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落日編8  残光

 その刻限、セレアは依頼された通りI地区にある「ストレイア工作所」の事務所を訪れていた。

 彼女を入り口まで出迎えたロットはにこにこしながら


「ようこそ、我が牙城へ。お忙しい中お越しいただき、恐縮です」


 彼の背後には、副社長ほか数名の社員達が居並び、セレアに笑顔を向けている。ロット以下全員作業服姿だが、汚れていないそれを着ている者はいない。というよりも、トップであるロットの顔が機械油に汚れて真っ黒であるというのが面白い。


「いいえ、久しぶりにお邪魔させていただくので、楽しみにしておりましたの。――ここだけは、あの頃からずっと変わっていませんね。とてもいい職場ですわ……」


 若きロット社長率いるこの会社は従業員の数こそ三十人足らずだが、州都市統治機構が指定する優良企業の一つにも選ばれており、社員達は皆活き活きとして働いている。誰もが、快活で柔軟、情熱と行動力に満ち溢れた我が社長を愛しており、心の底から慕っていたからだ。取引先は大手から中小まで様々、しかしながらその信用度は抜群に高い。こうした背景もあって、ワンマン会長サンテスですら迂闊に手を出すことができなくなっているといっていい。

 元々前会長ヴォルデ時代に設立された会社で、彼の側近だったロットが経営手腕を見込まれて託されることとなった。ヴォルデ存命の頃はセレアも何度か訪れたことがあるが、彼が逝去してからというもの経営陣を退いたこともあり、訪問するのはしばらくぶりのことであった。


「さぁ、狭くて汚い事務所ですが、中へどうぞ。今日は、セレアさんに是非お会いしたいという方々が勢ぞろいしておるのです」

「私に……?」


 セレアは妙な気がしたが、ともかくもロットに導かれて事務所の中へ足を踏み入れた。

 小さな事務所は事務員用のデスクが幾つかと応接セットだけでスペースが埋まっており、なるほど狭かった。じっとしていることのできない社長であるから、彼自身のデスクなどというものは存在せず、一日のほとんどは隣接している工場で作業しているという按配だった。彼の顔が汚れているのはそのためである。

 応接セットに案内されるのかと思っていると


「では、こちらをどうぞ。安全には最大限気をつけているつもりですが、自分の身は自分で守るのが一番です。足元と頭上にはくれぐれもお気をつけください」


 といってロットが差し出してきたのは、黄色い作業用ヘルメットであった。


「はぁ……わかりました……」


 工場の方へ連れて行かれるらしい。

 何がなんだかよくわからないながらも、素直にそれをかぶったセレア。

 すると、女性社員達がきゃっと歓声を上げ


「まあ! 綺麗な女性は安全帽をかぶっても似合いますね! 私なんて、男と間違われるのに」

「あらあら、それはユリさんが遠慮会釈なく男性達をどやしつけるからでしょ? 安全帽のせいじゃないわよ」


 どっと爆笑が起きた。

 陽気で茶目っ気の多い社員達である。

 セレアも自然と相好を崩し


「皆さん、とても素敵ですわ。こんなに活き活きとして、輝いていらっしゃるんですもの。本当に、素晴らしい職場ですね。今日はお招きいただいて、私も元気をいただけたような気がします」


 ちらりと、五年前のStar-lineメンバー達の姿が脳裏を過ぎった。


「こんな社員達ですみません。ただ、本当に気のいい人たちばかりなんです」


 苦笑いしているロット。


「わかりますわ。ロット社長のお人柄なのでしょう。私もこういう雰囲気は大好きですから」


 愛想ではない。

 祖父ヴォルデがスティケリア重工でスパナを振るっていた頃も、確かにこんな感じだった。これが理想的な職場の姿であり、セレアはいつもそうありたいと願ってきた。スティーレイングループ全盛期はこういうグループ会社が数多くあったものだが、今では幾つ残っているであろう。全て、あのワンマン会長サンテスが破壊し、社員達から笑顔を奪い去ってしまった。


