表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女も子供も家督不可? 追放先の自治領を立て直したら、いつの間にか天下を取っていました  作者:


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/16

第6話:井戸水と薬草師ノア

 配分を始めて五日目。


 最初の「患者」が出た。


「ミチカ様、東地区の老人が一人倒れました」


 レオンの報告を受けて、私は走った。十二歳の短い脚で。子供の体力ゲージ、やっぱり容量少なすぎ問題。


 東地区の集会所――と言っても、崩れかけた共同作業場の軒先だけど――に、老人が横たわっていた。


 顔色が土のように灰色で、唇がひび割れている。周囲に家族らしい人が三人、おろおろと立ちすくんでいた。


「いつから?」


「今朝から具合が悪くて……。水を飲ませたんですが、吐いてしまって……」


 嫁らしき女性の声が震えていた。


 ステータスオープン。


 領民の健康状態に関わる統治指標が表示される。


東地区老人ハルト――栄養失調:重度/脱水:中度/感染兆候:あり』


 感染兆候。


 嫌な予感がした。個人の体調不良なら手当てで済む。でも「感染」は――広がる。


「この地区で、同じような症状の人は」


「あの……隣のおばさんも、昨日から寝込んでいて」


 二人目。


 私は地図を頭に描いた。東地区は井戸が一本。共同井戸の水質が原因なら、地区全体に波及する。


「レオン、東地区の井戸を封鎖してください。代替の水は南地区から運びます。リオに連絡を」


「了解」


 レオンが走り出す。


 ――でも。


 私は老人の顔を見た。灰色の肌。乾いた唇。


 この人を、今、助ける手段が私にはない。


 ステータスオープンで状態は分かる。何が問題かは分かる。でも「治す方法」は教えてくれない。統治チートは統治に特化していて、医療の知識までは持っていない。


 前世の一般常識で水分補給が必要なことは分かる。でも「感染兆候」に対して何をすべきか――具体的な処置が分からない。


「すみません」


 聞き慣れない声がした。


 静かな声。低い。でも、不思議と耳に残る声。


 振り返ると――少年が一人、集会所の軒先に立っていた。


 私と同い年くらい。背は少し低い。黒い髪に、感情の読みにくい落ち着いた目。手に革表紙の帳面と炭筆を持っている。


 知らない顔だ。


「……あなたは?」


「ノアと言います。――この方を診せてください」


 名乗りもそこそこに、少年――ノアは老人の傍に膝をついた。


 まず額に手の甲を当てた。次に手首を取り、脈を確認する。唇の色を見て、舌を確認し、指先の色と爪の状態を確かめた。


 その動作の一つ一つが、迷いなく、正確だった。


「……脱水が進んでいます。ただし嘔吐(おうと)があるなら、一度に水を与えてはいけない。少量ずつ、間隔を空けて」


 帳面を開く。何かを書き留めている。


「塩と砂糖を水に溶かしたものが理想です。なければ、薄い(かゆ)の上澄みでも構いません。――あと、この方の寝かせ方を変えてください。横向きに。吐いたときに詰まらないように」


 嫁に指示を出す声は、十二歳の子供のものとは思えないほど冷静だった。


 私はステータスオープンを起動した。


『ノア Lv.6 薬師見習い』


 忠誠値:15/(うそ)反応:なし


 職能適性:医術B、衛生管理A、観察力A、記録管理B


 精神状態:集中(高)、使命感(中)、孤立感(低〜中)


