落日編9 異変
「ただ今戻りました――」
オフィスに入って行くと、それと気付いたウォレンが手を挙げ
「おう、二人ともお疲れさん! 何かわかったか?」
声をかけてきてくれた。
「わかったっていえばわかったような、わからないといえばわからないような……ですかね?」
と、エドの返答は要領を得ない。表情がやや疲れている。
ウォレンは苦笑し
「わーったわーった……。つまり、あれだろ? 裏ではつながっているような気がするが、今ひとつ証拠がつかめない。そういうことだろ?」
「ご名答です。さすがは先輩だ」
エドの背後にはいつものようにメイファが付き従っている。
顔色が優れない。足取りが心持ちふらついている。
ピンときたウォレンは
「よう、嬢ちゃん。なんだァ、また死体見てビビったかぁ? それじゃあいつまで経っても美味いメシは食えねぇぞ? この商売、肝が太くないとやってられねぇんだからな」
からかい半分に呼びかけてやると
「……食事の話はしないでください。思い出すと気持ちが悪くなります。私、せっかく耐えて帰ってきたんだから――やっぱり、ダメです」
手で口を押さえるなり、バタバタと走って行ってしまった。現場から戻ってきて緊張感が解けた瞬間、急に胃の中からくるものがきてしまったようである。
そんな彼女を呆れたような顔で見送っているエド。
「まったく、仕方のないヤツだな……。こんなんじゃ警察機構職員失格じゃないか」
彼の呟きを聞いたウォレンは
「まァ、まだ新人のうちだし、大きな心で見守ってやれよ。俺だって、死体なんか何度見たっていい気持ちはしねぇさ。人間だろうと動物だろうと、な」
と、どこまでも大らかである。
「それよりも、よ」エドの袖をくいくいと引っ張って傍のチェアに座らせ「……まずは、どんな案配だったか教えてくれないか? 聞き込みに出かけるつもりだったんだけど、お前達が帰ってきてからにしようと思って待ってたんだよ」
自分が担当しているロゼル副知事殺害事件に関係する情報がないかどうか、確認したかったのであろう。同事件もまた、メグル殺害事件同様八方塞がりに陥っている。
「課長にまだ報告してないんですけど、相手が先輩ならいいでしょう。状況はですね――」
早朝、警察機構本庁捜査課に遺体発見の一報が舞い込んできた。
現場は都市中心部にほど近いO地区繁華街の裏通り、遺体は四十代と思われる女性だという。
捜査課長モルトの指示により、エドはメイファを連れて現場へ向かった。
通勤時間帯ということもあり、事件現場付近はかなりの人だかりができていた。それをかき分けるようにして中へ入っていくと、先に到着した鑑識局の人間が現場の検分を開始したばかりであった。当然、遺体はそのままにされている。
「朝早くにお疲れ様です。Cブロック所轄O地区北署所属のテック・ロウ巡査であります。本庁捜査課の方でありましょうか?」
二人に気付いた巡査の一人が声をかけてきた。年の頃は三十に少し足りないといった感じだが、所作、雰囲気ともベテラン巡査のように堂々としている。
「お疲れ様です。本庁捜査課のエドとメイファです。よろしくお願いします」
ピッと敬礼した。多少こういう場に慣れてきたと見え、エドが横目で見てみるとメイファも自然な敬礼ができている。
「それで、状況はどんなものでしょう? 中年の女性、とだけ聞いているのですが」
「ええ、四十代前半と思われます。額に銃創がありました。他殺と断定してよろしいでしょう」
射殺と聞いて、メグルのことをちらと思い出したエド。
「なるほど。身元はわかりましたか? 遺留品などは……」
「まだ身元は特定できておりません。遺留品が発見されていないのです。被害者の服装はラフでなくカジュアルな感じのものでしたので、外出途中で被害に遭った可能性があります。そうすると、強盗目的の犯行という見方もできるかと思います」
テックの物言いはきびきびとしていて無駄がない。
つまり、外出の最中だったとすれば金品の入ったバッグなどを持参している可能性が高く、それがないということは犯人に持ち去られているかも知れない。強盗目的、と彼が口にしたのはその意味である。
エドは頷き
「わかりました。では、見せていただいてもよろしいでしょうか?」
申し出た。
瞬間、メイファが嫌な顔をしたが背後にいるからエドにはわからない。
テックに案内された遺体発見現場というのは、商業用ビルとビルの間、人が二人並んで通れるかどうかという暗く狭い小路であった。あちこちに空き缶や紙クズが落ちていて薄汚ない。通りに面したこちら側から入っていくと、行く手には建物が立ち塞がっていて袋小路になっている。
通り魔的な犯罪にはありがちな場所だな――思いながら、エドは奥へと進んでいく。
鑑識局の職員がしきりと撮影しているから、幾度となくフラッシュの光がビルの谷間に明滅している。
遺体は、小路のかなり奥にあった。
被害者の女性は、白いパンツスーツ姿である。なるほど、テックが教えてくれたようにカジュアルな服装といっていい。
