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神をも喰らうヴァイセント  作者: 文悟
第三章・聖なるを穿つ白鴉
70/73

第六話赤き化生・雷雲の天使・後2/2

らすと!


△▼△▼


 少し下る感覚のある細い地下道を行く。

 壁や床はそれなりに硬くはあるが、人工物で守られていない閉塞感がこうも気持ちが悪いとは思わなかった。

「ヘリエッ!!」

 その声に追いつくと、細い道が一気に高く広い空間に変わる。

「ヘリエ、ヘリエッ!? おい、しっかりしろ!!」

 ライトを声に向けると、モーリエが栗毛の小柄な少女を抱き起こしていた。

 うっすらと開いた目がよく似ている。髪の色も一緒か。

 しかし、声をかけているが反応がないようだ。間に合わなかったか?

「……大丈夫です」

 その声にライトを向ければヘリエの傍にピエタがしゃがんで口に耳を向け、脈を取っていた。

 横にあった何かにも手を伸ばす。

 よく見ればその周囲にも小さなシルエットが横たわっていた。

 ライトを向けると、小学校低学年といったくらいの子供達が男女合わせて……ひのふの……五人。

「この子達も息をしてる。ずいぶん弱ってるみたいだけど……」

 メイプルも確認していき無事を知らせる。

 ギリギリだったか。

 いや、なんにせよ、よく生きていてくれた。

 俺は水筒代わりのペットボトルを一つリュックから取ってリュックをピエタに渡し、ペットボトルはメイプルに渡した。

 飲めるかは分からないがあって悪いことはない。

 介抱するのは三人に任せ、俺はライトを持って他に居ないか周囲を探る。

 木箱や簡易のベッドらしきものが有るが、影で誰かが倒れている、なんてことはなかった。

「しかし、灯りもなくてよくまあ見つけたもんだ」

 ―――とモーリエの感覚に関心したものだったが、直後にそのカラクリが分かった。

 何気なく見上げた天井。

 そこにぼんやりと浮かぶ青白い光の粒、粒、粒。

 ライトを使っていたせいか判らなかったが、通路にも極々薄くだがその光が散っている。

「ヒカるコケ?」

「いや、雪光岩せっこうがんという石の性質だよ。この国では珍しくもない。生き物が近くを通ると何故か光るから防犯用に使われたりするんだ。光の量はお察しだが」

 モーリエが答える。

 ピエタがリュックから取り出した革の水筒を受け取り、妹の口に水を運んでいた。

 ―――喉は?

 動いている。

 大丈夫そうだな。

「ここはその石が多量に含まれた層の下にあるんだろう、ほかの場所よりは多少明るい。その上、空間は広くて圧迫感が少ないから子供達が安心できるよう、大人達がこの場所に避難場所を選んだんだろうと思う」

「まあ、確かにプラネタリウム見てるみたいだし、安心はできるわな」

「ぷらねた?」

「気にしないでくれ」

「あ、ああ」

「しかし、何日ここに篭ったか知らないが、よくもまあ持ったもんだ」

 食料はどうとでもなるとして、その他の生きるのに必要な物や行動がこの状況で満たされているとは考えられない。

「奇跡だよ。運が良かったんだ」

 そう言って、モーリエは天に感謝を届けるように妹の手を握る。

 名を呼び、揺すり、また名を呼ぶが、まだしゃんとは目を覚まさない。

 口に水筒の飲み口を傾ければ水を飲もうと喉は動くのだが。

「奇跡か」

 そう口にすると違和感がある。

 だけど、それを喜んでいる人間の前で否定するほど俺は馬鹿でない。そこから先は呑み込んだ。

「ジュウゴ、ちょっと良い?」

「うん?」

 子供達を介抱していたメイプルが、抱えていた男の子をピエタに任せて俺のもとにやって来た。

 モーリエ達からは離れて話を聴く。

「あの子たちの様子なんだけど……」

 やはりハッキリとは意識は戻っていないが、子供達も水を飲む動きはするらしい。モーリエが妹を世話し、ピエタが乳をやる母親のように小さな子達を一人一人丁寧に対応している。

