落日編3 隔絶
『――ロゼル氏が感情的になっている姿を見たと複数の関係者が証言しており、警察機構本庁では事件との因果関係について捜査しています。後任については現在のところ未定とのことですが、ディゼン氏と以前から交友関係があったとされる都市再開発計画室副主任を勤めるゼルド・ガンス氏の副知事昇格が有力視されています』
点けっぱなしにしていたテレビから、思わぬニュースが聞こえてきた。
画面の中で男性キャスターが、州副知事ロゼル・ハイマン急死の報を淡々と伝えている。州知事公務室で倒れているところを秘書に発見されたが、すでに亡くなっていたという。胸部に銃撃を受けており、銃弾は心臓を貫通していた。
――ファー・レイメンティル州中心部・L地区にある警備会社『Star-line』本部舎オフィス。
室内にはショーコが一人きりでいる。
彼女はデスクに向かって書類を書いていたが、その手をつと止めた。
(なんてこと!? ロゼルさんが殺されるなんて……。立派な人だったのに)
直接の面識があった訳ではないが、前知事の下にあって幾つか相当な実績を上げているから、その存在はよく知っている。一般の市民にしてもそうであろう。特に、五年前の大規模テロ事件で疲弊した州経済が再び持ち直すに至ったのは、彼の卓抜した手腕によるところが大きい。
突然の急死というのは残念というよりないが、それ以上に、犯人に対する怒りを禁じ得なかった。どんな事情があったにせよ、殺人を犯すなどというのは人間として風上にもおけないではないか。
ショーコは食い入るようにニュースを見ている。
やがて画面は切り替わり、頭髪が薄く目つきの鋭い男が映し出された。
大勢の記者からマイクを向けられたその人物は、ファー・レイメンティル州新知事ディゼン・ヴァドラークであった。一斉にカメラのフラッシュを浴びせられている。
『ディゼン知事、ロゼル副知事が殺害された一件について、まずは率直なコメントをお願いいたします』
女性記者から早口で質問されたディゼンはやや視線を落としながら
『正直、怒りが収まりません。これは市民社会への重大な挑戦であると認識しています。テロ組織は市民の総意によって委ねられている筈の政治に暴力と恫喝をもって臨んできた。彼等に対しては、断固たる態度をとるものであります。いかなる妨害工作がなされようとも、我々は断じて屈しません』
今度は別の男性記者が
『亡くなられたロゼル副知事に対して、知事ご自身はどのように思ってらっしゃいますか?』
『ロゼル副知事の急逝は我が州にとって最大の痛手です。とは申せ、我々はここで立ち止まっている訳にはいかない。彼の功績を土台として未来に向かって進まねばなりません。――ロゼル副知事の冥福を祈るとともに、市民の皆様には、彼が在職中に賜ったご支援に対し、謹んで御礼を申し上げる次第であります』
いかにも厳粛な面持ちで述べている。
そのニュースはそこで終了し、替わって海外で起きたテロ事件について報じ始めた。
濛々と黒煙を上げる建物の映像が流されている。
『――今回のテロ行為に対し、カイレル・ヴァーレン政府はジャック・フェインの犯行であるとの見方を強めていますが、当のジャック・フェイン側からは関与を否定する声明が出されています――』
思わずアナウンスに聞き入っていたショーコは、ハッと我に返ってテレビを消した。
のんびり眺めている場合ではない。
明日までに片付けておかねばならない書類がデスクの上に山積している。
(やばいやばい。ちゃっちゃとやっとかないと寝酒が飲めなくなっちゃう……。明日は出動予定があるのをすっかり忘れてたわ)
再び忙しく手を動かし始めた。
少しして、オフィスのドアが開いた。
入ってきたのは、紺色の制服に身を包んだ六人の隊員達。彼等はショーコに向かって横一列に整列したあと、一人の女性隊員がすっと前に進み出てピッと敬礼した。
「機体のメンテナンスとスティリアム研究所への動作実績報告を完了しましたのでご報告いたします。――それでは隊長、本日はこれにて失礼いたします」
「はい、お疲れ様。明日は夜勤体制をとるからよろしくね? 1700にS地区へ出動だから、それまでに準備をお願いね? 出動後は緊急発報に備えてSTR指令に管制を移譲します」
