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落日編6  奇縁

「ここはどこだ……? 何も見えないが……」


 見渡す限り、茫漠たる闇だった。

 回りに何があるのかも、自分がどこにいるのかも、まるでわからない。

 その時である。


「――レヴォス! レヴォス! 私よ! 待って! 私を置いていかないで! お願いだから!」


 不意に、背後から自分を呼び止める女性の声がした。


「ケレナ!? ケレナなのか!? どこだ!? どこにいる!?」


 何も見えないとわかっていながら、思わず辺りを見回したレヴォス。

 すると、背後にうっすらと小さな光がともっていることに気が付いた。

 光はみるみる近づいてくる。

 目が慣れないレヴォスには太陽を直視したほどに眩しく観じられ、一瞬まぶたを閉じた。

 そうして再び目を開けた時、すぐ傍に最愛の――ケレナの姿があった。


「ケレナ! 無事だったのか! 大丈夫か? どこも怪我はないか!?」

「うん、大丈夫よ、レヴォス。私は大丈夫」


 彼女の細面な相好が、嬉しげに微笑んでいる。一面の闇の中だというのに、なぜかケレナの姿だけがはっきりと見えた。


「そうか……そうか!」


 レヴォスは安堵の余り、思わず彼女の身体を抱き締めた。

 いや、正確には抱き締めようとした。

 ところが、彼の腕は虚しく宙を舞い、ケレナの身体をすり抜けてしまった。


「……!?」


 何が起こったのか、よくわからない。

 驚いてケレナの顔を見やると、彼女は何ともいえない微笑を浮かべつつ、こちらに目線を向けていた。


「どうしたの、レヴォス? 私のこと、抱き締めてくれないの? 私を愛してくれているんでしょう?」


 どうも雰囲気が面妖である。

 この世の者とは思えない、ぞっとするようなおぞましさすら感じられる。


「ケ、ケレナ……? 一体、どうしたというんだ? 俺は今、確かに君のことを抱き締めようと――」

「だったら、早く抱き締めてよ。さあ、早く……」


 にじり寄ってくるケレナ。

 ただならぬ様子の彼女に恐れおののいたレヴォスは、思わず後退りしてしまった。

 すると、


「……逃げるの? 私から逃げるの? どうして? どうして逃げるの? 酷いじゃない! 私のことを愛しているって、言ってくれたじゃない!」


 相好を一変させた。

 満面に激しい憎しみの色をにじませ、獲物を狙う獣のような目つきをしている。


「お、おい、ケレナ……ちょっと待ってくれよ! 今の君は、どうもおかしいぞ。普通じゃないみたいだ」

「何を言っているの、レヴォス? 普通じゃないのはあなたの方。むしろ、私は普通よ。――ほら!」


 彼女が腕を伸ばし、レヴォスの肩をつかんだ。

 尋常ではない力がこもっている。思わず振り解こうとしたが、振り解けるものではない。


「さあ、一緒に行きましょう! 私達、いつも一緒だものね!」


 言いながら、ケレナの整った顔立ちが見る見る崩れていく。

 皮膚や肉があっという間に灰のように吹き散ってしまい、あとには真っ白い頭蓋骨だけが残った。

 その顎の骨がカクカクと不気味に上下し


「愛しているわ、レヴォス! 私は二度と、あなたを離しはしない……」

「うわあぁ――」


 絶叫しかけたところで、不意に目の前が明るくなった。

 跳ね起きたレヴォスの視界に、壁の白さが飛び込んできた。


「はあっ、はあっ、はあっ……」


 呼吸が整わない。

 ベッドの上で上体を起こしているという自分の状況すら、理解している余裕がなかった。俯いた姿勢のまま、肩で激しく息をしていると


「……あら? お目覚めになりましたか?」


 急に、女性の声が耳に飛び込んできた。

 ハッとしてそちらの方を見やったレヴォス。さっきの悪夢がまだ脳裏にこびりついている。

 が、そこにいたのは頭蓋骨だけになったケレナではない。

 艶々とした長い黒髪をもった、若い女性であった。

 薄い小麦色の肌に、柔和そのものの目鼻立ち。やや傷みが目立つワンピース型の衣装を身につけ、肩からは大きな純白のショールをかけている。下の衣装がくすんだ橙色だから、ショールの白さがことのほかよく目立った。彼女は、大輪の花を生けた花瓶を両腕で抱えている。


