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落日編2  寂夜

 重いブルーの間接照明がつむぎ出す、青と黒だけに染められた店内。

 その暗さを縫って、甘いメロディーのBGMがゆるやかに流れていく。そういうシチュエーションのせいか、かもし出されている雰囲気はどこか卑猥で淫靡であった。

 見回せば、暗い位置に設けられたテーブル席はどこも男女のカップルで埋まっている。週末の夜だけに、時間を気にせず楽しめるという浮ついた開放感が空間のあちこちに漂っていた。

 店内で唯一照度が十分なカウンターの奥では独り、マスターが静かにワイングラスを磨き続けている。

 黒のカラーリングで統一されたカウンター席には一組の男女。

 男性の方はポイントでデザインに趣向を凝らした品のいいジャケット、それに細身のジーンズを穿いている。年の頃は二十代半ばといった感じだが、もの優しげな表情と大人びた落ち着きのせいか、やや老成した風がある。ともかくも、全体的にスマートでスタイリッシュな好青年であった。

 片や、長い髪をアップにまとめ、首筋から肩、背中まで大胆に露出している女性。

 スタイルがほっそりしている上にフォーマルなデザインのドレスを着用しているから、性的な主張を全面に表現しつつも淫らな印象はない。切れ長の目とすっと通った鼻筋をもった容貌が、画に描いたように美しい。やや斜め上から落ちてくるスポットライトの創り出す陰影が、彼女の美貌を一層引き立たせて見えた。

 二人とも、手元に氷と琥珀色の液体の入ったグラスを置いている。


「――この前、新聞で読んだよ。スティーレイングループ、今度は南ダステニア諸島の油田開発に大規模な投資をするんだってね。このご時勢だっていうのに景気がいいじゃないか。……ということは、ショーコのところも大分忙しいんじゃないか?」


 グラスを傾けていたショーコは、それをコースターの上に静かに戻すと  


「そうでもないのよ、マイク。逆にね、ヒマが増えそうなの。――今の会長が合理化大好きで、あたしのチームは人間も仕事も大幅に減らされちゃって、今じゃほとんど業務らしい業務もしていないし。このままいけばSTR警備保障と統合されて、あたしも隊長の御役御免でしょうね。……給料の代わりに、自分の時間が与えられるってトコかしら?」


 くすりと笑った。

 そういう言い方をしたのは、いわば甘えのつもりである。

 といって建前でもなく、ほぼ事実であった。

 が、そこを逆手にとって、これからは二人で会える時間を豊富にとれそうだと暗にほのめかしたのだが――マイクは正面を向いたまま苦い表情を崩さない。

 もしかすると仕事上の不安でもあるのかと勘繰ったショーコは


「……どうかしたの?」


 尋ねてみた。

 すると、マイクは水割りのグラスに口をつけてから、目線だけをショーコに向け


「いや、しばらくさ、会えなくなりそうなんだ」

「……」


 ショーコの動きが止まった。

 マイクは掌中のグラスを左右になぶりつつ、液体が揺れ動く様をじっと見つめて続ける。


「……君も知っていると思うけど、あのネガストレイト・コレクションに僕らも参加させてもらえることになったんだ。初めての大仕事だから、オーナー以下みんな気合いが入っていてさ。ここで上手く注目を集めることができれば、僕らのブランドがファッション界にデビューできるんだ」

「……」

「それで明後日からしばらくの間、ネガストレイトに行かなきゃならなくってさ。あ、ショーコに早く伝えなかったのは申し訳ないと思ってる。審査に通ったのがつい先日でさ。――でも、僕らにとっては願ってもないチャンスだし……君には寂しい思いをさせてしまうと思うけど、何とか辛抱してもらえないかな……?」


 この州の隣に位置しているネガストレイト州では、毎年大規模なファッションショーが開催されている。

 国内外の一流有名デザイナーが一堂に会する権威あるイベントとして、その名を知らぬ者はいない。ここで注目を浴びたデザインが、翌年のトレンドを左右するとさえいわれている。

 ショーコは内心で落胆していく自分を感じたが、仕事だというからにはどうすることもできない。


「ふーん。そうなんだ……」


 めっきりと声のトーンが下がっている。

 話題を宙に浮かせたままカウンターのキズを丹念になで続けていたが、ふと


「ネガストレイト・コレクションって言ったわよね? ずいぶんと急な話じゃない。あれだけのスケールでやるイベントだったら、もっと早く声がかかるんじゃないの?」


 何気なく、思った疑問を口にしたに過ぎない。

 が、そう尋ねられたマイクは


「あ、うん、マイナーズ・ブランド・コンペティションっていう部門があってね、お、俺達はそこに参加するのさ。正直、メインの方じゃないのが残念なんだけどね……。でも、俺達みたいなマイナーブランドにとって登竜門であることに代わりはないし、やってみる価値は十分にあるのさ」