微笑して見せると
「かしこまりました。では、失礼します」
機械的に一礼してオフィスを出て行く若い隊員達。
ショーコはつと笑みを消し、彼等の背中をじっと見つめている。
やがて一人になると、はあっと大きく溜息をもらした。
(あればっかりは慣れないわぁ。オフィスにいる時くらい、もう少しくだけてくれてもいいのに)
隊員達の真面目くさった堅さが、どうにもやりきれない。毎度のことだが、息の詰まる思いがする。
いずれも年の頃は二十歳を少し過ぎたくらいで、学卒の秀才ばかり揃っている。ゆえに、普段の業務においては大したミスもなく、勤務態度は至って真面目で勤勉なのだが――しかし、それを美徳と呼ぶのはどうであろう。独裁政権の権力者が好みそうな労働者のあるべき姿というだけのことであり、人としての面白みがまるで感じられない。
職場という特殊な環境化において個性の発揮を躊躇するような人間が管理者になったとしても、社員の統率を全うすることはできない。理由は単純明快で、人間関係の構築に甚だ支障が生ずるからである。職場が人間の集まりである以上、関係を保てなければ秀才ばかり集めたところでいずれは破綻をきたす。
ショーコはかつての経験で、そのことを身に沁みて理解している。
であるから、隊員達と業務外でも接点を見出せるよう極力努力してきたつもりである。
が、以前と比較して業務量はまるで減ってしまったというのに、彼等と一緒に飲みに行ったことすらほとんどなかった。皆、勤務時間が終了すると各自の趣味なりプライベートに没頭し、それを理由に会社の人間との業務外での接触を一方的に遮断してしまう。仕事は仕事、という立て分けも理解できないではない。が、勤務時間だけで満足な人間関係を構築できる筈がないではないか……と思うのだが、若い隊員達はそういう発想ができないらしかった。独りを楽しめる手段なりツールが世の中に氾濫してしまったせいでもあろう。また、幼い頃からそういうものを与えられて育ってきたという事情もあるかも知れない。かつての子供達は、友達と遊ぶ以外に時間を消す術を知らなかったのだが。
かといってその事をどうこう言えるような筋合いではないものの、一方でショーコはそうした傾向を独り寂しく思っている。
(昔はなぁ……よく朝まで飲んだくれたっけ。酒を飲みながらコミュニケーションをはかったものだけど)
酒好きの管理者というものは、どうもそういう発想になりやすい。
が、何も寝酒の友がいないことだけを嘆いているつもりはない。
時の流れと共に新しい世代の性質が変わっていくのは仕方のないことだと思う。
何とか受け止めていかねばらならないと思うのだが――本音の部分で、どこか納得し切れていない自分がいる。
そんなわだかまりの原因がどこにあるのか、ショーコはわかっている。
――以前の頃のStar-line。
隊長以下激しく個性的な面々ばかりが揃い、何かと対立も多く、しかも業務は現在の比ではない程に過密であった。今の隊員達に同じことをやらせたならば、三日と経たず音を上げるに違いない。
それでもその時代を楽しかったと思えるのは、当時の誰もが「都市を守る」という自分の仕事に誇りを持ち、常に向上心を抱いて業務に邁進する姿勢を保っていたからではなかったか。そしてその原動力となったものは何を隠そう、チームワーク以外の何物でもない。
真面目一筋だったにも関わらず、Star-lineの中で柔軟な女性へと変貌していった隊長サラ。
他者への恩を忘れず、仕事熱心で人望篤かったドライバーのサイ、そして恋人のナナ。
最年少ながらも仕事にひたむきで、最後は反対する両親の心をも変えたユイ。
不幸な過去に真っ向から向き合い愛する人の死をも乗り越えた、隊きっての美女・リファ。
そのほか、シェフィ、ティア、ミサのセカンドグループ仲良し三人娘、酒好き整備長リベルに事務担当ブルーナ。のちにリファの親友で美人科学者のイリスも何を思ったか志願の末入隊してきた。
皆、五年前と三年前の人事異動で部隊を去った。
現在はそれぞれ、自分の道を歩んでいる。
あの頃のStar-lineはもう――ない。
(楽しかったなぁ……。みんな、元気でやってるかしら?)
