第10話 隔離区域
――空白の記録
学園の地下に、そんな場所があることを、朝霧ユイは知らなかった。
いや――
知らされていなかった、が正しい。
「これより先は、通常生徒の立ち入りを禁ずる」
低い天井。
無機質な照明。
足音が、やけに大きく響く。
前を歩くのは、外部裁定官レム。
その後ろを、ユイと玖条ソラが続いていた。
「ここは?」
ユイが尋ねる。
「隔離研究区画」
レムは振り返らずに答えた。
「過去に“処理された事例”を保管している」
処理。
その言葉に、ユイの胸がわずかに硬くなる。
分厚い扉が開く。
中は、想像していたよりも広かった。
無数のガラスケース。
端末。
壁一面に並ぶ、記録番号。
だが――
名前は、ほとんど残っていない。
「これは……」
「未定義、もしくは定義不全と判断された存在の記録」
レムは淡々と続ける。
「学園創設以来、三十七件」
ユイは、思わず足を止めた。
「……そんなに」
「表に出ていないだけだ」
レムは、ある端末の前で立ち止まる。
「朝霧ユイ。
あなたは、三十八件目になる可能性がある」
ソラが、小さく息を吸う音がした。
レムは操作を続ける。
スクリーンに、古い映像が浮かぶ。
そこに映っていたのは――
制服姿の生徒だった。
今と、ほとんど変わらない。
「……この人」
ユイが呟く。
「未定義者の一人」
レムは言う。
「定義測定に失敗し、隔離。
再測定を繰り返した末、存在が不安定化」
映像は途中で途切れ、黒く塗り潰される。
「……その後は?」
「記録抹消」
短い答え。
「世界の安定を優先した」
ユイは、拳を握る。
次のケース。
その次も。
どれも、途中で終わっている。
「全員……消えたんですか」
「正確には」
レムは、少しだけ言葉を選ぶ。
「消えたことにされた」
空気が、冷たく沈む。
ソラが、端末を操作しながら言った。
「……この番号」
「気づいたか」
レムが、初めて彼を見る。
「三十六件目」
そこに表示された補足情報。
補助管理者:霧島
事案対応中に逸脱
ユイの心臓が、大きく跳ねた。
「……霧島教官?」
「正確には、霧島“元”教官」
レムは、事実だけを告げる。
「この事案で、彼は世界判断に異議を唱えた」
画面が切り替わる。
記録文。
未定義者の存在を維持したまま、
世界安定を図る試み
結果:失敗
その下に、赤い文字。
当該管理者:存在抹消
ユイは、息が詰まるのを感じた。
「……じゃあ」
「彼は、君のために消えたわけではない」
レムは、はっきり言った。
「彼は、
何度も同じ選択をしていた」
それは、慰めでも、突き放しでもない。
「世界を変えようとした者の、末路だ」
レムは、ユイを見る。
「それでも、彼は止めなかった」
その言葉が、静かに刺さる。
隔離区域の奥。
最後のケースは、まだ空だった。
番号だけが振られている。
――No.38
ユイは、そこを見つめる。
「……ここに、私が入るんですか」
「可能性としては、高い」
レムは頷く。
「だから、見せた」
ソラが、声を出す。
「……それでも、
彼女をここに置くんですか」
「ええ」
レムは迷わない。
「君が記録している限り、
彼女は“まだ処理できない”」
ソラは、唇を噛む。
ユイは、ゆっくりとガラスケースに近づいた。
自分の番号。
まだ何もない空白。
だが――
そこには、確かに“未来”が用意されている。
「……ねえ」
ユイが言う。
「もし、私がここに入らなかったら」
レムは、即答した。
「誰かが代わりに入る」
霧島教官の言葉が、重なる。
――君は、誰かが代わりに消える価値がある存在じゃない。
ユイは、目を閉じる。
そして、静かに言った。
「……ここから、逃げるつもりはありません」
ソラが、驚いたように彼女を見る。
「でも」
ユイは続ける。
「ここに“入る”とも、決めてない」
レムは、ほんのわずかに口角を上げた。
「その曖昧さが、問題なのよ」
「知ってます」
ユイは、はっきり言った。
「でも、それが私です」
隔離区域の灯りが、一定のリズムで瞬く。
未定義の記録が、また一つ更新された。
観測継続
No.38
朝霧ユイ
状態:未確定
世界は、まだ結論を出せない。
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