風にのって大冒険
ある日の昼下がり。
雲の原っぱに、ざわざわと強い風が吹き込みました。空は春を迎える準備をしているように、少しずつ流れを変え、力を増しているのです。
ごろごろ先生が大きな声で呼びかけました。
『さあ、今日は“風にのる練習”だ! 雲は風に流されるだけじゃない。風を感じ、仲良くしなければならん!』
広場に集まった雲の子どもたちは一斉にどよめきました。
「やっとだ!」
「大空を飛べるんだね!」
みんな胸をふくらませ、わくわくしていました。
もくもくは待ちきれないように声をあげました。
「やっと大空を旅できるんだな! 俺、ぜったい一番遠くまで行ってみせる!」
その元気な声に、周りの雲たちも笑います。
一方のもふもふは、不安そうに小さく縮こまっていました。
「わ、わたし……ちゃんと飛べるかな……。風に飛ばされちゃったら、帰れないよ……」
「大丈夫だって! 俺が一緒にいるからさ!」
もくもくはにかっと笑い、もふもふの体を軽く押しました。
その力強さに、もふもふの胸の不安はほんの少しだけ和らぎました。
◇
練習がはじまると、ごろごろ先生は空の流れを指さしました。
『風には道がある。強くなるところ、渦を巻くところ、静まるところ。よく感じて、乗るんだ!』
子どもの雲たちは一斉にふわりと浮かび上がりました。
風は思った以上に複雑でした。
ひとつの流れに乗れば気持ちよく運ばれるけれど、すぐに別の流れに引っぱられ、あちこちに散っていきます。
もくもくは大はしゃぎであっちへこっちへ。
「おーい、見ろよ! こっちの風、めっちゃ速い!」
はしゃぐ声をあげ、くるくると形を変えていました。
もふもふは必死でその後を追います。
「ま、待って……! そんなに速く行ったら……!」
でも体は軽く、思うように流れをつかめません。
そのとき。
突風が轟音とともに吹き抜けました。
もふもふはあっという間に流され、渦の中へ巻き込まれてしまったのです。
「もふもふ!?」
もくもくは慌てて追いかけましたが、風の壁に阻まれて近づけません。
小さなもふもふの姿は、どんどん遠ざかっていきました。
◇
もふもふは必死に踏んばろうとしました。
けれど体はふんわりやわらかく、風に抗えません。
「どうしよう……わたし、帰れない……」
不安と恐怖で胸がいっぱいになり、涙がぽろぽろこぼれました。
その涙は雨粒になって地上に落ち、通りを歩く人々の肩を濡らしました。
けれど、子どもたちは「わあ、通り雨だ!」と笑いながら傘を広げていました。
気づけば、見知らぬ空に来ていました。
そこには重たそうな灰色の雲が重なり合い、冷たい風が吹きすさんでいます。
『おや……ちっちゃな雲が泣いているな』
低い声が響きました。振り向くと、大きな雪雲のおじいさんが浮かんでいました。
白く厚い体に、銀色の光がちらちらと揺れています。
「ご、ごめんなさい……わたし、風に流されて、迷子になっちゃって……」
『そうかそうか。だが泣くことはない。おまえの雨が、下で遊んでいた子どもたちに虹を見せていたぞ』
「えっ……わたしの、雨が……?」
『そうだ。小さな雲でも、流した雨は地上を変える。迷子になっても、空はどこまでもつながっているのだよ』
雪雲のおじいさんはゆったりと笑い、白い粉雪をひとひら舞わせました。
『友だちの雲を信じなさい。きっと探しにくるはずだ』
その言葉に、もふもふの胸が少しだけ温かくなりました。
◇
そのころ、もくもくは必死で空を探していました。
「どこだ、もふもふ! 返事しろーっ!」
風に逆らいながら声を張り上げます。
ようやく、かすかに聞き覚えのある声が風にのって届きました。
「……もくもく……!」
「いたっ!」
もくもくは全力で風をかきわけ、ようやくもふもふのもとへたどりつきました。
「よかった……! 心配したんだぞ!」
ぐいっと抱きつくと、もふもふの涙はまた小さな雨粒になってはじけました。
「ごめんね……でも、雪雲のおじいさんが言ってたの。迷子になっても、空はつながってるんだって」
「へへっ、いいこと言うじゃん! でも、俺にとってはお前が一番の道しるべだ!」
もふもふはくすっと笑い、涙を拭いました。
「じゃあ……これからも一緒に飛んでくれる?」
「もちろんだ!」
二人は並んで風に身をゆだねました。
さっきまで怖かった風が、今は背中を押してくれるように感じられました。
風は決して敵ではなく、冒険の友なのだと二人は気づいたのです。
◇
その夜。
月明かりの下で、もふもふは小さな声で記録を残しました。
『風はこわい。でも、友だちと一緒なら道しるべになる。空はどこまでもつながっているから』
となりで大の字になって眠るもくもくを見て、もふもふは安心して目を閉じました。
空の旅はまだ始まったばかりです。




