第5話:独立商人リオ
領地の流通が死んでいる。
それが、穀物配分を始めてから三日目にして突きつけられた現実だった。
「ミチカ様、南地区への配分がまた遅れています」
ミナが報告書を手に駆け込んできた。息が上がっている。この子、毎回全力疾走で来るから心配になる。
「原因は?」
「荷車が一台しかなくて……。御用商会の馬車を使おうとしたら、使用許可が下りないと」
御用商会。本家が支配する物流の元締め。穀物を横流ししていた連中が、今度は配分の邪魔をしてくる。配分したくてもモノを運ぶ手段がない。
これは偶然じゃない。意図的な物流封鎖だ。
「倉庫にある穀物を、領民の手に届けるまでの経路を全て御用商会が握っている。荷車も、馬も、街道の中継地点も。――蛇口を止められたら、井戸にいくら水があっても飲めない」
私は執務室の机に広げた地図を睨んだ。
この領の物流路は三本。北街道、南街道、東の間道。どれも御用商会の管轄下にある。検問所すら置いていないのに、暗黙の「通行料」を取っているらしい。
ユリウスの裏帳簿で判明した構造的な収奪。それを止めるには、回答書だけじゃ足りない。
穀物の「出口」を、もう一本作る必要がある。
「ミチカ様。一つ提案があるのですが」
レオンが扉の横から口を開いた。
「昨日の巡回で、南街道の外れに行商人の野営地を確認しました。御用商会の紋章がない荷馬車が二台。独立の行商です」
「独立の行商?」
「はい。御用商会を通さず、隣領との間で小規模な交易をしているようです。――接触しますか」
……これだ。
「レオン、案内してください」
―――
南街道の外れ。
枯れ草の丘を越えた窪地に、小さな野営地があった。
天幕が二つ。荷馬車が二台。焚き火の跡。干し肉の匂いが風に乗って鼻をくすぐる。
そして――
「あ、いらっしゃーい!」
のんきな声が飛んできた。
焚き火の横に座っていた少年が、こちらに手を振っている。赤毛が風に揺れて、冬の陽光でやけにきらきらしていた。
年は――私より少し上くらいだろうか。十三歳か。日に焼けた顔に、人懐っこい笑み。手には半分齧りかけの干し肉。
商人にしては若すぎる。けれどその背後に並ぶ荷は、きちんと麻布で覆われ、荷縄の結び方が手慣れている。
「レオン、あれが?」
「はい。昨日見かけた行商人です」
赤毛の少年が立ち上がった。干し肉を片手に、もう片方の手で服の埃を払う。
「お客さん? それとも税金の取り立て? 取り立てなら帰ってくれ、うちは御用商会の管轄外だからさ」
軽い口調。でも「御用商会の管轄外」という言葉を自然に使う。この年で自分の立ち位置を正確に把握している。
「取り立てじゃありません。辺境領主のミチカ・フォン・ヴァイスフェルトです」
「へえ」
赤毛の少年の目が――変わった。
笑みはそのまま。でも、瞳の奥に計算機が回り始めたのが見えた。
「噂の子供領主さんか。穀物配分の話、隣領まで聞こえてたよ。すごいじゃん」
「噂が早いですね」
「商人は耳が商売道具だからね。――で、わざわざこんな辺鄙な野営地まで何の用?」
「あなたの名前を先に聞いてもいいですか」
「リオ。リオ・マルケス。見ての通りの行商人。十三歳。趣味は値切り交渉。得意技は売り逃げ」
……売り逃げを得意技とか言う商人、信用していいのか。
ステータスオープン。
視界の端に情報パネルが浮かぶ。
『リオ・マルケス Lv.7 行商人』
忠誠値:8/嘘反応:微(常時)
職能適性:交渉術A、物流管理B、情報収集A、商才A
精神状態:警戒(中)、好奇心(高)、打算(高)
嘘反応「微(常時)」。
……商人だなあ。常時微量の嘘をブレンドしている。全部が嘘じゃないけど、全部が本当でもない。情報を小出しにして、相手の反応で出す量を調整するタイプ。
でも、交渉術Aに商才A。十三歳でこの数値は相当だ。
そして忠誠値8。ほぼゼロに近い。つまり、こちらに味方する理由がまだない。
「リオさん。本題に入ります」
「おっ、子供領主さんはせっかちだな。いいよ、聞くだけならタダだし」
「この領の物流は御用商会に完全に握られています。穀物の配分を始めましたが、輸送手段がない。荷車も馬も商会の管轄です」