「あ……」


 次の言葉が出てこないレヴォスは、ベッドの上で固まっている。

 すると、女性は後ろ手に引き戸を閉めながら


「横になっていらっしゃった方がよろしくて? まだ、傷が完全には癒えていないようですから」


 ふわっと微笑んだ。

 声が笛の音のように済んでいて、美しい。しかも口調が穏やかだから、耳に優しく響いてくる。

 労るような彼女の笑顔と声に、ようやくレヴォスは心地を取り戻した。


「あ、あなたは……? どうして、私はここに……?」


 女性は静かに近づいてくると、ベッド脇のテーブルの上にゆっくりと花瓶を置いた。

 と、ほんのりと甘い香りが鼻孔をくすぐった。それが花のものなのか、女性のそれなのかはよくわからない。

 看護者用の大きなイスに上品に腰を下ろしつつ、女性は


「私、イルメシア・バドゥと申しますの。この街に暮らす者ですわ」


 名乗った。

 続けて


「つい三日ほど前でしたでしょうか? 第十四地区の廃墟街の辺りで、倒れているあなたを見つけました。身体に大きな怪我をなさっていたものですから、すぐに主人に連絡をとって、この病院にお連れいたしました。――ここですか? ええ、東地区スティーア病院です」


 言葉の一つ一つが丁寧で、どこにも粗野な感じがしない。どこかの富裕層の人間だろうかと思ったが、それにしては着ている衣装がくたびれ過ぎている。あらためて女性の身なりに目をやったレヴォスは、そこでようやく気が付いた。


「大変失礼ですが……あなたはアミュード・レア・ニスティの方ではありませんか? その、白いショール……」


 恐縮しつつ尋ねると、イルメシアといった女性はにっこりと笑って


「ええ、仰る通りですわ。私、レア・ニスティに入会していますの。主人はお国がヴィルフェイトなものですから、アミュード教徒ではないんですけれども」


 レア・ニスティ。

 正しくは「アミュード・レアンドロスト・ニスティル会」という。

 数年前から活動を開始した新興のアミュード教組織である。数百年にも及ぶアミュード教の歴史からすればほんの今出来な集団に過ぎないが、早くも世界各国の政府から大きな注目を集めていた。主催者はホーラ・デル・メイトという一アミュード教徒の女性だが、彼女は同じ教徒同士が血で血を洗うような抗争を繰り返しているという現実に疑問を抱き、かつ憎悪していた。

「聖なるアミュードが、同胞同士で殺し合うよう命じたもうた筈がない。これはきっと、後世の教徒達が教義の解釈を歪め、教典を改ざんしたに違いない」

 そう信じたホーラは、十数年という歳月を費やしてカイレル・ヴァーレン国内、時に近隣諸国を歩き回り、アミュード教に伝わる教典や文書の類を徹底的に調べた。

 やがて彼女は、現存する最古の教典と言われる文書の中に、求め続けていた一文を発見する。


『大いなる神アミュードは、万人に等しくその英知と友愛を授けるものなり』


 つまり、アミュード教教義の原典において、他教徒、他民族排斥の思想などは存在しなかったということになる。それどころかむしろ「協調」「共生」を説いているではないか。テロ組織リン・ゼールやゴーザ派が好んで掲げる『アミュードにあらざる者を滅せよ』とは、一言も述べられていない。それらはどうも、カイレル・ヴァーレン共和国政府が行った国土拡張政策、いわゆる「聖地収奪」の際、これに反抗して立ち上がったアミュード・チェイン神治合州同盟の指導者が唱えたものであるらしい。民族運動という歴史的経緯が背景にあるとしても、教義とは全く別のものであった。

 民族間抗争や世界各地でのテロ行為こそアミュードの教義に反すると確信したホーラは間もなく「レア・ニスティ」を組織し、アミュード教教典を基幹とした宗教的平和運動を開始する。

 当然ながら彼女は旧派から異端視され、リン・ゼールやゴーザ派によって何度も生命の危機に晒される。

 しかし、彼女の平和的主張に共感した各地の女性教徒達が呼応し、民族間抗争根絶を標榜して一斉に立ち上がった。誰もが、血生臭い殺し合いに飽き飽きしていた証左といっていい。レア・ニスティの運動はたちまち国外にまで波及し、カイレル政府のみならず世界各国も無視できぬ存在となっていった。

