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神をも喰らうヴァイセント  作者: 文悟
第一章・ヴァイセント
8/73

赤眼の逃れ者

はぁ…はぁ…はぁ…


「逃がすなっ!追えっ!多少は怪我させても構わん!だが、殺すなよっ!」


ハッ…ハッ…ハッ…


「兄貴っ!あっちに足跡が!」

「よしっ!五人一組で広がって探せ!アザムは右手側に、デッヘンは左手、俺たちはこのまま足跡を辿り直進する!」


…なんでっ…アタシが…こんな目にっ…


「しかし、なんであんな乳も尻も実ってねぇメスガキが逃げ出したくらいでこんな大騒ぎなんだ?」


チクショウ……チクショウ…チクショウ…


「ばぁか、アイツの片眼見てねえのか?」


…最悪だ…神も…親も…ゴミ以下だ…


「魔物と同じ[赤眼]だったろ?あの眼をした人間は金持ちに高く売れんのさ。確かぁ…[悪魔(トイフェル)(ファルベ)]だったかな?それの女は特別売れんだよ」


…死ね…シネシネシネ!…みんな死んでしまえっ!


「なんで女は特別売れんだよ」


………チクショォォォッ!!


「さぁなぁ…多分………特別゛気持ちいい゛んじゃねえか?」





月夜の草原を少女が走る。

簡素な布靴で。

その長く美しい月色の髪を靡かせながら。

少女は小柄ではあったが、大人びた顔つきで、月光の下を疾駆する姿は妖精が翔ているようにさえ見える儚さと美しさを持っていた。

だが、その美しさに反し少女の着ているものはボロ布に血濡れた黒のローブだけ。

下着すら身につけていなかった。


ふと、少女が顔に手をかざす。


無理矢理右目に巻いた布切れが時折ずれて彼女を苛立たせていた。


布切れを正す細い指は赤に染まっており、その手の平までも汚している。

何度も拭った胸元はすでに赤黒く、その緩やかな曲線を描く双丘の合間にもべったり染みていた。


少女はそれが堪らなく嫌だった。


何度も何度も拭っては手を、胸を見るが、赤い汚れは広がるだけ。


…と、意識をそれに取られ僅かな段差につまづいてしまう。


「っ!」


思い切り前のめりに転けてしまうが、唇を引き結び、声をグッと堪えた。

声を上げてはいけない。

大きな音を立ててはいけない。


狼が、汚ならしい狼がやってくる。


歯を食い縛り、少女は立ち上がる。


追いついたなら、狼はアタシを穢れた豚に喰わすだろう。

肥え太った舌がアタシを這い回るのを見て、褒美をねだり、また次の獲物を探しに出るのだ。

そして、豚は骨の髄までしゃぶり尽くしたら…。


「っっっ!!」


ブンブンと首を振ってまた走り出す。


捕まるわけにはいかない。

絶対に。

絶対にだ。




少女は駆ける。

その手がちぎれ飛ばん限りに手を振り。

少女は駆ける。

その足が裂けて潰れろとでも言わんかのように。



空に輝く双子の月は、少女が僅かにでも姿を隠せるようにと、優しく雲のヴェールで世界を覆った。







▲△▼▽▲△▼▽▲△▼▽





俺は割りと困っている。


誰かメイアイヘルプユーとでも言ってはくれないだろうか?

さあ、宇宙船地球号のみんな、せーの、メイアイ…


「で、こんな夜中にキミは何してんの?」

「……へるぷみー…」



白砂の大街道にまで出た俺は、それから八時間ほどでハンデールの町に辿り着いた。

着いたのはだいたい夕方だったのだが、絹の織物がや細工物の精巧さが有名だというハンデールは見て回るには夕方からでは目移りするものが多すぎた。

ぐるりと街を見て回りながら、酒場や店で黒髪黒目の母娘を見なかったかと聞いて回り、気づいたらもう真っ暗。宿を取ろうにもハンデールでは安全のため遅い時間からの受付はせず、すでにチェックインしたものでないと出入りは出来ない決まりだった。


そして、どうにかならないかと宿を一軒一軒廻って、頼んで、ダメで、徘徊して、衛兵っぽい人にランタン突きつけられて…←今ここ


「いや、怪しい者ではないですよ!」

「怪しい者ほど、そう言うんだ」

「いやいや、ルーデル山の東の村から山越えてやって来たんですが、宿が全部受付終了してて困ってまして」

「えらく遠くからわざわざハンデールへ?何をしに来たんだね?というか、ここらの宿が夜十時の鐘がなると受付しなくなるなんて当たり前の事だろ」


いや、知らないし。

というか、鐘、なったかな?


