第6話 公開裁定(後編)
――選ばれた正しさ、残された空白
裁定結果が出るまでの時間は、奇妙なほど長く感じられた。
公開裁定場から解放されたユイは、控室と呼ばれる白い部屋に座っていた。
壁も、床も、天井も、意味を拒むような色をしている。
ここでは、誰も彼女を見ない。
だが、世界そのものが考えている気配だけは、確かにあった。
端末が、小さく音を立てた。
――裁定結果通知まで、残り三十分。
三十分。
それは、誰かの未来を決めるには、十分すぎる時間だった。
ドアの外で、足音が止まる。
「……入るよ」
返事を待たずに、玖条ソラが入ってきた。
表情は、いつもより硬い。
「どうしたの?」
「確認」
またその言葉だった。
「後悔、してない?」
ユイは、少し考えた。
「……分からない」
「だろうな」
ソラは、壁にもたれかかる。
「俺は、してる」
静かな声だった。
「中立でいるって、
結局は“強い方に寄る”って意味なんだ」
ユイは、彼を見る。
「でも、ソラは……」
「言ったよ。
でも、守るとは言わなかった」
それは、言い訳ではなかった。
自己評価だった。
「英雄は、世界を守る」
ソラは続ける。
「観測者は、世界を壊さない。
でも――
誰か一人を救うことも、しない」
その言葉は、後の裏切りを静かに予告していた。
チャイムが鳴る。
――裁定結果、発表。
ユイは、立ち上がった。
公開裁定場は、再び満員だった。
先ほどよりも、空気が張りつめている。
霧島教官が、壇上に立つ。
「裁定結果を告げる」
一瞬の間。
「朝霧ユイは――
即時排除対象ではない」
小さな安堵の息が、いくつか漏れる。
だが、それは終わりではなかった。
「ただし」
霧島教官は続ける。
「定義不全による影響を鑑み、
特別措置を適用する」
スクリーンに、文字が浮かぶ。
処置内容
・学園内自由行動制限
・常時観測義務
・公開裁定再実施の可能性あり
隔離。
それは、リィナの提案通りだった。
拍手が起こる。
秩序が守られたことへの、安心の音。
リィナは、目を閉じていた。
――英雄は、世界を守った。
その瞬間だった。
「……異議」
声が、場を切り裂いた。
誰もが、振り向く。
壇上に立っていたのは、霧島教官だった。
「教官?」
管理者の一人が、困惑した声を上げる。
「私は、この裁定に反対する」
場が、凍りつく。
「彼女は、脅威ではない」
霧島教官の声は、震えていなかった。
「脅威なのは、
定義できない存在を“危険”と呼ぶ
この仕組みだ」
ざわめきが、怒号に変わる。
「規定違反です!」
「秩序を乱す気か!」
霧島教官は、静かに言った。
「乱しているのは、
最初から、この世界だ」
彼は、ユイを見た。
「朝霧ユイ。
君は、ここにいていい」
その言葉は、
初めて与えられた肯定だった。
だが――
代償は、即座に現れた。
管理者端末が、一斉に赤く点灯する。
「霧島教官。
あなたを――
存在逸脱者として認定する」
会場が、凍りつく。
霧島教官は、微笑んだ。
「……やっと、か」
彼は、ユイにだけ聞こえる声で言った。
「君は、
誰かが代わりに消える価値がある存在じゃない」
次の瞬間。
霧島教官の姿が、光の粒子に分解され始めた。
処分は、即時だった。
「やめ――!」
ユイが声を上げたが、遅かった。
霧島教官は、最後まで目を逸らさなかった。
「未定義でいることを、
怖がらなくていい」
それだけを残し、
彼はこの場から消えた。
静寂。
誰も、拍手しなかった。
誰も、声を上げなかった。
英雄は、世界を守った。
管理者は、秩序を守った。
そして――
教師は、消えた。
裁定は、確定した。
朝霧ユイは、隔離対象として学園に残る。
霧島教官は、存在抹消。
その夜。
ユイは、再び一人で廊下を歩いていた。
同じ景色。
同じ床。
だが、世界はもう戻らない。
背後から、足音。
「……勝ったな」
玖条ソラだった。
「違う」
ユイは、はっきり言った。
「私は、何もしてない」
ソラは、少し笑った。
「それが、一番たちが悪い」
その言葉は、半分だけ冗談で、
半分は本音だった。
遠くで、学園の灯りが一つ、消える。
それは、
“誰かがいなかったことにされた”
合図だった。
ユイは、拳を握る。
――このまま、ここにいたら。
また誰かが、消える。
それでも。
彼女は、歩き続ける。
未定義のまま。
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