 この組織の女性達は一様に純白のショールを着用する。白は「平和」の象徴であり、自分達はその体現者かつ行動者であるという一種の自己主張によるものであった。

 ゆえにレヴォスはイルメシアがレア・ニスティだとすぐに気がついたのである。

 自分が搬送された経緯を聞いたレヴォスは、ふと疑問に思った。

 あの暗い地下室で襲撃を受け、爆破の衝撃で意識を失った筈であるのに、何故地上で倒れていたのか。

 そこまで考えた瞬間、ハッとした。


「あっ、あのっ、倒れていたのは私一人だったのでしょうか? 周りには他に、誰か――」

「おりませなんだ。あなただけだったのですわ」


 ゆるゆると首を横に振ったイルメシア。


「……先日、第十三地区で民族解放武装組織同士の衝突があったと伺いました。不意を衝いた一方的な襲撃で、襲われた側の組織の方々はほぼ全員が亡くなられたそうです。なんと酷いことをなさるのでしょう。同じ大地に暮らす、同じアミュードの民であるというのに……」


 彼女は遠回しに事情を述べただけだった。

 レヴォスの身元をそれとなく察し、明言を避けたらしい。


「そうですか……全員が……」 


 呟くと、レヴォスの表情が見る見る曇り、やがて――その肩が、小刻みに震え始めた。

 自分を除く全員が死亡したということは即ち、ケレナの死をも意味している。

 声を押し殺し、泣いているレヴォス。

 傍に座っていたイルメシアは静かに立ち上がると、そっと部屋を退出した。

 が、彼女もまた、その美しい瞳に涙を浮かべていた。




 アスファルトの路面が夕陽に赤く染まっている。

 ふと東の空を見上げれば、もう夜の帳が下り始めていた。


「――エドせんぱーい、まだ回るんですかぁ……?」


 泣き言を漏らしながら、メイファがとぼとぼとついてくる。

 後ろを振り返り見たエドは


「馬鹿野郎。刑事がこれくらいのことでくたびれてどうする。犯人をあげるのが俺達の仕事だぞ。それまでは休みなんかないと思え」


 先輩らしく叱責した。

 が、かく言うエドもまた、内心では途方に暮れる思いがしなくもなかった。

 メイファが手がかりを発見してから二日間というもの、二人はファー・レイメンティル州に点在するスティーレイングループ系列の会社をしらみつぶしに訪問しては聞き込みをするという地道な捜査に明け暮れしていた。

 国内トップクラスの大手企業グループだけに、会社数だけカウントしても三十近い。

 その事業所の数となると、大小合わせてゆうに百は越えていた。

 スティーレインが事件に関与しているという決定的な証拠を握っての聞き込みなら話も早かったろうが、何せ手がかりは例の「スティーレイン、金の流れ」という、メグルが遺した不可解な紙切れ一枚。鑑定の結果、メグルが書いたものにほぼ間違いないという報告だけは得たものの、いかんせん内容が漠然としすぎていた。

 最初に二人はN地区のSCC本社ビルへ乗り込んでみたのだが、応対に出た広報部担当者の男性はゆるゆると首を傾げ


「はぁ……金の流れ、ですか……。確かに、当社では日々巨額の資金が運用されておりますが……」


 困った表情のままフリーズした。質問が質問だけに、当然であろう。

 このままでは話が進まないと思ったエドは


「いやぁ、どんな小さな事でも結構なんですけどね、心当たりがあれば教えていただきたいんです。御社を取り巻く状況、そう、例えばテロ組織から何らかのコンタクトがあったとか……」


 無理矢理話を仕向けてみたが


「はぁ。しかし、そういった場合はすぐに警察機構へ連絡するのが当社の決まりですから……」


 至極当然の、模範的な回答を返されてしまった。

 結局二人は不得要領でSCC本社を後にせざるを得なかった。

 しかしエドは落胆する素振りも見せず、ちょっと考えてから


「……よし。系列会社をことごとくあたってやろう。小さいところを叩けば、何か出てくるかもしれん」


 と言って、車を勢いよく発進させた。

 この時点で既にメイファは自分の行為を後悔していた。


(エド先輩に相談するの、もう少し自分で調べてからにすれば良かった……)