今もなお個人的に連絡を取り合う者もいなくはないが、ほとんどは多忙に紛れて音信不通になっているか、さもなくば他州や海外に渡ってしまっている。
全盛期メンバー達の喜怒哀楽する姿を思い出し、つい呆然としてしまったショーコ。
が、自分に気合いを注入するようにぶんぶんと首を振って
(やぁね、私ったら。感傷に浸っている場合じゃないわ。大変なのはセレアさんも一緒だものね)
壁の時計を見やると、十九時を少し過ぎている。
さて、と立ち上がった。
そろそろ来客がみえる頃合である。
――かつて共に戦った、上司であり盟友が。
顔を出しかけたその瞬間。
背中を預けているコンクリートの柱が機関銃弾の嵐を浴びて原型を失っていた。
想像以上に敵の火器は強力である。
このまま同じ位置に留まって機会を窺い続けるのは冒険すぎる。
そう判断すると、その場を捨てて後退に移った。
時々外れ弾が壁にあたって跳ねたが、そんなものはそうそうこちらへ飛んでくるものでないことは経験上わかっている。遮蔽物は豊富だから、姿さえ晒さなければ銃撃が激しいといっても恐るるに足らない。
それよりも、あまりの暗さに閉口した。
自分の周囲の空間は辛うじて目が利くものの、数メートル先になると茫漠たる闇でしかない。
公的治安組織の追跡から逃れて潜伏するための地下アジトだから、満足な照明設備などはないのだ。
かがんだままの姿勢で床を這うように歩きつつ
(他の同志達は無事なのか? まだ奥までは踏み込まれていないようだが……)
と、いきなり背後から何かが肩に触れた。
「……!」
振り返りざま銃口を向けつつ、トリガーを引こうとすると――
「私よ、レヴォス! 撃たないで」
正面から、慌てたような女性の声が飛んできた。
闇に浮かぶ相手の白い小顔を目にするなり
「……ケレナか。焦ったぜ。思わず撃ってしまうところだったよ」
さっと短銃を下ろし、手の平で顔をこすったレヴォス。
その指に、滴るほど汗がついている。
「何か、情報はつかんでいるか? 入口付近を張っていた同志達は全員やられてしまった。奴等、不意を衝いて急襲してきやがって!」
思わず激高しかけた彼に、ケレナは宥めるような口調で
「落ち着いて、レヴォス。ガルバがギリギリまで接近して偵察してきてくれたわ。相手はどうもカイレル国軍陸団歩兵の連中じゃなさそうよ。改造八十六式機関銃を手にしているのが見えたって」
「八十六式? すると、今俺達を襲ってきているのは――」
ゴーザ派か。
レヴォスは確信していた。
今時、そのようなアンティークに近い小銃をカスタマイズして使っている組織など、出会う方が難しい。ただ、ゴーザ派はその手の改造技術に長けた人間の集まりだけに、殺傷力だけはアンティークどころか最新兵器並みに飛躍している。
彼の確信を理解したかのように頷いたケレナ。
「この前からおかしいとは思っていたのよ。私達とは何の関係もない破壊行為がみんな何故かジャック・フェインの犯行として報道されるんだもの。嵌められたのよ、ゴーザの奴等に!」
周囲の気配を察しているレヴォスは沈黙で答えたが、その通りだと思っている。
最近、急激に勢力を拡大しつつあるアミュード教組織ゴーザ派。
彼等の辞書に「共闘」「協調」の二文字は存在しない。
自分達以外は全て「神の敵」であり、殲滅すべき対象であると公言して憚るところを知らない。狂信者、あるいは狂人の集団といってもいい。
レヴォスら『ジャック・フェイン』もアミュード教の系譜を引くテロ組織であり、これまで世界各国でテロ行為に及んできたが、彼等は一般の民間人を標的にしたことなどただの一度もない。その活動目的はアミュード教徒迫害政策を続けるカイレル・ヴァーレン共和国と協力関係にある各国政府組織の撹乱ならびに弱体化であるからだ。それら国家の支援によってカイレル政府は「民族融和」の名の下、先住民族への圧迫を推し進め、今もなお多数のアミュード教徒が信仰と祖先の地を追われつつある。難民となった彼等に手を差し伸べる者もなく、飢餓のため死んでいく老若男女が後を絶たない。
いわば、ジャック・フェインはアミュード教徒のために活動を続けてきた。神の名を語って平気で同士討ちを起こすようなゴーザ派とは、まるで行き方を別っている。
そのゴーザ派。
ケレナが言う通り、彼等の活動はここ最近急激に活発化していた。