「耳、貸して」

 真剣な顔だ。なんとなく言いたいことの察しがつく。

 モーリエ達から少し離れ、メイプルの口元に耳を寄せる。

「たぶん、村の人達と同じよね」

 そう言うメイプルは渋い顔だ。

 『村の人と同じ』というのは、同じ状態であるということ。

 ただ、彼女達の場合は死んでいないというだけ。

 俺も同じ見解だ。

 だが、

「なぜそう思う?」

 あえて訊ねる。

「状況から見てよ。衰弱しているのに何故か表面的な体の状態は良い。何て言うのかしら……まるで生かさず殺さずで保存されているような感じがするの」

「うん」

「表現は悪いんだけど……ずいぶん前にね、何かの液体に入れられた虫を見たことがあるの。もう今にも動き出しそうなんだけど、ちゃんと死んでいるのよね。まるであれを人間の大きさで見ているような感覚だわ」

「……そうか」

 ここにいる子供達は生きているから村に残った人達の死体とは状態が異なるが、なるほどと思った。

 ハブの泡盛漬けとか、蜂のハチミツ漬けとか、そういうのに似た物はこちらにもある。さすがにホルマリンのような物は見たことがないが、あの村人達やこの子達は、見えない何かそういった保存用の液体につけられているような、そんな状態だと表現するのはアリだろう。

「でもどうしてそんなことに?」

 首をひねると思わずそんな呟きが漏れる。

 ありえない状況を作り出すのはいったい何か?

 どう考えても俺が持っている知識からは、答えは出てこない。

「それは…………ッ!?」

 そのとき、同じように首を捻り天井を見上げていたメイプルが、ハッとして突然、俺の手を掴んだ。

「ねえジュウゴ、【丘】って単語に何か思い出さない?」

 丘?

 この上の古墳のことか?

「アタシ達が出会ったハンデールの、その地方の管理を任されていたナハトラハル・ヴェン・ドワノフ。あの・・変態貴族の言っていた【丘】のことよ」

「ナハトラハル? ……ああ、【魔神像サタナディオス】とかいう土人形で俺をぶん殴りやがったあのおしゃべり豚野郎か」

 いっぺん殺されかけたからヤツのことだからよく覚えている。

 でも、丘の話なんてしてたっけ?

「アイツ、言ってたわ。『この丘の地下で魔神像を発見した』って。アタシ達はその封印されていた場所ってのは見ていないけど、もしかしたらその【丘】は、この上にあるようなモノだったんじゃない?」


 ―――ある力ある者が、さらに強大な力を持った生き物を造りだした


 戦において負け無し。殺戮の嵐で大陸中に猛威を振るった―――


 ―――最後には造り出した本人が恐怖してそれを封印してしまった


 あることは分かっていた。だが、どの文献にも隠し場所は載っていなかった―――


 ―――だがね、私は発見したのだよ。この森の、この【丘】の地下に……


「おいおい……あんなものがここにも眠ってるって言うのか?」

「そうとは限らない。別の何かかもしれない。けど、アタシの予想が正しければ、きっとあれに近いモノよ」

 ギュッと手が握られる。

「【バラクの地上絵】。絵をつなぐ貝の埋められた赤い【道】。道の先に用意された人工的な【丘】。丘の周辺では死者は腐らず生者は【死なず】、死体は何故かそのままで、獣にも魔物にも荒されることなく残されている。……おかしいわ。どれもこれも納得のいく答えがなくて気持ちが悪い。