 急に早口で喋ってから、ぐいっとグラスをあおった。

 嘘の下手なヤツ。

 ショーコは思った。

 大抵の男はいざという時、嘘が顔か態度に出てしまう。そうならないのはよほどの悪人だとどこかで聞いたような気がするが、かといって男女の間に嘘が持ち込まれる時点で、それはすでに関係の何事かが破綻していることを意味している。

 おそらくは所属のモデルとでも出来てしまい、自分と別れたくなったのではないのか。そんな気がした。

 仕事上の云々は彼女を遠ざけるための口実に過ぎないであろう。ネガストレイト・コレクションといえば、来年の流行を示唆するといわれる一流のファッションショーである。そういう大舞台のどこに、マイクのようななり損ねデザイナーのささりこむ余地があるというのか。

 ショーコは知っている。

 そもそも「マイナーズ・ブランド・コンペティション」などというのは、各都市でほそぼそとやっている二流以下のマイナーブランドの中から優れた作品を発掘しようという、いわば主催者側の気まぐれに近い企画である。彼のいう通り、一級のオーナー達の目に止まればあるいはそこからファーストブランドに躍り出るようなこともあながち皆無ではない。が、それは万に一つ以下の幸運でしかなく、千載一遇のチャンスを求めて国内外から何千何百という数の、ほとんど無名に近いマイナーブランドが集まってくるのだ。当然、出展者が許されるPR活動など限られてくる。仮にもデザイナーの端くれを気取るマイクが、そのことを知らぬ筈がない。長期間にわたって会えなくなる訳がないのである。

 マイクは内心穏やかでないのか、目線を合わせようとしない。

 不愉快であった。

 別れたいのなら、はっきりそう言えばいいではないか。

 むらむらと腹が立ってきたが、そこはぐっと堪えた。

 思い切り罵倒してやってもいいのだが、それをやってしまえばこのスマート気取りの情けない男は泣いて許しを請うに違いない。気持ちが一気にクールダウンしてしまった以上、ショーコとしては彼が泣こうが死のうが知ったことではない。ただ、そういう愁嘆場を演じたが最後、今後この店に顔を出しにくくなってしまう。高級な酒が手頃な値段で揃っているから、それだけは避けたかった。

 ショーコは苛立つ気持ちを何とか抑えようと、グラスをぐっと傾けて琥珀色の液体を飲み干した。

 寄り添って座る二人の間に、微妙な沈黙が流れていく。

 もう一杯飲んでしまおうかと思ったが、オーダーするために口を開くのが億劫でやめておいた。

 こういう場合、気の利いた店のマスターは機敏に客の雰囲気を察する。不躾に「代わりは?」などと声をかけたりしないのだ。


「……」


 ひたすら口を閉ざしているショーコ。

 彼女が無言で発しているただならぬ雰囲気を察知したマイク。さすがに不安を覚えたらしい。


「ね、ねぇショーコ。怒っているのかい? ――ま、無理もないよね。君も仕事が色々大変な時だと思うし、辛いこともたくさんあるだろうし」


 急に機嫌を取るような態度を見せ始めた。自分のついた嘘がばれていることに気付いていないらしく


「……でもさ、わかってくれよ? 僕だって、君を傍から離したくない。出来ることなら一緒にネガストレイトへ行きたいよ。だけど、そういう訳にもいかないだろ? 君も職場ではそれなりの立場なんだし」