足をこちら側に向け、横倒しというよりも、上半身を捻るようにして半仰向けの状態で倒れている。
鑑識局職員は二人が近寄ってきたことに気が付くと、撮影を止めて軽く敬礼した。
エドも敬礼を返しつつ
「お疲れ様です。本庁捜査課の者です。被害者の状態だけ、確認させていただいてもよろしいでしょうか? すぐに終わりますので」
「わかりました」
小路は狭い。
二人は鑑識局職員とすれ違うようにして入れ替わり、遺体の傍へ寄ってみた。
屈み込み、被害者の相貌をじっと見つめているエド。
前頭部やや右寄りに銃創がある。その一発で仕留められたらしく、他に外傷はない。不自然な身体の捻り方から察するに、背後から声をかけられ振り向いたところを銃撃されたように思われる。
年の頃は報告どおり、四十過ぎとみて間違いはなさそうであった。
ただ、明るい色に染められた頭髪や身につけているアクセサリなどから、この女性が多少若作りを心がけていたことが窺える。しかしながら、施されたメイクはごく薄い。口紅などは唇の地の色に限りなく近く、一見すれば塗っているのかどうかも疑わしくなるほどである。
服装はじめ身なりは悪くないにも関わらず、必要最低限のメイクしかしていない。
これは被害者の職業に関連性があるものとエドはみた。仕事上、自分自身を魅せる――例えば化粧品販売員のような――必要がない、もしくは汗をかく頻度の高い職業に就いている女性の場合、薄いメイクになりやすい。
が、そのあたりは身元が判明すれば併せてはっきりするであろう。
検分しておくべきことは他にもある。
「……メイファ。彼女はここで殺害されたか、あるいは別の場所で殺害されてここへ運ばれたか? ――どっちだと思う?」
不意を衝いて課題を与えてみた。
これには、理由がある。
彼女は背後で顔を青くして突っ立っているばかりで、遺体を近くで見ようともしなかった。
エドは軽く腹が立ったが、気が付けばメイファはメイファで気分が悪くならないよう「……真っ白、真っ白、頭を真っ白に」と必死に呟いている。以前エドに言われたことを忠実に実行しようと、自分で自分に暗示をかけているらしい。
確かに、先日メグル殺害現場へ連れて行く時に「死体を見る時は頭の中を空っぽにしておけ」と言った。脳内(あるいは胸中かも知れないが)で死体と人間をリンクさせて認識すると、たちまち嫌悪感が先立ってしまい、この前のメイファのようにたちまち胃の中の物を吐く羽目になる。だから、何も考えるな、というのがエドが駆け出しの頃に身につけた術である。
が、メイファは警察機構に入って日が浅く、死体に対する免疫がまだ十分ではない。自分で自分に言い聞かせたところで、効果はないであろう。
そこで職務上必要な推測を作業としてやらせることで適度な緊張感を誘発し、余計なイマジネーションに陥る隙をつくらせないようにしたのである。
「え……殺害された場所、ですか……?」
急に質問を浴びせられ、戸惑っているメイファ。
「そうだ。死体がここにあるからといって、ここで殺害されたとは限らないだろう。お前なりにどう考えるか、それを聞きたい」
「そうですねぇ……」
腕を組んで考え始めた。
エドの思うツボである。
メイファは先輩の質問に答えねばなるまいと、そちらの方に意識を集中させている。
やがて
「ここで、殺害されたと思うんですけど……多分」
ほう、とエドは一声し「何で、そう思ったんだ?」重ねて質問した。
「だって、ですよ?」
メイファは死体の頭部の方を指し
「血の流れたような跡があります。他所で殺害されてここへ運ばれてきたのなら、血痕はできないんじゃないでしょうか。それが理由ですが……」
恐る恐る答えた。
ほんの少しばかり沈黙してから、エドは「ふうっ」と溜息をつき
「……ちょっと、違うな」
「違いました? じゃあ、この女性は……」
「まあ、待て。答えが違うとは言ってない。――血痕はできないんじゃないでしょうか、じゃなくてできないんだ。お前の言う通り、この女性はここで殺害されている。自信を持って言え」
思わぬ回答にメイファは一瞬きょとんとしたが、すぐにほっとした表情を浮かべた。
遠まわしに褒められたのが嬉しかったのであろう。
が、彼女の秘かな喜びなど興味がないという風に、エドは再び死体を眺めつつ自分の推理に集中し始めた。
(それにしても、射殺とは穏やかじゃないな。それも、頭を至近距離から躊躇なく一発だ。どうやら犯人は最初から殺すつもりでいたのだろう。銃弾が脳天の真ん中に刺さるように撃っている以上、こいつは――)
銃で人を殺すことに慣れている者の仕業とみていい。
そういう人間というのは、ごく限られた人間である。
闇組織の者、もしくはテロリスト。
ヴィルフェイト合衆国刑法では拳銃の所持を禁じているから、よほどのことがなければ銃の扱いに慣れるなど不可能なのだ。
とすれば、通り魔あるいは物取りの犯行でないという可能性が出てくる。
この女性は何らかの理由により命を狙われることになり、そして殺害された。
状況はそう物語っている。遺留品がないのは、簡単に身元を割り出させないようにするためであろう。