 でも、こんなことわりを外れた物事を、たった一言で解決できる言葉を、アタシは知ってる。ううん、アタシは知っている。【それ】も、アイツが言っていた言葉よ」

「おい、まさか、【それ】ってつまり……」

 翠の瞳が俺の黒と重なる。


 ――― 『どんな強大な力にも対抗し、どんなことも可能な奇跡の力』 ――


 ナハトラハルは【それ】をそういう風に表現していた。

 【それ】とはすなわち、


「 「【魔法】」 」 


 二人の声が重なる。

 【魔法】。もしくは【魔術】。

 それは俺がいた世界おいては現実に存在しない、空想の産物。

 しかしこちらでは現実に存在する不思議な力。


 例えば、正確な時間を計ることができる。

 例えば、その姿を偽ることができる。

 例えば、土くれを巨大で強大な不死身の兵士に仕立てることもできるし、

 例えば、その強大さが故に生物を魔のモノへと変えることもある。


 人の力では成し得ない事も容易く実現する力。

 だけどこの世界においての魔法は、おとぎ話のように無償のモノでない。ゲームのように魔力を必要とするらしい。

 無限の可能性は持っているが、そのエネルギーは有限なのだ。

 そして、その魔力と呼ばれるエネルギーは、俺達の体を巡る血に宿るらしい。

 恐らく魔法使いはそれを自由に取り出せるが、普通は生贄のような血を流す存在がいるのだろう。

 つまり、殺された村人やここで奇妙に衰弱している子供達は、恐らく魔法を発動するための燃料エネルギーとされているだと考えられた。


「もしも今、この国で起こっていることが魔物の仕業でなく、魔法を成すための儀式としてヒトが起こしている事なのだとしたら……」

「どれほどロクでもないことをしでかそうとしているんだろうな」

 ここの【丘】がどういうものであれ、既にナニカが起動しているなら、魔法も起動までのカウントダウンに入っているだろう。

「国土を丸々使った魔法なんてものが存在するかは分からないけど、それだけ大規模ならまだ猶予はあると思いたいわね」

「とはいえ、キローが化け物に挿げ変わっているということとか、他の地域も襲われていることまでいれると、次のアクションが起こるまでに余裕はないだろうな。まあ、あくまで『そうかもしれない』って予想の域なんだけどな。こういう時はとりあえず……」

 ふと、二人の視線は天井を向く。

 示し合わせることなどせずともウン、と同時に頷いた。


「 「 ぶっ壊すか 」 」


 『よっしゃ』と気合を入れて動き出す。

 先ずは子供達を地上に運ばないといけない。

 ヘリエはモーリエが意地でも担いで上がるだろうから俺は、







  ―――ひゅどっ 






 そのとき突然、俺の背中を誰かが押した。

 ドンと押されたくらいのものだ。

 だが、なんでもない衝撃に間抜けな声を上げて背を振り向いてみれば、視界の右下には、



 ―――ナイフが生えていた。


「あ、ああっ、ぐぁがっ……」

 何故、と思う間にライトを取り落とし、それがスイッチになったかのように背中に熱と痛みが広がっていく。

 ナイフはジャケットも服も貫通し、深々と俺の体に突き立っていた。

「―――ッ! ジュウゴ、どうしたのッ!?」

「ジュウゴさんッ!?」

「ど、どうしたんだ!?」

 音に気づいた三人がこちらに駆け寄ろうとするが、

「『来るなッ!!』」

 片手で制す。

 今まで僅かにもしていなかった血と臓物の臭いが、突如背後に現れたからだ。

 敵か?

 つけられていた?

「ぐぁ……っ……」

 急いでナイフを取ろうともがいて思わず片膝が落ちる。

「ジュウゴ……アンタ、それ……」

「旦那さまっ!!」

「な、ナイフが刺さって……」

 メイプルたちにも見えたらしい。

 だが、それでも来るなと片手で制止したまま、

「ふぅぅ……ぉあああっ!」

 どうにかナイフに手が届き、傷が拡がるのも構わず引き抜いた。

 そしてすぐさま立ち上がり、振り向きざまに俺達がやって来た地下道の闇へと、そのナイフを投げ返した。


 数秒。

 反応はない。

 臭いも消えた。

 逃げたか?

 否、

「音、してねえぞ……」

 そう、ナイフが当たったり落ちたりといった金属音はしていない。

 唸り、睨みつけると、数秒の間のあと、観念したとばかりにパチパチと気のない拍手が返ってきた。

「ふふふ、よくできました」

 温度の無い、まとわりつくようで不気味な高い声が響く。

「だ、だれだっ!?」

 モーリエが誰何するが声はふふふと笑って答えない。

 腹の底が気持ちが悪い。

 消えたり出たり気配が掴めず、臭いが曖昧で、距離感も存在感も上手く感じ取れないのがなお悪い。

 今まで体験したことの無い薄気味悪さに、全身があわ立った。

 本能が過去最大級の警戒度を報せる。

「モーリエさん」

 俺は視線はそのまま外さず、首だけ後ろを向き、モーリエを呼んだ。

「な、なんだい? というか、ジュウゴくん、背中、大丈夫なのか?」

 この気持ちの悪い気にあててられたのか、モーリエの声が震えている。

「俺は平気です。そんなことより、妹さんたちを連れてすぐにここから出てください」

「あ、え、えっと、でも」

「いいから、『すぐにここを離れるんだッ!!』」

「は、はいぃぃっ!!」

 怯えさせるつもりはなかったがつい声に力が入ってしまった。

 モーリエが慌てて妹を肩に担ぎ、手近にいた少年を片腕で抱き上げ、別の通路へ出て行く。

 ――よしっ。

 それを確認し、俺はメイプルたちにも彼を手伝うよう指示を出そうとするが―――。

「あらあら、驚かすつもりは無かったんだけどなあ。驚く前に死ぬはずだったから。こまっちゃうなあ。逃げられると」

 声の気配がずずっと近づいて、猛獣が唸り牽制するように圧力を放ってきた。

 言葉はふざけた調子だが、その威圧は充分に効果を発揮している。

「まあいっか、“普通の子”は。キミらのほうが面白そうだもんね。あ、ていうかそこの男子、頑丈過ぎない? ボクの投げたナイフが致命傷にならないなんて、もうビックリだよぉ」

