紅葉の山と雲の手紙
空の色が、夏とは違っていました。
どこか透きとおるようで、遠くまで見渡せるほど澄みわたっている。
風は軽やかで、少し冷たく、ひと息ごとに胸の奥をひやりと洗うようでした。
地上では山々が秋の色に染まっていました。
紅葉した木々が斜面をおおい、赤、黄、橙、そしてまだ残る緑が重なり合って、絵の具で描いたみたいな景色をつくっています。
川面はその色を映しこみ、揺れるたびに紅葉の光を散らしていました。
もふもふは、その上をただよっていました。
けれど胸の中は晴れやかではなく、どこか寂しさを抱えたまま。
「……もくもく、いまごろどこにいるんだろう」
ぽつりとつぶやく声は風に消えていきました。
夏の嵐をふたりで越えたあと、秋の入り口でそれぞれ違う風にのり、別々の空へと旅立ちました。
そのとき「また会える」と信じたはずなのに、日が経つにつれて不安が胸を占めていきます。
風は気まぐれで、空の道は無数にある。ほんとうに再び出会えるのだろうか……
もふもふは地上の子どもたちが落ち葉を投げ合って笑っている姿を見下ろしました。
笑顔はあたたかいけれど、その輪に自分は入れないような心細さがありました。
◇
ある午後、もふもふは山の上でふしぎなものを見ました。
斜面いっぱいの木々が風に揺れるたび、赤や黄の葉が舞い落ち、その合間から白いもやが立ちのぼっているのです。
煙のようにも見えますが、焦げた匂いはしません。
それは光をまといながら、空へ昇ろうとしていました。
「……なに、あれ」
心配になって近づいたもふもふに、やわらかな声が響きました。
『ようこそ。わたしは山の精。この紅葉の季節になると、木々とともに息を空へ放つのだよ』
「山の……精?」
もふもふは目をまんまるにしました。
『そうだ。木々は春に芽吹き、夏に茂り、秋には色づいて葉を落とす。落ち葉は「ありがとう」と「おつかれさま」を空へ運ぶ手紙のようなもの。わたしはその想いを束ねて、雲へ託す役目を持っているのだ』
「雲へ……?」
『そう。雲は風にのって遠くへ行ける。だから木々の言葉や山の祈りを、広い空へ、まだ見ぬ場所へと運んでほしいのだ』
もふもふの胸はどきんと高鳴りました。
「……わたし、伝えたい思いがあるの! もくもくって友だちに、元気だよって言いたい。でも離れてしまって、どうすれば届くかわからなくて……」
山の精はやさしく笑いました。
『ならば、その思いも一緒にのせればよい。雨粒に、光に、風に。雲の手紙は、見えぬ道を通って必ず届くから』
◇
その夜。
もふもふは紅葉の山の上にひとり浮かんでいました。
月が澄んだ光を落とし、山は金色に輝いて見えます。
もふもふは体の奥から水を集め、小さな雨粒をつくりはじめました。
それは涙に似ていましたが、悲しみではなく祈りをこめた雨でした。
「もくもく、聞こえる? わたし、元気にしてるよ。離れてても、ずっと思ってる。だから、安心してね」
雨粒は風にのり、夜空へ舞い上がりました。
月の光を受けたしずくは、まるで宝石のようにきらめき、小さな文字の列を描きながら遠くへ消えていきました。
山の精がそっと見守り、やわらかな声で告げます。
『よい手紙だ。きっと届くよ。雲と風はつながっているのだから』
◇
一方そのころ、東の空の高み。
もくもくは秋の雲として、畑に雨を落とし、川を満たす仕事をしていました。
雷雲のように激しくはない、やわらかな雨。
でもその合間、心の奥はぽっかりと空いたままでした。
「もふもふ……元気かな。あいつ、泣いてばかりじゃないだろうな」
そうつぶやいたとき、不意に風が頬をなでました。
その風にのって、きらりと光る雨粒がもくもくの胸に落ちました。
耳をすませると、小さな声が響きました。
『わたし、元気だよ。離れてても、ずっと思ってるから』
もくもくの胸は熱くなり、声を震わせました。
「……もふもふ!」
力いっぱい体をふくらませ、夕暮れの光を受けて大きな姿をつくりました。
それは地上からもくっきりと見えるほど堂々とした形で、まるで「ここにいる」と叫んでいるようでした。
◇
翌朝。
もふもふは紅葉の山の上で東の空を見ました。
そこには、広く大きく広がる雲の姿。
赤く染まる朝日に照らされ、その輪郭は力強く輝いていました。
もふもふは思わず涙をこぼしました。
けれどそれは悲しい涙ではありません。
安心と喜びの涙でした。
「……もくもく、ちゃんと届いたんだね」
涙のしずくが太陽の光を受け、小さな虹となって空に浮かびました。
山の精が静かに告げました。
『ほらね。雲と風がつないでくれる。離れていても、想いは届くのだよ』
もふもふは虹を見上げ、胸いっぱいに笑いました。
「うん……ありがとう!」
◇
秋の山は日に日に色を濃くし、落ち葉が積もって森をおおいました。
空には、遠く離れてもつながる二人の心を映すように、時おり小さな虹がかかりました。
雲の手紙は、見えなくても確かに空を行き交い、二人の間に温かな道を描いていたのです。