――それから二人は所轄の職員に混じって現場付近を調べていたが、ほどなく女性の身元が判明した。
ケイ・バレンシア、四十三歳。
メディア・レイメンティル社に勤めており、ベテランといっていいほど記者歴が長いという。
「メディア・レイメンティル社? この短時間でよくそこまでわかりましたね」
情報をもたらした巡査に向かって言うと、その巡査は
「それがですね、つい先刻同僚を名乗る女性から捜索願が出されたようなんです。届出があった行方不明者の人相とよく似ているので確認を依頼したところ、身元が割れました」
ケイは昨夜二十三時近くに、O地区の自宅へ戻るためN地区にある職場を出たという。
が、深夜零時過ぎ、その同僚が仕事上確認すべき事柄があって本人の携帯端末へ連絡を試みたが、ケイは出なかった。その後数度にわたりかけてみるものの、やはり同じ結果であった。
仕事に熱心、というよりもほとんどのめり込む様にしているケイゆえ、職場からの電話に全く出ないことに同僚は不審を抱いた。しかも、最初の電話は呼び出し音が鳴ったにも関わらず、二回目以降は電波不通のメッセージが流れたことから、同僚はいよいよ怪しんだ。
しかし、もしかしたら仕事の疲れで眠ってしまっているかも知れないと考え、夜が明けるのを待って再び連絡してみた。
それでもつながらなかったため、警察機構へ通報したという顛末らしい。
「待ってください」
一通り事情を聞き終えたエドが手を上げた。
「今のお話ですが、同僚の方は確かにケイさんの安否を気遣ったかも知れない。しかし、一晩連絡がつかなかったからといって、すぐに警察機構へ捜索願を出すでしょうか? 嫌な言い方かも知れませんが、やや短絡的過ぎるような印象がある。もしかすると、すぐに捜索願を出すに足る理由があったという風には考えられないでしょうかね?」
傍にいるメイファは内心、我が先輩の感覚の鋭さに驚いている。
エドの言う通り、携帯端末が広く普及したといっても、一日や二日連絡が取れなくなるようなケースはざらにある。身近なところでは、親友リナがそういうタイプであった。メイファが記憶している限りでは、最長で十日間ほど音信不通になったことがある。
もっとも、その理由は「大好きになった男性に告白しようとしたら、恋人がいたからショックで誰とも会いたくなくなった」そうだが――。
若い巡査はなるほど、と感心した様子を見せつつも、すぐ困惑した表情になり
「そうかも知れません。しかし、その、私にはどうすることもできないんですよね。それを確かめるのは地区統括本部署か、本庁の捜査課の方にお願いしないと……」
言われてみて、それもそうだとエドは思った。
下部組織であるエリア署に所属する一巡査に推理を力説したところで、言うべき相手を間違えている。
そのままN地区のメディア・レイメンティル社へ寄って事情を聞いても良かったが、エドはひとまず本庁へ戻ることにした。モルトへ報告した上で、捜査に関する指示を仰いでからにしなければならない。
「なるほど、な――」
エドから状況を聞いたウォレンは一瞬俯いて考え込むようにしたが、すぐに顔を上げ
「……エド、その捜索願を出してきた同僚とやらの名前は聞いたか?」
「ああ、聞いてありますよ」懐から手帳を取り出し、メモしたページをめくると「――アンジェラ・スーン。メディア・レイメンティル社取材部に籍をおいているそうですよ。殺害されたケイも同じ取材部ですね」
名前を聞くや否や、もうウォレンは立ち上がっていた。
「先輩? もしかして、メディア・レイメンティル社に行くつもりですか?」
「そのつもりだ。犯人の手口からみて、あるいは俺達が抱えている二つの事件と何か関連しているかも知れない。ダメでもともと、もし手がかりがあれば拾い物さ」
行動力のある先輩である。
エドも頷き
「待ってください。先輩の意見に賛成ですから、俺も行きます。その前に――」
「課長に報告しつつ、ゲロってる嬢ちゃん待ちだろ? ……いいさ。若い娘が反吐まみれで歩くたぁ、見られたモンじゃないからな」
「……ホント、あんな後輩で面目ないです」
エドは課長モルトに現場で見てきた状況を報告しつつ、メディア・レイメンティル社へ聞き込みに行く許可を請うた。
モルトは即座に許した。
だけでなく
「君の言う通り、背後関係が気になるところだ。正式に捜索願が出されている以上、遠慮は要らん。可能な限り、聞き取ってきてくれ給え。もし新しい情報があれば、別の人間も出す。その際は、速やかに連絡を寄越すように」
とまで言ってくれた。
しかし、続けて
「それにしても、メイファ君には困ったものだな。刑事が死体恐怖症では、仕事にならんじゃないか……」
苦笑している。
「す、すみません……。私の教育が足りないようです」
詫びているところへ、モルトのデスクの電話が鳴った。
「捜査課のモルトです。ああ、お疲れさん。――何? 本当か? わかった、すぐに課の者を行かせる」
受話器を置くなり、鋭い視線がエドに向けられた。
「エド君、メディア・レイメンティル社へ出向くのは後でも良さそうだ」