「では、こちらへどうぞ。うるさい所で申し訳ないですが」


 ロットは先に立って歩き出し、事務所奥のドアを開けた。

 途端に、凄まじい機械の稼動音やら耳をつんざくような金属音が飛び出してきた。

 作業場はちょっとした体育館ほどの広さを有しており、大型の機械が幾つか据え付けられている。機械部品の加工を生業としているから、それらはプレス機だったり研磨用の機械なのであった。あちこちでやはり作業服姿の社員達が、真剣な表情で作業にあたっている。

 受注が多く多忙な工場であるにも関わらず、思いのほか整理整頓されている。歩行、運搬用通路がきちんと確保されているから、足元に気を遣う必要はなさそうであった。


「これがうちの作業場です! CMDメーカーからの受注が引きもきらないものでして、ここしばらくは毎日フル稼働ですよ! 忙しいったらありゃしない。とはいえ――」


 何よりも社員の安全第一が重要であるから、作業環境のあり方はうるさく指導しているのだと、ロットが説明してくれた。ただ、機械の音がやかましく、彼はほとんど怒鳴るようにして喋っている。

 先導しつつ、機械や作業工程について簡単な説明を加えていくロット。

 後に続くセレアは、はいはいと従順に耳を傾けつつ


(ロット社長、今日は会社見学のつもりでお呼びしてくれたのかしら? でも、まだこういう元気なグループ会社があって良かった。少しだけ、安心できたかも……)


 胸中、思うともなしに思った。

 彼女が心血を注いできたStar-lineこそ消滅したが、一方ではこのように頑張っている会社もある。その点、祖父ヴォルデの志を健全に継ぐ者達がいてくれたことは心強い思いがした。

 二十分ほどかけて、ロットは工場内の一通りの作業を説明してくれた。

 最初に案内してくれた機械のところまで戻ってくると、彼はつと足を停め


「さて……と。そろそろ、いい頃だ」ちらりと腕時計を一瞥し「……実は、今日お招きしたのは、別に我が社の設備をご覧戴きたかったからではないのです。多少時間に余裕ができましたので、こうやってご説明させていただくことにしたんですけれども。私の拙い説明をご清聴いただき、ありがとうございます」

「はぁ……」

「では、こちらへご足労いただきましょうか。本当にお見せしたいのは、この奥です」


 壁際を伝って、工場の奥へ向かって歩き出した。

 ロットが何を企図しているのかセレアには全くわからなかったが、黙って付いて行くよりない。

 大型作業機械が並んでいるスペースよりもさらに奥側には、納入を待つ製品が詰まったダンボール箱が堆く積み上げられ、ちょっとした倉庫のようになっている。普段は用事がないということなのか、そのあたりに社員達の姿はなかった。

 建物内部の位置関係でいえば左奥の隅、ということになるのであろうか。

 真新しい段ボール箱の壁が途切れ、そこだけ小さい空きスペースが設けられている。

 その光景を目にしたセレアは、思わず足を停めて棒立ちになった。


「……ようこそ、セレアさん。このようなむさ苦しい場所へお呼びした無礼を、どうかお許しください」


 そう彼女に声をかけたのは、CMDメーカー「スティケリア・アーヴィル重工」の元社長で、祖父ヴォルデの親友といっていいイーファム・ヘッズマンであった。セレアにとっては第二の祖父といってもいい人物である。

 が、彼だけではない。

 イーファムの周りには何人ものスーツ姿の男性達がおり、彼女の姿を認めるや一斉に目礼や会釈を送ってきた。

 業務用システム開発会社「ストラン・ネットワーク」社長ライト・フェーン。

 不動産業「ステーリア・グランド社」社長ウォード・ダム。

 大規模小売店「スターショップ」代表取締役社長チェン・アイラ。

 スティケリア・アーヴィル重工取締役兼セカンドファクトリー工場長ロン・パーム。

 工業用機械製造メーカー「ストゥルド精機」代表取締役社長リュード・ヴォイク。

 ざっとこれだけでも十分そうそうたる顔ぶれだが、一同の片隅で品良く立っている中年男性の姿を目にした途端、セレアは呆然とした。

 スティーレイングループの金庫ともいえる「スティーレイン・セントラル・バンク」頭取マッセ・リライドヘルザ。

 サンテスに真っ向から物を言える、数少ない人間の一人といっていい。グループ内では一見中立派を装っているが、ヴォルデの良き友人であり理解者であったこの男がいなければ、スティーレイングループはとうの昔に瓦解していたであろう。