 SCCの広報部担当者ではないが、こんな短文にも何もなっていない単語二つばかりの紙切れを見せたところでピンと閃く人間などいる筈がないではないか。

 ――が、もう遅い。エドの刑事魂に点いてしまった火は、犯人逮捕という水をかけるまで消えないのだ。

 一度本庁に戻った二人はスティーレイン系列企業の事業所を洗いざらいピックアップしてリスト化すると、それを片手に再び本庁を飛び出した。州の僻地・A地区から丹念に一事業所づつ回っていくのである。

 しかし、反応はどこも同じであった。


「さぁねぇ、こんな紙切れだけ見せられても……」

「刑事さん、うちみたいな小さい系列会社あたっても無理だわ。だって取引相手は全部身内だもの」


 ことごとく、敗退。

 十箇所目に辿り着く前に早くもメイファはへとへとになったが、我慢して先輩に付いていくよりない。

 一日目はB地区の途中で終了。残り二十三地区もあるかと思った途端、眩暈がした。

 聞き込み二日目。

 彼女は秘かに警察機構に職を得たことを後悔し始めた。


(やっぱりお母さんの言う通り、州統治機構の試験でも受けておけば良かった……。見たくもない死体は見せられるし夜も遅くまで引きずり回されるし、ホント最悪……)


 胸中百万の文句が渦巻いていたが、億尾にも出さない。出せばエドの叱責が飛んでくるに決まっている。

 が、実際のところそのエドも、


(やっぱり、ちょっと早まったかなぁ。といって、途中で止めたらメイファの手前、まずいよな……)


 思い始めていた。

 ただし、事件解決につながるような手がかりなど現段階では他にない。昨晩本庁に戻った際、捜査課長に状況を報告した時も


「その捜査、是非続行してくれ給え。こちらでも、別なルートから当たってみる」


 と言われている。

 上司の命令に切り替わった以上、止めるに止められないのだ。

 それでも懸命にC地区、D地区と聞き込みを続け、E地区までやってきたところで二日目の日は暮れた。


「よーっし、今日のところは次で最後にするか。ストレン商会たらいう会社だな」

「さ、賛成……です……」


 エドは元気を振り絞ってラストを宣言したが、メイファは隣の助手席でぐったりしていた。

 ストレン商会の事業所はE地区の外れ、港湾部にあった。事業所とは名ばかりで、古い倉庫の一角を借りて仕切っただけの粗末な事務所である。

 事前に聞いたところ、従業員はわずかに五名。それもそのはずで、同社はグループ内事業整理のため今月を持って閉鎖されることになっていた。主な業務はグループ会社への事務用品等納入で、かつては大いに多忙を極めたらしい。が、外注化によって業務量は激減、ついには閉鎖にまで追い込まれてしまったという。そもそも、所長以下従業員が皆訳ありばかりで、前会長ヴォルデが彼等を救済するために設立した会社であるらしかった。以上は、他の系列会社の人間が教えてくれた事情である。


「すいません、警察機構本庁捜査課の者ですが……」


 二人が訪れたとき、時刻は夜も二十一時を過ぎていた。


「はいはい。夜も遅くにご苦労様です。何か、ございましたでしょうか?」


 そう言いながらまず出てきたのは、五十代も半ばを過ぎたかという太った男性である。身につけている作業服がはちきれそうになっている彼は所長のホルトだと名乗った。


「こんな夜分に恐れ入ります。……あのですね、ちょっとお聞きしたいことがありまして、スティーレイン系列の各会社を回っておるのですが――」


 例によってエドが用向きを告げ、手がかりの紙片を見せつつ聞き込みをする。

 が、ここでも漏れなく予想通りのリアクションが待っていた。


「いやぁ、これじゃあ何とも、ねぇ……。こんな僻地までわざわざ来ていただいたのに、お役に立てなくて申し訳ないんですけども」


 心底申し訳なさそうに詫びたホルト。恰幅のせいかどうか、人柄はたいそう温和であった。

 エドもまた恐縮に思い


「いえいえ、却って申し訳ありませんでした。どんな細かい情報でも結構ですから、何かあればすぐに警察機構本庁までご連絡ください。事件解決にご協力をよろしくお願いいたします」


 と、辞儀を述べて辞去しようとした。食い下がってあれこれ訊くには、時間がさすがに遅すぎる。

 その時である。


「――あら? メイファ? メイファじゃないの! どぉーしたのぉ? こんな時間に」


 背後から若い女性の嬉々とした声がした。

 メイファが振り返ると、そこには思いがけなくも親友リナの姿があった。


「あーっ! リナ! あれぇ、どうしてこんな所にいるのぉ?」


 こんな所、とは相当失礼だが、若い女性同士の会話だからホルトもエドも苦笑するよりない。

 リナはホルトと同じ作業服を着て、新品のダンボール束を抱えている。それを無造作にどさりと放り出し


「どうしてって、この前食事した時にあたし教えたじゃないの、会社変わるからって。……やだ、メイファったら警察機構職員なんだから、あたしの言ったことくらい覚えておいてよねぇ」