テロ組織が突如として行動を起こすような場合、その理由は常に二つしかない。
自分達の主義主張に有利となるような世界的、政治的情勢の変化。
もしくは、組織それ自体が著しく衰退し、その存在が危機的状況に追い込まれた場合。
ゴーザ派は、世界各地で暗躍する凶悪犯罪組織がシンパとなって常に支援を受けている。であるから、後者であるとはいかにも考えにくい。レヴォスは周囲の気配に注意を注ぎつつ、そのことを口にした。
「――狂った奴等さ。連中、自分達が世界中の闇組織の頂点に立つ事しか頭にないんだ。そのために今、邪魔な俺達を潰そうと動き出したに違いない。あいつらには五年前にも煮え湯を飲まされているからな」
「そうだったわね。あれさえなければ、ウィグさんだって……」
顔に悲壮な色を浮かべたケレナ。
「ゴーザ派の奴等の中に元々神なんかいやしないんだ。自分らがその神だと思っている」
吐き捨てるように言って、レヴォスは黙った。
大切な人を喪った悔恨が胸の奥で虫歯のように疼き、やりきれない思いがしたからである。
ふと、絶え間なく聞こえていた機関銃の射撃音や着弾の残響がふっつりと止んだ。
荒れ果てたコンクリートの迷路がたちまち黒い沈黙に支配された。
拳銃の残弾を数えていたレヴォスは目だけを動かして向こう側を窺い
「……? 奴等、前戦を詰めてくるつもりか?」
「さぁ? 撤収するとは思えないけど……」
首を傾げつつケレナが呟いた時である。
カン、コン、カココン――
空き缶でも放り投げたかのような軽い金属音が反響した。
瞬間、レヴォスは顔色を変えた。
「まずいぞ! 伏せるんだ、ケレナ――」
が、その叫び声がケレナに届くことはなかった。
間髪を容れず、鼓膜を裂くような轟音と紅蓮の爆炎が、狭隘な空間を満たしていく。
地下の廃墟である。あがいても逃れる術はない。
押し寄せた灼熱のプレッシャーに呑み込まれて意識を失う寸前、ケレナの華奢な肉体が真っ赤な業火に取り込まれていくのをレヴォスは見た。
「――すっかり、変わっちゃったわね。あの頃が嘘みたい」
しみじみと呟いてから、オフィスをぐるりと見回したサラ。
サラ・フレイザ。
二十一歳という若い身で、Star-line初代隊長を務め上げた。もっとも大きな功績として、第二次ジャック・フェイン事件という都市全体を破滅の危機に追いやった大事件を解決へと導いている。その優秀な指揮指導能力をかわれ、五年前に都市治安組織である「治安維持機構」へ抜擢され、Star-lineを去った。代わって隊長を引き受けたのがショーコである。ゆえに彼女は二代目隊長であった。
そんなサラももう二十六歳。今や治安維持機構Bブロック中隊を束ねる統括長として、その名は各方面に知れ渡っている。
激務に追われるあまり、かつての職場には五年間一度も足を踏み入れずじまいになっていた。
それが今夜、時間をこじ開けるようにしてわざわざやってきた。
ショーコは彼女の用件をそれとなく察していたが、口には出さずにいる。先回りして言い当てたりするのは野暮だという気がしたからだ。
変わってしまった、というサラの感慨を本部舎のことだと思い
「ボロボロでしょう? ろくに手入れもしてないから、あちこち傷みがひどいのよ。グループ内経費節減プロジェクトとやらで、改修の予定も無期限おあずけ。もう少ししたら雨漏りでもするかもね」
冗談めいた言い方をしつつ、確かにこの本部舎も傷んできたものだと思った。
が、サラはかぶりを振って
「違うの。変わった、って言ったのはショーコのことよ。今でも五年前みたいにエネルギーだだ漏れにして歩いているのかと思っていたら、すっかり大人しくなってるじゃない。驚いちゃったわ」
「え? 私? そんなに変わったかしら? あの頃のままでいるつもりだけど、ね」
無論、本音ではない。
大きく変化してしまった自分の姿に驚いているのは誰でもない、自分自身である。
積極的に恋人の存在を求めるようになっていた自分の気持ちに気が付いた時、ショーコは自分のとある部分がもはやすっかり変質してしまった事実を嫌でも認めざるを得なかった。肉親との死別以来当たり前のように存在していた筈の孤独への忍耐というものが心のどこを探しても見つからないのである。
その意味においてマイクと別れた日、彼に見せた甘えはポーズでも何でもなかった。
