第5話:八つ当たりの夜と消えない罪悪感
第5話:八つ当たりの夜と消えない罪悪感
夜明け前の、空が鉛色から白み始める頃。ジンは森から戻ってきた。
夜通し魔物を狩り、身体を酷使することで、胸に渦巻く黒い感情を振り払おうとした。だが、無駄だった。肉体の疲労とは裏腹に、自己嫌悪の棘は、より深く心に突き刺さるばかりだ。
廃屋の前に立つと、中から明かりが漏れていた。まだ、起きているのか。あるいは、眠れなかったのか。どちらにせよ、ジンは戸口で足を止め、中に入るのを躊躇した。どんな顔をして彼女に会えばいいのか、分からなかった。
昨夜の自分の行いは、どう考えても最低だった。
彼女は、ただ、この死んだ空間に少しでも温もりを与えようとしただけだ。それを、自分は最も残酷な形で踏みにじった。まるで、彼女のささやかな希望そのものを、砕いてしまったかのように。
罪悪感が、胃の腑に重くのしかかる。傭兵として、どれだけ血生臭い稼業に身をやつしても感じたことのない種類の、重苦しい痛みだった。
結局、ジンは中には入らず、夜明けの冷気の中で、ただ家の壁に背を預けて座り込んだ。夜露が鎧を濡らし、体の芯まで冷えていく。だが、それが昨夜の自分の行いに対する、当然の罰のように思えた。
中から、戸の軋む音がした。華が、水を汲みに出てきたのだ。
彼女は、戸口のすぐそばに座り込んでいるジンに気づき、びくりと肩を震わせた。その瞳に、一瞬、怯えの色が浮かぶ。その事実が、またジンの胸を抉った。
二人の間に、気まずい沈黙が流れた。朝の鳥の声だけが、やけに大きく聞こえる。
先に口を開いたのは、華だった。
「……おはよう、ございます」
その声は、平坦で、感情が乗っていなかった。昨夜の出来事を、無理やり飲み込もうとしているのが分かった。
ジンは、何も答えられなかった。おはよう、などという、平穏な挨拶を交わす資格が、今の自分にあるとは思えなかった。
華は、そんな彼を一瞥すると、黙って井戸の方へ歩き出した。その小さな背中を見送りながら、ジンは地面に落ちていた小石を、意味もなくブーツの爪先で蹴った。
その日一日、二人の間に会話はなかった。
ジンは昼間、黙々と家の傷んだ壁を修理し、屋根の穴を塞いだ。それは、壊してしまった花瓶の代わりになるようなものでは到底ない。ただ、何かをせずにはいられなかった。贖罪というには、あまりに自己満足な行いだった。
華も、彼を意図的に避けているようだった。彼女は村はずれの森へ出かけ、夕方近くになって、薬草の類を籠いっぱいにして戻ってきた。借金を返すため、ポーションの材料でも作って売るつもりなのだろう。その健気さが、またジンの胸を締め付けた。
夕餉の支度を、華が黙々とこなしている。ジンは、昨日仕留めた兎の残りを、ただ無言で彼女に差し出した。華はそれを受け取ると、手際よく解体し、鍋で煮込み始めた。
やがて、肉の煮える匂いが、家の中に立ち込める。
差し向かいで、食卓を囲む。といっても、そこには砕かれた土器の代わりに、二つの木椀が並んでいるだけだ。
華がよそってくれたスープを、ジンは一口啜った。味は、ほとんどしなかった。自分の舌が、馬鹿になっているのかもしれない。
重苦しい沈黙の中、先にそれを破ったのは、またしても華だった。
「……あの花は、昔、あなたのお母さんと、私の母が、一緒に植えたものだったんです」
ジンの動きが、止まった。
華は、彼の方を見ずに、自分の椀の中を見つめながら続けた。
「だから、少し、嬉しくて。あなたも、覚えていてくれるかと思ったんです。……馬鹿、でしたね」
その声は、責めているというより、ただ、悲しそうだった。
ジンは、喉の奥が詰まるのを感じた。覚えていないはずがない。あの頃の、温かくて、光に満ちていた日々のことを。だからこそ、壊したのだ。今の汚れた自分が、触れてはいけない思い出だと思ったから。
だが、そんな言い訳が、彼女に通じるはずもなかった。
ジンは、椀を置くと、おもむろに立ち上がった。そして、何も言わずに外へ出ていく。
華は、また彼がどこかへ行ってしまうのだと思った。
しかし、しばらくして、ジンは戻ってきた。その手には、不格好に削られた、真新しい木片が握られていた。
彼はそれを、無言で食卓の上に置く。
それは、いびつな形をした、一輪挿しだった。明らかに、素人がナイフ一本で、必死に削り出したものだと分かる。ささくれ立ち、均整もとれていない。だが、そこには、彼の不器用な後悔が、ありありと刻まれていた。
華は、驚いて目を見開いた。
ジンは、彼女の顔を見ることができず、そっぽを向いたまま、ぼそりと言った。
「……明日、また、花を摘んでくればいい」
それは、謝罪の言葉ではなかった。
だが、その不器用な一言と、無骨な木の一輪挿しは、どんな謝罪の言葉よりも、彼の後悔と、ほんのわずかな優しさを、華に伝えていた。
華は、何も言えなかった。ただ、胸の奥が、じわりと温かくなるのを感じていた。