落日編結章 逆転
「――もしもし? 私だが」
『……ディゼンか。この前から大分しつこく鳴らしてくれていたな。何をそんなに焦っている?』
「私からの電話がわかっていながら取らなかったのか!」
相手の怠慢に怒りを覚えたディゼンは思わず怒鳴りかけたが、すぐに声のトーンを落とし
「……何という真似をしてくれたんだ。貴様等の浅はかさには呆れて物も言えんよ」
『浅はか? 何のことかな? メディア・レイメンティル社の件か?』
「この期に及んで白っぱくれるのも大概にしろ。女性記者を排除しろとは言ったが、誰があそこまでやってくれと頼んだ!? 貴様等が暴走してくれたお陰で、州全域に非常警戒令を発される始末だ。恐らくは明日の州議会で監視ネットワークシステム再稼働も決議される。貴様等は自分で自分の首を絞めているというのが何故わからん!」
どさりとチェアに腰を掛け、反転して窓の方を向いた。
まだ昼前だというのに外はどんよりと暗く、窓ガラスに雨粒が止め処なく当たって折角の景色をぼんやり曇らせている。
電話の向こうで、やや間があった。
『……フッ、ハハハハ』
不意に、低い男の声が俄かに笑い出した。
「何を笑っている? 真面目にやって欲しいものだな」
『何、ふざけてなどいない。――いやさディゼン、ゴーザ派の訓条は覚えているか?』
「馬鹿なことを。忘れる訳があるまい」
『なら、あれで良かろう。不手際は己が命と血肉をもって神に償うべし、さ。あのパッサたらいう男、警察機構にタレ込んだ同僚の始末を思いついたまではいい。が、爆破騒ぎまで引き起こしたというのに、当の女社員にはまんまと逃げられたじゃないか。独断専行しておいてしくじりやがったんだよ。それでのこのこと指示を仰いできたから、例の訓条を思い出せと伝えてやっただけだ。――何、余計な口が一つ閉じられただけのことじゃないかね?』
ゴーザ派組織において訓条なる規律――神に宣誓するという形式の――は、絶対である。
幾つもの規律規範からなる訓条のうち最後に述べられている一文、これこそ恐るべき心得であった。不始末をやらかしたものは自分の生命をもって償え、という意味であり、この一文のためにどれだけの組織員が無造作に命を放り出したか、わかったものではない。
ディゼンとしては、黙らざるを得ない。
電話の相手が何を言わんとしているか、すぐに勘付いていたからだ。
彼は声を上ずらせながら
「組織は、組織は……私にもそうしろというのか?」
尋ねた。
心なしか、表情が苦しげに歪んでいる。
『言っている意味がわからないな。訓条はあくまでも心積もりであって命令ではない。パッサにしろ他の連中にしろ、自分の意志で神に命を捧げただけのことだろう。誰も死ねと命じた訳じゃない。違うかね?』
詭弁だ、と言い掛けたが、相手の男はそれよりも早く
『ま、お前さんには今死んでもらっちゃ困る。くれぐれも、懐に爆弾詰めて治安機構なんかに出かけたりするなよ? それこそ大迷惑だからな』
可笑しそうに言った後、すぐに声の調子をがらりと変えた。
『――そんなことより、SCCで何が起こっている? お前さんの方で何か情報はつかんでいないのか?』
唇を噛んだディゼン。
その話を持ち出されるのはある意味、死ねと言われるに等しい辛さがある。
数日前、SCCは突如として、カイレル・ヴァーレン共和国における大規模地下資源開発プロジェクトへの投資を見合わせる旨発表した。理由は「昨今の著しい業績低下に伴い、国内グループ企業再編を優先させるため」とされているが、これは会長サンテスが従来強行し続けてきた海外事業拡大転向路線に反している。中小グループ企業をさんざん圧迫し消滅させてきた経緯を踏まえれば、そのことは誰の目にも明らかであった。
一報を受けたカイレル政府や海外プロジェクト関係者は仰天したが、ヴィルフェイト合衆国政府はじめファー・レイメンティル州都市統治機構もまた大いに慌てた。SCCからの巨額投資が頓挫すれば、プロジェクトの進行そのものに多大な支障が生じてしまうのである。しかも同プロジェクトはカイレル政府肝煎りであるため、約を違えることによって最悪、国家レベルでの対外問題にも発展しかねない。ヴィルフェイト合衆国政府が動顚したのは当然であった。
