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第9話:華の決意と薬草摘み

第9話:華の決意と薬草摘み

 魔窟から戻ってからの数日間、華は悪夢にうなされた。

 目を閉じれば、異形の魔物の姿が蘇る。耳の奥では、断末魔の叫びが反響し、頬には生温かい血飛沫の感触がこびりついて離れない。そのたびに、彼女は短い悲鳴を上げて目を覚ました。隣の部屋で眠るジンや蛇目に聞こえていないことを祈りながら、荒い息を必死で殺す。

 あの日以来、華は自分の無力さを、骨の髄まで思い知らされていた。

 ジンと蛇目が、淀みない連携で魔物を屠っていく中、自分はただ、震えながら壁際に立っていることしかできなかった。一度など、足元の蔓に足を取られて転びそうになり、ジンに舌打ち混じりに腕を掴まれて引き起こされた。その時の、彼の目に宿っていた憐れみと苛立ちの混じった色が、脳裏に焼き付いて離れない。

 足手まとい。

 その言葉が、鉛のように重くのしかかる。

 蛇目の言う通りだった。自分は、彼らの生きる世界では、何の役にも立たないカタギのお嬢ちゃんだ。彼が命を懸けて稼いできた金で食事をし、彼が修理した家で眠る。自分は、ただの一方的に与えられるだけの存在。それは、人買いに売られるのとはまた別の、じわりじわりと魂を蝕むような、屈辱だった。

 金貨千枚。

 その途方もない借金が、自分と彼の間に横たわる、決して越えられない川の深さを象徴しているようだった。


 その日も、ジンと蛇目は、朝早くから魔窟へと向かった。

 二人の背中を見送りながら、華は固く拳を握りしめた。このままではいけない。このまま、ただ待っているだけの女でいてはいけない。

 借金を返す。

 それは、途方もなく、馬鹿げた目標に思えた。だが、それを目標にしなければ、自分は、自分の矜持を保つことすらできないだろう。一歩でもいい。たとえ、蟻の一歩でも。前に進まなければ。

 華は、意を決して、一つの籠を手に取った。そして、家の裏手にある森へと向かう。

 彼女には、戦闘の技術はない。だが、知識ならあった。母から教わった、薬草や毒草を見分ける知識。子供の頃、蒼汰と共に、この森を駆け回って覚えた、食べられる木の実や茸の場所。それは、今の彼女が持つ、唯一の「武器」だった。


 森の中は、静かだった。木漏れ日が、苔むした地面にまだらな模様を描いている。華は、記憶を頼りに、注意深く足を進めた。

 あった。

 シダの葉陰に隠れるようにして生えている、小さな赤い実。これは、止血効果のある薬の原料になる。華は、慎重にその実を摘み取り、籠の中へと入れた。

 次は、解熱作用のあるという、青い花弁を持つ草。崖の途中に生えているそれを見つけ、滑り落ちそうになりながらも、必死に手を伸ばして数本を確保する。服は泥で汚れ、手のひらは棘で傷だらけになった。

 痛みも、汚れも、気にならなかった。むしろ、心地良いとさえ感じた。

 自分の力で、何かを生み出している。その事実が、魔窟で感じた無力感を、少しだけ洗い流してくれるようだった。

 夢中で森を歩き回り、陽が傾き始める頃には、籠の中は色とりどりの薬草でいっぱいになっていた。これを村の薬師の元へ持っていけば、いくばくかの金にはなるだろう。金貨千枚には、到底及ばない、雀の涙ほどの金額。

 だが、これは、自分が初めて、自分の意志で稼ぐ金だ。

 その重みは、何物にも代えがたいはずだった。


 夕暮れ時、華は籠を抱えて村へ向かった。薬師の老婆は、華が持ってきた薬草の質の良さに驚き、相場よりも少しだけ色をつけて、銅貨数枚で買い取ってくれた。

 ずしり、と手のひらに感じる、銅貨の重み。

 華は、その銅貨を、布の小袋に大切に入れた。そして、それを強く、強く握りしめる。

 家に戻ると、ジンと蛇目はまだ帰っていなかった。

 華は、夕餉の支度を始める。いつもと同じ、干し肉と野菜のスープ。蛇目に「おままごと」と馬鹿にされた、あのスープだ。

 だが、今日の華の心は、以前とは違っていた。

 これは、ただ与えられた食事ではない。自分もまた、この家のために、ささやかながら「稼いできた」のだ。その事実が、彼女に小さな自信を与えていた。

 やがて、ジンと蛇目が戻ってくる。二人とも、いつものように血と泥に汚れていた。

 食卓を囲む。重苦しい沈黙は、相変わらずだった。

 蛇目は、スープを一口啜ると、また何か嫌味でも言おうかと口を開きかけた。

 その時、華は、懐から銅貨の入った小袋を取り出し、静かに食卓の上に置いた。

 チャリ、と軽い音が響く。

 ジンと蛇目の視線が、その小袋に注がれた。

「……借金の一部です。今日は、これだけしか稼げませんでした。ですが、明日も、明後日も、私は稼ぎます。そして、必ず、あなたに借りたお金を返します」

 華は、まっすぐにジンの目を見て、言った。

 その瞳には、もう劣等感や無力感の色はなかった。ただ、静かで、揺るぎない決意の光が宿っていた。

 ジンは、何も言わなかった。ただ、その小さな小袋と、華の顔を、交互に、信じられないものでも見るかのように見つめているだけだった。

 蛇目は、一瞬、呆気に取られたような顔をしたが、やがて、ふっと息を漏らすように笑うと、興味深そうに腕を組んだ。

「……へえ。言うだけじゃなかったってわけだね、お姫様」

 その声には、もう侮蔑の色はなかった。

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