 さらには――。


「先日は、大変失礼いたしました。何せ、事は極秘を要したものですから、現会長派として通さなければならなかったのです。暴言の数々、平にご容赦ください」


 そう言って丁重に頭を下げた者がいる。

 SCCグループ経営推進室室長イゲル・ミックステア。

 セレアこそ裁判のため欠席したが、先のグループ社長会議で経営幹部側の急先鋒としてリュードはじめロットやその他社長連と舌戦を繰り広げるなど、紛れもないサンテス派としてグループ会社各社から憎悪されている人物である。会長を後ろ盾とした彼の容赦ない攻撃によって、これまで会議の席上セレアは何度も屈辱を味わわされていた。だからといって彼女がイゲルを憎むことはなかったが、それでもサンテス会長の腰巾着なのだろうという認識はもっていた。

 その若者が今、自分に向かって深く低頭し、心から謝罪の言葉を述べている。


「イ、イゲル室長? それに皆さん、これは、一体……?」


 黄色いヘルメットを被ったままフリーズしているセレア。

 ロットは一瞬悪戯っぽい笑みを浮かべたが、すぐ生真面目な表情に戻って


「……ようやく、あなたをお迎えすることができました。我々はヴォルデ前会長の意志を受け継ぐ者達で結成した有志会、といったところでしょうか。ずっとこの日を、待ち続けておりました」 


 すると、頭取マッセがにこやかに微笑みながら


「ロット社長。もう、その呼称は必要ないかと思いますよ? 先ほど、予定通りイリオス氏がカイレル・ヴァーレンから帰国された旨、連絡が入ったのですから。――たった今からヴォルデ会長有志会、ではなく『新生スティーレイングループ』と名乗った方がよろしいかと」




 大きなデスクの端に置かれていた今朝の新聞。

 その一面記事の見出しを目にしたディゼンは、露骨に眉をしかめていた。

『アミュード・レア・ニスティインターナショナル、近く国際国家連合より平和表彰』とある。

 世界中に慈善団体や平和活動組織は無数にあるが、全世界政府により結成された国際国家連合から組織が直接表彰されたケースは万に一つもなかったといっていい。それだけに、レア・ニスティの成長と活動は群を圧していた。


(余計な真似を……。女は寄って集るとすぐこれだ。偽りの理想社会など夢見おって……)


 内心で舌打しつつ、チェアに腰を下ろすと


『――おはようございます、ディゼン知事。カイレル・ヴァーレン観光振興局理事、ナイデル様と仰る方からお電話が入っておりますが……いかがいたしましょうか?』


 内線の通話ランプが点滅し、スピーカーから秘書の声が流れてきた。


「おはよう、ミルサ君。大事なお客様だからね、つないでくれ給え」

『かしこまりました』


 回線接続のランプが点灯するのを待って、ディゼンは受話器を取り上げた。


「……私だ。こんな朝早くから電話とは、珍しいじゃないか」


 そう切り出すと、受話器の奥から


『何を悠長な。すっかり知事ボケしてしまったのではあるまいな? メモは見たのだろう?』


 ややかすれた、トーンの低い男の声が届いた。多少口早である。

 ディゼンはチェアに座り直しながら


「ああ、見たよ。警察機構の一件だろう? あれならシュヴァルトが議員特権を行使して寸前で差し止めた。問題あるまい」


 ぐいっと背もたれに体重を預けるようにした。


『それで事を収めたと思っているのなら甘いぞ、ディゼン。どこでどう漏れたか知らんが、一部メディアが嗅ぎ付けてきた形跡がある。メディア・レイメンティルとかいう雑誌らしいが、先日からロゼルの件でしつこくまとわりついていたというではないか。点と点に過ぎないものを、無理矢理にでも線に仕立て上げる連中だ。これが記事にされればディゼン、貴様とてタダでは済むまい?』

