮は身震いするほどの恐怖と……押さえきれない屈辱を感じたのだ。
あんな思いは、もう二度とごめんだ……。
その時、亮の背中に何かが覆い被さって来た。
「良かったなあ亮! 元に戻れるんだぞ! 本当に良かったなあ! あ、そうだ! 戻る前に追っかけっこしようぜ! 好きだったよな! 追っかけっこ!」
クライドだ。クライドはニコニコしながら、顔をこすりつけんばかりの勢いで亮に迫る……。
「ちょっと近いよ! クライド近すぎだってば!」
亮は叫ぶ。だが、不思議と不快さは感じない。先ほどの男たちに触れられた時のようなおぞましさは欠片もないのだ。クライドの手から感じられるもの、それは溢れんばかりの愛情だった。優しさと暖かさに満ちている……。
そして、同時に懐かしさも。ふと、幼い頃の記憶が甦る。こうして愛犬と触れ合い、遊んだ記憶が。それに、昔はよく愛犬と追っかけっこをしていたのだ……見た目は、完全に人間のクライド。それでも、亮の記憶と本能が彼に伝える。この男は間違いなく、かつての愛犬クライドの転生した姿なのだと。
本当に……クライドなんだね……。
また……会えたんだね……。
亮の視界がぼやけていった。下を向き、肩を震わせる。亮は久しぶりに、嬉しさのあまり泣いた。大粒の涙が、コンクリートの床を濡らしていく……。
その時、別の手が肩に触れた。
「まったく、亮は相変わらず泣き虫だニャ……」