「は? と、言いますと?」
「今、下の受付に女性が保護を求めて駆け込んで来たらしい。その女性はアンジェラ・スーンと名乗っているようだ。――確か、君の報告にも同じ名前が挙がっていたな?」
『――現在のところSCC経営陣から正式なコメントは出ていませんが、同社からの投資が凍結された場合、ダイラルド・プロジェクトのスタートに重大な支障が生じるのは必至とみられています。同プロジェクトの監督会社を請け負うナッシュ・マテリアル社側は、寝耳に水な話で大変遺憾であるが状況の推移を見守り、その上で適切な手段を講じたい、としています』
そこまで読み上げてから、女性キャスターは次の原稿を取り出した。
画面が切り替わり、どこかの都市の今の様子が映し出されている。
(ロット社長と皆さん、本気なのね……)
ソファに腰掛け、その映像を呆っと眺めているセレア。
パジャマ姿のまま膝の上に頬杖をついている。
ロットほかヴォルデ派の行動は驚くほど迅速であった。
サンテス以下経営陣に対して自分達で究明した事実を突きつけ、グループ廃滅施策と揶揄された海外への巨額投資を凍結、とまでの結論にはなっていないが、少なくとも再考という方向へ押し込んでしまったのだ。どういう議論があったのかは明らかでないにせよ、SCCが即座に公表した以上サンテスの腰は相当砕けているとみていい。セレアが眺めていたテレビニュースは、それを報じていたのである。
三日前、I地区にあるロットの会社「ストレイア工作所」の工場に招待された彼女を、思いも拠らぬ事態が待ち受けていた。
思いを同じくする系列会社社長連が結束してSCC現経営陣、つまりは会長サンテスを退任に追い込み、衰退しきったスティーレイングループを再生させるというのだ。
そして、その企てにセレアも参加して欲しいと要請されたのである。
「ちょ、ちょっと、待ってください! それではクーデターも同じではありませんか! 現企業経営法では背任行為にあたります。グループ再生どころか、警察機構の摘発を受けるのでは――」
彼女は慌てたが、落ち着き払ってロットは言う。
「もちろん、ただ叛旗を翻すというだけではそうなるでしょう。しかし、我々には堂々たる切札があるのですよ。ついさっき、それは確実なものとなりました。もはや、警察機構に睨まれる心配はありません。摘発を受けるのはむしろサンテス会長の方なのですよ」
「サンテス会長が……?」
ここでイゲルが
「立ったままではなんですから、どうぞこちらへ」
と言って折りたたみ式チェアを取り出し、セレアにすすめた。
そうしてロットは突然のことで困惑している彼女に、計画の全てを洗いざらい語って聞かせたのである。
――そもそも現会長・サンテスは生粋のスティーレイングループの人間ではない。
今を遡ること八年前、まだStar-lineが設立されるよりも前になるが、ヴォルデは工業製品製造資源の安定確保を図るべく海外企業との提携拡大と強化を模索していた時期がある。グループ自体が海外へ進出するとなると大幅な出資を伴うが、他社との事業提携であれば大規模に海外拠点を設ける必要もない。その点において、ヴォルデはどこまでも内治主義であった。
この時、提携を結んだのがクレイザ州に本拠を置くトーランド商事である。
主に輸入業を手がける同社は大手というほどの会社規模ではなかったが、海外事業者としては国内老舗といってもよく、特に第二次CMD開発競争時代には各メーカーから大口契約が引きも切らず舞い込み、たちまち巨利を博すこととなった。当時のトーランド商事社長は成長目覚ましいスティーレインの動向に注目しかつ優れた経営者であるヴォルデ個人をも好意的にみていたため、大口契約は何ら支障なく結ばれる。
その後同社による資源の輸入代行は順調に行われ、スティケリア・アーヴィル重工はじめスティーレイングループ各社は十分な恩恵にあやかることができた。ただ、取引額の増大に伴い事務手続きに困難が生じ始めたため、ヴォルデは主な輸入先であるカイレル・ヴァーレン共和国首都中心部に事業所を置くことを決めた。現海外事業統括部の前身である。
しかしながらトーランド商事は提携当時の社長が逝去するに及び経営姿勢に柔軟さを欠くようになる。
後任の社長は何かと消極的で、極端な保守主義者であった。折しも同社を取り巻く環境は逆風そのもので、新手の商社が続々と誕生して事業拡大のチャンスを虎視眈々と狙っている。国内に地下資源をもたないヴィルフェイト合衆国であるから、製造業の成長が著しければ当然付帯して生じうる現象ではあるのだが、時のトーランド商事社長はそのことを念頭に置かなかった。これが、命取りとなる。
瞬く間に足元をすくわれたトーランド商事は経営不振に陥り、ついには倒産に追い込まれた。
このことあるを見越していたヴォルデは、すでに次の手を打っていた。
グループ内の各メーカーが生産に支障をきたすことのないよう、トーランド商事の現地事業所を買収する方向で動いていたのだ。生産体制が一定の軌道に乗っている以上、新規に事業提携を結ぶよりもこちらの勝手を知っている現地を手中に収める方がリスクが低いと判断したのである。
