番外編・もくもくの孤独な挑戦
まだ夏がはじまる前、空はうすい青色に広がり、地上では麦畑が風に揺れていました。
雲の子どもたちは風にのって、のんびりと漂ったり、集まって遊んだりしていました。
その中で、ひとりだけいつも上を目指していた雲がいました。
もくもく。
ふわりとした体をぐんと膨らませ、誰よりも高く、誰よりも大きくなろうと力をこめていました。
「よし、今日こそもっとでっかくなるぞ!」
彼は強い日差しを浴び、下から吹きあがる風を吸いこんで体を大きくしていきます。
まわりの雲の子たちが「一緒に遊ぼう」と声をかけても、首をふって答えました。
「悪い、俺は練習中だ! 立派な入道雲になるんだ!」
その声には自信と勢いがあったけれど、少しだけさみしさも混じっていました。
◇
もくもくの夢は、誰よりも立派な雲になることでした。
大地に影を落とし、遠くからでも見える大きな雲。
稲妻を呼び、雨を降らせ、地上の人々に「夏の王様」と呼ばれるような雲になる。
そう思ったのは、小さなころに聞いた年長の雲たちの話からでした。
「入道雲って、空の中でも一番勇ましくて堂々としてるんだ」
「人間たちが空を見上げて、『ああ、夏が来たな』って感じるくらいすごいんだぞ」
その言葉に胸を熱くしたもくもくは、誰にも負けない雲になることを誓ったのです。
でも、その思いは時に彼を孤独にしました。
友だちが横で笑っていても、もくもくは彼らに背を向けて風を吸いこみ、必死に体をふくらませてばかり。
「遊んでないで、がんばらなきゃ!」
それが口ぐせになっていました。
◇
ある日。
もくもくは朝から雲の原っぱで大きく膨らんでいました。
太陽はじりじりと熱を注ぎ、下からは勢いのある上昇気流が吹きあがっています。
「今だ! この風に乗って一気に大きくなる!」
もくもくは体を限界まで膨らませました。
ぐんぐんと大きくなる自分に、心臓のような部分が高鳴ります。
「すごい……! 俺、もうすぐ入道雲になれる!」
けれど。
風は突然向きを変えました。
もくもくの膨らんだ体は強くあおられ、端からちぎれていきます。
「うわっ、やめろ! くっ……!」
どんどん水の粒がこぼれ落ち、地上にぱらぱらと雨を降らせてしまいました。
畑を耕していた農夫たちが慌てて空を見上げます。
「おや、変な雨だな。急に降ってきたぞ」
もくもくは顔をしかめました。
「ちがうんだ……こんなつもりじゃ……」
けれど、雨は止まらず、形はぐずぐずに崩れていきました。
やがて力尽き、ただの小さな雲のかけらになってしまったのです。
◇
その夕方。 地平線に太陽が沈み、空が赤く染まっていきます。
もくもくはひとりで漂っていました。
まわりでは仲間の雲たちが集まり、夕日の中でふざけ合っています。
でも、もくもくはそこに近づけませんでした。
「また失敗した……俺、ぜんぜん立派になんてなれてない」
胸の奥がずきずきと痛みました。
誰かに「大丈夫だよ」と言ってほしかったけれど、それを素直に口にすることはできません。
「俺は……ひとりでやれる。絶対やれるんだ」
そうつぶやいて、無理に笑おうとしました。
でも、その笑顔はすぐにしぼんでしまいました。
空の広さがやけに冷たく、ひとりぼっちを強調するように広がっていたからです。
◇
夜になり、星が瞬きはじめました。
もくもくは体を小さく丸めて漂いながら、星々を見上げました。
「……ほんとは、誰かと一緒に大きくなれたらいいのにな」
心の奥に、そんな小さな声が生まれました。
でも、その声をすぐに押し殺しました。
「だめだ! 俺は自分で立派にならなきゃ意味がない!」
そう思い直すと、体を震わせ、明日も挑戦しようと決めました。
そのときでした。
遠くの空で、小さな光がちらちらと揺れました。
それは、どこかで泣いている小さな雲が落とした涙の粒でした。
月の光を受けて、それは虹のかけらのように見えました。
もくもくは思わず目をこらしました。
「なんだ、あれ……?」
心に芽生えた好奇心が、孤独で固くなっていた胸をすこしだけやわらかくしました。
そして、その光を追っていくことが、のちに「もふもふ」との出会いにつながっていくのです。




