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何者にもなれなかった私へ ―定義された学園で、私は消されかけた  作者: 水城ルナ


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第3話 観測者の距離

 朝霧ユイが監視対象になってから、学園の空気は目に見えて変わった。


 露骨な敵意はない。

 だが、距離があった。


 廊下ですれ違えば、会話が一瞬だけ止まる。

 視線が合えば、すぐに逸らされる。

 まるで、見てはいけないものを見るように。


 それを最初に言葉にしたのは、玖条ソラだった。


「隔離が始まったな」


 昼休み、屋上。

 金網越しに街を見下ろしながら、彼は淡々と言った。


「隔離?」


「物理的じゃない。意味の方だ」


 ソラはフェンスに背を預け、腕を組む。


「誰も君を否定しない。

 でも、誰も肯定もしない。

 それが一番、安全な扱い方だから」


 ユイは、風に揺れる雲を見ていた。


「……それって」


「無かったことにする、ってやつ」


 ソラは笑わなかった。


「日暮ハルのときと同じだよ。

 違うのは、君は消せないってことだ」


 ユイは、少しだけ息を詰めた。


「消せないなら、どうするの?」


「管理する。

 分類できないなら、危険物として扱う」


 それは、説明というより予測だった。


 午後の授業は合同講義だった。

 複数クラスが集められ、階段教室が使われる。


 テーマは――

 「定義不全事例への対応」


 ざわり、と空気が揺れる。


 霧島教官が壇上に立つ。


「近年、定義が安定しない存在が増えている」


 視線が、無意識にユイへ集まる。


「感情論ではなく、制度として考えなければならない」


 スクリーンに、過去の事例が映し出される。

 どれも途中で途切れ、黒塗りになっていた。


「問う。

 定義できない存在を、社会はどう扱うべきか」


 手が挙がる。


 天城リィナだった。


「排除、もしくは隔離です」


 はっきりとした声。


「曖昧な存在は、秩序を壊します。

 英雄は希望になりますが、

 空白は恐怖になる」


 正論だった。

 拍手が起こる。


 次に手を挙げたのは、別の生徒。


「管理下での保留。

 役割が定まるまで、自由を制限すべきです」


 また拍手。


 ユイは、何も言わなかった。


 言葉が見つからなかったわけではない。

 ただ、ここで発言すれば、定義が生まれると分かっていた。


 そして、それを恐れていた。


「……朝霧ユイ」


 霧島教官が名を呼ぶ。


「君の意見を聞こう」


 教室が静まり返る。


 ユイは、ゆっくり立ち上がった。


「……分かりません」


 ざわめき。


「自分が、何者なのかも。

 どう扱われるべきかも」


 リィナが、苛立ちを隠さず睨む。


「でも」


 ユイは続けた。


「分からないまま存在することが、

 そんなにいけないことなんでしょうか」


 沈黙。


 誰もすぐに答えられなかった。


 霧島教官は、数秒置いてから言った。


「その問い自体が、危険だ」


 それが、この学園の結論だった。


 放課後、掲示板に新しい通達が貼られた。


公開裁定予告


対象:朝霧ユイ


内容:存在定義の是非


実施:三日後


 文字を見た瞬間、ユイの胸がわずかに痛んだ。


「始まったな」


 隣で、ソラが呟く。


「公開裁定は、クラスを割る」


「……どうして?」


「誰かを裁く場は、

 必ず“裁く側”と“守る側”を作るから」


 ソラは、ユイを見る。


「君を守るか、世界を守るか。

 選ばされる」


 その夜、ユイは一人で寮の部屋にいた。


 机の上には、空白の端末。

 定義欄は、まだ何も表示していない。


 日暮ハルの笑顔が、ふと浮かぶ。


――何者にもならなくていいよ。


 でも、世界はそれを許さない。


 扉の外で、誰かが立ち止まる気配がした。

 しばらくして、去っていく。


 翌日から、クラスは明確に二つに分かれ始めた。


 ユイを危険視する者。

 そして――

 理由は分からないまま、目を逸らせなくなった者。


 公開裁定まで、あと三日。


 誰かと、必ず別れることになる。


 それだけは、はっきりしていた。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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