果然この方策は図に当たった。
トーランド商事倒産後もスティーレイングループはさほどの支障もきたすことなく生産ラインを安定させることに成功する。全て、ヴォルデの慧眼によるものであった。
ところで、この時買収されたトーランド商事の現地事業部はスティーレイン海外事業部の管轄下に置かれることとなった。部署名も現海外事業統括部と改称され、事実上海外部門の拡大、発展という結果をみた。
サンテスをはじめとする現SCC経営陣もといサンテス取り巻きの連中は、トーランド商事現地事業部の人間であった。同社の倒産により路頭に放り出され去就に迷うべきところを、半ばヴォルデによって救われた格好になったのである。ただしこのことは単にヴォルデの温情というだけでなく、サンテス以下合併組が高い交渉力、それに行動力を有していたことも背景にある。落日のトーランド商事をぎりぎりまで支えきったその実力を、ヴォルデは高く評価したのであろう。
実際に海外事業統括部となってからの彼等の働きは目覚しく、翌年にはグループ連結決算で過去最高の経営黒字を計上するに至る。第二次ジャック・フェイン事件があった次の年のことであり、ヴィルフェイト国内はテロ組織の活動が沈静化していた。その影響によりカイレル・ヴァーレン国内でも治安が安定化すると踏んだサンテスはヴォルデに大規模な事業拡大をすすめ、頃はよしと判断したヴォルデがそれを了承した。この策は図に当たり、スティーレイングループに莫大な利益をもたらした。こうした目まぐるしい働きを見せた海外事業統括部は一躍注目を浴び、特にその中心的存在だったサンテスはグループ内だけでなく広く部外にも知られることとなった。
――が。
早くもヴォルデは見抜いていた。
(彼の活躍は、確かに否定する余地などない。しかし、些か野心が強い側面も否めまい。これは後々、スティーレイングループにとって良からぬ災禍となるかも知れない)
そう感じた彼は、側近の若手幹部育成に力を入れると同時に、セレアに対して自分の後継者たるよう示唆する。体調が思わしくなくなっていたヴォルデは、自分の人生に終焉が近づきつつあることを悟っていた。そして恒久磐石なグループ経営維持のために手を打っておかねばならなかったからだ。
しかし、そうした願いも虚しく、ヴォルデ逝去後グループはちょっとした内紛状態に陥る。
誰もがヴォルデの孫娘・セレアこそ後釜であると思っていたのだが、彼女はその話を断固として固辞する。ヴォルデの薫陶を受けた若手幹部達が泣訴するも意志は変わらず、会長の椅子は空席のまま数ヶ月が経過した。
一方、サンテスは旧トーランド商事時代の側近らを動かして人事部に息をかけると同時に、経営者の血族世襲がいかに害悪であるかを、ほうぼうで唱え始める。セレアの経営者としての素質を疑問視(時期尚早すぎる、という意味において)していたグループ会社社長連、それに経営幹部の一部が同調し、その流れはやがてサンテスを会長後任に、という機運に発展していく。誰もが彼の功績を認めていたからである。唯一ヴォルデに近い立場と発言力をもちセレア擁立に賛成する人間としてスティケリア・アーヴィル重工社長イーファム・ヘッズマンがいたが、この時期彼は悪性の癌を患い闘病生活を余儀なくされていた。病床で話を耳にしたイーファムは激怒したが、手の施しようがない。回復に努めつつ、頽勢挽回の時を待つよりなかった。
その後多少の混乱はあったが、結局サンテスはスティーレイングループ二代目会長に就任する。世間は彼がグループ内部で人望を集め推戴されたものと受け取ったが、何のことはない。会長後任人事のどさくさに紛れて会長の座を簒奪したまでの話である。
が、多くの社員達が危惧した通り、所詮サンテスは巨大企業を統べる経営者の器ではなかった。
極端な外向主義者の彼は海外事業を偏重する一方、国内の中小グループ企業を次々と圧迫していく。寄せ集められるだけの資本を集約し、海外事業に投下しようと目論んだのである。強引という表現すら生易しいと思えるようなやり方にグループ会社はあちこちで悲鳴を上げ、事態はほとんど収拾が困難な状況に陥った。犠牲となったグループ会社の一つが、ショーコ率いるStar-lineであるといっていい。
ヴォルデが予見した通り、サンテスは自分の恩人である彼に何一つ感謝の念など持ち合わせていなかった。ヴォルデが高齢であるのをいいことに、隙あらばその座を手中にしようと狙っていたのだ。
これは事実で、のち放胆にもサンテス派を装って彼に近づき、スパイの役割を果たしたイゲルがサンテス自身の口から聞いている。ヴォルデは甘い、食うか食われるかがビジネスの世界だ、と。
「――と、いうことです。彼はかなり早い段階から、グループ経営陣の中核に刺さり込んでやろうと企図していたのですよ。まったく、とんでもない男です。自分がのし上がることしか頭になかったんですから。大勢のグループ者員達が路頭に迷わされる訳ですよ」