すぐに大統領府からディゼンの元へ直接連絡が入り、サンテス会長以下SCC経営幹部より直ちに聞き取り調査を行うよう要請があった。彼もその必要性は十分に承知している。時を置かずして事情説明を要請する旨の書面が、州知事名にて送付された。
ところが。
翌日送られてきたSCC本社からの回答は、ディゼンが思わず呆気に取られたほど、味も素っ気もない内容であった。
「SCCとしては、グループ内部の経営状況を鑑みて今回の決定に至った。州都市統治機構への詳細な説明は、十分な必要性があるものと認識していない」
ほとんど喧嘩腰といっていい。余計な口を挟むな、と言わんばかりの態度ではないか。
これにはディゼンも激怒した。SCCには貸しがある。
つい先日、ナッシュ・マテリアル社とテロ組織の関連性を疑った警察機構本庁はSCCに事情聴取を行う構えを見せた。国家統治機構関係者からいち早くこの情報を得たディゼンはさる大物合衆国議会議員を動かし、国家公安機構を通じて警察機構本庁に圧力をかけさせた。警察機構がSCCをマークしてしまえば、ナッシュ社の内情はもちろん、メグル警部殺害の一件にまで大きな手がかりを与えてしまいかねなかったからである。ただし、あくまでも警察機構による捜査の手を払い除けるのが狙いであった以上、SCCに恩を売るのは筋違いであるといっていい。げんに、陰でそういう策動があったという事実をSCCの誰一人知らないのだ。
意図してそうなった訳ではないのだが、気付けばSCCはディゼンらゴーザ派にとってもカイレル政府にとっても、死活を握るアキレス腱的な存在となっていた。SCCにそっぽを向かれれば、何もかもがぶち壊しになってしまう。
そして今まさに、事態は恐れていた方向に動きつつある。
が、そんなディゼンの焦りとは裏腹に、側近の下僚達は口を揃えて
「突っ返されたのも当然です。カイレル政府は国益に関わるから文句の一つも言いたいでしょうが、そもそもこれは民間主導で進められたプロジェクトです。カイレル政府公認といっても、おこぼれが欲しいばっかりに後付けされたお墨付きに過ぎない。カイレル政府がよくやる手口じゃありませんか。国家統治機構は外交問題だとか騒いでいますが、根底は民間企業同士の約束みたいなものですから、今さら国や州が出て行ったところでSCCこそいい迷惑でしょうね。国や我々が最初から面倒みてやっていたんなら話は別ですが」
と、むしろ事情説明の要請には冷ややかな態度を見せた。
そう言われてしまえば、ディゼンとて抗弁の余地はない。客観的に事柄を整理すれば、事実は下僚達の言う通りなのである。国家同士の付き合いが悪くなるから考え直してくれ、と頼んでみたところでSCCにしてみれば知ったことではないのだ。例えるならば、親同士の友好関係を保つために子供に金を出せと言っているに等しい。しかしその親は今まで子供の面倒など何一つみておらず、しかも子供の金を当てにして騒ぎ立てているのはよりによって向こうの親なのだ。子供が不貞腐れるのも当然である。
が、今後どうなるかは別にせよ、州都市統治機構の立場としてはせめて事情だけでも把握しておかねばならない。
ともかくもSCCに対して事情説明に応じるよう引き続き要請せよ、とディゼンは命じたのだが――SCCからは色よい返事を得られないまま数日が経過している、という状況だったのである。
「SCCには何度も事情説明を求めているさ。だが、一向に応じる気配がない。経営陣が内部分裂を起こしているためだと報じているメディアもあるが、あるいはその可能性もある。事情が事情だけに、我々州政府としてもこれ以上介入する術を持たんのだ。こればかりは私の責任でもあるまい。そう責めてくれるな」
溜息をつきつき、懇願するようにディゼンは言った。
すると、電話の向こうの男もまた大きく溜息を漏らし