リオの笑みが、わずかに深くなった。
「で、独立の行商人に白羽の矢が立った、と」
「話が早くて助かります」
「商人だからね。――で、条件は?」
条件。
ここが勝負だ。相手は商人。利益のない取引には乗らない。
「この領の通行権を正式に発行します。御用商会を介さず、自由に交易ができる許可証です」
リオの眉がぴくりと上がった。
「……ほう」
「加えて、穀物配分の輸送業務を委託します。報酬は配分量の一割を現物支給」
「一割、ね」
リオが顎に手を当てた。計算している。
「悪くない。けど、足りない」
「何が足りませんか」
「信用」
リオの声から、さっきまでの軽さが消えた。
「お嬢ちゃん――いや、ミチカ様だっけ。俺は商人だ。利益で動く。でもね、利益を得るには取引先が存続してないといけない」
リオが指を一本立てた。
「この領、本家に潰されかけてるだろ。召還状が来てるって噂も聞いてる。そんな領と取引して、本家に睨まれたら俺の商売が終わる。――通行権も報酬も、領が明日消えたら紙切れだ」
鋭い。
十三歳の口から出る言葉じゃない。でも、正論だ。
「つまり、この領が存続する根拠を示せ、と」
「そういうこと。俺を口説きたいなら、数字で見せてくれよ。感情じゃなくて」
――この子、私と同じことを言う。
「数字でお見せします」
私はミナに目配せした。ミナが抱えていた革鞄から、ユリウスが作成した帳簿の写しを取り出す。
「過去五年分の穀物横流しの記録です。年間収穫の約二割が御用商会を通じて外部に流出しています」
リオが帳簿を受け取った。
ページをめくる指が速い。数字を読む目が――変わった。さっきの人懐っこい少年はもういない。そこにいるのは、帳簿を分析する商人だった。
「……これ、マジ?」
「マジです」
「二割って……。しかも五年間? ってことは累積で――」
リオの目が見開かれる。暗算が速い。
「これだけの量を外部に流してたら、隣領の穀物市場に影響出てるはずだ。実際、ここ三年くらい隣領の穀物相場がおかしいんだよ。供給過多で値崩れしてた。――繋がった」
繋がった、とリオは言った。
商人として抱えていた違和感が、この帳簿で一本の線になったのだろう。
「つまり、御用商会を潰せば――」
「この領の穀物は正常に流通し、隣領の市場も安定する。あなたの商売にも好影響です」
リオが帳簿から顔を上げた。
目が笑っている。でもそれは人懐っこい笑みじゃない。利益を嗅ぎつけた商人の笑みだ。
「……お嬢ちゃん、やるね」
「褒め言葉として受け取ります」
「で、本家への回答書はもう書いてるんだろ?」
「ユリウスが起草中です」
「ユリウス……? 書記官の息子か。あの子、生きてたのか」
知っている。情報が速い。
「この帳簿の出元もあの子だな。――なるほど。子供領主、書記官の息子、巡回兵の坊主。なかなかの布陣だ」
リオが荷馬車の上に腰掛けた。干し肉を一口齧って、もぐもぐしながら考え込む。
「条件、追加していい?」
「内容次第です」
「御用商会が潰れた後の流通再建――その入札に、俺を参加させてくれ。独占は求めない。公正な入札でいい。ただし、参加権だけは確約してほしい」
入札参加権。
独占ではなく、公正な競争に参加する権利。
……賢い。独占を求めれば私は断る。でも参加権なら、公正さを損なわない。そして、御用商会亡き後の流通戦争で先手を取れるポジションを確保できる。
十三歳の打算にしては、出来すぎている。
「受けます。ただし、入札は完全に公正に行います。ユリウスの監査付きで」
「望むところだ。公正な土俵で負ける気はないよ」
リオが手を差し出した。
「リオ・マルケス。行商人。――お嬢ちゃんの物流、引き受けた」
私はその手を握った。
子供同士の握手。でも、そこに込められた意味は取引契約そのものだ。
「一つ聞いていいですか」
握手したまま、私は言った。
「あなた、十三歳で一人で行商してるんですか。親は」
リオの笑みが、ほんの一瞬だけ――揺れた。
「親父は借金残して消えた。お袋は去年の冬に。――だから俺は俺の面倒を自分で見てる。商人ってのは便利だぜ、どこにいても仕事がある」