ロットの話の途中、イゲルが憤慨しながら言った。
ただ、セレアはそうした事情についてまったく無知だった訳ではない。
あくまでも、ヴォルデの親族である自分が跡を襲うことなどあってはならない、と思い続けてきたからこそ、一グループ会社の代表取締役という立場に甘んじてきたのである。その結果、スティーレイングループは明日をも知れないまで経営が傾いてしまったのだが――。
「まあ、そのあたりの話は、今はよろしいでしょう。彼の傍若無人を止められなかった我々にも責任の一端はあるというものです。――それよりも、今回の我々の行動が決して背任にはあたらないという根拠を、はっきりと理解していただくのが先決でしょう」
やや興奮気味なイゲルを宥めるようにしつつ、ロットは話を続ける。
「実は、ほぼサンテス派で占められていると思われた海外事業統括部の中に良識人がおりまして、この人物が大手柄だったのですよ。彼がいなければ、我々もこうして旗揚げすることは叶わなかった――」
会長サンテスがほぼ強引に推し進めた、ナッシュ・マテリアル社による地下資源開発プロジェクトへの巨額投資。
ここで、一人の人物が登場する。
イリオス・バドゥ。
四十を少し過ぎたばかりだが、その名はグループ内部に広く知れ渡っている。
というのも、若くして頭角を現した彼はグループ経営推進部に籍を置き、グループ会社経営安定のために奔走した経歴が長い。彼の施した適切かつ精密なサポートやコンサルタントによって窮地を脱したグループ会社は少なくなかった。このため、多くのグループ会社がイリオスという男を信頼し、敬愛さえしていた。
しかし、イリオス自身は自らの功績を誇るということがなく、どちらかといえば慎み深く目立つところの薄い人柄であった。もう少し自己主張が強ければ、あるいはサンテスを差し置いて会長に推戴されていたかも知れない。こういう性格であったため、サンテス派経営陣から疎まれるようなこともなく、新体制移行後も彼はSCC本体かそれに近い部署をあてがわれた。
ほどなく、イリオスに辞令が下る。
カイレル・ヴァーレン共和国首都エル・ヴィド・ヴァーサルに事務所を構える海外事業統括部部長。事実上、海向こうの現地を仕切るトップである。
サンテスの会長就任に伴い彼に近い連中はこぞってヴィルフェイト合衆国へ渡っていたため、その後釜ということらしかった。多少穿った見方をすれば、イリオスならばサンテス派経営陣の忠実な手先となって動くであろうと期待されたといえなくもない。
半月後、言われた通りにカイレル・ヴァーレンへ渡航したイリオス。
しばらくというもの黙々と現地の業務を遂行していたが、ある日彼の元に親展で書面が届く。
差出人は会長サンテスであった。
『カイレル政府肝入の地下資源開発プロジェクトに参画の方向で検討している。ついては、監督会社ナッシュ・マテリアル社との交渉と調整、ならびに開発予定地区の視察を早急に実施されたい』
要は、現地責任者として動いておけという指示である。
大掛かりなプロジェクトへ参入するにあたって重要な役回りを与えられたことに、最初イリオスは素直に喜んだ。事が順調に運べば、カイレル国内におけるSCCの事業シェアは大幅に拡大され、かつ収益率も飛躍的に高まるであろう。意気込んで行動を開始した。
しかし、内実は彼の期待を裏切るものであった。
実際の開発事業に対してSCCが入り込む余地などなく、よくよく調べてみればSCCは単に巨額の開発資金を投資する、スポンサー程度の立場に過ぎない。カイレル政府が躍起になって行った資金集めに、体よく乗せられただけの格好であった。投資の見返りがどれほどのものであるのかもよくわからない。
半ば落胆したイリオス。
ここへきて彼は、SCCの将来に暗い予感を持った。
(なぜこんな収益性の薄いプロジェクトに巨額の投資などするのだろう? これでは、国内資本を丸々海向こうへ放り投げるようなものじゃないか。ヴィルフェイトではグループ会社が苦しい経営を迫られているというのに。会長はいったい、何をお考えなのだ……)
それでも担当者として責任だけは果たさねばなるまいと、彼はカイレル北部の開発予定地区の視察に出かけた。手元には、ナッシュ・マテリアル社から入手した広域の図面がある。
地下資源開発とはとどのつまり、大規模な地下鉱物採掘といっていい。
予定地のほとんどは土着の地主が管理する土地である。カイレル政府がそこを借り受け、鉱物の採掘量に応じ何パーセントかが時価換算で現金にて地権者に対して支払われるという契約になっている。SCCは採掘資金を出すだけだが、せめてその実効性だけでも調査しておくべきだと考え、イリオスははるばる辺境の地まで赴いたのである。
首都から数百キロ離れたその北部地域はアミュード・チェイン神治合州同盟の本拠地に近い。リン・ゼールなどテロ組織の人間が跋扈している地帯であり、非常に危険な場所でもあった。このため、イリオスはカイレル国軍陸団北部方面部隊の兵士に交渉し、道案内と警護を引き受けてもらった。
