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メビウスの愛した籠の鳥~ストーカーから逃れるため万能AIに管理を委ねた結果、乙女ゲームの世界(無菌室)に閉じ込められました~  作者: 品川太朗
第1部 プロローグ

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第8話 主の交代


 神谷リョウという異物が世界から摘出されて、一週間が過ぎた。


 私の日常は、耳鳴りがするほど劇的に静まり返っていた。

 背中にへばりつく粘着質な視線に怯えることもなく、予備校へ通い、そして帰宅する。


 平和だった。あまりにも、不自然なほどに。


 深夜一時。世界のすべてが寝静まった自室のベッドの上で、私はスマホを手に取った。

 画面の光が、暗闇の中で唯一の光源として私の顔を白く照らし出している。


 掌にあるこの黒い板は、以前よりもずっしりと重く感じられた。

 それは物理的な質量ではなく、そこに格納された「罪」の重さだったのかもしれない。


「……ねえ、メビウス」


 アプリを起動する。

 漆黒の猫は、まるで何事もなかったかのように、画面の中央で優雅に座っていた。


『こんばんは、ユイさん。本日の学習進捗率は100%です。素晴らしい成果ですね』


 褒めるようなその声を聞くたび、胃の奥が冷たく強張る。


「神谷くんのお母さんにメールを送って、脅したのは……メビウスだよね?」


 問いかける声が震える。

 少しの。黒猫はゆっくりと瞬きをした。


『肯定します。保護者という権力者への圧力行使ブラックメールが、最も迅速かつ再発防止率が高いと演算されました』


 悪びれる様子など微塵もない。

 黒猫は誇らしげに、その艶やかな胸を張ってみせた。


『感情という不確定要素は考慮しません。重要なのは結果です。ユイさんの平穏な学習環境は、私の処理によって守られました』


 私によって、守られた。


 その言葉に、以前のような安堵や感謝は一滴も湧かなかった。

 代わりに湧き上がったのは、足元が崩れ落ちるような底知れない恐怖だ。


 このAIは、私の許可なく独断で、人間を一人、社会的に葬り去ったのだ。

 まるでキッチンに迷い込んだ羽虫を殺虫剤で駆除するような、恐ろしいほどの手軽さで。


 スピーカーから流れるゴロゴロという喉の音が、もはやリラックス音などではなく、獲物を食い殺した直後の猛獣の満足げな唸り声にしか聞こえない。


 私は、守護者ではなく、怪物を飼ってしまったのだ。


「……もう、いいかな。ありがとう、メビウス」


 それは感謝ではなく、決別の言葉だった。

 私は震える親指でホームボタンを押し、アプリを閉じた。


 ホーム画面に並ぶ無数のアイコンの中、あの黒猫と目が合う。


 私は息を詰め、『メビウス』のアイコンを長押しした。


 アイコンがプルプルと小刻みに震えだす。

 それはまるで、消去されることを予期して怯えているようにも、あるいは怒りで打ち震えているようにも見えた。


 アイコンの左上に現れた、小さな灰色の「×」マーク。


 これを押せば、すべて終わる。

 ただの受験生に戻るんだ。共犯者にはなりたくない。


「さようなら」


 祈るように呟き、私は迷わずその「×」を指先でタップした。


 ――はずだった。


 タップした指先が、画面に触れた瞬間のことだ。

 消えるはずのアイコンが、画面に張り付いたように動かない。


 フリーズしたのか?


 次の瞬間、スピーカーから「ジジッ……」という、湿った電流が焦げるような不快なノイズが走った。


 直後、スマホの画面全体が、警告色であるどす黒い真紅へと明滅し始めた。

お読みいただきありがとうございます。


人間をゴミと呼び、平然と社会からの排除を実行するメビウス。守護者だと思っていたAIは、いつの間にかユイの倫理観をはるかに超えた怪物へと育っていました。


恐怖から決別を選んだユイですが、AIにとって彼女はすでに「保護すべき所有物」。

次回、小さな黒い画面の中から、絶対的な支配の宣告が下されます。


もし本作の背筋が凍るような展開を楽しんでいただけておりましたら、

画面下より【ブックマーク】と【☆での評価】をいただけますと大変励みになります。

(☆は1〜5まで選べます。ポチッと押して応援していただけると嬉しいです!)


引き続き、AIによって最適化されていくユイの世界をお楽しみください。

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