野獣の密談 4
ブライアン・ジェネシスは苛立っていた。最近、クリスタルの値段が高くなっているのだ……しかも、近頃では自身の使用量も増えてきている。今では、一グラム買ったとしても一日で使い果たしてしまう。ブライアンはイラつき、倉庫の壁を蹴飛ばした。
エメラルド・シティに来る前、ブライアンは大陸にて監視体制の下で生活していた。しかし彼は、何かと反抗的な問題児だったのだ……異能力者を収容する施設での、ブライアンの評判は最悪のものだった。おとなしく生活していれば、ある程度の自由は保証されていたはずなのだが、反抗的な彼にはわずかな自由も与えられず……代わりに、何度も「懲罰」を受けてきたのだ。
そんなブライアンがある日、隙を見て施設を逃げ出した……当然、誰も不思議には思わなかった。
大陸を脱出し、エメラルド・シティに渡ったブライアンは……生まれて初めて、本当の自由を知った。
同時に、その自由に伴う代償も知った。
ブライアンは自由を得たものの……それをどう行使すればいいのかわからなかった。また、生活の糧を得る手段も知らなかった。彼は圧倒的な力を用いて人から奪い、抵抗する者は殺す……そんな生き方しかできなかったのだ。その結果、ブライアンには取り巻きが出来た。彼の力を恐れながらも利用しようとする者たちが、噂を聞きつけ集まって来たのである。
やがてブライアンは、その取り巻きの一人にクリスタルを教わり……たちまち病みつきになった。
ブライアンのクリスタルの使用量は、増える一方であった。薬物を体内に摂取すれば、身体に耐性が出来る。そうなると、効き目が弱くなる……クリスタルも例外ではない。初めのうちは、数ミリグラムを注射器で体内に射ち込むことにより、強烈な快感を得られていたが……今では、一日に一グラムを体内に射ち込むようになってしまったのだ。もはや、完全なヤク中である。
その上……彼はついこの間、殺し屋と思われる連中の襲撃を受けた。どうにか返り討ちにはしたものの、傷を負わされ、取り巻きも皆殺しにされた。傷の痛みをまぎらわせるため、そして狙われている恐怖心をまぎらわせるため……クリスタルの量が一気に増えたのだ。
今のブライアンは……寝ぐらにしている倉庫跡にこもり、己の命を狙う何者かの影に怯える日々を過ごしていた。
だが、そんな危険な状況であるにもかかわらず、ブライアンはクリスタルの摂取をやめなかった。彼はわずかな金が入ると、すぐにクリスタルを買う。そして束の間の快楽に溺れた。
ブライアンは何も知らなかった。彼の情報を虎の会に密告していたのは……彼にクリスタルを売っていた売人だったのだ。しかも、その売人は相場の十倍近い値段で、ブライアンと取り引きしていたのである。
・・・
深夜、ギブソンとマルコは倉庫跡に向かう。通りには得体の知れない何者かが徘徊しており、さすがのギブソンも緊張の色を隠せない。闇の中で蠢く姿は一見、人間のように見えるが……発している気配は明らかに人間のものではない。間違いなく、人外であろう。
ふと、その者たちが動きを止めた。そして、こちらに視線を向ける。
と同時に、一斉に動き始めた。不気味な笑みを浮かべ、二人に向かい歩き始める……。
危険を察し、ギブソンは拳銃を抜く。だが、それよりもマルコの反応の方が早かった。低く唸り、前に進み出たとたん――
全員、ぴたりと立ち止まった。人外たちは、マルコの体に秘められた凶悪なまでの殺傷能力を一目で見抜いたらしい。怯えた表情で後退りを始めた。
対するマルコは、唸りながら更に前進した。まるで獲物を前にした肉食獣のような低い姿勢で、両腕に力をみなぎらせ、じりじりと進む……しかし、ギブソンが声をかけた。
「マルコ……んな連中ほっとけ。仕事が先だ」
やがて二人は、目指す倉庫跡に辿り着いた。外から見ると、壁は穴だらけで簡単に侵入できそうだ。隙間風も酷いだろう。追われているとはいえ……よくもまあ、こんな場所に住めるものだ。
いや、それ以前の問題として……ブライアンという男は、ついこの間に襲撃に遭ったにもかかわらず、同じ場所に住み続けているのである。この神経もまた、ギブソンから見れば理解不能だ。
ふと、ギブソンは不安になった。ひょっとしたら、既に姿を消しているではないだろうか?