 おどけた声。

 もう隠す必要もないといったようにカツンカツンと高い音がリズミカルに鳴らされる。

 靴音だ。

 いままで一切聴こえなかったのに、衣擦れの音も一緒に近づいてくる。

「ねえ、キミら凄く強そうだけど、もしかして魔道協会の人間?」

「―――ッ!?」

「なあんて、そんなわけないか。あいつらてんで弱いし」

 声の主はくっくと引きつるような笑いを零す。

 俺は声の方向を警戒しつつ、じわりと屈んでライトを取った。

 刀も抜き、片手で構える。

 そして、地下道を照らすと同時、細長い影がバッ勢いつけて姿を現した。

「ぴぃぃくぁぶぅう!……っくっくっく。驚いた?」

 その姿は例えるなら暗殺者。

 ダボつく野暮ったい上下に首から提がるお守り、フード付きらしく深く被って目線を隠し、そのフードの隙間から長い金髪を垂らしている。

 一見、その格好は修道士のようにも見えるのだが、そいつの着ている服は、まるで闇に紛れるのが目的ですと言わんばかりの黒、クロ、くろ。

 そして、僅かに外気に晒された手や顔には、赤黒い線がどこかの民族のようにべったりと化粧されている。

何者なにもんだ、てめえ……」

「おやおやおやおやぁ。うちの重要施設に侵入し、『ぶっ壊す』とかまで言っちゃてた大きな大きなネズミくんは、分かっててそんなこと訊いちゃう子なんだね」

「重要施設?」

「あれれ? これは驚いたな。知らずにやってきてたのか。あ、待てよぅ? そうか、なるほど。そこにいる子たちを探しに来たんだね。それで、なんとなくココがキミたちにとって良くない場所だと思い、壊そうとしたわけだ」

 勝手に解釈し、勝手に理解するまっくろ道士。

 腕を組み、『優しいね』だの、『よく気がついたね』だのと空気を読まずにしきりに頷いている。

 そのとき、俺はだぼだぼの服の胸部分が妙に膨らんでいることに気がついた。

 ――コイツ、女だ。

 下心ではない。

 だが、そちらに意識がいった瞬間、警戒心が揺らぐ。

 一瞬の思考の隙間。

「よそ見しちゃダメだよ」

 不意に声が近づいた。

「ジュウゴ!!」

 いつの間にか、鼻と鼻が触れ合うような距離に黒衣の女が立っていた。

 俺が、反応することもできなかった。


 ずぶり


 再び俺の体にナイフが突き立つ。

 

「ぐあああぁぁっ」

 左のわき腹に焼けるような痛み。

 直後、刃がぎるりとねじられる。

「こぉのっ!!」

 俺はすぐにライトを放しナイフを持つ手を掴むと、刀を持った手で力いっぱい女を殴りつけた。

 手加減などない思い切り。

 だが、

「おっと」

 俺の軽くない拳は、パシンと軽く受け止められた。

「嘘だろっ!?」

「ふふふっ。魔法を使う術者でもないのにこの力の強さ、驚異的な耐久力。やっぱりキミって“そう”なんだね」

 ぶるぶると震えはするが、これまで多くの魔物を屠ってきた竜の力が、この女の細腕を力で押し切ることができない。

 女の歪んだ唇が、深く、裂けるように拡がっていく。

「いいね。凄くイイ」

 ついに外側へ捻じ曲げられる右手。

 より深く抉るナイフ。

「【魔人ヴァイセント】は、最高だぁ」

 予想外の言葉を言い放ち、赤の化粧けわいが愉快そうにぐにゃりと歪む。

「【魔人】、だとっ? ぐぁあッ!!」

 手の甲がみしみしと悲鳴を上げる。

 痛みに身を捩った際にフードの隙間から女の顔がハッキリと見えた。

 凄惨な笑み。

 その奥に覗く輝く赤い瞳。

「その眼、てめえも!?」

 背に冷たいものが奔った。

 痛みも熱も思わず呑みこんだ唾とともにひいていく。

 驚きに崩れた力の均衡。

 押し込まれる黒衣の女の指先。

 やられる!?