『お前は本当にお気楽だな。お前はそれで済むかも知れんが、SCCが出す筈だった金の行方を知らぬ訳でもあるまい。現地の地権者共に金が渡らなければ、我々の計画にヒビが入ってしまうんだぞ? だからこそ、こちらとしても穏やかではいられないと言っているのだ。――悠長なお前に一つ、重大な情報を教えておいてやる』
男の声が一段低くなる。
『……どうも、カイレル駐在のSCC海外事業統括部で急な人事があったらしい。それまでダイラルド・プロジェクト現地担当者だった男が、突如そっちに召還されている。ナッシュ・マテリアル社にいるこっち側の人間からもたらされた情報だ。確報だろう』
「SCCが? どういうことだ、それは?」
『まだわからん。が、直後にSCCから投資凍結が発表されているところをみれば、偶然とも思われない。その男、何かに気付いたのかも知れん。そしてその人事が本社発令である以上、SCC本社も一枚噛んでいると思っていいだろう。ナッシュにいる付き合いのあった人間いわく、誠実で業務熱心、むざむざミスを犯して呼び返されるような男ではないとのことだ。いいか? SCCの動向にはくれぐれも注意を怠るな。もしかすると、この後大きな動きがあるかも知れん』
ありうべきことだ、ディゼンは思った。
現会長が就任してSCCとなって以来、最近まで統治機構組織に対して強気な態度に出た試しなどなかったという。これは企業関係の事情に詳しい下僚の話である。
それが突然、手の平を返したように強硬な姿勢をとり始めた。
貝が殻を閉じたようにして沈黙を決め込んでいるから詮索の仕様がないものの、極秘裏で大掛かりな人事を進めていると推定したところで外れではあるまい。判断材料は極めて少ないものの、今ある情報を総合すればそういう結論が導き出せる。
「……わかった。やれるだけのことはやってみる。だから、電話くらいは取って欲しいものだな」
同意を示しつつも軽く皮肉をぶつけてやると、男はちょっと黙ってから
『こちらから送り込んだ人間に失態があったのは認める。今は事件が立て続いて上手い具合に混乱しているようだが、直に警察機構が動き出すだろう。ロゼルの一件といい刑事を始末した件といい、ちょっと人目につき過ぎたようだ。事態が打開するまでの間、警察機構と治安機構の目を逸らすために命知らずを何人か、それに機械を送り込んでおく。……何、お前さんに迷惑はかけんよ。お前さんは動かせるものは動かして、SCCを何とかしてもらいたい。どうしても力が必要だというなら、相談には乗ってやる』
「そいつは止せ。それこそ騒ぎを大きくするだけだ。――聞いたところだと、リロビアの方が梃子摺っているのだろう? 何とかなりそうなのか?」
『拙いな。レア・ニスティが仲介に立った結果、昨日共同声明が出されちまった。アミュードとベグーモ教会が手を取り合った以上、我々がリロビア連邦で活動する根拠は喪われたといっていい。連中、こうなることを期して水面下で交渉を進めていたのさ。やられたよ。リロビアにはもう足場がない。リロビア国軍もゴーザ派潰滅作戦に向けて動き出したらしいしな』
リロビア連邦は、カイレル・ヴァーレン共和国の南東に位置している。
古来ベグーモなる宗教を国教としていたが、カイレル・ヴァーレン紛争によって大勢のアミュード教徒が逃れてきて定住するに及び、両教徒間での対立が激化した。ゴーザ派はこれに乗じて勢力域を拡大すべくリロビアにおいてテロ行為を繰り返してきたのだが、大義名分としてアミュード教徒の保護、安寧を掲げていた。
しかし近年、レア・ニスティの尽力によって両教徒は和解の道を模索し始め、ついに共存共栄を主旨とした共同声明まで発表するに至った。リロビアで活動する根拠を奪われてしまったゴーザ派にとって最大の痛手となったことは言うまでもない。
彼等の凄惨極まりない手口を憎悪していたリロビア政府は、共同声明と同時に国軍によるゴーザ派潰滅作戦を発動させた。和平の脅威となるゴーザ派を駆逐すべく、手ぐすね引いて機会を待っていたのだ。