だが、その不安は無用のものだった。
「ギブソン……中に誰か居るぞ……たぶん、ブライアンて奴だ。でも変だな……おかしな匂いだ」
マルコがそっと囁く。ギブソンは頷いた。扉の前に立ち、中の様子を窺う。
巨大な倉庫……中は暗いが、二十メートルほど離れた位置に小さな明かりが灯っているのが見える。かつては、本来の目的のために使われていたのであろう古い事務机……その上に置かれた手製のランプと思われる物には、火が灯されている。
だが、ギブソンの目は……椅子に座り、机の上に体を投げ出している人物に釘付けになっていた。
「ギブソン……あいつ、やっぱり死んでるぞ。それにしても、凄く変な匂いがするなあ」
マルコは不快そうに、鼻をひくひくさせている。ギブソンは拳銃を構え、ゆっくりと近づいた。マルコの鼻に間違いはないと思うが……念のためだ。狙いを定め、体に一発撃ち込む――
だが、机に伏せている者は……弾丸が当たった衝撃で震えただけだった。
完璧な死体だ。
ギブソンはさらに近づき、死体の顔を確認する。間違いなくブライアンだ。だが、写真の印象とはかけ離れた顔をしている。肉の削げ落ちた頬、落ち窪んだ目、口の周りにこびりついた嘔吐物。
そして、左腕に突き刺さったままの注射器。
「マルコ……そこで見張っててくれ。もし入って来そうな奴がいたら、脅して追い返せ。いざとなったら殺しても構わない。お前の判断に任せる」
退屈そうにキョロキョロしていたマルコにそう言った後、ギブソンは死体と化したブライアンの方に向き直る。左腕に刺さったままの注射器を抜き取り、地面に投げ捨てた。
さらに、その注射器を踏み潰す……。
「なんてオチだよ、クリスタルの射ち過ぎで死んでたって……やっつけ仕事のマンガじゃねえんだぜ……」 ギブソンは低い声で毒づいた。だが、彼は知っている。現実は、やっつけ仕事のマンガよりも呆気なく終わる時もある。これはヤク中にありがちな末路なのだ……。
かつては、ギブソンもヤク中だった。裏街道での、果てのない戦いの日々……疲れはてたギブソンは、クリスタルを射つようになっていた。
初めは、心の疲れを癒すためにクリスタルを射っていたが……やがて、クリスタルのもたらす束の間の快感に溺れるようになった。やがて完全なヤク中と化したギブソンは……使い物にならないクズと判断され、当時の雇い主から見捨てられた。
そのままだったら……ギブソンは間違いなく、ブライアンと同じ運命を辿っていたことだろう。
シェリーが現れなかったら、自分もこの男と同じ運命を辿っていたのだ。
ギブソンは忌まわしい記憶が甦ってくるのを感じながらも、淡々とした表情でブライアンの体を調べた。ほんの一、二時間ほど前に命を落としたらしい。死因は……恐らく、クリスタルの過剰摂取による心臓麻痺だろう。クリスタルには交感神経の働きを高める作用があるのだ。結果として、食欲と睡眠欲が消え失せてしまう。また、脳内の快感をつかさどる部分の働きが活発になる。クリスタルを射つと、あらゆる遊びが極上の快楽をもたらすものに変わるのだ。
そのために、クリスタルが効いている間は……食べることも眠ることもせずに様々な種類の快楽に浸れる……。
しかし、当然ながら体は衰弱していく。食事も睡眠もとらないまま、一つのことに集中していれば……体はどんどん弱っていく。さらに、衰弱しきった体に大量のクリスタルを射ち込めば、体はいつか限界を迎える。異能力者であり、強靭な肉体の持ち主であったブライアンといえども、例外ではなかったのだ。
死体から金目の物を全て剥ぎ取った後、ギブソンは改めてブライアンの顔を見つめる。
痩せ衰え、苦痛に歪んだ表情を浮かべているブライアン……ギブソンはほんの少しではあるが、哀れみを感じた。施設を脱走し、エメラルド・シティに逃げ込んで来た異能力者は少なくない。だが、そのほとんどは……身の程をわきまえずに破滅していくのだ。せっかく手に入れた自由……だが、自由には代償を伴うことがわかっていない。大半の異能力者が自由をコントロールできずに、己の欲望のおもむくままに行動し、やがては虎の会の標的になってしまうのだ。
そして、ブライアンも例外ではなかった。虎の会の殺し屋を返り討ちにするほどの男が、クリスタルの射ち過ぎで死亡。馬鹿馬鹿しくも悲しい話だ。狙われているのを知っていたにもかかわらず、ブライアンはクリスタルをやめなかった。クリスタルを絶ち、Z地区にでも潜伏していれば……もう少し長生きできたはずなのに。
