〈9〉執事の微笑みには毒がある(リヒトの思惑)
重苦しい朝食が終わり、後片付けや仕事の指示を使用人たちに振り分けるとリヒトは自身の仕事へと足を向けた。これでも侯爵家の筆頭使用人であり今は亡き侯爵の専属執事でもあったリヒトは侯爵家の財政すらもその手腕で上手く回しているのだ。
あの三兄弟は侯爵からの遺言で権利を失っているし、だからと言って新たな養女のエレナにいきなり全てを押し付けるのも無理がある。なによりも、エレナにはやってもらわないといけない仕事があるのだ。それはエレナにしか出来ない事なので雑用は自分で片付けるしかない。
「……それにしても、面白い事になってきたな」
リヒトは先程の朝食風景を思い出しクスリと笑った。
最初にエレナを見た時は想像通りの女が現れたと思った。どんなに見た目が可愛らしくとも、“恋に溺れ死ぬ運命”の憐れな女だと。
どうにかしてあの女を操り人形にして自分の望みを成し遂げなくては……と、イベントの現場を覗きに行ったらまさかルーファスが急所を蹴り上げられている場面を目撃することになるとは思いもしなかった。濡れ場の現場を押さえてそれをネタに脅してやろうと思っていたのに驚いたのなんのって……。
リヒトは器用に手を動かし仕事をこなしていく。メイドたちが憧れの視線を向ける完璧執事が、自分が仕えるべき主人を脅迫しようとしているなんて誰も思わない。今のリヒトは侯爵家で絶対的な信頼を得ていた。
「さて、どうしたものか……」
書類に目を通しながらそう呟くとひとりのメイドがリヒトにお茶を持ってくる。
「リヒト様、お疲れ様です。そんな悩まれた顔をなされてるなんて何か問題でもあったんですか?……やっぱり、あのお嬢様が……」
そのメイドはいつもリヒトに熱い視線を送ってきている年若いメイドで、歳はエレナと変わらない。実家は男爵家だが貧困により侯爵家に働きに出されているのだ。最初は拒んでいた仕事もリヒトに気に入られる為ならばと今では喜んでやっている。まぁ、簡単な事ばかりやって面倒になると後輩のメイドに押し付けているようだが結果的に仕事は順調に終わっているので黙認していた。
例え貧困で下働きに出されていても男爵令嬢としてのプライドだけは高いようで、時折エレナについて反抗的な態度を見せる彼女の心中を察するのは簡単だった。
「……あんな孤児院上がりが、リヒト様のお心を煩わせるなんて!」
仮にも侯爵家の令嬢を「あんな孤児院上がり」と罵り、美しいはずの顔を憎々しげに顔を歪めるメイドはなんとも醜い。いくら現在のエレナが“侯爵家の令嬢”だろうと、元“孤児院上がり”の小娘にリヒトが頭を下げている姿が気に入らないようだった。
だが……利用しがいはあるだろう。と、リヒトはにっこりとメイドに笑顔を向ける。
「お嬢様の事をそんな風に言うなんて悪い子だ……」
「……っ、リヒト様っ」
メイドの手を握り、そっと耳元に唇を近づけるとメイドの頬が赤く染まり熱い吐息が漏れた。うっとりと潤んだ瞳にはリヒトの優しい笑みがうつるが、その微笑みに怪しい企みが含まれている事には誰も気づくことはなかったのだった。