国家の兵士といえども、金次第で動くのがカイレルという土地柄である。
たっぷり報酬をもらった兵士は上機嫌で
「どこへでも案内してやるよ。どこへ行きたいんだ?」
と、ハンドルを握りながら尋ねてきた。この地区で生まれ育ったらしく、たいていの道ならわかる、と言う。
道路はほとんど舗装されておらず、しかも国軍が使っている車両も相当古い。後部座席のイリオスは何度も天井に頭をぶつけながら
「助かるよ。行きたいのは、この地域なんだが……」
地図を差し出した。ナッシュ・マテリアル社の担当からもらったものである。
機嫌が良かった兵士は、その地図を見るなり露骨に眉をしかめ
「……あんた、正気かい? 何だって、こんな所へ行こうとするんだ? あんたが連れて行けと言っている場所がどこだか、わかっているのかい?」
妙な事を言う、とイリオスは思った。
確かに、これから向かう地域はテロリストがひしめく危険な地域であるということは、彼も十分承知している。そのために屈強な国軍陸団の兵士に同行してもらっているのだ。
すると、助手席に座っていたもう一人の兵士が苦笑しながら
「よせよせ、わからないから連れて行ってくれと言ってるんだよ。――いいかい、あんた? この先、北西の一帯はあの凶暴なゴーザ派の連中がうようよしている地域だぜ。この地図に書き入れてある『パド・ルッタ・ハオラーン』ってのはそのあたりの大地主でさ、熱狂的なゴーザ派信者で後援者なんだよ。奴らが手にしている銃を買う金は、こいつの懐から出ているといってもいい。あんたは今、地獄のど真ん中へ連れて行ってくれと、俺達に頼んでいるということになる」
「ああ、そういうことだ。あんたらの会社が出した金でカイレル政府はパドの土地をほじくり返すんだろうが、結果的にそれはパドの財布を膨らまし、さらにはゴーザ派が高性能な武器を手に入れることになる。で、あんたらの国を襲うんだ。……いいのかい、それで。あんたらの政府は何も言わないのか?」
イリオスは驚愕した。
というよりも、激しい戦慄を禁じえなかった。
兵士達の言う通りならば、今SCCがやろうとしていることは間接的なテロ組織幇助ではないか。
しかも、よりによってその相手は世界でもっとも凶悪なゴーザ派ときた。
ナッシュ社が意図的にそう計画したのか、それとも偶然そうなったのかはわからない。ただ、この事実が世間に知れたが最後、SCCに未来がないことだけは確かであった。自分が知らないうちに、事はあらぬ方向へと向かっていたのだ。業務指示を忠実に遂行しようとしていただけのイリオスとしては、恐怖せざるを得ない。
「そ、それはこのエリアだけなのか? それとも――」
助手席の兵士は地図のあちこちを人差し指で叩きながら
「こことここ。ここもそうだ。……ああ、この地主もだ。こりゃ、ゴーザ派支援者の土地ばっかりじゃないか。本当に、このまま先へ進むのかい? どうする?」
念のためイリオスは、ゴーザ派ではないという地主の元へ案内してもらった。
顔が日焼けですっかり黒くなった老地主は話を聞くなり血相を変え
「何? そういうことだったのか! ならば私は土地を貸さんぞ! ゴーザ派の連中が何をやったか、お前にも見せてやろうじゃないか」
いきなり左腕をまくった。
やせ細った上腕に、かなり大きな傷の縫い跡が残っている。
息を飲んだイリオスに、老地主は
「奴らが金を無心にきたことがある。断った途端、ナイフでばっさり、さ。神に従わぬ者には罰を与えるなどとほざいておったが、聖なるアミュードはこんな真似などせんわい! 聖典のどこに同胞をナイフで斬れなんて書いてある!? どうだ、あんた? これでも奴らに金を出すというのか?」
感情的にまくし立てた。
(そうか、そういうことだったのか……。私は危うく、テロリストに加担するところだった……)
激しい衝撃を受け、そのまま首都へ戻ったイリオス。
数日考えた末、ナッシュ・マテリアル社の担当に頼んで地主との契約書の写しを手に入れた。意図を悟られぬよう「本国の本社から確認のため契約書を寄越すように指示があった」と言っておいた。
その他幾つか証拠書類が揃った頃、本国へ極秘に連絡を入れた。
相手はあのイーファム・ヘッズマンである。
調査した全容を伝えたうえで
「このままではスティーレイングループは瓦解します。どころか、国家公安機構の追及を受け、経営陣以下グループ会社も無事では済まないでしょう。私は何としてもそれだけは回避したいと思っています。サンテス会長には何の恨みもないが、彼に舵取りを任せておけば取り返しのつかないことになる。どうか、ご助力を願いたいのです」
ちらりと、これまでに会ったことのあるグループ会社社長や社員達の顔が脳裏を過ぎった。
必死の訴えに、イーファムは即座に快諾し
「いや、イリオス君、よくやってくれた。あと一歩遅ければ、何千もの社員を路頭に迷わすところだった。こっちには志を分かった同志達が結集している。近々、その書類を持ってエル・ヴィド・ヴァーサルを離れてもらえるかね? 怪しまれぬよう、私の方で手を打っておく」