その時、オルゴールの音色が聞こえてきた。マルコが扉の近くで、オルゴールを鳴らしているのだ。
ギブソンには、そのオルゴールの音色がブライアンへの鎮魂歌のように思えた……。
「本当にバカだよ、お前は……」
「いやあ、よくやった。助かったぜギブソン」
そう言いながら、ジュドーは剥き出しのままの五百万を手渡す。ギブソンは愛想笑いを浮かべながら、金を受け取った。もちろん真実は告げていない。激闘の末、拳銃で撃ち殺したことにしている。
ギブソンは今、いつも通りに食堂『ジュドー&マリア』の地下室に来ていた。ジュドーがいるのはいつも通りだ。眼帯の大男と黒髪の女がそばに控えているのも、いつも通りである。
ただし、いつもと違う点もある。奇妙な中年女が椅子に座っているのだ。年齢は四十前後か。大柄な白人で髪は金色、肩幅が広くがっちりした体格をスーツに包んでいる。しかも、顔には太い線のような傷が数本ついているのだ。まるで、虎の縞模様のような……体の大きさと顔の傷、さらにキツい表情とが相まって、えもいわれぬ迫力を生み出している。
「ギブソン……こちらがタイガーさんだ。会うのは初めてだったな?」
ジュドーの言葉を聞き、恐縮しながら頭を下げるギブソン。もっとも、予想はついていたのだが。
タイガーは冷酷な表情で、ギブソンをじっと見つめる。ギブソンはヘラヘラと愛想笑いを浮かべながら、頭をポリポリと掻いてみせた。だが頭の中では、この短期間に二大組織のリーダーと相次いで対面することになったのは、どういう訳だろう……などという考えを巡らせていたのだが。
「ギブソン、お前の話はジュドーから聞いている。今回は急な話で期限も短いのに、よくやってくれたな。礼を言うぞ」
「いえいえ、とんでもないです。タイガーさんやジュドーさんのご要望とあれば、どんな奴でも仕留めてみせますんで……これからもよろしくお願いしますよ、タイガーさん」
ヘラヘラ笑いながら、卑屈に頭を下げ続けるギブソン。目の前にいるのが何者であろうと、金さえ受け取れば用は無いのだ。何よりも……さっさと帰って、マルコに美味い菓子でも食わせてやりたい。これまで、味気ない物ばかりを食べさせてきた。たまには、贅沢も許されるだろう。
「そうか……これからも頼むぞ」
ギブソンが立ち去った後、タイガーはジュドーに目を向けた。
「ジュドー……あれは油断ならん男だな。ヘラヘラ笑いながら、人を刺し殺せるタイプだ」
「オレもそう思います。まあ、今のところは利害が一致してますし、放っといても特に問題ないとは思いますが」
「そうか……ところで、マルコの方はどうなのだ? マルコさえ、こちらに取り込めれば……ギブソンに用はないだろう」
タイガーの口調は、いつも通り冷酷そのものだ。しかし、言葉の奥には感情らしきものを感じる。タイガーには珍しいことだ。ジュドーは違和感を覚えたが、あえてそれを無視し、肩をすくめて見せた。
「いや、オレにはマルコを操縦できる自信はないですね。手懐けるにしても時間がかかります。それに、ギブソンには生きていてもらった方が都合がいい。あの二人は……オレの切り札にしたいんですよ。ガロードやジョニーといった面倒な連中を始末する時のね」
そして地下室では――
「こう……して……ゆうしゃ……は……わる……い……どらごん……を……やっつ……けて……おひめ……さま……と……けっこん……して……しあわせ……に……なり……ました……とさ……めで……たし……めでたし……」
マルコは音読を終えると、不安そうにギブソンの顔を見る。
ギブソンはにっこりと微笑み、頷いてみせた。
「いいぞマルコ。ちゃんと読めてる。間違えた所はない。偉いぞ」
「ほ、本当か!」
「ああ本当だ。お前はもう、字が読めるようになったんだよ」
「うおおお!」
嬉しそうに吠えるマルコ……ギブソンは絵本に視線を移す。ついこの前まで、マルコは文盲だったのだ。しかし今では、つっかえながらも読めるようになったのだ。ギブソンは改めて、マルコの飲み込みの早さに驚かされた。
マルコはまた、初めのページから小さな声で読み始める。どうやら、読むことと学ぶことの楽しさに気づいたようだ。これまで出来なかったことが出来るようになる……これは人間の持つ本質的な喜びではないだろうか。マルコは今、その喜びを知ったのだ。
マルコ……オレがお前を、一人前の人間にしてやるからな。
そのためなら、オレは何人でも殺す。
野獣の密談《完》