「すいません。初めて村から出たものですから、何もものを知らなくて。ここには人を探しに着たんです」

「人探しねぇ…まあいい、とりあえず詰め所まで着てもらおうか」


詰め所行く→事情話す→怪しい→荷物調べられる→

怪しい→さらに事情話す→神獣殺しバレる→詰み。


「いえ、失礼しますっ!」

「あっ!コラッ!待てぇっ!」


ピーッ!ピーッ!という笛の音を背中に聴きながら

夜の街を駆け抜ける。

村と違ったレンガ造りの家々に音がよく反響する。

それに石畳の路地も靴音を大きくするのが心臓に悪いこと悪いこと。スニーカーじゃなきゃガンガン音が鳴っていた。


今日は野宿か……まぁ、慣れてるけどさ…。


星空が憎いほど綺麗だ。


さっきまで、雲に隠れていた双子の月も顔を出している。


その双子の月が、何だか笑っているような気がした。




▲△▼▽▲△▼▽▲△▼▽




少女の力は尽き果てようとしていた。


長く走り続けたせいで布の靴は破けて血が滲んでいる。

何度も転んでボロボロだった布切れがさらにボロボロになってしまっている。


少女はそれでも歩き続け、気がつけばいつの間にか草むらに倒れ伏していた。

もう、指一本動かせない。


本来なら少女はこんな場所でこんな風に無様な姿を晒しているはずではなかった。

それなりに裕福な家庭で育ち、蝶よ花よと育てられてきた。我が儘はあまり言わなかったが例え言っても許してしまうような親のもとに生まれた。

上等な服を着て、常に美しく体を磨きあげ、今では忌々しいこの右目も片眼鏡なんか付けて飾ってみては、宝石だなんだと持て囃されいつかは物語のお姫様のようにお城で舞踏会…などとイイ気になった。