 ――そこへ、突風が吹いた。


「私の旦那さまから離れなさいッ!!」

 二人の間に割り込むようにピエタが手刀を突き入れたのだ。

 その指先は女の鼻っ面に向かって入り込んだがに見えたが、寸前、ひょいとかわされる。

 だけど、助かった。

 女は俺を放し、追撃するピエタをかわしてどんどん離れていく。

 ピエタの追い方が上手い。

 体の頑丈さ以外で俺を上回る強さを持つピエタは、その速さで意識的に子供たちがいる場所から女を遠ざけようとしているようだ。

「ジュウゴ、大丈夫!?」

 隙を見てメイプルが俺に駆け寄ってくる。

 泣きそうな顔だ。

「心配するな。これくらいならすぐに再生するから」

 『たぶん』という言葉は押しとどめ、歯を食いしばり、ナイフを引き抜く。

 こぼれ出る血にメイプルが慌てて傷口を押さえるが、それはすぐに必要なくなった。

 ジャケットやシャツが音を立てて血を吸い始め、出てくる血の量もみるみるうちに減っていく。

 俺は傷の回復を確信し刀を握り直すと、ピエタの動きから目を離さないようにしながら、未だ倒れたままの子供たちを指差した。

「メイプル、俺のことよりあの子達を頼む。このままこんな狭いところで魔人ヴァイセント同士が戦ったら、ここは簡単に崩落する」

「魔人? そんな……まさかあの黒ずくめって魔人なの?」 

「ああ、「そうだよ」――ッ!?」

 俺の言葉に黒衣の女の声が重なる。

 次の瞬間、ピエタと戦っているはずの黒衣の女が、またも突然目の前に現れた。

 俺は目を離していない。

 それはピエタもだ。

 だが、ピエタの前に黒衣の女の姿はなかった。

 まるで、フィルムのコマが抜けたかのように。

「メイプルッ!!」

 とっさにメイプルを突き飛ばすと、彼女の首があった場所をほんの僅かな差で、突き出されたナイフの刃が通り抜けた。

「ありゃ?」

 不意打ちが完全に成功したと思ったのだろう。

 腕が伸びきった瞬間、黒衣の女は間抜けな声を上げて固まっていた。


 ――今ッ!


 俺の左手は、ヤツの右腕のひじがあるであろう部分を半ば反射的に掴んでいた。

 そこから、布地をやや捻るようにしながら間接を固め、女の体をついた勢いと同じ前方に引き込みながら、その内にめがけ半円を描くように体を入れ、重いものを背負い込むように足裏から膝、腰、背中、腕へと力を爆発させていく。

 一本背負い。

 シンプルかつ豪快な、日本柔道を代表する最もポピュラーな技。

 このまま投げればコイツにはダメージは与えられないだろう。


 ――だが、俺の背には竜の血で彩られた刃が立っている。


 補う右手の代わりに柄にぐんっ力を込めると、背に負った刀の刃が黒衣に食い込む感触。

「うぉぉぉ……!!」

 勢いのままに刃を滑らせ押し込んでいく。

 ここまで二秒もない。


 ――いける!!


 来ると判っているなら反応できても、投げ技に対しとっさに耐えるというのは難しい。

 攻撃後の硬直中で、魔人の身体能力で行われるのならばなおさら。

 黒衣の女は抵抗もできずに体勢を大きく崩す。


 ――女の体がぶわりと浮いた。


「ぉぉぉらあああっ!!」

 引く腕と、刀の刃の動線が追うようにクロスする。

 余すことない全力。

 僅かな抵抗を感じたのも一瞬、黒衣の女は胸の辺りから斜めに切り裂かれた。


 ――勝った!!


 俺を腕力でも速さでも上回る謎の魔人を倒した。

 訊きたいことはたくさんあったが仕方が無い。

 情報なんて命には代えられない。

 俺はその勝利を喜んだ。


 ――それは油断。

 勝利を確信した瞬間に生まれる最大の隙。


「ジュウゴ、ダメッ!!」

「――え?」


 メイプルの叫び。

 直後に体に絡みつく、温かなぬくもりと柔らかな感触。

 かぷりと何かが耳をむ。

 心臓が凍るほどの怖気が背を奔った。


「ぴぃぃかぁぶぅっ。殺したと思った? ふふっ、可愛いっ」


 ぬるりと絡みつくような女の声が耳朶をくすぐる。

 そして声を待っていたかのように、視界に黒衣がハラリと落ちた。

 それは抜け殻。

 女の死体は無い。


 ――まさかっ!!