が、そういう内面のドロドロを表に出すまいとする一面をして、まだ自分が自分を失っていないと確認しているまでのことである。
だから、いくら相手がサラだとはいえ、先日の失恋の一件を口にするつもりはなかった。
笑い話に仕立て上げられるだけの割り切りが完了したとは言い難い。
「でも、どうして今の今まで残ろうって思ったの? 三年前の第二次改変でサイ君もナナちゃんも、リファもブルーナさんもリベルさんも、あの頃のメンバーは誰もいなくなってしまったのに。ようやく、あなたも動くつもりになったかと思ったのよね。……それでも名前が残っていたから、不思議に思って」
「……そりゃあ何度も思ったわ。そろそろ引き際かな、って」
ショーコは慣れた手つきでカップを持ち上げると、ずずっとコーヒーを啜りつつ
「みんながいなくなったこの隊で、あたしがいる意味なんてあるのかなって、ずっと考えていた。でも、そういうことじゃないのよね。自分の存在価値は、自分が見出すものだから」
正面からじっと見つめているサラは、思うともなしに思っている。
ショーコも苦労したな、と。
出会った頃の溢れ出すエネルギーから発される光芒というものが完全に鳴りを潜め、冷静になったといえば表現はいいが、悪く言えば情熱が枯渇して冷め切ってしまったような観がある。
最初の部隊改変が五年前。この時にサラはStar-lineを後にした。
それから二年後、次の部隊改変があってショーコを除く第一期メンバー全員が姿を消した。
これには、故スティーレイングループ会長・ヴォルデの意図が濃厚に反映されている。
第二次部隊改変と同じ年に彼はこの世を去ったのだが、逝去する少し前、体調を崩して病床についてからの気がかりは何よりもStar-lineにあったらしい。この都市、そして国家におけるスティーレイングループの栄誉と誇りを守り抜いたのは、彼が肝煎りとなって設立したStar-lineだったからである。この優れた専属警備会社の存在がなければ、スティーレイングループはテロ組織の魔手にかかってとうの昔に瓦解していたであろう。それは国内外政財界関係者の誰もが認めているところである。
「そろそろ、残りの隊員達も、激務から解放してやらねばなるまい。セレア、頼んだよ」
彼は唯一信頼できる孫娘のセレア――Star-line代表取締役兼総指令長――に、何度も頼んだという。
ヴォルデの意を受けた彼女はその通りに組織改変の手続きを進めた。
人事異動リストには当然、ショーコの名前も挙がっている。スティーレイン系列のCMDメーカーへ、技術開発部研究主任という決して悪くない肩書き付きでの異動である。
だが、思わぬ故障が出た。
そのショーコが、異動を蹴ってStar-lineに残ると言い出したのだ。
「しかし、ショーコさん。いつまでもこのような不規則で危険な業務に携わっていただくのは、本意ではありません。私もさることながら、お爺様が……」
セレアはそう諭したが
「いいんですよ。あたしはまだ、ここでやり残したことがあるような気がしてるんです。それに、Star-lineから第一期メンバーが誰もいなくなってしまったら、誰が同期会の仕切りをやるんです?」
同期会云々は冗談としても、ショーコはそのような言い方で残留を固持した。
結局主張は容れられ、半月後、彼女はまたも本部舎前に立ってメンバー達を見送った。
隊を去った誰もが、ショーコの胸中を量りかねた。もっとも彼女を慕ってくれたサイなどは率直に動機を問うてきたりしたが、ショーコは曖昧に笑ったまま答えずじまいであった。
独りStar-lineに残った本当の理由。
それというのは、さほど複雑なものではない。
(あたしまでStar-lineから消えたら、本当に辛いのはセレアさんじゃないよ。ヴォルデさんがもう保たないっていう時に……)
表面的にはたった一人の上司であるセレアへの気遣いだったが、さらに踏み込めばヴォルデへの恩返しであったといっていい。ヴォルデが最後の最後に案じるのは孫娘の彼女であるからだ。
ヴォルデには個人的なものも含め数限りない恩を受けたと、ショーコは思っている。が、それを返せぬまま彼の命は尽きようとしている。ならばせめて、彼にとってかけがえのない存在を支える姿勢を見せてやれば、多少なりとも安心できるのでは、と考えたのだった。
実際、スティーレイングループの繁栄には早くも陰りが見え始めていた。