 と、笑いながら訳のわからないことを言った。


「あ、あれ? そ、そうだったっけ? あはは……」


 疲れ切っているメイファもメイファで、頭を掻き掻き笑って誤魔化そうとした。

 正確には、リナは自分の会社名については一言も言っていなかったのだが――。


「こんな遅くまで大変ねぇ。折角だから、コーヒーでも飲んで行けば? それとも、まだこれからどこか行くトコあるの?」  

「あ、いや、それは……」


 滅多に会えない親友でもあるし、一休みしたいほどに疲労もしている。

 しかし、先輩のエドが一緒にいる以上勝手に決める訳にはいかない。

 どうしたものかと困ったようにエドの顔を見た。

 すると


「所長さん達がご迷惑でないなら、別に構わないぞ。今日の捜査はここでお終いだし」


 そう言ってくれた。

 エドはエドで捜査の都合上、スティーレイン系列の人間に少しでも面識を得ておいた方が後々役に立つかも知れないという思惑もあった。


「じゃ、決まりね。中へどうぞ。せまっ苦しい事務所だけど」


 リナはさも自分が所長であるかのように言った。温厚なホルトはただにこにこしている。


「お邪魔しまーす」


 ストレン商会の事務所自体はリナが口にした通り、さほどスペースはなかった。むしろ、壁向こうの資材置き場が極端に広く、その気になればサッカーでもテニスでも出来てしまうのだと、ホルトが説明してくれた。もっとも、近いうちに会社を閉めてしまうから、今はもうほとんど資材が残っていないらしい。

 事務所の隅にボロボロの応接セットが置かれている。

 エドとメイファが腰掛けると、ホルトとリナが煎れ立てのコーヒーを運んできてくれた。


「……で? 今日は何の用事だったの? 事件の聞き込み?」


 メイファの対面に腰を下ろしつつ、リナが尋ねてきた。


「そうそう、そうなの。ひょんなことからさぁ、スティーレインの会社名が見つかったりして……」


 掻い摘んで話してやると、


「ああ、この前話してくれた、あの事件ね。メイファが死体見てゲロっちゃったっていうアレでしょ?」


 リナは言わぬでもいい事を口にしてくれた。親友の気の利かなさに、嫌な顔をしているメイファ。

 途端にエドのきつい視線がメイファに向けられ


「……まったく。捜査のことは口外するなと言っただろう。お前は何もわかってないな」


 呆れ返っている。 


「す、すいません……」

「でもさでもさ、何か気になるよね、それ」と、リナは興味津々といった顔をして「案外、悪いコトやっちゃってるかも知れないよ? 前会長の時だったらそんなこともなかったでしょうけど、今の会長といったら人の十人や百人、利益のためなら殺しかねない最低な男だもの」


 すらりとろくでもないことを口走った。

 さすがに、隣にいるホルトが嗜めるかと思われたが


「まあ、彼女の言うのも一理ありますよ。サンテス会長の命令なんて、言ってみれば系列の小会社社員を間接的に殺しているようなものです。我々も、今まさに殺されかけていますけどね……」


 意外にも、同調の色を見せた。

 エドとて現在のスティーレイングループがどういうものであるかを知らぬ訳ではなかったが、一緒になって頷くのはまずい。


「あ、まあ……そんなものですか……」


 適当に相槌を打っておいた。

 ただ、放っておけばこの二人にグループ経営の愚痴を聞かされそうだと思い


「ところでメイファ。こちらのお嬢さんはお友達なのか?」


 隣でコーヒーを啜っているメイファに話題を振ってみた。


「そぉでぇす。ハイスクールの時から一緒なんです。大学も同じで」

「そうなんですよ。メイファったら、この通り真面目ちゃんじゃないですか? だから、なかなか恋人ができなくて大変だったんですよ。あはは――」


 どうやら悪意はなく天然らしいが、彼女を友達にもってしまったメイファはさぞかし苦労したのではないかと、エドはふと思った。この美しすぎる友人は、さっきから涼しい顔で聞き捨てならない発言を繰り返している。