 心にもないことを――。

 そう思った瞬間、決定的な一言が、つい口をついて飛び出していた。


「じゃあ、あたしが仕事を辞めて一緒について行くって言ったらどうするの? 連れて行ってくれる?」

「え、あ? そ、それは……」


 ショーコの質問に対する彼のリアクションが、全てを物語った。

 今まで饒舌だった筈のマイクが、急に黙り込んでしまったのだ。

 ショーコはふっと一つため息を漏らし


「……もう、いいわ。それ以上、嘘をつく必要はないから」


 傍らに置いていたハンドバッグを手に取ると、カウンターチェアから下りた。

 くるりと背を向けて立ち去りかけたが、彼女はつと足を停め


「要するに、あなたはあたしに言って欲しかったんでしょ? ――さよなら、って」


 マイクは沈黙している。

 そのだんまりが、いかにも「そうだ」と認めているように、ショーコには思えた。

 自分でさよならも言えない、つまらないヤツ。

 そう吐き捨てたかったが、そのつまらないヤツを一時でも好きになったのは自分である。口に出してしまえば、自分をもつまらないと言っているに等しい。

 だから、代わりに言ってやった。


「……あなたが自分で言えないなら、お望み通り私から言ってあげる。――さよなら」


 そうしてショーコの露わな白い背中が、溶け込むようにして暗がりへと消えていった。

 独りカウンターに残されたマイク。

 身じろぎもしない。




「また独りかぁ……。ま、あんまり長続きするとも思えなかったけど」


 夜空を圧するかのようにそびえ立つ高層ビルの足元を、ぶらぶらと歩いていくショーコ。

 きついウイスキーを一気にあおったせいか、多少酔いが回っている。

 露わな胸元や背中の肌にあたる夜風が冷たい。

 今夜の彼女は露出面積がやたらと多い、リゾートドレス風な服を着ていたからだ。

 多少冷静になってみると、気負いこんでそういう衣装を身につけた自分がいささか滑稽に思えなくもない。が、相手の男が取るに足らなかったといってもそれは結果論であって、ほんの少し前まではその男のためにこんな格好をすることすら厭わない自分がいたのだ。

 といって――本当にマイクのことを愛していたのか、今ひとつ自分に自信が持てない。

 切実な現実から目を反らすための退避口として、彼の存在を求めていただけのことではなかったか。

 気持ちに余裕を欠いた人間の恋愛は常に「一方的に求める」形になりやすい。マイクと過ごしているその時間だけは、自分の心身を絶え間なく締め上げてくる日常の煩雑から、僅かでも逃れられるような気がした。実際、彼女に対するマイクの態度はどこまでも大らかで、決して不愉快なものではなかった。

 が、それはあくまでも「逃避」に過ぎなかったのだ。だからといってショーコを取り巻く根本的な懸念を何一つ解決させることが出来た訳ではない。

 現実現実で心がカサカサになってしまった女と、夢ばかり追いかけたがる現実認識に乏しい男。

 ――上手くいかない男女の典型的なパターンであるという。

 何かの雑誌に載っていた恋愛記事の一文をふと思い出し


(あーあ、やっちゃった、ってカンジね……。恋愛なんてホント、焦ってやるモンじゃないわね。自分の本心を見失ってしまうだけだわ)


 まさか自分に当てはまってしまうとは、思いも寄らなかった。

 今年で二十六歳。

 考えてみれば、十代の最後に短期間付き合ったきり、恋愛らしい恋愛などしてこなかったような気がする。

 こうも恋愛下手になってしまっている我が身がつくづく嫌になるものの、かといってそれを仕事のせいにするつもりはない。どんな理由を論おうとも、そういう生き方を選んだのは誰でもない、自分自身である。

 とはいってもやはり、年齢を重ねると共に次第に独り身が堪えてきているのも否定できない事実である。勝気な性格が災いしているのかどうか、年少の時代から仲のいい男性が傍にいたという記憶はない。このままいけば――その可能性を十分に秘めていることに気がついている自分が悲しかった。

 情けないような侘しいような、心に言い知れないうやむやを抱えたまま、ショーコは夜道をひた歩いていく。胸のあたりが妙に寒く感じるのは、何も衣装のせいだけではなかった。

 地区中心部に造成された中央公園のあたりに差し掛かると、暗がりの至るところに酔い覚ましの風にあたっている男女をしきりと見かけた。すっかり二人きりの世界にはまってしまっているカップルもいる。


(ちっ)


 酔いも手伝って思わず舌打ちしたくなったが、やめておいた。

 つい数日前まで、同じ事をしていた自分の姿が脳裏にある。

 気まずさから逃れるように、足を速めて通り抜けようとした。

 ほとんど駆けるようにして最寄り駅の方角へ向かって急いでいると


「……ねーちゃん、そんなハダカみたいな格好して夜道を歩いちゃ、危ないぜ? あんたぁ、べっぴんなんだから気をつけろよ……」


 行く手の道端に座り込んでいたホームレスのオヤジが、不意に声をかけてきた。

 普段はそういう輩を相手にしたりはしないのだが、今夜に限って多少酔っているうえに気持ちの収まりどころが定まっていない。

 そういう時に見知らぬ人間からいきなり言われた「べっぴん」の形容が妙に嬉しくなったショーコは


「ありがと、おじさん。……ほい」


 ポケットの中から五百エルコインを一枚取り出し、指で弾いてやった。

 そのまま足も止めずに通り過ぎて行くと、背後から


「……あんた、きっといいことあるよ。間違いない。――諦めるなよ!」


 思いもかけない言葉が飛んできた。

 あたかも、瞬間的に彼女の胸中の何事かを見抜いたかのようである。

 一瞬ドキリとせぬでもなかった。

 が、ショーコは構わずに歩いて行く。

 立ち止まったり振り返ったりするような習慣は持ち合わせていないつもりである。

 いつだって、向くべき方向は――前しかない。

 振り返ったところで、未来のために得られるものなど何一つありはしないのだ。


(いいこと、か。……本当に、そんな日がくるのかしらねぇ――)


 心の内で呟きつつ何気なく見上げた夜空に小さく、一筋の流れ星が見えた。

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