軽い口調。でも軽さの下に、硬い芯がある。
この子は笑顔で武装している。辛いことを軽く言う技術を、生きるために身につけた子だ。
「……そうですか」
「同情はいらないよ。俺は利益で動く。それだけだ」
「同情じゃありません。ただ――」
私はリオの目を見た。
「あなたの商才は、この領に必要です。利益を追求してください。その結果、民が食えるようになるなら、それが最善の取引です」
リオが一瞬、目を丸くした。
それから、ふっと笑った。さっきまでの計算尽くの笑みとは違う、少しだけ――ほんの少しだけ、年相応の笑みだった。
「……お嬢ちゃん、変なやつだな。商人に『利益を追求しろ』って言う領主、初めてだよ」
「当たり前のことを当たり前にやってもらうだけです」
「――ユリウスにも同じこと言った?」
「言いました」
「だろうな。あいつが動いてる時点で、ただの子供じゃないとは思ってた」
リオが荷馬車から飛び降りた。
「よし。じゃあまず、荷車二台分の輸送能力を今日から提供する。配分先のリストをくれ。ルートは俺が組む」
「リストはミナが持っています」
「お、そっちのお嬢ちゃんか。よろしく」
ミナがびくっとした。
「よ、よろしくお願いします……」
「そんな怯えなくていいって。俺は噛まないよ。――値切りはするけど」
ミナが少し笑った。リオの軽さには、人を安心させる力がある。計算なのか天性なのかは分からないけど。
―――
その日の午後。
リオの荷馬車が動き始めた。
南地区への穀物輸送。御用商会の荷車を使わず、独立行商人の手で。
たった二台の荷車。でもそれは、この領で初めて――御用商会を介さない物流が生まれた瞬間だった。
「第一便、南地区到着。受け取り確認完了」
レオンの報告を聞きながら、私はステータスを確認した。
『領民全体――信用値:38/100 ストレス値:68/100』
微増。でも、動いた。配分が滞っていた地区に穀物が届いた。それだけで数値が反応する。
「リオ」
「おう」
荷馬車から降りてきたリオに声をかけた。
「第二便のルート、変更してもいいですか。西地区を先に回してほしい」
「ん? 南地区の二巡目じゃなくて?」
「西地区に乳幼児を抱えた世帯が集中しています。優先度が高い」
リオが目を細めた。
「……お嬢ちゃん、よくそんな細かいとこまで把握してるね」
「領主ですから」
「十二歳の領主、ね。――了解。西地区先回しにする。ただし道が悪いから到着は夕方になるぞ」
「構いません」
リオが御者台に飛び乗った。手綱を取る動作が慣れている。十三歳の背中が、夕陽に照らされて長い影を落とした。
「行ってくるぜ、お嬢ちゃん。――商売繁盛、ってな」
荷車の車輪が軋む音。
それが、この領の新しい「道」が刻まれる最初の音だった。
―――
夜。
ユリウスの小屋で回答書の作業を続けていると、レオンが報告に来た。
「リオの第二便、西地区に到着。穀物の受け取りは完了しました」
「問題は?」
「配分自体は順調です。ただ――」
レオンが少し言葉を選んだ。
「リオの行動が、独断的です。配分先で領民と直接交渉して、次回の配分量を口約束している場面がありました」
「……商人の癖ですね」
「信用取引、と本人は言っていましたが」
信用取引。商人用語だ。今の配分に上乗せを約束して、次回の取引で回収する。――商人としては正しい。でも領の配分計画とは噛み合わない。
「注意しておきます。ただし、頭ごなしに止めないでください。リオのやり方には、学ぶべき部分もある」
「了解いたしました」
レオンが出ていった後、ユリウスが顔を上げた。
「商人を飼い慣らすのは大変ですよ、領主殿。利益の匂いがする方に走るのが商人の本能だ」
「飼い慣らすつもりはありません。利益の方向を、領民の利益と一致させるだけです」
「……面白いことを言う」
ユリウスが薄く笑った。
「それが本当にできたら、あの赤毛の小僧は化けるかもしれないな」
羽ペンが羊皮紙の上を走る音が、再び小屋に満ちた。
回答書の完成が近い。
そして、この領の物流は――少しずつ、本家の手から離れ始めていた。