「あァ、あの雑誌かね……」


 大して気にしていない風の返事を装ったが、一瞬ぎくりとせぬでもなかった。

 そもそもメディア・レイメンティルという月刊誌は政治家や芸能人のスキャンダルばかりを追いかけていることもあり、品の悪さで定評があった。取材を受ける側からは毛虫のように忌み嫌われていて、度々訴訟沙汰にもなっている。一度狙われたらとことん食いついて離れず、しつこいのがその理由らしい。

 が、しつこいだけに、時として水面下の大きな事件やスキャンダルを暴いてしまう場合がある。

 彼等に狙われたがために、結果として失脚した政治家や世間から姿を消した芸能人は枚挙に暇がない。

 先日も、ロゼル殺害事件について同誌の記者を名乗る中年女性が頻繁に取材を申し込んできていた。ディゼンは全て門前払いを食わせたが、すると今度は都市統治機構本庁職員や関係者、ついには知事秘書にまとわりつき始めたのだ。

 記事としては根拠に薄い憶測ばかり並べられていたが、それでもあからさまにディゼンに対し疑いを向けた内容となっていた。例の女性記者もタダ者ではないらしく、関係者から聞き集めた事柄を巧妙につなぎ合わせ、ディゼンがロゼルを殺害する動機が十分成立するという体を構成していた。

 都市統治機構本庁広報課ではメディア・レイメンティル社に対し厳重に抗議すると共に、名誉毀損で告訴も辞さない旨伝達した。このことあって「ロゼル副知事殺害事件の闇」と称する連載記事は中断された。編集長の腰が砕けたのであろう。

 ようやくうるさい虫を追い払ったと安堵したのも束の間、今度は警察機構が動き始めた。

 ロゼルの件に直接関連する事柄ではなかったが、ベテラン警部殺害事件に関して捜査線上にSCC本社の動向が浮上し、そのためSCC経営幹部数名に事情聴取を行うというのである。この情報を得たディゼンは旧知の合衆国議会議員を介して国家公安機構に対し差し止めを要請した。警察権力の行き過ぎを防止するという観点から、合衆国憲法にはそのような定めがある。ただし、これは合衆国大統領と合衆国議会議員にのみ特権として認められている。

 ディゼン個人はSCCはじめ会長サンテスと大して利害関係が深い訳ではない。

 が、SCCによる巨額投資が頓挫されると間接的に支障が生じるため、やむなく口を利いてやったまでのことである。要はSCCが金さえ吐き出してくれれば、警察機構の捜索を受けようと潰れようと、知ったことではない。

 それが、漏れたという。

 事もあろうに例のメディア・レイメンティル誌というではないか。


(これは捨て置けないな……)


 ディゼンはちょっと考えてから、さあらぬ体を装いつつ


「なに、造作はあるまいよ。方法は手荒になるが、連中に思い知らせてやるいい機会じゃないか。余計なことに首を突っ込むとろくな結果を招かないという教訓をな……」

『また、人を貸せというのか?』

「そうだな……相手は非力な中年ババア一人だ。二人もいれば釣りがくる」

『わかった。詳細を寄越せ。あとはこっちでやる。――ただ、もう他に余計な虫がいないかどうか、念入りに洗っておけよ? この前の刑事もそうだが、同じ手段を何度も繰り返せばいずれは露顕するぞ。人間一人消すくらい、手間のかかる事もないんだからな』


 そう言い残し、電話は一方的に切れた。

 受話器を置いたディゼンは小さく溜息を漏らし


(まったく。どいつもこいつも、自分の身が一生安全だと信じている馬鹿者揃いだな……)


 ふと、足元のゴミ箱に目線がいった。

 先月号の「メディア・レイメンティル」が捨てられている。




 ブレーカーのスイッチを落とすと、オフィスの中は一気に暗くなった。

 夕焼けの残光が申し訳程度に窓際を照らしているが、あと少しすれば完全に夜の帳が下り、闇に支配されてしまうだろう。

 私物でパンパンに膨らんだバッグを肩に担ぐと、ドアから出て行こうとしたショーコ。


「……」


 ノブに手をかけたところでつと足を停め、振り返ってみた。

 デスクから書棚から全て搬送されてしまい、すっかり空っぽになったオフィス。今後は州裁判所の管理下におかれるから、ショーコが足を踏み入れるのはこれが最後である。

 かれこれ六年という歳月をここで過ごしていたのだ。不規則な泊まり勤務が多かったから、どちらかといえば社宅である宿舎棟よりもこの本部舎にいた時間の方が長かったかも知れない。