嬉しかった、楽しかった。

毎日が愉快で仕方なかった。



だが、それは幻想だった。


嘘っぱちだった。


優しかった両親は偽物だった。

質の良い孤児を物心つく前から引き取り、育て、人買いに売り払う外道だった。

知らないところで何人も育てては売って、売っては育ててと何年も繰り返していた。


少女もその一人だった。


優しかった両親が狐のように狡猾そうな顔つきで少女の腕を縛り上げ、狼の駆る荷馬車へと笑顔で送る。


荷馬車には一人の見張りと何人かの少女が乗せられていて、皆同じように縛られていた。怯えて泣き出す者、許しを乞う者、なかには虚ろな眼をした者もいた。


あぁ、売られたのだ。


少女は自らに起こった事を理解した。


そして、少女はどこかの屋敷に連れていかれ、衣服を剥がされ、産まれたままの姿で値踏みされた。

目の前には舌舐めずりをする趣味の悪い装飾品を身に纏った上等な豚たち。


鳥肌がたった。悪寒がはしった。吐き気がした。


そして、少女は逃げ出すことを決意した。



好機はすぐにやってきた。

買われた少女は狼が責任もって運び、客は自分の屋敷で楽しみに待つという。


再び少女は荷馬車に入れられる。

見張りの役はやはり一人。


少女は意を決して見張りの男を誘った。

できるだけ妖艶に見えるよう。

あんな豚に喰われるならば、貴方に先に食べてほしいと。


男は少し考えて、目の前の少女の美しさに、判断を誤った。


男は少女に跨がり、ローブと服を脱ぎ始める。

ベルトを外し、ズボンを脱いで、邪魔なナイフは脇に外して置いて…と、そこで少女は男の腰に足を絡ませ、耳元にすりよりながら囁いた。


腕が痛いの。貴方と抱き合いたいの。


男は二度判断を誤る。


少女の腕に巻かれた縄を外した途端、男の首には男のナイフが生えた。



そして、少女はローブを奪い、夜の闇へと身を躍らせ……………今に至る。





少しの間、気を失っていたようだ。

だが、幸い、少女の身体には力が戻っていた。


行こう。狼が来る前に。


細い体に鞭を打って立ち上がる。


「どこに行くのかなぁ?」

「ヒィッ!!?」


突然、背後から肩を掴まれた。

全身が硬直し、心臓が止まるかと思った。

生臭い息が横顔に吹き付けられる。


「エルザァ…エルザ・ブレモンドお嬢さぁん。いけないなぁ…せっかくお客様に買っていただいたのに逃げ出しちゃうなんてさぁ」


見なくても判った。

狼たちのリーダー格の男だ。

熊のような体躯に蓄えられた髭と頬の切り傷が印象にある。


「オークションでキミも聴こえたろぅ?キミの眼はとっても特別でキミはとっても高く売れたんだよ。

ここで逃げられたらオジサンたち凄くマズイことになっちゃうんだよ。だからさ、戻ろっか」

「ふざけるなっ!誰が戻るものかッ!汚ならしい人拐い風情がアタシに触るながっ…ふ……!?」


男の拳が脇腹にめり込む。

抉るように食い込ませた拳を男はぐりぐりと動かした。


「俺はよぉ、そんなに気は長くねえが、優しい男だからよぉ、『はい』か『わかりました』どっちか言ってくれたら何にもしねえで連れていってやることができる。お嬢ちゃん、大人しく戻れ」


低く、有無を言わせないような殺気のこもった声が心臓を鷲掴みにする。


だが、



「…息が臭い……喋るなクズ…」



少女エルザは゛退かない゛ことを選択した。


ごりッ…と再びエルザの腹に抉るように拳がめり込み、エルザは息を吐き出しながらくの字に体を折った。

そのまま前に倒れこむ…しかし、すぐさま月色の髪を掴まれて引き戻される。


「お嬢様は痛いのがお好きみたいだ」

「あがぁっ!!」


そう言って男はエルザの首掴むと腕力に任せて左右に振り回し、ぽんっと放り投げてしまう。


「お前ら、小一時間ほど俺は見なかったことにするから、好きにしていいぞ」

「っ!?」


男がそう言うとエルザの周囲にぞろぞろと男たちが集まってくる。

いつの間にこんな人数に囲まれていたのか…。


十人以上だ。


誰かがランタンに灯をともす。


「ひぁっ!!」


橙色に浮かび上がる男たちの顔がまるで幽鬼のようにニヤニヤとエルザを舐めるように見ていた。


「良いんですかい?」


誰かが訊ねる。


「俺は見てねえ。今はまだ探してるとこだ。できたらよく響くように甲高い悲鳴でも上げてくれりゃあ探しやすいかもな」


リーダー格の男がそう言ったのが合図だった。

亡者の如く、荒野の餓狼の如く、エルザに手を伸ばし、衣服を剥ぎ、肉を貪ろうとする。


嫌だ…嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ………


「イヤッ!嫌だぁぁぁぁッ!!ぁぁだぁぁあぁっいゃぁぁっ!!」


負けないと決意した心が決壊する。

涙が溢れてくる。体をジタバタさせ、もがく。まともな言葉にならない音を叫ぶ。


恐怖がすべてを支配した。

死ぬほど恐い。

死ぬより恐い。


犯される!

汚される!