しかも同政府は根回しがいいことに、宗教紛争解決の兆しが見えた時点から世界主要国家に対し、友好条約締結を打診していた。リロビア軍主導での血生臭い他民族弾圧が繰り返された結果、各国は国交を拒絶し続けていたのである。が、リロビア政府の方針が百八十度転換された今、もはや国交を拒絶する理由は消滅したといっていい。この後、友好条約締結の動きは加速度的に進んでいくに違いなかった。
男は、そのことには余り触れようとはせず、よろしく頼む、と短く結んで電話を切った。
手にしていた携帯端末をデスクの上に置いたディゼン。
(やれやれ。事態はよほど深刻らしいな。ゴーザ派きっての戦略家と呼び名の高いあの男の完璧なシミュレーションが、たかが婆さん一人の力で破綻してしまったんだからな……)
チェアの背もたれに寄りかかったまま、しばらく沈黙していた。
すると、秘書室からの内線通話ランプが点灯し
『ディゼン知事、SCC経営推進室室長イゲル・ミックステア様からお電話が入っております。いかがいたしますか?』
よりによって、SCCからである。
「SCC? 何だって、このタイミングで」
しかも、聞いたことのない名前の人物であった。
解せない、といったように眉をしかめつつもディゼンは
「カーヤ君か。つないでくれ給え。大切な電話だからね」
『畏まりました』
回線接続のランプが点灯するのを待って、受話器を取り上げた。
「……もしもし、知事のディゼンですが」
名乗ると、受話器の奥から若く快活な男性の声が届いてきた。
『公務でご多忙のところ、大変申し訳ございません。私、SCC経営推進室のイゲル・ミックステアと申します。本日は折り入って知事のお耳に入れたいお話がございまして、お電話を差し上げた次第です』
えらく歯切れがよく、声は大きいが決して不快な感じはしない。
ディゼンは電話の相手に微かな好意を覚えつつ
「ほう、それはご苦労様です。して、お話とはどのような?」
『はい、昨今世間をお騒がせしております、ダイラルド・プロジェクト投資の件です』
『――と、いった次第ですよ。セレアさんには報告が遅れてしまって申し訳なかった。どうかここは一つ、この年寄りの顔に免じて許してやってください』
「はぁ……」
コードレスの受話器を握り締めたまま、固まっているセレア。
電話の相手はイーファム・ヘッズマンである。
彼は旧ヴォルデ派によるスティーレイングループ再生計画の進捗について事細かに説明してくれたのだが――その緻密かつ豪胆、電光石火ともいえる手の打ち方に、話を聞かされたセレアはただただ呆然とする思いだった。
ロットが社長を務めるストレイア工作所に招待され極秘計画を打ち明けられたあの日、彼女の与り知らぬところですでに事は始まっていた。
イリオスが帰国した翌日、彼がカイレル・ヴァーレンから持ち帰ってきた重要資料を携えたイーファムらは、会長サンテス以下現経営陣の元へ直談判すべく乗り込んだ。会議の場は自然、サンテス派対旧ヴォルデ派という構図が出来上がってしまっている。
結果からいえば、旧ヴォルデ派は終始サンテスらを圧倒した。
特別会議と称する直談判はSCC本社の一室にて行われたが、やってきた旧ヴォルデ派メンバーを一目見るなりサンテスの顔色が変わっている。
「イ、イゲル君! 君は、何故……そちら側の席にいるのかね?」
彼にとって忠実な部下どころか、グループ内からサンテス派急先鋒という悪評まで頂戴していた筈の男である。サンテスが我が目を疑ったのも無理はなかった。
イゲルは表情を消したまま、サンテスの頼りない視線を真っ向から跳ね返しつつ
「何故って会長、将来にわたるスティーレイングループ繁栄のためですよ。そのためにはどうすればいいか、本日は大いに論じさせていただきたいと思います。もっとも」
言葉を区切り、ニヤリと笑った。
「……テロ組織のような反社会的反人道的行為を平気でやらかすような連中とは明確に一線を画すことこそ、今の我々にまず必要な行動であると断じますがね」
すでに対決の火蓋は切って落とされている。
イゲルはダイラルド・プロジェクトにおける地下資源開発予定地域の広域図面を配布し
