表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/20

第6話:相棒の来訪と嫉妬の視線

第6話:相棒の来訪と嫉妬の視線

 不格好な木の一輪挿しが食卓に置かれてから、数日が過ぎた。

 華は、毎日、家の裏で新しい野の花を摘み、その一輪挿しに活けた。ジンは相変わらず口数が少なく、日中は魔物狩りか家の修繕に明け暮れていたが、少なくとも、花瓶を叩き割るようなことはもうなかった。

 二人の間に流れる空気は、まだぎこちなく、冷たい。だが、完全な断絶があった数日前に比べれば、それは大きな変化だった。夕餉の時には、ぽつり、ぽつりと、業務連絡のような会話が交わされるようになった。「明日は森の東側に罠を仕掛ける」「井戸の滑車が、そろそろ危ないかもしれない」。それだけだったが、華にとっては、分厚い氷に、ようやく小さな亀裂が入ったような、そんな心持ちだった。

 この男は、ただ冷たいだけではない。その不器用な優しさを、自分は知っている。そう思うだけで、この先の見えない生活にも、微かな光が差すように感じられた。


 その、ささやかな平穏を打ち破る闖入者が現れたのは、昼下がりのことだった。

 馬のいななきが聞こえ、家の外で土埃が舞う。何事かと華が戸口から顔を出すと、そこには、一頭の黒馬にまたがった、一人の女がいた。

 女は、この貧しい村には不釣り合いなほど、派手な身なりをしていた。体にぴったりと張り付くような黒革の装束は、動きやすさを重視したものだろうが、同時に彼女のしなやかな体の線を強調していた。腰には二本の短剣。そして、何よりも目を引いたのは、その顔立ちだった。切れ長の目、高い鼻、形の良い唇には紅が差してある。男であれば誰もが振り返るであろう美貌と、魔物であれば誰もが恐れをなすであろう鋭い眼光が、奇妙な同居を果たしていた。

 女は馬からひらりと降り立つと、値踏みするような視線で廃屋を見回し、やがて華の姿を捉えた。

「……あんたが、噂の女かい」

 その声は、低く、少しハスキーで、鈴を転がすようでありながら、どこか刃物のような響きを持っていた。

「ジンはいるんだろ? あいつがこんな田舎で所帯持ちなんて、どんな冗談かと思って見に来てやったのさ」

 女は、当たり前のようにジンの名を口にした。その親密な響きに、華の胸がちくりと痛む。


 その時、家の裏手から、薪を抱えたジンが姿を現した。彼は女の姿を認めると、驚いたように目を見開き、そして、ひどく面倒くさそうな顔で眉をひそめた。

「……蛇目じゃのめ。なぜ、お前がここにいる」

「あたしがあんたの居場所を突き止められないとでも思ったのかい? 甘く見られたもんだね、ジン」

 蛇目と呼ばれた女は、猫のようにしなやかな足取りでジンに近づくと、馴れ馴れしく彼の腕に自分の腕を絡ませた。ジンはそれを振り払おうともせず、ただ「厄介なやつに嗅ぎつけられた」とでも言いたげな顔で、ため息をついている。

 その姿は、華がこれまで見たことのない、ジンの姿だった。

 華といる時の、常に気を張って、壁を作っているような彼ではない。もっと気の抜けた、対等な相手に見せる、隙のある顔。それは、二人が同じ世界で生きてきた者同士であることを、雄弁に物語っていた。

 荒野の匂い、血と鉄の匂い。この女からも、ジンと同じ匂いがする。

 蛇目は、ジンの腕に絡みついたまま、ちらりと華に視線を向けた。その目は、あからさまな敵意と、そして憐れみを混ぜ合わせたような、複雑な光をたたえていた。

「へえ。あんたが、こいつを十年も縛り付けてるっていう、昔の許嫁さんかい。もっとか弱いお姫様かと思ってたけど、案外、土臭いんだね」

 その言葉は、鋭い毒針のように、華のプライドを刺した。

 何も言い返せない。事実、自分は土臭い。この女のように、美しくもなく、強くもない。ジンと対等に肩を並べられるような世界の人間ではない。

 ジンは、ようやく蛇目の腕をほどくと、低い声で言った。

「お前には関係ない。何の用だ」

「用? 相棒が、急に何の連絡もなしにいなくなっちまったんだ。心配して探しに来てやったんじゃないか。それとも、あんた、あたしがいなくて寂しかったとか?」

 蛇目はからかうように笑い、ジンの胸を指でつつく。ジンは、そのふざけた態度を無視した。

 華は、ただ、その光景を立ち尽くして見ていた。

 二人の間には、自分が決して入り込めない、共有された時間と経験の匂いが満ちていた。魔窟の闇、死線の記憶、背中を預け合った者同士にしか分からない、暗黙の信頼。

 自分が毎日、花を活けて、ささやかな温もりを作ろうとしていたこの場所が、この女の登場によって、いとも容易く、元の荒野の色に塗り替えられていくような気がした。

 胸の奥で、冷たくて、どす黒い感情が渦を巻く。

 それは、嫉妬、という名前だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