 ショーコならずとも、女性にとって二十代前半というのは貴重な時代である。

 それを全て、スティーレイングループもといStar-lineに捧げてきたということになる。もう二度と、戻ってくることはない。

 かといって、そのことをどうこう言うつもりはなかった。

 自分なりにやるだけのことはやったと思う。自分の技術を愛し引き立ててくれたヴォルデに、及ばずながらも多少は報いたつもりでいる。

 結果として最後に状況が彼女に味方しなかっただけのことで、それと満足感とは別のものだという気がする。衰退しゆくStar-lineを、独り最後まで逃げずに支えきった。まずまず、十分ではないか。

 セレアは密かにグループ会社を回って就職先を探してくれたらしいが――ショーコ自身、もはやスティーレイングループに留まりたいという意志はなかった。ヴォルデ亡き今、身勝手な俗物ばかりの経営陣に支配されたこの巨大企業には何の未練もない。

 それよりも――少しだけ自分自身に休暇を与え、それからまた新たにやっていきたいと思う。

 CMDメンテの技術も然り、着々と培ってきたものは、決して消えることはない。

 ここは青春の墓標などではなく、スタートライン。何もかも、これからが始まりだと思えばいい。


(お世話になったわね。……さよなら、Star-line)


 立ち去ろうとした瞬間、オフィスの中で第一期のメンバーが大騒ぎしていた光景を思い出し、胸の奥がずきりと痛んだ。

 彼等はそれぞれ自分の歩むべき道へと進み、そこで生きている。

 またいつかチームを組もうと誓って皆去っていったのだが、その約束が果たされることはあるまい。


(ま、それはそれよね。Star-lineだけが還るべき場所じゃないんだし)


 思い直し、オフィスのドアを閉めた。

 最後にハンガーや本部舎内の各所を一目見てから立ち去ろうかと思ったが、メインブレーカーを落としているため照明を点けられないことに気が付いた。

 己の迂闊さに苦笑しつつ、何度通ったかわからない正面通用口を抜けて外へ出た。

 入り口のドアを閉め、最後の施錠をする。


(あれ? この鍵って、裁判所に持っていかなきゃいけないんだっけ……?)