「なるほど。それにしても、会社がこうなってしまうと大変ですね。入社して間もないんでしょう?」


 メイファと同期であれば、スティーレイングループに入ったばかりの新人ということになる。

 が、リナはかぶりを振って


「あ、メイファの就職は今年ですけど、あたしは一年早いんです。学生採用制度に受かったので」


 スティーレイングループほか大手企業にはそういう制度がある。

 優秀な人材を早くからスカウトするために設けられたもので、各大学に打診して数名づつ学生を一定期間試用で採用する。そこで適性があると認められかつ正式採用を希望する学生がいれば、卒業後そのまま社員になれるのだ。リナはそれがあったために、メイファよりも社会人歴が一年長いのである。

 エドは感心したように頷き


「ほう、とても優秀じゃないですか。……しかし、それなのにSCC本体採用にならないんですか?」

「いいえ。振り出しはSCC本社総務部でした。でも――」


 総務部に在籍中会長サンテスからセクハラを受けそうになり、全力でひっぱたいてやったという例の武勇伝を語ったリナ。


「っていうワケでして、ここに異動になっちゃいました。まあ、あんなエロ親父に身体を触られるよりぜーんぜんマシですけどねー! あははー」

「……」


 エドは呆然としている。

 今どき、こういう若い女性がいたものだろうか。

 メイファはちらりと我が先輩を一瞥し


「……こーいうオンナなんですよ。――先輩、独身でしょ? よかったらどうです? すごく美人だし」


 わざとらしく振ってやった。するとリナが大真面目に


「エドさんっていうんですかぁ? 背高いしカッコいいですよね。あたし、今ならぜんぜん空いてますけど」


 食い付いてきた。


「あ、い、いや……」


 確かに、滅多に見られない美形ではある。プロポーションも抜群といっていい。

 が、ド天然な彼女が放つ嵐のような豪快さにはついていけないだろうという気がしたエドは、返答を曖昧にぼかしておいた。付き合ったが最後、いつかは会長よろしくぶん殴られるに違いない。


「そ、それよりもさぁ、リナさん。本社にいた頃、何か耳にした話とかないだろうか? 金の流れっていうキーワードに関わるような話。どんな小さいことでもいいんだけど」


 何気なく尋ねてみると


「金の流れですかぁ? 金の流れねぇ……金の流れ」


 リナは天井を睨みつつぶつぶつと「金の流れ」を繰り返していたが、


「……あれ? そういえばさぁ」


 ふと、思い出したように手を打った。


「あたしが総務部クビにされる頃だったけど、やたらと海外事業部の人間の出張が多かったのよ。同じフロアだったから知り合いも多くて。で、何かあるのって訊いてみたら、もうすぐ海向こうの資源開発会社と事業提携結ぶから打合せが多いんだって。何でも、SCCがその会社の鉱物採掘プロジェクトだかにすっごい金額の出資をするとかって教えてくれたわ。……金の流れって、もしかしてそれのことかしら? まだ公式に発表されていないから、みんな知らないと思うけど」

「へ……?」

「……今、何と?」


 エドとメイファ、二人が同時にリナを見た。


 


 判決から数日後。

 一人、ファー・レイメンティル州裁判所へと赴いたセレア。

 その手に、一通の書類を携えている。

 事業継続不能申告書。

 その申告主の欄には当然「警備会社Star-line」の名が記載されている。

 つまり、破産申請といっていい。会社の運営を断念して裁判所に管財権を移譲し、外部から直接寄せられるべき法的責任に対し履行制限という保護を受ける。これによりStar-lineは本部舎ほか施設や機体を抵当にとられる不安はなくなるものの、確定した負債そのものの返済義務は負わねばならない。

 SCCの保護を受けられる見込みが立たない以上、セレアとしては取り得る手段はこれ以外になかった。破産申請が通れば巨額の負債はセレア個人にのしかかってくることとなるが、あの会長サンテスほか側近連中の横槍は受けずに済む。

 応対に出た裁判所の老事務員は幾つか必要事項の確認をしたあと、


「いや、わかりました。これは責任を持ってお預かりいたします。あとは追って裁判所からの通知をお待ちください。事業所への立入審査と資産査定ほか幾つか手続きがありますが、貴社の事業範囲はグループ内かつ当州に限定されていましたから、それほど手間を要することもないでしょう」


