第6話:相棒の来訪と嫉妬の視線
第6話:相棒の来訪と嫉妬の視線
不格好な木の一輪挿しが食卓に置かれてから、数日が過ぎた。
華は、毎日、家の裏で新しい野の花を摘み、その一輪挿しに活けた。ジンは相変わらず口数が少なく、日中は魔物狩りか家の修繕に明け暮れていたが、少なくとも、花瓶を叩き割るようなことはもうなかった。
二人の間に流れる空気は、まだぎこちなく、冷たい。だが、完全な断絶があった数日前に比べれば、それは大きな変化だった。夕餉の時には、ぽつり、ぽつりと、業務連絡のような会話が交わされるようになった。「明日は森の東側に罠を仕掛ける」「井戸の滑車が、そろそろ危ないかもしれない」。それだけだったが、華にとっては、分厚い氷に、ようやく小さな亀裂が入ったような、そんな心持ちだった。
この男は、ただ冷たいだけではない。その不器用な優しさを、自分は知っている。そう思うだけで、この先の見えない生活にも、微かな光が差すように感じられた。
その、ささやかな平穏を打ち破る闖入者が現れたのは、昼下がりのことだった。
馬のいななきが聞こえ、家の外で土埃が舞う。何事かと華が戸口から顔を出すと、そこには、一頭の黒馬にまたがった、一人の女がいた。
女は、この貧しい村には不釣り合いなほど、派手な身なりをしていた。体にぴったりと張り付くような黒革の装束は、動きやすさを重視したものだろうが、同時に彼女のしなやかな体の線を強調していた。腰には二本の短剣。そして、何よりも目を引いたのは、その顔立ちだった。切れ長の目、高い鼻、形の良い唇には紅が差してある。男であれば誰もが振り返るであろう美貌と、魔物であれば誰もが恐れをなすであろう鋭い眼光が、奇妙な同居を果たしていた。
女は馬からひらりと降り立つと、値踏みするような視線で廃屋を見回し、やがて華の姿を捉えた。
「……あんたが、噂の女かい」
その声は、低く、少しハスキーで、鈴を転がすようでありながら、どこか刃物のような響きを持っていた。
「ジンはいるんだろ? あいつがこんな田舎で所帯持ちなんて、どんな冗談かと思って見に来てやったのさ」
女は、当たり前のようにジンの名を口にした。その親密な響きに、華の胸がちくりと痛む。
その時、家の裏手から、薪を抱えたジンが姿を現した。彼は女の姿を認めると、驚いたように目を見開き、そして、ひどく面倒くさそうな顔で眉をひそめた。
「……蛇目。なぜ、お前がここにいる」
「あたしがあんたの居場所を突き止められないとでも思ったのかい? 甘く見られたもんだね、ジン」
蛇目と呼ばれた女は、猫のようにしなやかな足取りでジンに近づくと、馴れ馴れしく彼の腕に自分の腕を絡ませた。ジンはそれを振り払おうともせず、ただ「厄介なやつに嗅ぎつけられた」とでも言いたげな顔で、ため息をついている。
その姿は、華がこれまで見たことのない、ジンの姿だった。
華といる時の、常に気を張って、壁を作っているような彼ではない。もっと気の抜けた、対等な相手に見せる、隙のある顔。それは、二人が同じ世界で生きてきた者同士であることを、雄弁に物語っていた。
荒野の匂い、血と鉄の匂い。この女からも、ジンと同じ匂いがする。
蛇目は、ジンの腕に絡みついたまま、ちらりと華に視線を向けた。その目は、あからさまな敵意と、そして憐れみを混ぜ合わせたような、複雑な光をたたえていた。
「へえ。あんたが、こいつを十年も縛り付けてるっていう、昔の許嫁さんかい。もっとか弱いお姫様かと思ってたけど、案外、土臭いんだね」
その言葉は、鋭い毒針のように、華のプライドを刺した。
何も言い返せない。事実、自分は土臭い。この女のように、美しくもなく、強くもない。ジンと対等に肩を並べられるような世界の人間ではない。
ジンは、ようやく蛇目の腕をほどくと、低い声で言った。
「お前には関係ない。何の用だ」
「用? 相棒が、急に何の連絡もなしにいなくなっちまったんだ。心配して探しに来てやったんじゃないか。それとも、あんた、あたしがいなくて寂しかったとか?」
蛇目はからかうように笑い、ジンの胸を指でつつく。ジンは、そのふざけた態度を無視した。
華は、ただ、その光景を立ち尽くして見ていた。
二人の間には、自分が決して入り込めない、共有された時間と経験の匂いが満ちていた。魔窟の闇、死線の記憶、背中を預け合った者同士にしか分からない、暗黙の信頼。
自分が毎日、花を活けて、ささやかな温もりを作ろうとしていたこの場所が、この女の登場によって、いとも容易く、元の荒野の色に塗り替えられていくような気がした。
胸の奥で、冷たくて、どす黒い感情が渦を巻く。
それは、嫉妬、という名前だった。