 そんなことを考えながら振り返った時である。

 少し離れた位置に、人影が二つばかり立っている。

 辺りはすでに暗くなっているから、目を凝らしてみてもよく見えない。

 すると、人影がこちらへ向かって近づいて来た。

 誰か、と思う間もなく


「……よう、嬢ちゃん。お疲れさんだったな」

「どうやら間に合ったようですね。――ショーコさん、いや隊長」


 声を聞いて驚いた。

 第一期隊員で整備長を努めたリベル・オーダ、そしてフォワードドライバーのサイ・クラッセルであった。

 どこでどう嗅ぎ付けたのか、ショーコが本部舎を引き払うというこの日を目掛けて駆けつけてきたらしい。


「サイ君、リベルさん……! どうして、ここへ……?」


 絶句しているショーコ。

 リベルは暗がりの中で「ニッ」という独特の笑みを見せ


「ったりめェじゃないか。あんだけ苦楽を共にした元上司のお見送りだぜ? こないワケにゃいかんだろうがよ」

「……ですね。本当はナナも来たがってたんですけど、昨日からリノが熱を出しちゃって。俺一人になっちゃいましたけど、そいつは勘弁してください」


 笑っている。

 所詮、隊の最後は独りで迎えるしかないかと思ったが、思いがけず馳せ参じてくれた仲間がいた。

 こんな形で報われるなんて――。

 そう思った途端、ショーコは目の前がぼやけて見えなくなった。


「サイ君……リベルさん……! あたし、あたし……!」


 止め処なく涙が溢れてきて、始末に負えなくなってしまった。

 どれだけ隊が逆風に晒されようとも、総指令長のセレアが泣き崩れようとも、断じて涙は見せずにやってきた。それだけに、湧き上がる万感の思いは抑えきれなかった。


「泣かないでくださいよ、ショーコさん。そういや、ショーコさんが泣いているところなんて一度も見たことがありませんでしたねぇ」

「あァ。嬢ちゃんはいっつも、きりっとしてたモンなぁ。あんたァ、立派だったよ。俺達はみんな、嬢ちゃんのお陰でここまでこれたんだし……」


 リベルの声が途切れた。見れば、彼もまた貰い泣きしている。

 すぐに手の平でごしごしと乱暴に顔をこすり


「……年取ると、トンと涙もろくなっていけねぇや。俺が泣いてちゃ、嬢ちゃんに申し訳が立たねぇよ。なぁ、ボーズ?」


 面目なさそうにしている。

 そんな彼の姿に、ショーコは泣きながらもやっと笑顔をつくった。


「ありがとう、おじさん。あたし、Star-lineで良かったって、心の底から思ったよ。こんなにいい仲間にめぐり会えたんだもの。終わり方こそ残念だったけど、何にも後悔してないの」

「そうそう、仲間といえば、なんですが……」


 ふと思い出したように、サイは携えていた大きな封筒を差し出した。


「これを、どうぞ」

「……?」


 ショーコが開けてみると、中に入っていたのは――


『お疲れ様でした、ショーコさん! あたし、もうちょっとしたらそっちに戻りますからね! ぜーったい、飲みに連れて行ってくださいよ? あ、でも飲み過ぎたらイヤですからね! ユイ・エルドレスト』

『ありがとね、ショーコちゃん! ゆっくり休んでね? 仕事したくなったらいつでも連絡ちょうだい。会長を説得して就職先を見つけてあげるから! リファ・テレシア』

『今までお疲れ様でした、ショーコさん。これからはゆっくりお話しできますね。リノとサイと、三人でいつでも待ってますから。 ナナ・クラッセル、リノ・クラッセル』

『世界一の隊長さん! 本当にお疲れ様! まだまだこれからですからね! これからも主人と共に応援しています! ブルーナ・セルラ』

『今の私があるのは全て隊長のお陰です。しっかり訓練を積んで、立派なドライバーになってご覧にいれます。ありがとうございました! シェフィ・ヴィルレーア』

『たくさん雷落とされたティアです。あの時はホント怖かったです。でも、あれのお陰であたしも成長できました! またいつか、あたしを叱ってくださいね? 叱られないあたしになってなければ、ですけど……。 ティア・エレイド』

『また、お会いしたいです。Star-line最後の日に行きたかったんですけど、ごめんなさい。風邪をひかないようにしてください。私は元気ですから。 ミサ・セヴィス』


 メンバー一人一人からのメッセージカード。

 ご丁寧なことに、皆それぞれの趣向で撮影した写真が添えられている。

 ミサだけは相変わらず何を言いたいのかよくわからなかったが、それはいい。

 一番最後のカードは、盟友サラからのものだった。


『ショーコ、私が一番尊敬する人。どんな時でも支えてくれて、助けてくれた。ずっとずっと、忘れないから。これからは、自分の幸せを探すのよ? あなたはたくさんの人を支えてきた分、幸せになる権利があるんだからね? 本当に、ありがとう! サラ・フレイザ』


 それぞれの思いが込められたメッセージ。

 皆、駆け付けてくることはできなくともこうして見守っていてくれたのである。 


「みんな……!」


 もう、堪え切れなかった。

 その場にしゃがみ込み、顔を覆って泣き出したショーコ。


「おいおい、あらためて泣き出すヤツがあるかい。そんなに泣かれちゃあ、なぁ……」


 からかうように言ったリベル自身も、涙で顔をくしゃくしゃにしている。

 サイもまた目頭を熱くしたが、込み上げてくるものを振り払うようにつと天を仰いだ。

 一面、濃紺の空。

 その暗いキャンバスに一筋、星がすっと流れて消えていくのが見えた。

 か細く儚げだが、一瞬キラリと力強く輝き光ったようにサイには思われた。



 こうして――スティーレイングループ専門警備会社「Star-line」はこの夜、全ての使命を終えたかのようにひっそりと消滅した。

 翌朝、この件について報じた新聞はただ一紙のみであった。

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