「ただ今お配りしたのは、開発予定地地権者分布図です。ざっと五十軒近い土着の地権者がおりますが、このうちの実に三十九軒、氏名が赤字になっている地権者につきましては熱狂的なゴーザ・ディミニィ信奉者、もしくは長年にわたる後援者であることが判明しております。これが何を意味しているか、会長にはお分かりいただけると思いますが」
「……」
のっけから破壊力抜群のプレゼンテーションである。サンテス派からは声もない。
(イゲルさんも人が悪い……。最初からこれを出すなんて)
彼の隣に座っているロットは可笑しくて仕方がなかったが、笑うべき場面ではない。必死に笑いを堪えている。
イゲルの雄弁は次第に熱を帯びていく。
「ゴーザ派といえば世界各国治安当局が恐れる最悪のテロ組織であることは皆さんご承知の筈です。ナッシュ社との提携当初、なぜこの事実に気付かなかったのでしょうか? 無論、我々SCCから投資された巨額の金が彼等に渡るとは限らない。しかし、どのみちプロジェクトの進行によって彼等地権者の手に莫大な権利金が落ちることだけは確かだ。そしてその金が最終的にどこへゆくのかも」
ドン、と拳で卓を打った。
「……これはもう、立派なテロ活動幇助です。カイレル政府高官はナッシュ社はじめ参画企業から十分に甘い汁を吸わせてもらっている以上、見て見ぬフリを決め込むのは当たり前ですよ。イリオス氏が現地住民から言われたそうですよ。お前らが出した金はめぐりめぐってテロ組織の武器となり、その武器はやがてお前らの国を襲うんだ。それでいいのか――と。実に穿った表現じゃありませんか」
「口を慎み給え、イゲル君! 我々がテロ組織に加担するなど、ありうべき話ではない!」
堪りかねたように咆えた者がいる。
SCC常務取締役アラン・ルー。
サンテスの腰巾着と言われている男で、海外事業部時代からの腹心といっていい。
「仮に現地の地権者がゴーザ派信奉者だったとしてもだ、だからといって即テロ組織に金が回るなどというのは短絡的すぎるだろう。そんなものは仮説に過ぎんよ。馬鹿馬鹿しい!」
些か感情的になっている彼は、吐き捨てるように言った。
が、そういうアランに対し、正面に座っているリュードが物静かな口調で応じた。工業用機械製造メーカー「ストゥルド精機」代表取締役社長である。
「……確かに、イゲル君が述べたことは仮説の域ですよ。しかし、そうなる可能性が高いとわかっていて巨額の投資を強行し、結果的にゴーザ派に金が流れたならばどうします? 警察機構は間違いなくSCCの捜査に踏み切りますよ。それに、イゲル君が言った通り、我々が投資しようがするまいが、開発予定地が決定されている以上、地権者に金が落ちることは必定です。つまり、ダイラルド・プロジェクトそのものがもはやテロ組織を幇助するような性格を帯びてしまっているといえるのではありますまいか」
つとサンテスの方に体の向きを変えた。
「――サンテス会長、苦渋のお気持ちは十分理解できますが、今をおいて決断の時はありません。判断が遅れてしまえば、やがて世間は我々を嘲笑するどころか憎悪の目で見るでしょう。どうか、賢明なご判断を」
どこまでも冷静なだけに、侵しがたい威厳がある。
サンテスは卓の上に両肘をつき、顔の前で手を組んだまま身じろぎもしない。その視線はずっと卓の一点に注がれ続けている。
それから両者の間でいくつか応酬があったが、サンテスら投資推進派に利がないことは誰の目にもあきらかであった。彼等はカイレル政府の心証や契約不履行によるSCCの社会的信用性といった話を持ち出してしきりと抗弁を試みたが、いずれも枝葉末節の議論に過ぎない。リュードが口にしたように、SCCがテロ組織を幇助した――結果としてであれ――と世間に認識されてしまえば、それで全ては終わりなのだ。仮に、地権者の大多数がゴーザ派だったという事実をカイレル政府が口を噤んで黙っていたにせよ、マスコミにでもリークされてしまえばどうにもならない。