少女がますます叫び、狼たちは悦びヨダレを垂らした。


一瞬………一瞬………だけ、昔読んだおとぎ話の場面がエルザの脳裏に甦った。


それは、大好きだった絵物語の一頁。


邪悪な狼がお姫様を食べようとしたとき、闇を引き裂く光りと共に、助けにきてくれる………そう、


「だ…だずけてぇ……王子さまぁぁ………」


弱々しい声だ。

届きもしない。

あり得もしない。

馬鹿馬鹿しい子供のような、


切なる、

切なる願い。




「…………………ぷはっ!」

「くっ……くくくくっ」

「だぁははははっ!!」


男たちが一斉に笑い出す。

涙でぐしゃぐしゃになった少女の憐れに歪んだ唇から紡がれた哀願を笑い飛ばす。


「『王子さまぁぁっ』だってよ」

「可愛いねぇ」

「いやぁっ笑ったわ!ハハハハ」


ゲラゲラと。


離れてみていたリーダーの男も笑いを噛み殺すのに必死だ。


「残念でしたお姫様。王子様はいらっしゃいませんのことよ?」


誰かがおどけて言った。


さらにどっと笑いが巻き起こる。


エルザは涙でぐしゃぐしゃの視界を、本当は綺麗なはずの星空を、両腕で遮った。


「じゃあ、俺、一番槍いただきまぁす。お姫様ごめんねぇ、恨むなら夢の中の王子様が出てきてくれなかったこと恨んでよ」


エルザは唇を引き絞り、歯を食い縛った。

もう鳴いてやるものか。

囀ずってやるものか。


ボロボロ涙は止まらない。



男の体重がのし掛かってくる。



お願いっ……助けてぇっっ…………


もう一度心の中で叫んでみたが、そこに、王子様は現れなかった。










……………………ッ










「はい、そこまで。また来世っ!」

「っぐぼぅぉっ!!?」




エルザにのし掛かっていた男が四、五人巻き込んで横っ飛びに吹き飛んだ。

続いて反応する間もなく、残りの男が次々吹き飛んでいく。


「………???」


何が何やら理解の追いつかないエルザは呆けたまま、突然の乱入者に助け起こされる。


「間に合った?」


ランタンがさっきの勢いで一緒に吹き飛び顔がよく見えないが、優しい声色に警戒心も働かず素直にコクンと頷いた。


「良かった。結構遠かったから間に合うかギリギリだっから…」


そういって背負っていた物を置き、声の主は自らの上着を脱いでエルザに着せてやった。

さらに下に置いた物をガサゴソあたると、カチッという音と共に、真昼のような白色の光が闇夜を切り裂いた。


「………ぁ……ぉうじ……さま……」


光に当てられ見えた横顔は年若い男性。

この大陸ではかなり珍しい黒髪で黒の瞳。

その彼は怒りを隠さぬ厳しい顔で闇の中で痛みに呻く男たちを、睨んで叫ぶ。


「よってたかって大の男が大勢で女を襲うか……このクサレ外道がぁっ!!てめえらに朝日を拝む資格はねぇ……このままここで悔いて死ねっ!!」


まるで竜の咆哮。

沸き上がる怒りが空気すら歪めるよう。


「ひっ!ひぃぃっ!」


真っ先に逃げ出したのはまだ無傷だったリーダー格の男。


足の速さには自信があったが、しかしそれが愚かだった。一瞬で先回りして飛んできた回し蹴りが男首に撃ち込まれ、男は風車のように数回転。

最後に数回跳ね回り、動かなくなる。


それを見て恐慌をきたす部下たち。

何人かまだまともに動ける者は勇気をもって、ナイフや剣を取り、最早動けぬ者はうずくまり頭を抱えて懺悔を始める。


どちらが良い判断だったのか。


武器を手にした者はそれが蛮勇だったことに気づいた瞬間には腕や頭が他所を向いていた。


うずくまる者は再度思い切り吹き飛ばされた。


瞬く間にそこは死屍累々といった状態に変わり果てた。

もう、二人以外に動くものはいない。


「むぅ………やり過ぎた…………」


その言葉は闇夜に消え、エルザの小さなくしゃみも風に流れた。







双子の月がやれやれと、苦い笑いを溢しつつ、二人がその場を去り行く姿を見届けて今日は終いと雲のベッドで包まれ眠る……。



そして、ようやく、エルザの短くも深い夜は終わった。


初ヒロインです。ちょくちょく、文明の利器や竜の素材シリーズがでますが、一年の期間の間に拾い集めたり掘り起こしたりしています。そこはいずれ番外小話で。

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