一金融機関からスタートして気が付けば巨大な組織に成長したスティーレイングループも、会長であるヴォルデが病床についてからというもの次第に一体性を失い始めていた。ヴォルデと共にやってきた古参の同志達が次々とリタイアし、代わって若手が台頭してきたまでは良かったが、彼等には進むべき道を明確に示してくれる統率者が必要であった。残念なことに彼の後継者に相応しい人材はなく、ずっとヴォルデを傍で支えてきたにせよセレアはまだまだ若すぎた。求心力を欠けば、組織が巨大であればあるほど瓦解は加速度を増していってしまう。彼なりに、自ら丹誠込めて育てた組織が思わぬ方向へと変質してしまっていくことに気が付き、心を痛めていたであろうことは想像に難くない。増してや、引き続きその組織を堅持していかねばならないという重大な責任がセレアの両肩に否応なく圧し掛かってくるのだ。ヴォルデとしては、居たたまれなかったであろう。
それから三年。
ヴォルデ亡き後替わって着任した新会長は稀に見るワンマン主義であり、スティーレイングループはたった一人の独裁者に振り回され始めた。彼は系列会社には秋霜のごとき酷烈さをもって臨み、実績の振るわない会社には片っ端から業務規模縮小、あるいは解散を命じた。あまりの強引さに嫌気のさした社員達は一人、また一人と会社から去っていった。
そして、ショーコ率いるStar-lineがそうした合理化の波を被るまでに、そう時間はかからなかった。
活発化していたテロ事件が次第に沈静化していくにつれ、各企業専属警備会社が活動するタイミングも失われていったといっていい。そこに目をつけた新会長は、容赦ない合理化の刃でStar-lineの切り崩しを断行。ファースト、セカンド二チームでの運用体制を一チームに縮小させ、余剰となった人員を一顧もせずに解雇した。総指令長セレアはせめてグループ内での雇用継続を、と会長に直訴したが、それすら一蹴された。そうして突然路頭に放り出された隊員達は呆然としたが、やがて団結して血も涙もない会社への復仇に踏み切った。その訴訟がなお進行中だったが、スティーレイン側の弁護士は敗訴しない方がどうかしているといってさっさと匙を投げた。会長が勝手に始めた粛正の先棒を担がされたセレアは事態打開のために今夜もあちこち駆けずり回る羽目になっている。
新会長が辛うじて解散を命じなかったのは、代表取締役である創業者ヴォルデの孫娘に遠慮したのと、優良警備会社の名声が世間に根強く残っていたからである。ただし、新会長のそうした配慮も長続きしないであろうと、グループ内では実しやかに囁かれていた。必ず近いうちにStar-line潰しにかかるであろうことは誰の目にも明らかであった。
それらの噂は当然ショーコの耳にも入ってきたが、彼女はどういう不平不満も漏らさなかった。
事ここに至った以上、Star-lineが消滅するその日まで、自分の責務を全うするまでだと思っている。
それよりも、首の皮一枚でつながっている隊員達をヒマに晒してしまっては、会長に解散の口実を与えてしまう。そう睨んだショーコは、無理矢理業務の体裁を装うべくグループ会社への巡回を徹底させていたのであった。
そんなスティーレイングループ内部の動向を、サラは手に取るようにわかっている。公私両方の治安組織が一堂に会する「都市治安委員会」のメンバーとして会議に出席するたび、セレアと顔を合わせていたからである。
崩壊していくStar-lineの現状を聞いて彼女なりに心を痛めていたが、ショーコが何も語らない以上踏み込んではいけないような気がした。もうサラはスティーレイン所属の人間ではないのだ。
代わりに、かつてのメンバー達の消息について知っている限りの情報をあれこれと話したり他愛もない世間話を持ち出したりしたが、ショーコのテンションは水平なままである。
ふと、
「……髪、伸ばしたのね」
ショーコは唐突にそんなことを言った。
かつてはショートカットだったサラだが、今では背中に達するくらいのストレートヘアになっている。大分印象が変わったようにショーコは思った。そんなショーコも、ひと頃に比べれば髪が長く伸びている。
「これでも、何度か切ったのよ? 長いこと会ってなかったから、わからなかったでしょう?」
微笑んだサラ。