血気盛んなイゲルはこれでもかとばかりに弁じたて、経営陣に巨額投資の撤回を迫った。一中堅幹部が経営幹部を徹底的に追及するなどという行為は、本来の組織的倫理からいえばあり得ない。が、事はそういうおざなりな建前で済まされなくなっている。犯罪組織の片棒を担いでしまった時点で、企業そのものが反社会的集団たりうるのだ。
次第に無力化していくサンテス派重役らの姿を目にして、独りロットは考え続けている。
(そもそも会長がナッシュ社の裏事情を無視して独断で専決してしまっていた以上、イゲルさんが咆えるまでもなくこの議論はこちらが勝つに決まっている。といって、ここで経営陣を完膚なきまでに粉砕してしまうのは得策ではないような気がする。果たして、ここで切札を出したものかどうか)
彼は手帳を取り出して短く走り書きすると、隣席のイーファムにそっと差し出した。
それを目で読んだイーファムは軽く頷き、なおも咆えているイゲルを制止した。
「……そろそろいいでしょう。経営幹部の各々には、我々の微衷が少なからずご理解いただけたものと思っている。言うまでもなく、今回の投資は我々を災禍に叩き込みこそすれ、将来的な利益をもたらすことは何一つないでしょう。それでもなお強行するというのであれば、こちら側としても最後のカードを使わねばならないが、お互いに穏便に事を運ぶという観点でそれは望ましくないと考えている」
「何のことかね、イーファム君。言っている意味がよく、わからないのだが」
副社長レッツ・ヘイトが呻くような声を出した。
イーファムは微笑を浮かべ
「それを言わせようというのですかな? 私は敢えて、譲歩したつもりなのですが」
「譲歩も何も、我々にはやましいことなどないと言っている。これ以上、いい加減な発言は止してもらおう。奥歯に物を挟めたような言い方など、君らしくもないんじゃないか?」
それは、とアランが言いかけたが、すでにイーファムは一枚の資料を手に喋りだしてしまっている。
「――三年前、ヴォルデ前会長が逝去された後、当時の海外事業統括部長だったサンテス会長、それにレッツ氏以下社員数名がナッシュ社幹部と内密に会合をもたれていたようですな。これは一度ならず数回にわたって行われていた形跡がある。少しして帰国すると、すぐにG地区東エリアのプレミアム・タウンに大きな邸宅を購入されている。そういえばレッツ副社長は、同じタイミングでヴァン・フォーミュラ社最新モデルの高級車をお買い求めでしたな。……皆さん、カイレル常駐時代はさぞかし質素な生活を心がけられたものとお見受けしますが」
「……」
沈黙したレッツ。
しまった、という胸中の焦りが、そのまま顔に出てしまっている。
サンテス派もとい投資推進派はとどめを刺されたような格好になった。
あとは、議論も何もない。
全員の視線が、座の中央にいるサンテスに注がれている。
「……わかった」
ややあって、彼はゆっくりと姿勢を正した。
「ダイラルド・プロジェクトへの投資については、これを保留する。ナッシュ・マテリアル社はじめ関係機関には、至急そのように連絡してもらいたい。マスコミへの発表は決定事項のみを伝達し、詳細な説明は後日追って行うものとして欲しい。――以上だ」
それだけを言い、退席したサンテス。
すっかり生気を喪い、長身の身体が一回り小さくなったように見えなくもない。
こうして無益な巨額投資を据え置かせることに成功した旧ヴォルデ派の面々だったが、やるべきことは他にもあった。
『凍結を打ち出せばカイレル政府や州統治機構が騒ぎだす。そういう事態はとうの昔に想定しておりましてね、これはスティーレイン・セントラル・バンクのマッセ頭取からお知恵を拝借したのですが――』
イーファムはいかにも愉快そうな調子でセレアに言う。
案の定、SCCが投資凍結を発表して間もなく、ファー・レイメンティル州都市統治機構より事情の説明を要請する文書が届いた。サンテスの突然の翻意に狼狽した経営陣は体裁も何もあったものではなく、敵である筈の旧ヴォルデ派メンバーに対し対応策の検討を請う始末であった。
イーファムらも、そこは抜かりなく準備してある。
