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第18話:龍の顎、二人の戦場

第18話:龍の顎、二人の戦場

 三日目の朝。

 黒蠍団の使いが、馬を二頭連れてやってきた。ジンと華は、最低限の荷物を背負い、その後に続く。村人たちは、家の戸口から、遠巻きに二人を見送っていた。その視線には、もう敵意はなかったが、かといって、激励の色もない。ただ、どうすることもできない無力感と、漠然とした不安だけが漂っていた。

 それが、今の村と彼らの距離だった。

 華は、そんな村人たちに、一度だけ、深く頭を下げた。そして、ジンの待つ馬に、迷いなく跨る。


 半日ほど馬を走らせ、彼らがたどり着いたのは、人の気配が全くしない、荒涼とした岩山地帯だった。その中央に、まるで巨大な獣が顎を開けたかのような、不気味な大穴が、ぽっかりと口を開けていた。

 ――龍の顎。

 入り口に立つだけで、中から、腐敗臭と、死の気配が混じった、冷たい風が吹き付けてくる。その風に、馬が怯えていなないた。

「ここから先は、てめえらだけで行ってもらう。首尾よくお宝を見つけたら、この狼煙を上げな。ボスが、直々に迎えに来てくださるそうだ」

 黒蠍団の男は、そう言って狼煙筒を一つ投げ渡すと、さっさと馬首を返して去っていった。まるで、死体遺棄でもするかのような、事務的な態度だった。


「……行くぞ」

 ジンは、大剣を抜き放ちながら、言った。

「俺から、三歩以上離れるな」

「はい」

 華も、懐から護身用のナイフを抜き、そして、腰につけた薬品の入った小袋を確かめた。

 二人は、視線を交わすと、固く頷き、そして、一歩、龍の顎の闇の中へと足を踏み入れた。

 中は、想像を絶する場所だった。

 壁や天井からは、粘液を滴らせる、得体の知れない苔が光を放ち、足元には、無数の骨が散らばっている。空気は重く、湿っており、呼吸をするたびに、肺が汚されていくようだった。

 早速、闇の中から、複数の影が飛び出してきた。このダンジョンに住み着く、ゴブリンの亜種だ。目が退化し、代わりに、異常に聴覚が発達している。

 ジンは、先頭の個体が振り下ろす棍棒を、大剣で弾き返すと、即座にその喉を掻き切った。だが、数が多すぎる。四方から、金属を引っ掻くような、耳障りな鳴き声と共に、奴らが迫ってくる。

「華!」

 ジンの叫びに、華は即座に反応した。彼女は、腰の袋から、ガラスの小瓶を取り出すと、それを力任せに、前方の地面に叩きつけた。

 パリン、と小瓶が砕け、中から、強烈な刺激臭を放つ液体が飛散する。華が、薬草を調合して作った、即席の音響爆弾だった。

 キィィィィィ!

 異常発達した聴覚を持つゴブリンたちが、一斉に耳を塞ぎ、苦しみにのたうち回る。

 その隙を、ジンは見逃さなかった。彼は、獣のような雄叫びを上げると、大剣を横薙ぎに一閃。動きの止まったゴブリンたちを、まとめて薙ぎ払った。

 静寂が戻る。

「……やるじゃねえか」

 ジンが、荒い息をつきながら、言った。

「あなたこそ」

 華も、まだ震える手で、次の小瓶を準備しながら答える。

 初めての、共同作業。それは、お世辞にも、洗練されたものとは言えなかった。だが、確かに、二人は、互いの力を合わせて、最初の死線を乗り越えたのだ。


 ダンジョンの奥へ進むにつれて、敵はより強力に、そして、罠はより狡猾になっていった。

 天井から、酸を吐きかける巨大な蜘蛛。毒の胞子を撒き散らす、人食い茸の群れ。床が抜け落ちる、巧妙な落とし穴。

 その全てを、ジンは、前世の知識と、傭兵としての経験を総動員して、切り抜けていく。彼は、華を背中に庇いながら、常に最短で、最も安全なルートを導き出した。

 華も、ただ守られているだけではなかった。

 彼女は、ジンの傷に、即座に止血効果のある薬草を塗り込み、彼の疲労を回復させるための丸薬を、口移しに近い形で飲ませた。ジンの体力が限界に近づいた時には、強烈な眠りを誘う毒の煙を焚き、魔物を足止めして、休息の時間を作り出した。

 それは、まるで、一つの体を分かち合っているかのようだった。

 ジンが、剣となり、盾となる。

 華が、薬となり、策となる。

 言葉は、ほとんどなかった。だが、互いの呼吸、視線、手の動きだけで、次に何をすべきかが、手に取るように分かった。

 どれだけの時間が経ったのか、もう分からなかった。

 疲労は、とっくに限界を超えている。全身が、悲鳴を上げていた。

 それでも、二人は、歩みを止めなかった。

 互いの存在が、互いを支える、唯一の支柱となっていたからだ。

 やがて、二人の目の前に、ひときわ巨大な、古代の遺跡のような扉が現れた。

 このダンジョンの、最深部。

 扉の向こう側から、これまでの魔物とは比較にならない、圧倒的な、邪悪な気配が漏れ出してきている。

 ジンは、大剣を握り直し、華の方を向いた。

「……ここが、終点だ」

 華も、ナイフを強く握りしめ、静かに頷いた。

 その瞳には、もう、恐怖の色はなかった。ただ、愛する男と共に、最後まで戦い抜くという、澄み切った覚悟の光だけが、宿っていた。

 二人は、視線を合わせると、同時に、巨大な扉を、押し開けた。

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