 衛生管理A。十二歳で。


 嘘反応なし。この子は、本当のことしか言わない。


「ノア、さん」


「ノアで構いません」


 老人の処置をしながら、こちらを見ない。手が止まらない。


「あなたは医者ですか」


「薬師の婆さんに育てられました。医者ではありません。――でも、この症状には覚えがあります」


 ノアが帳面を開いて見せた。


 中には、びっしりと記録が書き込まれていた。


 日付。症状。気温。食事内容。水源。


「この地区の井戸水を調べました。昨日、少し匂いが変わっていたので」


「昨日? ――あなた、この地区を調査していたんですか?」


「はい。三日前から」


 三日前。


 私が穀物配分を始めたのと、ほぼ同時期だ。


「なぜ」


 ノアの手が一瞬だけ止まった。


「……穀物が配られ始めたと聞きました。でも、食糧だけでは人は健康にはなりません。水が汚れていれば、食べても体を壊す。――誰かが調べないといけないと思って」


 誰かが。


 この子は「誰かが」と言った。命じられたわけでも、頼まれたわけでもなく、「誰かがやるべきことだ」と判断して、一人で動いた。


 十二歳で。


「……帳面を見せてもらえますか」


 ノアがわずかに躊躇(ちゅうちょ)した。帳面を胸に抱くような仕草。これは彼の大事なものなのだ。


「分析に使いたいんです。あなたの記録は、この領の公衆衛生の基礎データになり得ます」


「……公衆衛生」


 ノアが初めて、私の顔をまっすぐ見た。


 その目に、微かな――本当に微かな――光が宿った。


「……ここに、全部書いてあります」


 帳面が差し出された。


 私はページをめくった。


 東地区だけじゃなかった。南地区、西地区、領の外縁部まで。三日間で、この子は領内の主要な水源と、周辺住民の体調変化を記録して回っていた。


 一人で。


 しかも記録の精度が高い。数字が整然と並び、所見が簡潔にまとめられている。感情的な記述は一切ない。事実だけ。


「……すごい」


「すごくはないです。婆さんに教わった通りにやっているだけです」


「その婆さんは?」


「……去年、亡くなりました」


 ノアの声に、感情の揺れはなかった。でも、帳面を受け取り直す指先が、少しだけ――本当に少しだけ白くなった。


「この帳面は婆さんの形見です。書き方も、記録の項目も、全部婆さんが教えてくれた」


「だから手放せない」


「……はい」


「返します。コピーを取らせてもらえれば十分です」


 ノアの目がわずかに見開かれた。帳面を取り上げられると思っていたのかもしれない。


「……ありがとうございます」


―――


 老人の容態は、ノアの指示で安定した。


 塩水を少量ずつ飲ませ、体勢を整え、額の冷却を続ける。嫁の女性にも水分補給の手順を丁寧に――そして無駄なく――教えていた。


「同じ症状が出た場合は、まずこの手順で。それでも改善しなければ――」


 ノアが言葉を切った。


「……改善しなければ?」


「薬が必要です。でも、この領には薬草の備蓄がほとんどない」


 知っている。御用商会が薬草の流通も握っていた。穀物だけじゃない。この領では、薬すら自由に手に入らない。


「薬草の自生地は把握していますか」


「はい。南街道沿いの渓流と、森の東縁に数種」


「それも帳面に?」


「……書いてあります」


 この子の帳面は、この領の衛生インフラの設計図そのものだ。


「ノア」


「はい」


「提案があります」


 私はノアの目をまっすぐ見た。


「この領に、衛生管理の仕組みを作りたい。水質の定期検査、住民の健康記録、薬草の確保と管理。――あなたの知識と記録が必要です」


 ノアは黙っていた。


 長い沈黙。


「……仕組み、ですか」


「はい。あなた一人が走り回るのではなく、誰がいつ何をすべきかが決まっている仕組みです。あなたの記録をもとに、ルールを作る」


「ルール……」


 ノアの目が、少し遠くなった。


「婆さんが、言っていました。『一人の薬師が百人を診るのは限界がある。でも百人が自分の体を知っていれば、薬師は本当に必要な人だけを診ればいい』と」


「いいお婆さんですね」


「……はい」


 ノアの声が、かすかに震えた。一瞬だけ。すぐに平坦(へいたん)に戻った。


「条件があります」


「聞きます」


「記録は全て私が管理します。改竄(かいざん)は許しません。たとえ統治上不都合な数字が出ても」


「当然です。数字は正確でなければ意味がありません」


 ノアが私を見た。長い間。


 それから、小さく――本当に小さく――(うなず)いた。


「……わかりました。協力します」


 帳面を開いて、新しいページの最初の行に何かを書き込んだ。


 (のぞ)き見たわけじゃない。でも、ちらりと見えた。


 日付と、一言。


「――衛生管理業務開始」


 無駄のない、きれいな字だった。


―――


「ミチカ様、お水を」


 集会所を出たところで、ノアが木の(わん)を差し出した。


「え?」


「さっきから額に汗をかいています。走ってきたのでしょう。脱水の初期症状です」


 ……言われてみれば、喉が渇いていた。走ったのは自覚していたけど、自分の体調は後回しにしていた。


「統治者が倒れれば全てが止まります」


 淡々(たんたん)と。でも、椀を差し出す手は丁寧だった。


「……ありがとう、ノア」


 水を受け取って飲んだ。冷たくて、美味しかった。


 ノアはこくりと頷いただけで、帳面に何かを書き始めた。たぶん、私の体調も記録している。


「ねえ、ノア」


「はい」


「一つ聞いていいですか。三日前から調査していたって言ったけど、誰かに頼まれたわけじゃないんですよね」


「はい」


「じゃあ、なぜ?」


 ノアの筆が止まった。


「……穀物が配られ始めたニュースを聞いて、この領が変わるかもしれないと思いました。でも、変わるなら正しい方向に変わってほしい。食糧があっても水が汚ければ人は死にます。――だから、データを集めた。誰かが使えるように」


「誰かが、じゃなくて。あなたが使ってください」


 ノアが目を上げた。


「あなたのデータは、あなた自身が運用するのが一番正確です。――この領の衛生は、あなたに任せたい」


 長い沈黙。


「……任せる、というのは」


「信用している、ということです」


 ノアの表情は変わらなかった。


 でも、帳面を握る指の力が、少しだけ緩んだように見えた。


「……了解しました」


 ステータスを確認する。


 忠誠値:15→32。


 跳ねた。最初の数値からほぼ倍。


 この子は、信頼されることに飢えていたのかもしれない。婆さんを失ってから、一人で記録を続けていた。誰にも見せず、誰にも求められず。


 でも記録を止めなかった。


 いつか誰かが必要とする、と信じて。


 ――この子は、強い。


「ノア。明日からミナと一緒に、領内の水質調査を本格的に始めてください。必要な資材のリストを出してくれれば、リオの輸送に載せます」


「わかりました。リストは今晩中に作ります」


「急がなくていいですよ」


「……急ぎます。東地区の井戸の件は、今日中に原因を特定したい」


 有言実行。この子と仕事がしやすそうだと、直感で思った。


 ミナが走ってきた。


「ミチカ様! リオさんが南地区からの帰りに、渓流の薬草を摘んできてくれたそうです!」


「リオが?」


「はい! 『ついでだからタダでいいぜ』って!」


 ……嘘つけ。あの商人が「ついで」で薬草を摘むわけがない。後で何かの取引に上乗せしてくる気だ。


 でも、ありがたい。


「ノア、薬草の選別をお願いできますか」


「任せてください」


 ノアが帳面を閉じて、ミナと一緒に走り出した。


 いや――走り出したのはミナだけだ。ノアは早歩き。でも、その歩幅はミナの駆け足と同じ速さだった。効率がいい。


 ユリウスの小屋に向かう足取りが、少しだけ軽くなった。


 仲間が、また一人増えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