 と言ってすんなり受け取ってくれた。


「ありがとうございます。色々と厄介事ばかりお願いして申し訳ありません」


 丁寧に頭を下げたセレアに、老事務員は好意的な笑みを浮かべて


「しかし、SCCも酷い仕打ちをなさることだ。トップの判断で招いた不祥事の責任を一個人に押しつけておいてあとは知らぬと言うのでは、開いた口がふさがらないというものです。裁判所職員の私がこういうことを言ってはいけないかも知れませんが、SCCにはいずれその報いが訪れるでしょう。あなたもまだ若いのだから、決して悲嘆してはいけませんよ」


 慰めとも励ましともとれる言葉をかけてくれた。Star-line訴訟のニュースは広く報道されていたから、事情を理解してくれているらしい。

 セレアは頷き


「ええ、ありがとうございます。前会長だった祖父も、若い頃は相当な苦労を重ねたそうでございますから、私もこの程度で挫けてはならないと思っています」


 微笑した。

 建前のつもりはなかった。

 ヴォルデの骨身を削るような数々の辛苦について、セレアは事ある毎に聞いている。時に、絶望するような負債を抱える事態に陥ったこともあるという。

 が、いつであったか彼はセレアに向かって断言した。


「信用を積み重ねておくと、そういう時に思いがけない形で花開くものなんだよ。だから、信用は大切なのさ。生きていくことも商売も、人間が一人きりではできないからね」


 ――裁判所を後にしたセレアは、L地区のStar-line本部舎へと足を向けた。

 業務を完全に停止した今、早急に施設を明け渡せるように物品の整理を急がねばならない。隊員全員に残っている有休を消化させているから、本部舎ではショーコ一人が作業に勤しんでいる筈であった。

 念のため弁護士に確認してもらうと、機体ほか本部舎施設の名義はStar-lineで登録されていた。サンテスがそれらの処理について横槍を入れてくる可能性もあったが、裁判所に申し立てを行った以上危惧する必要はないとみていい。SCCとして資産を保全するなら、Star-lineが背負った負債の面倒をみなければならない。その責任を放棄したのだから、今後異議を申し立てられるいわれはないのだ。

 あと、判決の翌日、残る二人の隊員からも退職願が提出されている。

 可能な範囲で後腐れなくStar-lineを解散させる条件は整った。こののちは元従業員らに支払うべき慰謝料を用意せねばならないが、これをセレア個人が引き受けるという内容で話し合いを進めている。元従業員らも、セレア個人に対する遺恨はないと述べていることから、交渉はどうにかまとまるのではないかと思われた。

 停留所でバスを待っていると、バッグの中の携帯端末が鳴った。ディスプレイには「ストレイア工作所」の表示が出ている。

 何の用事だろう、思いつつセレアは着信ボタンを押した。


「……はい、セレアですが」

『あの、ストレイア工作所のロットでございます。ご無沙汰しております』

「あら、ロット社長。お久しぶりです!」


 セレアは急に声を明るくした。

 ストレイア工作所とStar-lineは浅からぬ関係がある。経費節減に伴い機体の部品調達に苦心するようになったStar-lineに対し、彼は簡単な部品の製作や修復程度なら、といって何かと便宜を図ってくれていた。そのくせ、ストレイア工作所から出動要請がかかったためしはなかったから、Star-lineが一方的に借りをつくっていたということになるが。

 快活で従業員達の人望も篤いこの若き社長に、セレアはことのほか感謝していた。


『お話は伺っていますよ。今度の一件、SCC経営幹部のやり口には怒りが収まりません。何千といる系列会社従業員なんか、切り捨ててもいいと考えている人達ですから』


 同情の念を、そういう表現で示したロット。

 が、自分にも責任の一端があると思っているセレアは苦笑しながら


「お気持ちは嬉しく思います。ですが、一社の長として会社と従業員を守れなかった私がいけないのですわ。今回のことは、私自身の手ぬるさが招いた事態だと思っています」

『まあまあ、そうご自分を責めないように。身内の会社を互いにケアし合うのがグループ経営のメリットなのですから、それを怠ったグループ本体も責任を負わねばなりますまい。――今、お電話を差し上げたのはそのことに関連があるのですが』


 ロットの口調が、俄かにあらたまった。


『ご多忙のこととは思いますが、ちょっと聞いていただきたいお話があるのです。近日中に、どこかでスケジュールを空けていただくことはできますかね?』

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