とても都市の治安部隊を率いる隊長とは思えないほどに柔らかく、女性らしさに満ちあふれている。
「そうだったわね。最後に会ったのは確か、みんながいなくなった時だったから、もう三年も経っているのね。お互いに忙しくて、会おう会おうって口ばっかりになっちゃった」
ようやくショーコも相好を崩した。
「他のみんなとは会ったりしてるの? サイ君とナナちゃんなんか、割と近くにいるでしょ?」
創設間もないStar-lineの名を一躍国内外に知らしめる役割を果たした天才ドライバー・サイとその幼馴染みで恋人のナナ。二人は第一次組織改変の際に残留を希望した。ショーコがいるから、というただそれだけの理由である。彼女は誰よりも二人を弟や妹のように可愛がり、サイもナナもそんなショーコを慕ってやまなかった。ちなみに、二人はこの時に結婚して所帯をもっている。
が、三年前に第二次組織改変が行われたのを機に、ついに二人もStar-lineを去る決意をする。
ナナが出産を控えていたためで、彼女はこの時に退職、サイはスティケリア重工G地区ラボにある技術開発部へ異動となっていた。父親になる予定の彼としては、これ以上危険と隣り合わせの職場に身を置いて妻子を不安にさせたくないという気持ちがあったらしい。
二人が去っていく現実を目の当たりして、初めてショーコは心の内に空洞ができていくのを感じた。
いつかはそうなるものと覚悟していたから笑って送り出しこそしたが、この時ばかりは自分を支えるのに精一杯だった。組織が新体制に移行して間もない時期ゆえ寝酒の世話にもなれず、彼女にとってずいぶんと辛い日々が続いた。
ほどなくナナは元気な女の子を出産。
産後のあれこれが落ち着いてしまうと、二人はショーコの身辺が心配になってきたらしく
「あのコ達、なかなか会えないけど連絡だけはまめにくれるのよ。なんだか、あたしったら年老いて目の離せない肉親のように思われているみたいね」
「ショーコったら。……生まれた女の子、確かリノちゃんっていうのよね? 二人から手紙がきていたわ。私、うっかりお祝いもあげてなかったから申し訳なくて」
サイとナナは元のメンバー達へ律儀に出産を報告する手紙を出していたようである。
「どのくらい前だったかしら? この前リノちゃんに会ったのよ。大きくなっていて、ナナちゃん似でとっても可愛いんだから。どういうつもりなのか、あたしに懐いてくれるのよねぇ。また会いたいわぁ」
懐かしそうな表情をしたショーコ。
いつの間にやら時間は過ぎ、気付けば二十二時を回っている。
話がひと段落したのを見て取ったサラは腰を浮かしかけたが
「それから、ショーコ。一つだけ、話しておこうと思ってたことがあるの」
つと表情を真面目にして真っ直ぐに視線を向けてきた。
ショーコは微笑しつつ
「大体、わかってるわよ。――結婚、するんでしょ?」
事も無げに言ってやると、サラはあっ、と驚いて見せた。
「どうしてわかったの? 何も言ってないのに」
「わかるわ、それくらい。すっかり綺麗になってるんだもの」
髪を伸ばし、まるで感じの変わったサラを一目見た時から、ショーコはそんな気がしていた。
電話で済まそうとせずわざわざ報告にやってきたところはいかにも、性格的に几帳面なサラらしい。
「ショーコも大変でしょうから、スケジュールが決まったら真っ先に連絡するわね。披露パーティは多分半年後くらいになっちゃうと思うけど、Star-lineのみんなとか親しい人達だけをお招きするつもりだから」
幸せな連絡事項を言い残し、サラは帰っていった。
本部舎入り口前で、遠ざかって行く車を見送っているショーコ。
(とうとうサラも結婚、ねぇ……)
赤いテールランプを見つめつつ、無意識のうちに呟いていた。
羨ましい気持ちがないといえば偽りになるが、といってそういう機会に恵まれない自分を惨めに思ったりするのは間違いだと信じている。
誰だって、やらねばならないことへの集中を余儀なくされる時期の一度や二度、あるものだ。
そうした試練を乗り越えてこそいい女になれるのであり、いい女になればこそいい男が寄ってくる――誰かが言っていたのを思い出した。
それもそうよね。
自分で自分に言い聞かせつつ本部舎に戻ろうとして、ハタと気が付いた。
「やだ、マイクの台詞じゃないよ……」
言葉の価値と発言者の重みは、必ずしも一致するものではないらしい。