「ヴィルフェイトに戻れと仰るのですか? それは構いませんが、業務に依らずして渡航するとなれば、本社や周囲から疑いの目で見られる可能性が……」
「だから、私の方で手を打っておくから心配ないよ。――それよりも、今日から自宅の荷物をまとめておいてくれ給え」
そこまで言ってから、イーファムはハッと気付いたように
「……ああ。君はもう独身ではなく、美しい細君がいるんだったなァ。君の奥さんには申し訳ないが、君達夫婦の身の安全を第一に考えた上での方法をとりたい。多少の不便をかけるが、決して悪いようにはしないよ。任せてもらっていい」
引越しの準備をしておけという。
イリオスは面食らったが、よくよく考えてみれば、これからやろうとしていることは立派なテロリスト対策なのだ。勘付かれてしまったら、命はない。自分はまだしも、妻イルメシアにもしものことがあっては取り返しがつかない。彼女とは異動して間もなく知り合い、結婚した。イリオスは美しく聡明なイルメシアを心から愛しており、彼女もまた温和で物静かな夫をこの上なく慕っていた。
数日して、イリオスの元に一通の辞令が届いた。
『イリオス・バドゥ、スティケリア・アーヴィル重工出向を命ずる。取締役兼セカンドファクトリー副工場長の任を与える』
仰天したイリオス。
どんな魔法を使ったのか、イーファムはSCCをして公式に本国へ召還させるように謀ったのだ。
そして――
「ついさっき、イリオス氏がファー・レイメンティルに到着してまっすぐスティケリアのセカンドラボへ入られたと連絡がありました。もちろん、重要な書類を携えて、です」
リュードがにこやかに告げた。
彼等グループ再生派の計画は、そこまで綿密であった。
「そ、それでは……」
セレアの目が大きく見開かれている。
「お察しの通りですよ、セレアさん」
小型コンテナに腰掛けていたウォードが立ち上がった。
「我々はこれから、SCC経営陣に対して事実関係の究明を要求しに参ります。これだけ手持ちのカードが揃えば、サンテスに言い逃れる術などありません」
「そういうことで」
一歩前に進み出たロット。
「この計画が成功したあかつきには、我々はグループ再生のために奔走しなければならない。それ以外に、衰退しきったスティーレインを救う方法がないのです。本音を言えば、あなたに三代目の会長をお願いしたいところだが、強い信念をお持ちである以上無理強いはできないと思っています。ゆえにご了解をいただければ幸いなのですが……」
柔和だった筈の彼の眼差しが瞬間、戦闘的に光った。
「――あなたの代わりとして、イリオス氏を会長に擁立することに、ご理解いただけますでしょうか?」
(イリオスさんを……か)
彼の人となりは、セレアもよく知っている。
才気溢れるようなタイプではないものの、イリオスの人望をもってすればスティーレイングループの立て直しもあるいは可能であるような気がしなくもない。黙っていれば、グループはサンテス一派によって瓦解させられてしまう。選択肢は二つに一つもないのだ。
ただ、ロットらのやり方が企業倫理的な観点からしてありなのかどうか、セレアには判断がつかなかった。企業経営とはどこまでもクリーンを保たねばならないと、彼女個人は思っている。
考えがまとまらぬまま、ぼんやりとテレビ画面を眺めているセレア。
Star-lineがなくなってしまった今、彼女を必要としているグループ会社はどこにもない。
ふと、ショーコの顔が思い浮かんだ。
(もしもロット社長達の思い通りに事が運べば、Star-lineを再組織できるのかしら? 事実上はテロ組織に対抗するのも同義だし、警備専門チームの存在は必要になる筈だわ……)
最後の最後までStar-lineに尽くしてくれたショーコを守ってやれなかったという自責の念がある。
イーファムの尽力によりスティケリア・アーヴィル重工に話がまとまりかけたのだが、ショーコは丁重に辞退した。
「あたしには、Star-lineしかなかったんです。それがなくなっちゃった以上、今はもうどういう情熱も持てない。同じCMDの仕事だからっていっても、前向きにやっていける気がしないんです。折角のお話をホントに申し訳ないんですが、あたしは……」
そう言い残し、セレアの元を去って行ってしまった。
今頃彼女はどうしているのだろう。
最後の寂しそうな笑顔が浮かんできた途端、胸の奥がずきりと痛んだ。
(できることなら、どうにかしてあげたいんだけれども……)
目線だけはテレビに向けられているものの、セレアの意識は全く別のところにあった。
と、その時である。
『臨時ニュースをお伝えします! たった今入った情報ですが、N地区にあるメディア・レイメンティル社社屋において爆発があった模様です! 詳しいことはまだわかっていません。繰り返しますが、先ほど午前十時過ぎ、N地区にあるメディア・レイメンティル社社屋において――』
「……え?」
慌てたように口早に原稿を読み上げる女性キャスターの声に、セレアの意識はいきなり引き戻された。
彼女の瞬きが止まっている。