州政府が焦り始めるのを待ってイゲルは、ディゼン知事に直接連絡を入れた。
『条件?』
イゲルの説明を聞いたディゼンは不思議そうな声を出した。
「そうです。当方としては無碍に約を違えるつもりは毛頭ありません。しかしながら、背後にテロリストの影が見え隠れしている以上、事態がはっきりしなければ到底投資に応じられるものではない。知事にはご理解いただけるでしょう? ファー・レイメンティルを代表する企業がテロ組織に資金を拠出したとあっては知事ご自身、国家統治機構はじめカイレル政府に対して合わせる顔がないではありませんか」
彼が提示した条件はそれほど複雑なものではない。
地下資源採掘予定地の一部変更、およびSCCによる投資全額をもって採掘工事に要する機器、資材に充てよという内容である。複雑ではないが、プロジェクトを根底から考え直せといっているに等しく、ナッシュ・マテリアル社やカイレル政府が聞けば激怒するであろう。そこまで制限されるいわれはない、黙って契約に従って金を出すのがそちらの役割だろう、と。
しかしながら、イゲル達は彼等カイレル側の弱みを巧みに衝いている。
今回の投資凍結がテロ組織との関与を疑ったためだと公表した時点で、窮地に立つのはSCCではなくカイレル政府やナッシュ社側なのだ。意地の悪いことに、SCCは未だ投資凍結に関わる詳細を関係機関はじめマスコミに対し一切説明していない。全てはSCCの匙加減一つ、という状況であるといっていい。
仮にSCCを除外してプロジェクト着手を強行すれば、資金面で大きな支障が出る。
かといってSCCを怒らせれば、世間に晒されていないカイレル共和国が抱える裏事情が露顕してしまうことになる。
事を穏便に収めるには、どう転んでもSCC――正確にはマッセの知恵だが――の申し出を飲むよりないことは火を見るより明らかであった。ただしその場合、ゴーザ派にとって大きな痛手は免れない。当てにしていた金は一銭たりとも彼等の懐に転がりこんでこないのである。
(おのれ、スティーレイン! よくも小細工を弄しおって……!)
電話の向こうではディゼンの腸が煮えくり返っているのだが、イゲルの知ったことではない。
では州都市統治機構ならびに国家統治機構におかれましてはよろしくご検討の程を、と涼しく言って受話器を置いたイゲル。
今後カイレル政府やナッシュ社がどう結論付けるか、それは目に見えている。
――ダイラルド・プロジェクト着手延期と計画全体の見直し。
その内容に問題がなければ、額を縮小した上で応じてやればいい、というのがマッセはじめ旧ヴォルデ派メンバーが立てた見通しであった。最終的に投資に踏み切れるならば、カイレル政府への信義を損なうことにはならない。元の元をたどれば、金に汚いカイレル政府高官、それにテロ組織との関与をひた隠していたナッシュ社幹部の撒いた火種なのだ。多少の火傷くらい負ってもらっても罰は当たらないでしょう、そう言って笑ったのは頭取マッセである。
こうしてスティーレイングループは眼前の危機を脱することに成功した。
が、話の締め括りに、イーファムはセレアに言う。
『ですがセレアさん、本当の戦いはこれからですよ。あとしばらくはサンテス氏を泳がせておきますが、最終的には舞台からお引取りいただかねばならない。それに、今回の我々の行動はカイレル共和国を根城としているテロ組織に対する宣戦布告にも等しい。恐らく、穏便には終わらないでしょう』
そこで一度黙ったイーファム。
やや間をおいた後
『……そこでセレアさん、私からお願いがあります。大変申し訳ないのだが今からしばらくの間、奔走していただきたいのです。必要なモノは全て用意して差し上げるつもりだが、如何せん我々の力では本当に必要な人材というものは用意できないのですよ』
イーファムはやや申し訳なさそうに、しかし楽しそうな声で笑った。
一瞬、彼が何を言わんとしているのか理解に苦しんだセレア。
しかしその直後、彼女はこれから始まろうとしている驚天動地の計画を聞かされることになる。
<落日編 了>