 すぐに身を捩る。

 ――いや、体が動かない。

 首から下がびくびく震えるだけだ。

「あ、ア、ァッ……」

 喋ることもできない。

 何故だ!?

「とぅ、ばぁっど。ダメだよ、動いたら見えちゃう。ボク、いま裸なんだよ」

 長い金髪。

 白い肌。

 その肢体を這う、蛇のような赤黒い線。

 喋りに幼さはあるがどこか淫靡な印象の背の高い女が、俺の肩にアゴを乗せ、その手をまさぐるように胸と腹部に伸ばす。

「ぅな……ゼ……ッ!?」

 ――この女、何故生きている?

 確実に斬ったはずだった。

 だが、現実に斬れているのはその衣服のみ。

 間違いなく感触はあったはずなのに。

「ふふふ……何故かなぁ」

 ニヤリと笑う魔人の女。

 左の手がするりと心臓の上に動く。

 そこへ、

「その手を離せ淫売ッ!!」

「悔い改めなさいッ!!」

 メイプルが横から突き上げるように竜血のナイフを。

 ピエタが背後からその首めがけて浄化の炎を纏う手を伸ばした。

 しかし、


「残念でしたぁ」


 間の抜けた声。

 直後、銃声よりも甲高い炸裂音と強烈な光が襲う。

「ぐぁう!」

 光に眼を焼かれ、耳を塞ぐこともできず、俺はただ呻くことしかできなかった。

 二人はどうなった?

 俺を抱く女の腕が解かれていないことを考えれば死んではいない。

 二人は無事なのか?

「め、メい…る……ぴ、エダッ!」

 何とか声を絞り出す。

 だが、返事は無い。

 代わりに、どさりと何かが視界の端に倒れこんできた。

 女がひょいとそれを避ける。

「―――メ、イッ!?」

 倒れてきたのはメイプル。そして、ピエタ。

 二人は体のあちこちから血を流し、ぐったりとしたままピクリとも動かない。

 火傷を負ったのか、皮が焼けたような臭いがする。

「メイプ、る!! ピエ、ダッ!!」

「大丈夫、大丈夫。手加減はしたから死んではいないよ。たぶんね」

「お、ま゛え゛!!」

「あはははっ、ごめんね。力は使わないつもりだったのに、キミがあんなに熱い一撃をくれるから、ボクも興奮しちゃったんだよ。イケナイ子だね、キミは……はぁむ……」


 れろる れろる


 熱い吐息を漏らす女魔人が未だ動けない俺の耳を、頬を舐る。

 それから、倒れたメイプルを踏みつけ、もじもじと体を俺にこすり付けるようにしながら悦に浸りだした。


 ――殺してやるッ!!


 体の中を燃えるような【憤怒】の熱が巡る。

 みちみちとハッキリ音を立てて、締め付けられた筋肉が無理やりに膨張を始めた。


「おぉぉ、凄い凄い。凄い力だ。だけど、それじゃあこのボク、【雷雲のアンジェラ】の束縛からは逃れられないよ」

「こんな゛、も゛の゛!!」

 【雷雲らいうんのアンジェラ】。

 ずいぶん格好つけた名をいまさら聞いたが、そんなものもう必要ない。

 コイツは殺す。

 その意思だけが俺の中を支配していた。

「ああ、ダメだって暴れちゃあ。キミたちは教会本部にお土産として贈るんだから、これ以上怪我させちゃ意味ないよう。……ああもうっ、えいやっ!!」


 ――次の瞬間、まるで雷に撃ち抜かれたかのような衝撃が体を揺さぶった。

 轟音に重なり視界が真っ白になったかと思うと、俺の意識は暗闇の中に呑み込まれていった。


アドバイス、感想、誤字脱字誤用報告お待ちしています。

いつもありがとうございます。

投稿間隔の定まらない書き手ですが応援よろしくお願いします。


次回予告!!


《教会の関係者らしき魔人【アンジェラ】。彼女に捉われてしまった、ジュウゴ、ピエタ、メイプル。彼らに勝てない相手に勝てる者はいるのか?絶望しかない展開。しかしまだ希望は残っていた。


 『ウチがご主人様たちを助けるんや!!』


 意気盛んに立ち上がる小さな影。

 彼女の名は【ブリコーネ・ハントテラー】。

 手のひらの勇者、その末裔である》

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